ヨハン・フリードリヒ (ザクセン選帝侯)

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ヨハン・フリードリヒ
クラナッハ作(1531年)

ヨハン・フリードリヒ(1世)(Johann Friedrich (I.), 1503年6月30日 - 1554年3月3日)は、ザクセン選帝侯(在位:1532年 - 1547年[1]

ヴェッティン家エルンスト系のザクセン選帝侯ヨハンの長男。「ドイツ語: der Grossmütige」(英語: the Magnanimous[2]、度量公[1]、豪胆公[2])とも呼ばれた[1]

マルティン・ルターと友好関係にあり、ヘッセン方伯フィリップと共にシュマルカルデン同盟の盟主となった[1]。しかし、1546年のシュマルカルデン戦争を経て、1547年に神聖ローマ皇帝カール5世ミュールベルクの戦いに敗れて捕縛され、選帝侯位と所領を剥奪された[1]。選帝侯位と所領のほとんどは又従弟でヴェッティン家の別系統(アルブレヒト系)に属するモーリッツに与えられ[1]、ヨハン・フリードリヒには「ザクセン公」の肩書とチューリンゲン地方の所領だけが残された。

モーリッツの勢力拡大を恐れたカール5世は、ヨハン・フリードリヒの子息たちにテューリンゲンの各地の方伯として領土を与えて、ヴェッティン家の統一を阻んだのである。

家族[編集]

1527年にユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘ジビュレと結婚し、4男をもうけた。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,Britannica Japan Co., Ltd,2014,コトバンク版 2016年11月30日閲覧。
  2. ^ a b 東京富士美術館,収蔵品作品詳細,ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ豪胆公の肖像, 2016年11月30日閲覧。

関連項目[編集]

先代:
ヨハン
ザクセン選帝侯
1532年 - 1547年
次代:
モーリッツ
先代:
ヨハン
ザクセン公
エルンスト系
1532年 - 1554年
次代:
ヨハン・フリードリヒ2世