ファニタ・ホール

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ファニタ・ホール (Juanita Hall 1901年11月6日 - 1968年2月28日) はアメリカ合衆国ミュージカルおよび映画女優。ロジャース&ハマースタインのミュージカル『南太平洋』のブラッディ・メアリー役、『フラワー・ドラム・ソング』のリャン夫人役で舞台および映画双方に出演したことで知られる。

経歴[編集]

ニュージャージー州キーポートで生まれ、ジュリアード学院でクラシックを学んだ。

1930年代初頭、ホール・ジョンソン・クワイアのスペシャル・ソロイストおよび助監督を務めていた。役者として活動する以前、自身のコーラス・グループのザ・ファニタ・ホール・クワイアを組織しており、コンサート、レコード、映画、ラジオと精力的に活動していた。ステージ・マネージャー・クラブにより創設されたレビュー『タレント48』のオーディションを受けた。後にラジオのナショナル・ニグロ・ネットワークでソープ・オペラ『The Story Of Ruby Valentine 』に出演した。このシリーズはフィリップモリス、ペット・ミルクなどの提供で35局で放送された[1]

若い頃、黒人のブロードウェイ俳優の第一人者であり、リチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン2世から直々に選ばれ、1949年4月7日からブロードウェイのマジェスティック劇場で1,925回ブラッディ・メアリー役を演じた。共演者はエツィオ・ピンツァメアリー・マーティンであった。『南太平洋』に出演しつつ、グリニッジ・ヴィレッジにあるクラブにもレギュラー出演し、舞台で歌っていた曲『Am I Blue? 』、『Lament Over Love 』やラングストン・ヒューズの『Cool Saturday Night 』でファンを増やした。1950年、トニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞し、トニー賞初の黒人受賞者となった。1954年、ブロードウェイ・ミュージカル『House of Flowers 』に出演し、ハロルド・アーレンの『Slide Boy Slide 』を歌い踊った。

1957年、ニューヨークのベルトーン・スタジオでクロード・ホプキンスコールマン・ホーキンスバスター・ベイリードク・チータムジョージ・デュヴィヴィエなど錚々たるジャズ・ミュージシャンをバック・バンドに『Juanita Hall Sings the Blues 』を収録した。1958年、映画版『南太平洋』でブラッディ・メアリー役を再演することとなったが、リチャード・ロジャースの希望により歌の部分はロンドン公演でブラッディ・メアリー役を演じたミュリエル・スミスによる吹き替えとなった。同年、ロジャース&ハマースタインのブロードウェイ・ミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』に出演し中国系アメリカ人のマダム・リャン役を演じた[2]

プライベート[編集]

10代の頃、俳優のクレメント・ホールと結婚し、子供はおらず、1920年代にクレメントが亡くなった。糖尿病を患っていた彼女はニューヨーク州ロングアイランドベイ・ショアで合併症により亡くなった。それまで彼女はニューヨーク州イースト・アイスリップにあるパーシー・ウィリアム・アクターズ・ホームに住んでいた[3]レナード・フェザーは彼女の死に寄せて彼女について「ブルース歌唱のベテランで実践者であった」と語った。

脚注[編集]

  1. ^ William Barlow (1999). Voice Over: The Making of Black Radio. Temple University Press. pp. 130–1. ISBN 1-56639-667-0 
  2. ^ Lewis, David H. (2006). Flower Drum Songs: The Story of Two Musicals. Jefferson, N.C.: McFarland and Co. Inc.. p. 46. ISBN 0-7864-2246-7 
  3. ^ http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7391251

外部リンク[編集]