レオポルト・クーペルヴィーザー
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レオポルト・クーペルヴィーザー Leopold Kupelwieser | |
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自画像 | |
生誕 |
1796年10月17日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 オーストリア大公国 Markt Piesting |
死没 |
1862年11月17日 (66歳没) オーストリア帝国 ウィーン |
レオポルト・クーペルヴィーザー(Leopold Kupelwieser、1796年10月17日 - 1862年11月17日)はオーストリアの画家である。宗教画や肖像画を描いた。
略歴
[編集]ニーダーエスターライヒ州マルクト・ピースティングに生まれた。父親は食器工場の共同経営者であった[1]。美術の才能は幼い頃から知られ、彫刻家ザウナーに認められて12歳の時に、ウィーン美術アカデミーに入学した[2]。
1824年にはローマを訪れ、当時ローマで活動していたヨハン・フリードリヒ・オーファーベックや「ナザレ派」の画家たちから影響を受けた[2]。パトロンであったロシア貴族ベレージンが没した後、ウィーンに戻り、肖像画家や版画の元絵の画家として知られた。
「Schubertianern」と呼ばれるフランツ・シューベルトの友人仲間の一人で、1826年のクーペルヴィーザーの結婚式のときには、シューベルトが即興でワルツ曲を演奏した。シューベルトはこの曲の楽譜を残さなかったが、後にクーペルヴィーザーの娘などが演奏し、リヒャルト・シュトラウスが採譜したのが、『クーペルヴィーザー・ワルツ』である。
1837年にウィーン美術アカデミーの歴史画の教授になった[3]。1850年にフランツ・ヨーゼフ勲章を受勲し、貴族に序せられた。後年は装飾画を描くことが多かった。
作品
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ウィーン、ペーター教会の装飾画
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ペーター教会の装飾画
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シューベルトと友人たち、ピアノの前がシューベルト
参考文献
[編集]- ^ Eva Wald: Die Anfänge der Industrie des Wiener Beckens und ihre geographischen Grundlagen. Vienna University dissertation, 1954, Permalink Österreichischer Bibliothekenverbund, pg. 221.
- ^ a b Bernhard Grueber (1883). "Kupelwieser, Leopold". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 17. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 405–407.
- ^ Rupert Feuchtmüller: Kupelwieser, Leopold. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 13, Duncker & Humblot, Berlin 1982, ISBN 3-428-00194-X, S. 312 f. (電子テキスト版).