ハマダーン州
ハマダーン州 استان همدان | |
---|---|
位置 | |
統計 | |
州都: • 測地系: |
ハマダーン • 北緯34度47分54秒 東経48度30分53秒 / 北緯34.7982度 東経48.5146度 |
面積: | 19,368 km² |
人口(2016年) • 人口密度: |
1,738,234人 • 89人/km² |
シャフレスターン数 | 8 |
タイムゾーン: | UTC+3:30 |
主な言語: |
ペルシア語 アゼリー ロル語 ラキー クルド語 |
ISO 3166-2:IR: | IR-24 |
ハマダーン州(ハマダーンしゅう、ペルシア語: استان همدان, ラテン文字転写: Ostān-e Hamadān)は、イランの州(オスターン)。州都はハマダーン。面積19,546km²、人口は1,738,234人(2016年国勢調査)[1]。
州都ハマダーンのほかトイセルカーン、ネハーヴァンド、マラーイェル、アサダーバード、バハール、ラザン、キャボド・ラーハングの諸都市がある。
地理と気候
[編集]ハマダーン州は北西から南西にザーグロス山脈の一部「アルヴァンド」の山々が走り、全体に標高の高い地域にある。
ハマダーンは夏穏やかで、冬はかなり寒く、亜寒帯気候である。州都ハマダンの1月の平均最低気温は-10度を下回る。
ハマダーンの気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 2.0 (35.6) |
4.3 (39.7) |
11.5 (52.7) |
18.1 (64.6) |
23.9 (75) |
30.9 (87.6) |
34.9 (94.8) |
34.2 (93.6) |
29.8 (85.6) |
21.9 (71.4) |
13.7 (56.7) |
5.9 (42.6) |
19.26 (66.66) |
平均最低気温 °C (°F) | −10.5 (13.1) |
−8.2 (17.2) |
−2.1 (28.2) |
2.7 (36.9) |
6.4 (43.5) |
9.8 (49.6) |
13.9 (57) |
12.8 (55) |
7.0 (44.6) |
2.5 (36.5) |
−2.1 (28.2) |
−6.6 (20.1) |
2.13 (35.83) |
降水量 mm (inch) | 46.3 (1.823) |
43.6 (1.717) |
49.4 (1.945) |
49.8 (1.961) |
37.8 (1.488) |
3.7 (0.146) |
2.0 (0.079) |
1.8 (0.071) |
0.8 (0.031) |
20.7 (0.815) |
26.9 (1.059) |
40.9 (1.61) |
323.7 (12.745) |
平均降水日数 | 11.6 | 11.1 | 12.4 | 12.1 | 9.5 | 2.0 | 1.3 | 1.6 | 1.0 | 5.6 | 6.8 | 10.1 | 85.1 |
出典:World Meteorological Organisation (UN) [2] |
歴史
[編集]ハマダーン州はイラン文明で最も古い歴史をもつ地域の一つで、州内の遺跡がこれを物語る。詩人フェルドウスィーによると、神話時代、偉大なる王ジャムシードにより建設されたという伝説をもつ。今日のハマダーンは、古代オリエントのメディア王国の首都エクバタナであった。
ヘロドトスによれば、紀元前8世紀ころ、デイオケスという人物が現れてメディアを統合し、エクバタナに7重の城壁(ハフト・ヘサール)を巡らせて都として成長させたとある。当時はバビロンの塔に劣らぬ偉容を誇ったという。その後も、メディアの歴代王によって、周辺の開発が進み、帝国の巨大な首都へと変貌していったとされる。
メディア滅亡後も、アケメネス朝ペルシアおよびアルサケス朝の夏の都(夏営地)として栄え、サーサーン朝時代にも夏の宮殿が置かれた。
642年、ニハーヴァンドの戦いがあり、ハマダーンはアラブの手に落ち、繁栄は衰退にかわった。ブワイフ朝下でも多くの害を被るが、11世紀にはセルジューク朝がバグダードから再遷都した。
ハマダーンは支配勢力の権力の盛衰にともない常に襲撃の的となったが、ティムールの侵攻では完全に破壊され、繁栄を取り戻すのはサファヴィー朝の時代である。18世紀には都市はオスマン朝に降伏するが、英傑ナーディル・シャー・アフシャールによって押し返し、オスマン朝との和平によって、再びイランに戻った。
ハマダーンの街は東西交易路、イラン西部の交通の大動脈上に位置し、近代に至るまで交易・商業から大きな利益を得た。
今日のハマダーン
[編集]高等教育機関
[編集]- イブン・スィーナー大学
- ハマダーン医科大学
- イスラーム自由大学ハマダーン
- イスラーム自由大学トイセルカーン
旧跡
[編集]州内には歴史的遺産が多く、イラン文化遺産協会には442ヵ所が登録されている。そのうち以下のようなものが有名。
脚注
[編集]- ^ “Census of the Islamic Republic of Iran, 1395 (2016)” (Excel) (ペルシア語). AMAR. The Statistical Center of Iran. p. 13. 21 April 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。19 December 2022閲覧。
- ^ “World Weather Information Service – Hamedan”. United Nations. 2011年4月16日閲覧。