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ラモン・エレディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラモン・エレディア
名前
本名 ラモン・アルマンド・エレディア・ルアルテ
Ramón Armando Heredia Ruarte
愛称 カチョ(Cacho)
ラテン文字 Ramón Heredia
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1951-02-26) 1951年2月26日(73歳)
出身地 コルドバ
身長 178cm
体重 74kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
0000-1969 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1969-1973 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 119 (19)
1973-1977 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 79 (15)
1977-1979 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 22 (1)
通算 220 (35)
代表歴
1970-1975 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 30 (2)
監督歴
1992 スペインの旗 トレド
1993 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
1993 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
1994-1995 スペインの旗 カディス
1995-1998 スペインの旗 サン・ペドロ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラモン・アルマンド・エレディア・ルアルテRamón Armando Heredia Ruarte1951年2月26日 - )は、アルゼンチンコルドバ出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはDF

経歴

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アルゼンチンのコルドバに生まれ、サン・ロレンソ]でプロデビューを果たし、1973-74シーズン開幕前にアトレティコ・マドリードへ移籍した。アトレティコ・マドリードでは、ルイス・アラゴネス監督の下、CBのレギュラーとして1974-75シーズンのトヨタカップ優勝やプリメーラ・ディビシオン優勝に貢献した[1]。しかし、1976-77シーズンからルイス・ペレイラにレギュラーの座を奪われると、移籍を志願。レアル・マドリードFCバルセロナからのオファーが届いたが、国内クラブへの移籍を許可しなかったアトレティコ・マドリードの方針も重なり、アルゼンチン代表でチームメイトだったカルロス・ビアンチの勧誘によってパリ・サンジェルマンFCへ移籍した[2]。1980-81シーズン終了後に現役を引退。

アルゼンチン代表としては、1974年の西ドイツ・ワールドカップに出場。グループステージ全3試合に先発フル出場したが、1分2敗の成績で大会を後にした[3]

人物

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現役引退後はスペインに移住し、古巣アトレティコ・マドリードのクラブ運営に携わっている。実子のフアン・エレディアはスペイン国内でアマチュアサッカー選手としてプレー、孫のチアゴ・エレディアは、レアル・マドリードカンテラに所属している[4]

関連項目

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脚注

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  1. ^ Un Cacho del PSG” (スペイン語). Perfil (2021年3月14日). 2024年4月8日閲覧。
  2. ^ Levinsky, Por Sergio (2021年4月1日). “Fue bicampeón con San Lorenzo, peleó el primer Balón de Oro y apadrinó artistas: la vertiginosa vida de Cacho Heredia, el secretario técnico del Atlético Madrid” (スペイン語). infobae. 2024年4月8日閲覧。
  3. ^ Orfila, Lluís (2023年3月10日). “‘Cacho’ Heredia: «Simeone, si se va, dentro de tres o cuatro años volverá»” (スペイン語). Menorca - Es diari. 2024年4月8日閲覧。
  4. ^ Thiago Heredia, justo a tiempo” (スペイン語). MARCA (2023年10月14日). 2024年4月8日閲覧。

外部リンク

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