ヨハン・ヴィルヘルム (ザクセン=ヴァイマル公)
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ヨハン・ヴィルヘルム Johann Wilhelm | |
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ザクセン公 ザクセン=ヴァイマル公 | |
在位 |
ザクセン公:1566年12月12日 - 1572年11月6日 ザクセン=ヴァイマル公:1572年11月6日 - 1573年3月2日 |
出生 |
1530年3月11日 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領、トルガウ |
死去 |
1573年3月2日(42歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル |
配偶者 | ドロテア・ズザンナ・フォン・デア・プファルツ |
子女 |
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 ジビュレ・マリー ヨハン マリア |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世 |
母親 | ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク |
ヨハン・ヴィルヘルム(Johann Wilhelm, 1530年3月11日 - 1573年3月2日)は、ザクセン公(在位:1566年 - 1572年)、のちザクセン=ヴァイマル公(在位:1572年 - 1573年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世とジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの次男。
人物
[編集]1566年、兄ヨハン・フリードリヒ2世が神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となった後にザクセン公となった。1572年、マクシミリアン2世の裁定により兄の息子2人との間で所領を分割し、以後ヨハン・ヴィルヘルムはザクセン=ヴァイマル公となり、新たにヨハン・カジミールがザクセン=コーブルク公、ヨハン・エルンストがザクセン=アイゼナハ公となった。翌1573年にヨハン・ヴィルヘルムは死去した。
1560年にプファルツ選帝侯フリードリヒ3世の娘で兄ヨハン・フリードリヒ2世の後妻エリーザベトの妹であるドロテア・ズザンナと結婚した。2人は5子をもうけた。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1562年 - 1602年) - ザクセン=ヴァイマル公
- ジビュレ・マリー(1563年 - 1569年)
- 男子(死産、1564年)
- ヨハン(1570年 - 1605年) - ザクセン=ヴァイマル公
- マリア(1571年 - 1610年) - クヴェードリンブルク女子修道院長
出典
[編集]- Ernst Wülcker (1881). "Johann Wilhelm, Herzog zu Sachsen". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 14. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 343–350.
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