京福電気鉄道丸岡線
丸岡線 | |||
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基本情報 | |||
現況 | 廃止 | ||
国 | 日本 | ||
所在地 | 福井県 | ||
路線網 | 越前線(福井鉄道部) | ||
起点 | 本丸岡駅 | ||
終点 | 西長田駅 | ||
駅数 | 7駅 | ||
開業 | 1915年6月22日 | ||
全通 | 1931年6月15日 | ||
廃止 | 1968年7月11日 | ||
所有者 | 京福電気鉄道 | ||
使用車両 | 京福電気鉄道#福井支社を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 7.6 km | ||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
電化方式 | 直流600 V 架空電車線方式 | ||
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丸岡線(まるおかせん)は、かつて福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)の本丸岡駅から春江町(同じく現在の坂井市)の西長田駅(現在の西長田ゆりの里駅)までを結んでいた京福電気鉄道(福井鉄道部)の鉄道路線である。1968年(昭和43年)に全線が廃止された。
路線データ
[編集]歴史
[編集]種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 福井県坂井郡高椋村西瓜屋第二号18番地[1] |
設立 | 1913年(大正2年)12月7日[1] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、自動車運輸業[1] |
代表者 | 社長 小原宗太郎[1] |
資本金 | 400,000円(払込額)[1] |
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]。 |
丸岡線は、丸岡鉄道[3]の手によって開業した路線である[4]。当初は丸岡町から吉田郡森田村(現:福井市森田)を経て福井市に至る路線として計画されていたが、九頭竜川の架橋に多額の費用がかかるため断念し[5]、丸岡町 - 北陸本線(現・ハピラインふくい線)丸岡駅間に改めた[5]。
1915年(大正4年)6月22日に本丸岡駅 - 上新庄駅[4]間4.3 kmが開通した[4][6]。当初は762 mm軌間、蒸気動力の軽便鉄道で、1930年(昭和5年)5月1日に1067 mmに改軌、電化した[7]。同年10月12日に上新庄駅を廃止して国鉄丸岡駅に乗り入れた[8]。1931年(昭和6年)6月15日に丸岡駅 - 西長田駅間3.3 kmが開通し[9]、三国芦原電鉄(後の三国芦原線)と接続した[7]。
1944年(昭和19年)12月1日に、永平寺鉄道とともに京福電気鉄道に吸収合併され[10]、同社の丸岡線となった。
1948年(昭和23年)の福井地震被害と復旧によって債務が圧迫した上にモータリゼーションの進行で乗客が減少した。そのため、1968年(昭和43年)7月10日限りで西長田駅 - 本丸岡駅間の丸岡線全線が廃止された[11]。最終電車は22時40分、西長田発の電車だった。
1963年(昭和38年)に、北陸本線の電化のため国鉄(当時)からの要請で、国鉄北陸本線を跨ぐ跨線橋のかさ上げ工事を行っている。また、同時期に京福電気鉄道は丸岡線の廃止を検討していたが、この時は地元自治体からの猛烈な反発に会い、廃止を免れている。
本丸岡駅は廃止後、丸岡バスターミナルとして丸岡地域の交通の中心となっている。また、坂井市坂井町福島(北陸本線丸岡駅の650 m南)には丸岡線との立体交差の跡である橋脚が残っているのをはじめ、沿線の各所に遺構が残されている。
駅一覧
[編集]停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅名および所在地、接続路線の事業者名は廃止時点のもの。駅名およびキロ程は寺田 (2008)による[12]。全駅福井県に所在。
駅名 | よみ | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
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本丸岡駅 | ほんまるおか | - | 0.0 | 京福電気鉄道:永平寺線 | 坂井郡丸岡町西瓜屋 |
一本田駅 | いっぽんでん | 0.8 | 0.8 | 坂井郡丸岡町一本田中 | |
舟寄駅 | ふなよせ | 0.9 | 1.7 | 坂井郡丸岡町舟寄 | |
新福島駅 | しんふくしま | 1.4 | 3.1 | 坂井郡坂井町福島 | |
丸岡駅 | まるおか | 1.2 | 4.3 | 国鉄:北陸本線 | 坂井郡坂井町上新庄 |
東長田駅 | ひがしながた | 1.5 | 5.8 | 坂井郡坂井町東長田 | |
西長田駅 | にしながた | 1.8 | 7.6 | 京福電気鉄道:三国芦原線 | 坂井郡春江町西長田 |
輸送・収支実績
[編集]丸岡鉄道時代
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1915 | 50,375 | 1,093 | 3,610 | 3,820 | ▲ 210 | 検査の結果64 | 879 | 1,525 | |
1916 | 93,837 | 3,589 | 8,492 | 6,950 | 1,542 | 雑損574借入金償却1,300 | 1,646 | 1,685 | |
1917 | 112,782 | 4,142 | 9,726 | 8,733 | 993 | 1,297 | 619 | ||
1918 | 159,041 | 5,878 | 16,223 | 13,567 | 2,656 | 政府補助金返納102 | 1,438 | ||
1919 | 194,947 | 5,378 | 25,041 | 18,904 | 6,137 | 1,325 | |||
1920 | 232,318 | 11,054 | 33,661 | 25,685 | 7,976 | ||||
1921 | 210,497 | 5,047 | 34,896 | 23,805 | 11,091 | ||||
1922 | 266,917 | 5,776 | 38,546 | 25,138 | 13,408 | ||||
1923 | 272,687 | 5,772 | 37,946 | 26,576 | 11,370 | ||||
1924 | 290,292 | 5,033 | 37,111 | 25,319 | 11,792 | ||||
1925 | 262,223 | 6,052 | 34,291 | 24,417 | 9,874 | ||||
1926 | 291,740 | 9,914 | 39,963 | 27,364 | 12,599 | ||||
1927 | 316,792 | 8,451 | 41,154 | 29,011 | 12,143 | ||||
1928 | 291,145 | 6,581 | 40,282 | 27,767 | 12,515 | ||||
1929 | 253,115 | 5,168 | 36,952 | 25,991 | 10,961 | 自動車244 | |||
1930 | 235,047 | 3,415 | 35,412 | 24,684 | 10,728 | 自動車1,303 | 償却金12,031 | ||
1931 | 287,847 | 4,110 | 40,507 | 22,252 | 18,255 | 自動車2,363 | 償却金4,916 | 7,835 | |
1932 | 301,477 | 5,560 | 48,720 | 28,900 | 19,820 | 自動車4,317 | 雑損50 | 14,541 | |
1933 | 313,872 | 7,640 | 54,841 | 32,323 | 22,518 | 自動車2,981 | 11,547 | ||
1934 | 352,922 | 7,935 | 59,779 | 33,832 | 25,947 | 自動車1,865 | 雑損4,845 | 6,822 | |
1935 | 369,661 | 6,891 | 62,729 | 35,358 | 27,371 | 自動車6,094 | 6,076 | ||
1936 | 376,453 | 5,928 | 61,413 | 35,324 | 26,089 | 自動車7,985 | 償却金1,824 | 6,106 | |
1937 | 454,178 | 5,973 | 62,968 | 35,953 | 27,015 | 自動車11,371 | 償却金470引当税金4,065 | 4,220 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
京福電気鉄道丸岡線時代
[編集]年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 発送貨物(トン) | 到着貨物(トン) |
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1952 | 944,193 | 941,818 | 3,470 | 2,146 |
1953 | 474,588 | 453,681 | 32 | 362 |
1954 | 782,087 | 775,524 | 390 | 2,266 |
1955 | 817,191 | 807,952 | 2,730 | 2,119 |
1956 | 890,515 | 879,542 | 3,788 | 2,865 |
1957 | 883,871 | 875,742 | 3,244 | 2,039 |
1958 | 1,305,906 | 1,305,906 | 8,463 | 8,463 |
1959 | 913,855 | 907,877 | 3,737 | 3,769 |
1960 | 880,879 | 885,606 | 3,582 | 2,523 |
1961 | 917,165 | 918,621 | 4,002 | 2,105 |
1962 | 821,724 | 825,065 | 6,963 | 6,236 |
1963 | 858,958 | 859,227 | 960 | 311 |
1964 | 887,101 | 886,148 | 960 | 179 |
1965 | 787,143 | 782,868 | 150 | 30 |
1966 | 767,470 | 772,762 | ||
1967 | 723,285 | 729,946 | ||
1968 | 212,254 | 214,613 |
- 福井県統計書、福井県統計年鑑[13]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 免許時より社名は「丸岡鉄道」[2]
- ^ a b c 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年6月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 京福 2003, p. 26.
- ^ 京福 2003, pp. 91, 141.
- ^ a b 京福 2003, p. 27.
- ^ 京福 2003, pp. 94, 141.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年06月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 京福 2003, p. 29.
- ^ 京福 2003, p. 33.
- ^ 寺田 2008, p. 162.
- ^ 福井県統計年鑑デジタルアーカイブ
参考文献
[編集]- 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩く』 5巻、JTB、1998年。
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年。
- 『京福電気鉄道 越前線写真帖 88年回顧録』京福電気鉄道、2003年1月31日。
- 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング、2008年5月1日。ISBN 978-4-533-07145-4。