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ホセ・アコスタ (1891年生の投手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホセ・アコスタ
José Acosta
基本情報
国籍  キューバ
出身地 ハバナ州ハバナ
生年月日 (1891-03-04) 1891年3月4日
没年月日 (1977-11-16) 1977年11月16日(86歳没)
身長
体重
5' 6" =約167.6 cm
134 lb =約60.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1911年
初出場 MLB / 1920年7月28日
最終出場 MLB / 1922年5月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ホセ・アコスタJosé Acosta , 1891年3月4日 - 1977年11月16日)は、キューバ共和国ハバナ州ハバナ出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。愛称"Acostica"アコスティカ)。

同世代のキューバ出身MLB選手であるメリト・アコスタの兄だと長年言われていたが、のちに兄弟では無いことが明らかになった。

経歴

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白人ながらほとんどキューバ出身者で構成され、1915年ニグロリーグの独立したチームとなったロング・ブランチ・キューバンズでプレーした。

1920年ワシントン・セネタースMLB初登板。7月28日の対デトロイト・タイガース戦(ネビン・フィールド)で、アル・シャハトに代わり7回裏から2番手としてリリーフ登板し、2を投げて2失点だった。同年に17試合に登板してまずまずの働きを見せる。

1921年もリリーフとして33試合に登板するなど徐々にチームの中心選手となりつつあったが、シーズンオフにトレードフィラデルフィア・アスレチックスを経由してシカゴ・ホワイトソックスへと移籍。1922年のシーズン開幕はホワイトソックスで迎えたが、わずか5試合、防御率8.40に終わり、この年限りでMLBの舞台からは退いた。

その後は1929年までマイナーリーグのチームに所属した。

冬の時期は1911-1912シーズンから1929-1930シーズンまでキューバ国内リーグ"リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル"でプレーした。

1918-1919シーズンおよび1919-1920シーズンに最多勝のタイトルを獲得するなどの活躍をした。

1958年キューバ野球殿堂入りを果たした[1]

1977年11月16日ハバナで死去。86歳没。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1920 WS2 17 5 4 1 2 5 4 1 -- .556 343 82.2 92 1 26 -- 0 9 1 0 40 37 4.03 1.43
1921 33 7 2 0 0 5 4 3 -- .556 520 115.2 148 4 36 -- 0 30 3 0 65 56 4.36 1.59
1922 CWS 5 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 70 15.0 25 4 6 -- 0 6 0 0 14 14 8.40 2.07
MLB:3年 55 13 6 1 2 10 10 4 -- .500 933 213.1 265 9 68 -- 0 45 4 0 119 107 4.51 1.56
  • 「-」は記録なし

脚注

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  1. ^ Cuban Baseball Hall of Fame” (英語). Baseball-Almanac.com. 2013年3月28日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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