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マイケル・サタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイケル・サタ
Michael Sata


任期 2011年9月23日 – 2014年10月28日
副大統領 ガイ・スコット英語版

出生 (1937-07-06) 1937年7月6日
北ローデシアムピカ
死去 (2014-10-28) 2014年10月28日(77歳没)
イギリスの旗 イギリスロンドン
政党 愛国戦線(Patriotic Front)
配偶者 クリスティン・カセバ(Christine Kaseba)

マイケル・チルフヤ・サタ英語: Michael Chilufya Sata1937年7月6日 - 2014年10月28日)は、ザンビア政治家。同国の第5代大統領(在任:2011年9月23日 - 2014年10月28日)。現在の与党である愛国戦線(PF)の創設者にして党首だった。信教はローマ・カトリックである。

イギリス保護領北ローデシアムピカ出身。1963年に政界に入り、1985年に統一民族独立党英語版(UNIP)に入党。ザンビアで複数政党制が認められた1991年からは複数政党制民主主義運動(MMD)に所属。2001年、サタはフレデリック・チルバ大統領の後継候補にレヴィー・ムワナワサ副大統領が推されたことに反発しMMDを離れ、新たにPFを結党した。

2001年に実施された大統領選挙・国民議会選挙においてPFは大敗し、ただ1議席のみしか得られなかった。

5年後の2006年の選挙では現職のムワナワサ大統領に得票率29%対43%で敗れた。選挙期間中、サタは、中国資本を国内から追い出すことを公約し「日本の方が我が国に貢献している」と発言している[1]

2008年、ムワナワサの死去により臨時に実施された大統領選挙では、大統領代行のルピヤ・バンダに38%対40%で敗北した。

2011年9月、サタにとって4度目の大統領選挙では得票率43%対36%でバンダに勝利。PFは結党以来初めて与党となり、同時に20年間続いたMMD政権は終わりを迎えた。サタはその舌鋒の鋭さから「キングコブラ」の異名を持ち、以前からの採掘を求めて国内に進出してくる中国企業を厳しく批判していたが、2011年の選挙期間中は主張を抑え気味にしていた。大統領の就任後は、駐ザンビア中国大使の周欲暁と会談し、「中国からの投資は歓迎するが、中国企業はザンビア国内の法を遵守し、両国にとっての利益としなければならない」と伝えた[2][3][4][5]

2012年10月に日本を訪問し、野田佳彦首相と会談[6][7][8]、2013年4月には中国を訪問し習近平国家主席と会談した[9]

2014年10月28日、サタは病気治療中のロンドンのキング・エドワード7世病院で死去した。77歳没。サタの死後は白人のガイ・スコット英語版副大統領が暫定大統領に就任した[10][11]。それから3ヵ月後の2015年1月に実施された大統領選挙ではPFのエドガー・ルングが当選した。

サタの息子のムレンガ・サタ(Mulenga Sata)も政治家であり、ザンビアの首都のルサカの市長を務めている[12][13]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 中国とアフリカの「不適切な関係」の行方 Wedge(2009年10月8日)2017年8月18日閲覧
  2. ^ ザンビア大統領選、野党党首が勝利 親中へ”. nicozon (2011年9月24日). 2014年6月14日閲覧。
  3. ^ BBC News - Zambia profile - Leaders” (英語) (2011年2月13日). 2014年6月14日閲覧。
  4. ^ JOGMEC 独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構” (2011年12月15日). 2014年6月14日閲覧。
  5. ^ 「もっとザンビア人の利益になる投資を」新大統領、中国企業を批判―ザンビア”. KINBRICKS NOW (2011年9月27日). 2014年6月14日閲覧。
  6. ^ サタ・ザンビア共和国大統領及び令夫人の来日”. 外務省 (2012年10月5日). 2014年6月14日閲覧。
  7. ^ 平成24年10月10日 日・ザンビア首脳会談”. 首相官邸 (2012年10月10日). 2014年6月18日閲覧。
  8. ^ 日・ザンビア首脳会談-平成24年10月10日”. 政府インターネットテレビ (2012年10月10日). 2014年6月18日閲覧。
  9. ^ 習近平主席がザンビアのサタ大統領と会談”. 人民日報日本語版 (2013年4月7日). 2014年6月14日閲覧。
  10. ^ ザンビア暫定大統領にスコット氏、アフリカで20年ぶり白人元首”. AFPBB News (2014年10月30日). 2015年1月31日閲覧。
  11. ^ ザンビア大統領死去、白人のスコット氏が暫定大統領に”. CNN.co.jp (2014年10月30日). 2015年1月31日閲覧。
  12. ^ Mulenga Sata joins presidential race”. Zambian Watchdog (2014年11月2日). 2015年1月31日閲覧。
  13. ^ Mulenga Sata Allegedly Slaps Chellah on State House Premises”. Zambia Reports (2014年9月18日). 2015年1月31日閲覧。

外部リンク

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公職
先代
ルピヤ・バンダ
ザンビアの旗 ザンビア共和国大統領
第5代:2011 - 2014
次代
ガイ・スコット英語版(暫定)
エドガー・ルング