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ニーニーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニーニーズ
メンバー 仲里幸広
嘉手苅智
結成年 1979年
解散年 2000年
事務所 フリー
プロダクション人力舎
活動時期 1979年 - 2000年2月22日
出会い 沖縄県立大平高等学校(現:沖縄県立陽明高等学校)
現在の活動状況 解散(それぞれミュージシャンとして活動)
過去の代表番組 気まぐれワンダーランド
じゃかALIVE
ボキャブラ天国 など
公式サイト 公式プロフィール
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ニーニーズは、かつてプロダクション人力舎で活動していたお笑いコンビミュージシャン沖縄県出身。

1980年代から90年代にかけて、沖縄で一世を風靡した。当時若者の間での知名度は群を抜いており、彼らメインのテレビ番組も人気だった。1994年に東京進出し、2000年2月22日にコンビを解散した。

メンバー

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共に沖縄県浦添市出身、沖縄国際大学卒業。高校・大学と共に沖縄で学生生活を過ごした。

経歴

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1979年沖縄県立大平高等学校1年の時にフォークバンドを組んだことがコンビ結成の契機となる。

沖縄国際大学時代、歌とコントを組み合わせた「お笑いスタジオ」を立ち上げ評判となり、それをきっかけにCMに出演。そこで見せた絶妙な掛け合いが話題となり、一躍人気お笑いコンビとなる。その後、沖縄県内にて週3本のTVレギュラーとCM出演18本を抱えるまでとなり、1993年には那覇市民会館にて単独コンサートを開いた。

1994年4月、その才能を評価されプロダクション人力舎からスカウトを受け、所属と共に上京[1]。上京後は、「ボキャブラ天国」等のお笑い番組や「ルックルックこんにちは」のTVリポーターとして活躍。その傍らで本来の目標であるライブミュージシャンとなるべく数箇所にて定期的にライブ活動を行い、CD発売もした。

2000年2月22日にニーニーズは解散[2]。以降それぞれソロのミュージシャンとして現在も活動しており、仲里は2000年に「HEIWAの鐘」を作詞・作曲した。

2019年沖縄テレビ開局60周年記念番組スイッチ!OTVにて『沖縄のとんねるず「ニーニーズ」は今?』という特集が組まれた。

作品集

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CD

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  • 大好きな沖縄(1997年11月22日、JICN-1216)
    • 大好きな沖縄/太陽が昇るたび/今日から明日へ/大きな声で/大好きな沖縄(カラオケ)
  • CHUFA-RA(1999年6月6日、NMCL-9872)
    • ゴーヤーマンのうた/東京ギャップ/マングース/沖縄に雪が降った

出演

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テレビ

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脚注

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外部リンク

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