三村仁司
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みむら ひとし 三村 仁司 | |
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生誕 |
1948年8月20日(76歳) 日本 兵庫県加古川市 |
出身校 | 兵庫県立飾磨工業高等学校 |
受賞 | 厚生労働省「現代の名工」、黄綬褒章 |
三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日[1][2] - )は、日本の技術者。競技スポーツ用シューズの職人。
経歴
[編集]1948年、兵庫県印南郡志方町(現:加古川市)生まれ[1][2]。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め、長距離走選手としてインターハイなどに出場[2]。この頃から、長持ちするシューズはないかと考えるようになり、スポーツメーカーでの就職を志すようになった。大学からの競技続行の誘いを断り、高校卒業後の1966年、オニツカ株式会社(現:アシックス)に入社[1]。成型係、仕上係、研究室を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される。ゴムの配合やスポンジの配合など、素材単位での研究を進め、クッション性・摩耗性・軽量性などの問題とバランスを学んだ。
1974年に、たった一人で別注シューズの製作を開始[1][2]し、その後は他の社員とともにオリンピックを目指す選手をフォローしていくことになる。陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたる競技のシューズを手がける。君原健二、瀬古利彦、谷口浩美、森下広一、高橋尚子、有森裕子、野口みずき、イチロー、長谷川穂積、尾崎好美、小崎まり、青木宣親、内川聖一、香川真司、木﨑良子などのシューズ製作を担当した[1][2]。(ただし、イチローのスパイクとトレーニングシューズは2004年以降は、三村や神戸・高塚台の工学研究所ではなく、鳥取・境港のアシックス山陰で製造されていた。)高い評価が在る一方で、競技者が故障で早期引退したり、他のメーカーに替えているのも事実であり、高評を疑問視する声も在る[要出典]。
2009年、アシックスを定年退職し、兵庫県高砂市米田町[2]においてシューズ工房「M.Lab(ミムラボ)」を設立し、代表取締役に就任。2010年1月には、アディダスジャパン株式会社と専属アドバイザー契約締結を発表し[3]、ミムラボで制作されるすべての競技シューズをアディダス製品として開発することとなった。しかし、2017年春には契約解消している[4]。2018年1月1日にニューバランスの専属アドバイザーに就任したことが報じられた[5]。
受賞・叙勲歴
[編集]人物・エピソード
[編集]2004年のアテネオリンピックで、野口みずきは、女子マラソンで優勝した直後、右足のシューズを脱いで、キスをした。野口自らの説明によれば、それはシューズを製作した三村に対する「最大限の感謝の気持ち」の意味だった、という[6]。
著書
[編集]- 金メダルシューズのつくり方(2002年2月、情報センター出版局)ISBN 978-4-7958-3722-5
出演番組
[編集]- 平成日本のよふけ(フジテレビ系列、2000年11月20日)
- 夢の扉 〜NEXT DOOR〜(TBS系列、2007年(平成19年)8月19日)
- みらいのつくりかた(テレビ東京系列、2014年6月12日)
脚注
[編集]- ^ a b c d e MIMURA PREMIUM - アディダスランニングラボ
- ^ a b c d e f ピックアップボイス 三村仁司さん - 加古川タウンマップキラリかこがわ
- ^ a b 現代の名工、三村仁司氏が生み出すシューズ All About、2010年1月14日
- ^ “最強の靴職人 アディダスとの専属契約解消で青学大が激震”. NEWSポストセブン. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “ニューバランスがシューズ職人三村仁司氏との専属アドバイザー契約を締結”. PR Times. 2018年1月2日閲覧。
- ^ ロンドン五輪へ始動 シューズの三村仁司 All About、2010年5月11日
外部リンク
[編集]- 三村仁司 OFFICIAL WEB SITE - ウェイバックマシン(2015年4月24日アーカイブ分)
- もうひとりのヒーロー 最高のパフォーマンスをアシストするクツづくり - 日本オリンピック委員会