中条信義
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和4年(1767年) |
死没 | 文政10年3月11日(1827年4月6日) |
別名 | 通称:友之助、兵庫 |
官位 | 従四位上左少将、河内守 |
幕府 | 江戸幕府高家旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 秋月氏→中条氏 |
父母 | 父:秋月種美、養父:中条信復 |
兄弟 |
キセ(秋月種武室)、秋月縫殿、秋月種茂、フミ(山田重遠室)、イク、 トミ(内田正矩室)、 ナカ(手塚吉従室)、上杉鷹山、相良晃長、セイ(小田久知室)、大久保忠快、亀三郎、政次郎、エツ(柴垣定信室)、トマ、秋月種懐、トヨ(泥谷直之室)、信義、フチ(榊原政栄養女)、斉藤利国 |
妻 | 正室:大沢定寧娘 |
子 |
弥一郎(早世)、他一男八女あり 養子:信徳(松平直泰六男) |
中条 信義 (ちゅうじょう のぶのり)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本。旗本中条家5代当主。
明和4年(1767年)、日向国高鍋藩6代藩主・秋月種美の八男として誕生した。高家旗本・中条信復の養子となる。天明元年(1781年)閏5月15日、10代将軍・徳川家治に御目見する。表高家に列する。
天明7年(1787年)3月1日、高家見習に召し出されて、3月26日、従五位下・侍従・河内守に叙任する。同年4月13日、高家職に就任する。文化5年(1808年)12月25日、高家肝煎に就任し、従四位下に昇進する。文化7年(1810年)11月25日、信復の隠居により家督を相続する。長男・弥一郎の早世により同年12月9日、松平直泰の六男・信徳を養子に迎えた。文化13年(1816年)6月13日、従四位上に昇進する。
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