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ヴァルタ川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァルタ川
ヴァルタ川 2000年6月25日撮影
ヴァルタ川
延長 808 km
平均流量 195 m3/s
(オーデル川合流点)
流域面積 54,529 km2
水源 ポーランドシロンスク県
水源の標高 -- m
河口・合流先 オドラ川(オーデル川)
流域 ポーランド
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オドラ川(オーデル川)流域図、ヴァルタ川は右支流

ヴァルタ川ポーランド語:Warta [ˈvarta] ( 音声ファイル)ドイツ語: Warthe [ˈvaʁtə] ( 音声ファイル)、ラテン語:Varta)は、ポーランドの中部から西部にかけて流れる河川オドラ川(オーデル川)最大の支流である。合流点まではオドラ川本流よりも長い。ドイツ語ではヴァルテ川と呼ばれる。ポズナンゴジュフ・ヴィエルコポルスキなどポーランド西部の主要都市を流れる。

長さは約808km、流域面積は54,529平方kmにおよぶ。ヴィスワ川・オドラ川に次ぐポーランド第3の大河。シロンスク県(上シレジア)中部のザヴィエルチェ英語版(Zawiercie)付近に発し、シロンスク県とウッチ県の県境を西へ流れた後にウッチ県西部を北へ流れ、ヴィエルコポルスカ県に入り西へと向きを変え、低地を何度か北へ蛇行しながら、ルブシュ県を経てコストシン・ナド・オドロン(Kostrzyn nad Odrą、独:キュストリン)で西からオドラ川に合流する。

地理

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流域は最終氷期には北欧を覆う氷床の縁となった地域であり、氷床の辺縁に沿って川が流れた跡がウーアシュトロームタール英語版(Urstromtal)という大きな渓谷状の地形となり、氷床の大きさが変わるたびに東西方向に大きなウーアシュトロームタールが残った。支流ノテチ川(Noteć、独:ネッツェ川)はそのうち一番北にあるウーアシュトロームタールに沿って西へと走っている。その他、氷河が残した地形にはモレーンや無数のがある。

主な支流には右岸側(北側)にはノテチ川、左岸側(南側)にはプロスナ川英語版(Prosna)、オブラ川英語版(Obra)がある。またポズナンの上流付近からオドラ川中流へ結ぶ運河があるほか、ノテチ川上流のブィドゴシュチュ運河英語版でヴィスワ川下流の大都市ブィドゴシュチュ(ビドゴシュチ)と結ばれており、オドラ川水系とヴィスワ川水系を結ぶ内陸水運の重要な路線の役割を果たす。

流域の主な都市には、上流のシロンスク県ではザヴィエルチェ英語版シレジアの鉄鋼都市チェンストホヴァ、ウッチ県のシェラツ英語版(Sieradz)、ヴィエルコポルスカ県のコウォ(Koło)、コニン英語版(Konin)、シレーム(Śrem)、県都ポズナン、ルブシュ県のスクフィエジナ英語版(Skwierzyna、独:シュヴェリーン・アン・デア・ヴァルテ)、県都ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ(Gorzów Wielkopolski、独:ランツベルク・アン・デア・ヴァルテ)、コストシン・ナド・オドロン(Kostrzyn nad Odrą、独:キュストリン)など。

オドラ川に注ぐ直前の一帯の湿地草地ヤナギの林、水路三日月湖などからなるヴァルタ河口国立公園英語版は1984年にラムサール条約に登録された。一帯はガンカモハクチョウツルの重要な繁殖地である[1]

歴史

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ポズナンを流れるヴァルタ川
コストシン付近のヴァルタ川

中世前期には流域に多くのスラブ系部族が住み、その中からポズナンを首都にピャスト朝が勃興しポーランド公国を名乗り、中欧から東欧にかけて大国を築き上げた。1025年にはポーランド王国となり直後に首都もクラクフに移ったが、古都ポズナンや大司教座の街グニェズノのあるヴァルタ川流域はポーランド揺籃の地と言える。ポズナンのあるヴィエルコポルスカ県の名は、「大ポーランド」を意味するこの一帯の歴史的地名にちなむ。

中世にはドイツ人の東方植民が進み、下流はブランデンブルク選帝侯の領土となり、ポズナン(ポーゼン)などの都市をはじめ農村地帯にもドイツ人が浸透した。この時期もヴァルタ川流域はドイツ人の国(プロイセン王国など)に対するポーランドの西の国境地帯であったが、1793年に第2次ポーランド分割が行われるとヴァルタ川流域はプロイセン王国の「南プロイセン」となった。1807年ナポレオン戦争でプロイセンが敗れるとワルシャワ公国の領土となったが、1815年ウィーン会議後はポズナン大公国として再度プロイセンの支配下に入り、1848年にはプロイセンに併合されポーゼン州となった。

第一次世界大戦後にポーランドが独立するとポーランド領のポズナン県やウッチ県などになったが、1939年ポーランド侵攻以後はナチス・ドイツに併合され、ポーゼン帝国大管区、次いでヴァルテ川の名にちなむヴァルテラント帝国大管区(ライヒスガウ・ヴァルテラント)が置かれ、この地のポーランド人住民の相当数がポーランド総督府への強制移住や強制労働で離散させられた。第二次世界大戦後にはヴァルタ川流域はポーランド領に戻り、下流域の長年ブランデンブルクに属していた地域も新たにポーランド領となり、当地に住んでいたドイツ人はオーデル・ナイセ線の西へと追放された(ドイツ人追放)。

脚注

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  1. ^ Warta River Mouth National Park | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2019年7月23日). 2023年4月1日閲覧。

外部リンク

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