レオポルト・クーペルヴィーザー

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レオポルト・クーペルヴィーザー
Leopold Kupelwieser
Leopold Kupelwieser, self-portrait.jpg
自画像
生誕 1859年10月4日
オーストリア,Markt Piesting
死没 1859年10月4日
オーストリア,ウィーン

レオポルト・クーペルヴィーザー(Leopold Kupelwieser、1796年10月17日 - 1862年11月17日)はオーストリアの画家である。宗教画や肖像画を描いた。

略歴[編集]

ニーダーエスターライヒ州のマルクト・ピースティング(Markt Piesting)に生まれた。父親は食器メーカーの共同経営者であった[1]。美術の才能は幼い頃から知られ、彫刻家のザウナー(Franz Anton von Zauner)に認められて12歳の時に、ウィーン美術アカデミーに入学した[2]

1824年にはローマを訪れ、当時ローマで活動していたヨハン・フリードリヒ・オーファーベックや「ナザレ派」の画家たちから影響を受けた[2]。パトロンであったロシア貴族ベレージン(Alexei Sergeyevich Berezin)が没した後、ウィーンに戻り、肖像画家や版画の元絵の画家として知られた。

「Schubertianern」と呼ばれるフランツ・シューベルトの友人仲間の一人で、1826年のクーペルヴィーザーの結婚式のときには、シューベルトが即興でワルツ曲を演奏した。シューベルトはこの曲の楽譜を残さなかったが、後にクーペルヴィーザーの娘などが演奏し、リヒャルト・シュトラウスが採譜したのが、『クーペルヴィーザー・ワルツ』である。

1837年にウィーン美術アカデミーの歴史画の教授になった[3]。1850年にフランツ・ヨーゼフ勲章を受勲し、貴族に序せられた。後年は装飾画を描くことが多かった。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Eva Wald: Die Anfänge der Industrie des Wiener Beckens und ihre geographischen Grundlagen. Vienna University dissertation, 1954, Permalink Österreichischer Bibliothekenverbund, pg. 221.
  2. ^ a b Bernhard Grueber (1883), "Kupelwieser, Leopold", Allgemeine Deutsche Biographie (ADB) (ドイツ語), 17, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 405–407
  3. ^ Rupert Feuchtmüller: Kupelwieser, Leopold. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 13, Duncker & Humblot, Berlin 1982, ISBN 3-428-00194-X, S. 312 f. (電子テキスト版).