ブレット・ハル
ブレット・ハル | |
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現役時代 | |
本名 | ブレット・アンドリュー・ハル |
原語名 | Brett Andrew Hull |
愛称 | ゴールデン・ブレット |
国籍 | カナダ アメリカ合衆国 (二重国籍) |
生誕 出生地 |
1964年8月9日(60歳) カナダ オンタリオ州ベルビル |
身長 体重 |
5 ft 11 in (1.80 m) 205 lb (93 kg; 14 st 9 lb) |
ポジション | ライト・ウィング |
シュート | 右打ち |
学歴 | ミネソタ大学ダルース校 |
所属歴 | カルガリー・フレームス (1985 - 1988) セントルイス・ブルース (1988 - 1998) ダラス・スターズ (1998 - 2001) デトロイト・レッドウィングス (2001 - 2004) フェニックス・コヨーテズ (2005-06) |
代表 | アメリカ合衆国 |
NHLドラフト | 117位(1984年) カルガリー・フレームス |
プロ選手期間 | 1986年 – 2005年 |
2009年殿堂入り |
獲得メダル | ||
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男子 アイスホッケー | ||
アメリカ合衆国 | ||
オリンピック | ||
銀 | 2002 | |
ワールドカップ | ||
金 | 1996 | |
カナダカップ | ||
銀 | 1991 |
ブレット・ハル(英語: Brett Hull、1964年8月9日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ベルビル生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはライト・ウイング。愛称は"ゴールデン・ブレット"。
父親のボビー・ハルもプロ・ホッケー選手であった。
力強く正確なショットで、その得点能力の高さは群を抜き、ゴール数は、ウェイン・グレツキー、ゴーディ・ハウに次いで歴代3位(2005年現在)である。
経歴
[編集]1984年のNHLドラフト全体117位でカルガリー・フレームスから指名され、入団した。
1987-1988年シーズン終盤でセントルイス・ブルースに移籍した。
セントルイスでは、ブレットとその「お膳立て役」としてのアダム・オーツの組み合わせが上手く機能した。当時、この二人のコンビは、ポップス音楽界で名を馳せたホール&オーツにちなんで、「ハル&オーツ ("Hull n Oates" ) 」と呼ばれたこともある。
ブレットのベスト・シーズンといえるのは、1990-1991シーズンである。この年、同期マリオ・ルミューの1シーズン個人最多ゴール数記録を超える86ゴールを上げた(この記録は、グレツキーの92及び87の記録に次ぐものである。)
1999年6月19日、バッファロー・セイバーズとの間で行われたスタンレー・カップ決勝第6戦の再々延長戦で、相手ゴーリーのドミニク・ハシェックと対峙し、自らのリバウンドを拾って決勝ゴールを上げた。ブレットのスケートが、ゴールクリーズの反則を犯していたのではないかとの騒動があったが、オフィシャルはこのゴールを認めた。
1999年の仇敵であったブレットとハシェックは、その後デトロイト・レッドウイングスではチームメートとなり、共に2002年のスタンレー・カップ優勝に貢献した。
2000年10月9日に父親のNHL通算ゴール数を超える611ゴール目を上げた。
2004年8月6日には、フェニックス・コヨーテズと2年契約総額450万ドルで契約を結んだ。
2005年10月中旬に契約期間中ながら現役引退を表明した。
人物
[編集]50試合50ゴールの快挙を2度達成している。これを上回るのは、グレツキー(3度)のみである。
その率直な物言いで知られ、リーグ、選手会など様々な場面で批判の的となることがある。父親ボビーの愛称が「ゴールデン・ジェット」にちなんで、ブレットの愛称は"ゴールデン・ブレット"である。また、母親がアメリカ人であるため、ブレットはカナダとアメリカ合衆国の二重国籍を持ち、国際試合ではアメリカ合衆国代表でプレーした。2002年のソルトレイクシティオリンピックでは銀メダルを獲得している。
詳細情報
[編集]通算成績
[編集]レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
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シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
1984-1985 | ミネソタ大学ダルース校 | NCAA | 48 | 32 | 28 | 60 | 12 | |||||||
1985-1986 | ミネソタ大学ダルース校 | NCAA | 42 | 52 | 32 | 84 | 46 | |||||||
1985-1986 | カルガリー・フレームス | NHL | - | - | - | - | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1986-1987 | モンクトン・ゴールデンフレームス | AHL | 67 | 50 | 42 | 92 | 13 | 3 | 2 | 2 | 4 | 2 | ||
1986-1987 | カルガリー・フレームス | NHL | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 2 | 1 | 3 | 0 | ||
1987-1988 | カルガリー・フレームス | NHL | 52 | 26 | 24 | 50 | 12 | - | - | - | - | - | ||
1987-1988 | セントルイス・ブルース | NHL | 13 | 6 | 8 | 14 | 4 | 10 | 7 | 2 | 9 | 4 | ||
1988-1989 | セントルイス・ブルース | NHL | 78 | 41 | 43 | 84 | 33 | 10 | 5 | 5 | 10 | 6 | ||
1989-1990 | セントルイス・ブルース | NHL | 80 | 72 | 41 | 113 | 24 | 12 | 13 | 8 | 21 | 17 | ||
1990-1991 | セントルイス・ブルース | NHL | 78 | 86 | 45 | 131 | 22 | 13 | 11 | 8 | 19 | 4 | ||
1991-1992 | セントルイス・ブルース | NHL | 73 | 70 | 39 | 109 | 48 | 6 | 4 | 4 | 8 | 4 | ||
1992-1993 | セントルイス・ブルース | NHL | 80 | 54 | 47 | 101 | 41 | 11 | 8 | 5 | 13 | 2 | ||
1993-1994 | セントルイス・ブルース | NHL | 81 | 57 | 40 | 97 | 38 | 4 | 2 | 1 | 3 | 0 | ||
1994-1995 | セントルイス・ブルース | NHL | 48 | 29 | 21 | 50 | 10 | 7 | 6 | 2 | 8 | 0 | ||
1995-1996 | セントルイス・ブルース | NHL | 70 | 43 | 40 | 83 | 30 | 13 | 6 | 5 | 11 | 10 | ||
1996-1997 | セントルイス・ブルース | NHL | 77 | 42 | 40 | 82 | 10 | 6 | 2 | 7 | 9 | 2 | ||
1997-1998 | セントルイス・ブルース | NHL | 66 | 27 | 45 | 72 | 26 | 10 | 3 | 3 | 6 | 2 | ||
1998-1999 | ダラス・スターズ | NHL | 60 | 32 | 26 | 58 | 30 | 22 | 8 | 7 | 15 | 4 | ||
1999-2000 | ダラス・スターズ | NHL | 79 | 24 | 35 | 59 | 43 | 23 | 11 | 13 | 24 | 4 | ||
2000-2001 | ダラス・スターズ | NHL | 79 | 39 | 40 | 79 | 18 | 10 | 2 | 5 | 7 | 6 | ||
2001-2002 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 82 | 30 | 33 | 63 | 35 | 23 | 10 | 8 | 18 | 4 | ||
2002-2003 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 82 | 37 | 39 | 76 | 22 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | ||
2003-2004 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 81 | 25 | 43 | 68 | 12 | 12 | 3 | 2 | 5 | 4 | ||
NHL合計 | 1264 | 741 | 649 | 1390 | 458 | 202 | 103 | 87 | 190 | 73 |
代表歴
[編集]- 1991 カナダ・カップ アメリカ合衆国代表
- 1996 ワールドカップ・オブ・ホッケー
- 2002年オリンピックアイスホッケーアメリカ合衆国代表