ヘル半島

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ヘル
Mierzeja Helska, Półwysep Helski
Hélskô Sztremlëzna
半島
ヘル半島のランドサット画像(2000年撮影)
ヘル半島のランドサット画像(2000年撮影)
ヘル Mierzeja Helska, Półwysep Helski Hélskô Sztremlëznaの位置(ポーランド内)
ヘル Mierzeja Helska, Półwysep Helski Hélskô Sztremlëzna
ヘル
Mierzeja Helska, Półwysep Helski
Hélskô Sztremlëzna
座標:北緯54度38分30秒 東経18度46分53秒 / 北緯54.64167度 東経18.78139度 / 54.64167; 18.78139座標: 北緯54度38分30秒 東経18度46分53秒 / 北緯54.64167度 東経18.78139度 / 54.64167; 18.78139
ポーランド
ポモージェ県 位置図
プック郡ポーランド語版
ヴワディスワヴォヴォで最も高い建物からの眺望
カイトサーフィンをする人々
海洋学研究所のアザラシ

ヘル半島(ヘルはんとう、ポーランド語: Mierzeja Helska, Półwysep Helski Pl-Hel.ogg 聴く[ヘルプ/ファイル]カシューブ語: Hélskô Sztremlëznaドイツ語: Halbinsel Hela もしくは Putziger Nehrung)は、ポーランド北部のプック湾ポーランド語版バルト海を隔てる、全長35km砂州。行政上はポモージェ県プック郡ポーランド語版に所属する。

名前の由来[編集]

半島の名前はおそらく地形に由来し、最初に住み着いたのはゴート族東ゲルマン民族言語グループ)であったことから、古ポーランド語の hyl/hel (空き地もしくはさえぎる物のない土地)、あるいはゲルマン諸語heel が語源とされる[1]

地理[編集]

弧を描く半島の幅はユラタポーランド語版付近の約300m、最狭部の100mから先端部の3km以上まで様々である。全域がで形成されているため、しばしば冬の嵐で寸断されて島状になることがある。17世紀までは島嶼(とうしょ)の連なりで、夏の間だけつながって半島の形を示した。

本土から先端に位置する人気の観光地ヘルを道路と鉄道が結んでいる。半島には他にも町や港およびリゾート地としてユラタ(Jurata)、ヤスタルニアポーランド語版クズニツァポーランド語版ハウピポーランド語版ヴワディスワヴォヴォポーランド語版がある。

ヘル半島行きのバス輸送は1系統だけである。かつて地名「Hel」が英語の「Hell」(「意味は地獄」)に似ているとして、系統番号「666」は新約聖書の「獣の数字」をもじって付けられたという。ところが、冒涜的であるとしてカトリック団体から苦情が高まり[2][3]、系統番号変更を発表した[4][5]

歴史[編集]

1850年ごろの木造の住宅。現在はレストランになっている。

1772年から第一次世界大戦が終わる1919年まで、ヘル(ドイツ名ヘラ)半島はプロイセン王国ドイツ帝国の領土であった。

軍事拠点として[編集]

大戦後にポーランド第二共和国の一部となると軍事上の重要性を認めて(ポーランド回廊)、防衛区Rejon_Umocniony_Helポーランド語版として3000人規模の守備隊を駐留させた。ポーランド軍はヘルの戦いポーランド語版が勃発すると、半島の一点を爆破して島に変え、交通を遮断した。

ナチス・ドイツによる占領時代(1939年 - 1945年)、ヘルの守備はさらに強化され、3門のアドルフ砲(SK C/34 40.6cm沿岸砲)からなる砲台が置かれたが、砲はまもなくフランス大西洋の壁防衛に移転された。半島の守備隊は第二次世界大戦の終わりまで持ちこたえ、ドイツ降伏から六日後の1945年5月14日に投降した。

戦後、ポーランドに復帰しても軍事的な要衝の価値は変わらず、大部分の地域が軍用を解除されなかった。1940年代から50年代にかけて、さらに砲台が増設された。今日、観光客は海防博物館を訪れると砲台跡や要塞施設の多くを見学できるが、継続してポーランド陸軍用地に指定されたままの地区も存在する。

文化[編集]

アニメ「メタロカリプス英語版」のエピソードでは、バンド「デスクロック」(Dëthkløk英語版)のメンバーがヘル半島の近くで公演を開く。作中では「ダンツィヒの近く」となっている[要出典]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ポーランド語版のウィキソースの「hyl」を参照。
  2. ^ Rozkład jazdy – 666 [ニュース – 666]” (ポーランド語). PKS GDYNIA. PKSグディニャ(バス会社) (2019年5月27日). 2019年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月5日閲覧。
  3. ^ Linia 666 do Helu wzbudza kontrowersje [ヘル行きの66系統、物議を醸す]” (ポーランド語). Gdańsk, Gdynia, Sopot - Portal Regionalny trojmiasto.pl [グダニスク、グディニア、ソポト - 地域ポータル] (2018年7月26日). 2023年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月5日閲覧。
  4. ^ OMG! No more rides to Hel on bus 666 in Poland 「地獄行きバス666番線」廃止へ”. ニュースで英語を学べる The Japan Times Alpha オンライン. ジャパンタイムズ. 2023年7月5日閲覧。
  5. ^ O'Carroll, Lisa (2023年6月14日). “No 666 to Hel: Polish bus route drops 'devil's number' after Christian protests”. The Guardian. https://www.theguardian.com/world/2023/jun/14/bus-666-to-hel-poland-devils-number-transport-route-protest 2023年6月15日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ウィキボヤージュには、ヘル岬に関する旅行情報があります。
  • ウィキソースには、ヘル岬の原文があります。
  • ヘル半島のドイツ軍砲台 Battlefieldsww2 (英語) (ドイツ語) (フランス語) (デンマーク語)