ゴーディ・ハウ

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ゴーディ・ハウ
生誕 1928年3月31日(86歳)
カナダサスカチュワン州フローラル
身長
体重
6 ft 1 in (1.85 m)
205 lb (93 kg; 14 st 9 lb)
ポジション 右ウィング
シュート 両利き
所属クラブ USHL
 オマハ・ナイツ
NHL
 デトロイト・レッドウィングス
 ハートフォード・ホエーラーズ
WHA
 ヒューストン・エアロズ
 ニューイングランド・ホエーラーズ
IHL
 デトロイト・バイパーズ
代表 カナダ
現役期間 1946年 – 1971
1973–1980
1997年
1972年殿堂入り

ゴーディ・ハウGordon "Gordie" Howe、1928年3月31日 - )はカナダサスカチュワン州フローラル生れのプロ・アイスホッケー選手でミスター・ホッケー (Mr. Hockey) の愛称を持つ。NHL及びWHA両リーグに渡って長期間活躍し、右ウイングを務めた。3年間の待機期間を待たずしてホッケーの殿堂入りを果すとともに、オーダー・オブ・カナダ (Order of Canada) を受勲した。

選手としての経歴[編集]

ハウは、1946年に18歳でアイスホッケーのプロ選手としてNHLにデビューを飾った。所属チームはデトロイト・レッドウィングス、ポジションは右ウイングであった。ハウはデビュー直後からその類稀な才能を発揮してポイントゲッターとしての地歩を固めた。また、肉体的にも強靭なものを持ち、過酷なアイスホッケー競技にあっては異例の50年に渡る選手生活を送り活躍を続けている。

スポーツ各界におけるアスリートの誰もが真似をできない偉業として、ゴーディ・ハウは20年間連続でゴール数上位5位以内の座に座り続けたことが挙げられる。また、ウェイン・グレツキーの登場を見るまでは常にNHLをリードし続け、チャンピオンシップにおける幾多の得点によりハウの支配力が証明されてきた。

ハウは所属のデトロイト・レッドウィングスを4度のスタンレー・カップ優勝に導いた。これらの優勝当時、右ウイングのハウ及び彼と組んだセンター、シッド・エイベル (Sid Abel) 、左ウイング、テッド・リンジー (Ted Lindsay) のラインは、その得点力の高さと自動車産業で有名なフランチャイズのミシガン州デトロイトに引っ掛けて「プロダクション・ライン」(、"The Production Line" 、生産ラインの意)と呼ばれた。レッドウィングスは1950年代から1960年代初頭を通じて、常に優勝争いにからむ有力チームであり続けた(その後、チームは1960年代後半にスランプに陥る。)

入団して25年後にハウは慢性的な手首の怪我によってNHLからの引退を余儀なくされ、一旦はレッドウィングスのフロントに入る。しかしながら、その1年後新設されたWHA (World Hockey Association) のヒューストン・アエロズ (Houston Aeros) から選手契約のオファーを受ける。レッドウィングスのフロントで何ら意義のある活躍の場を見出せないことに満足できないでいたハウは、選手としての返り咲きを果すために問題の手首の手術を決行、そして見事チームを連続優勝に導いた。1974年には、実に46歳にしてWHAの最優秀選手賞を獲得した。

1979年に WHA と NHL の合併が決まると、当時51歳のハウはハートフォード・ホエーラーズ(Hartford Whalers 、後のカロライナ・ハリケーンズ)と1年契約し、リーグ試合数80試合のすべてに出場した。

また、1997年にハウは、実に60年に渡ってプロホッケーでプレイを行うという金字塔を打ち立てた。このときハウは、 International Hockey League のデトロイト・バイパーズ (Detroit Vipers) と1試合のみの出場契約を締結し、1回の途中交替によって感動のリンク返り咲きを果した。

ハウの活躍した時代は、得点することが難しく、選手同士の当たりが激しい時代でもあったが、ポイント数1,850(801ゴール、1,049アシスト)はNHL史上でも歴代3位(2005年現在)にランクされる。また、NHLとWHAのレギュラーシーズンを通算してみると、975ゴールは歴代1位(2005年現在)である。なおウェイン・グレツキーはハウのことをその若かりし選手時代から崇拝しており、後に両者の親交は厚いものになるのであるが、またハウの打ちたてた数多くの得点記録などを塗り替えることになる。

ハウの引退時において、プレイオフを含めてNHL及びWHAを通算してプロホッケー選手としてハウが残した記録は、出場試合数2,421試合、ゴール数1,071、アシスト数1,518及びポイント数2,589など最高のものであった。その後、グレツキーはゴール数1,072、アシスト数2,297、ポイント3,369とハウの記録を更新したが、出場試合数は1,788試合とハウに及ぶことはなかった。また、この後もハウの出場試合数は誰も破ることのできない記録であると一般的に考えられている。マーク・メシエでさえ、その出場試合数1,756はハウのNHLのみの出場数にすら11試合及ばず、ましてやプロ通算2,421試合にははるかに及ばない。

ミスター・ホッケーと呼ばれ英語圏生まれのハウの付けた背番号9は、奇しくもフランス語圏の英雄モーリス・リシャールと同じ背番号であった。この両選手による相乗効果もあって、一般的に背番号9は、NHLにおいても特別な意味を持つ番号と信じる向きが多い。ウェイン・グレツキーが入団した時、すでにスーパースターの地位を確立していたハウに憧れ9番を望んだが、空番でなかったため99番を着用することとなったとされる。なお、ハウは当初は17番を着用していたのであるが、小さい番号を付けると遠征時の車両で良い寝台を得られると聞き背番号を変更したというエピソードが残されている。

弟のヴィック・ハウもNHLのニューヨーク・レンジャースで3シーズン33試合に出場した[1]。ハウの妻 Colleen Joffa は、アメリカにおいて初のジュニアホッケーチームデトロイト・ジュニアレッドウイングスの創立者として知られる。また、息子のマーティ (Marty Howe) と マーク (Mark Howe) は、二人とも父親のハウのチーム・メイトとしてヒューストン・アエロズハートフォード・ホエーラーズでプレイしたことで知られる。

なお、ハウが新聞の見出しとなる場合には、しばしば英語の駄洒落で氏名のGordie HoweHoly cow(「なんてこったい」、「あれまー」位の意味)のそれぞれの単語を組み合わせて用いることもある。

受賞歴[編集]

  • アート・ロス記念賞 - 1951年、1952年、1953年、1954年、1957年、1963年
  • ハート記念賞 - 1952年、1953年、1957年、1958年、1960年、1963年
  • レスター・パトリック杯 - 1967年
  • オーダー・オブ・カナダ受賞 - 1971年
  • ホッケーの殿堂入り - 1972年
  • NHL オールスター出場 23回
  • ギャリー・デビットソン賞 - 1974年
  • WHA オールスター出場 - 2回

記録[編集]

  • NHL レギュラーシーズン最多ゴール数: 801ウェイン・グレツキーが更新)
  • NHL レギュラーシーズン最多ポイント数: 1,850 (グレツキー及びマーク・メシエが更新)
  • NHL レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多ゴール数: 869 (グレツキーが更新)
  • NHL レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多ポイント数: 2,010 (グレツキー及びメシエが更新)
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン通算最多コール数: 975
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン通算最多ポイント数: 2,358 (グレツキーが更新)
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多ゴール数: 1,071 (グレツキーが更新)
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多アシスト数: 1,518 (グレツキーが更新)
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多ポイント数: 2,589 (グレツキーが更新)
  • NHL レギュラーシーズン最多出場試合数: 1,767
  • NHL レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多出場試合数: 1,924 (メシエが更新)
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン通算最多出場試合数: 2,186
  • NHL 及び WHA レギュラーシーズン、プレイオフ通算最多出場試合数: 2,421
  • NHL 最多現役シーズン数: 26
  • NHL 及び WHA 通算最多現役シーズン数: 32
  • プロスポーツマンとしての現役最多年代数(IHLでの1試合を含む。): 6 (1946年 - 1998年)
  • NHL レギュラーシーズン、右ウイング最多ゴール数: 801
  • NHL レギュラーシーズン、右ウイング最多アシスト数: 1,049
  • NHL レギュラーシーズン、右ウイング最多ポイント数: 1,850
  • NHL レギュラーシーズン通算アシスト数: 1,049、歴代第7位(2005年時点)

年度別成績[編集]

    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1945-46 オマハ・ナイツ USHL 51 22 26 48 53 6 2 1 3 15
1946-47 デトロイト・レッドウィングス NHL 58 7 15 22 52 5 0 0 0 18
1947-48 デトロイト・レッドウィングス NHL 60 16 28 44 63 10 1 1 2 11
1948-49 デトロイト・レッドウィングス NHL 40 12 25 37 57 11 8 3 11 19
1949-50 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 35 33 68 69 1 0 0 0 7
1950-51 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 43 43 86 74 6 4 3 7 4
1951-52 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 47 39 86 78 8 2 5 7 2
1952-53 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 49 46 95 57 6 2 5 7 2
1953-54 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 33 48 81 109 12 4 5 9 31
1954-55 デトロイト・レッドウィングス NHL 64 29 33 62 68 11 9 11 20 24
1955-56 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 38 41 79 100 10 3 9 12 8
1956-57 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 44 45 89 72 5 2 5 7 6
1957-58 デトロイト・レッドウィングス NHL 64 33 44 77 40 4 1 1 2 0
1958-59 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 32 46 78 57 -- -- -- -- --
1959-60 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 28 45 73 46 6 1 5 6 4
1960-61 デトロイト・レッドウィングス NHL 64 23 49 72 30 11 4 11 15 10
1961-62 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 33 44 77 54 -- -- -- -- --
1962-63 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 38 48 86 100 11 7 9 16 22
1963-64 デトロイト・レッドウィングス NHL 69 26 47 73 70 14 9 10 19 16
1964-65 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 29 47 76 104 7 4 2 6 20
1965-66 デトロイト・レッドウィングス NHL 70 29 46 75 83 12 4 6 10 12
1966-67 デトロイト・レッドウィングス NHL 69 25 40 65 53 -- -- -- -- --
1967-68 デトロイト・レッドウィングス NHL 74 39 43 82 53 -- -- -- -- --
1968-69 デトロイト・レッドウィングス NHL 76 44 59 103 58 -- -- -- -- --
1969-70 デトロイト・レッドウィングス NHL 76 31 40 71 58 4 2 0 2 2
1970-71 デトロイト・レッドウィングス NHL 63 23 29 52 38 -- -- -- -- --
1973-74 ヒューストン・アエロズ WHA 70 31 69 100 46 13 3 14 17 34
1974-75 ヒューストン・アエロズ WHA 75 34 65 99 84 13 8 12 20 20
1975-76 ヒューストン・アエロズ WHA 78 32 70 102 76 17 4 8 12 31
1976-77 ヒューストン・アエロズ WHA 62 24 44 68 57 11 5 3 8 11
1977-78 ニューイングランド・ホエーラーズ WHA 76 34 62 96 85 14 5 5 10 15
1978-79 ニューイングランド・ホエーラーズ WHA 58 19 24 43 51 10 3 1 4 4
1979-80 ハートフォード・ホエーラーズ NHL 80 15 26 41 42 3 1 1 2 2
1997-98 デトロイト・バイパーズ IHL 1 0 0 0 0 -- -- -- -- --
NHL Totals 1767 801 1049 1850 1685 157 68 92 160 220
WHA Totals 419 174 334 508 399 78 28 43 71 115

その他[編集]

  • 11の異なる殿堂入りを果している。
  • ハウの氏名、そのニックネーム("Mr. Hockey")及び妻のニックネーム("Mrs. Hockey")はいずれも商標登録されている。

脚注[編集]

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  1. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。

外部リンク[編集]