ニルギリ丘陵

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ニルギリ丘陵
ニルギリ丘陵
マジナグディから見たニルギリ丘陵
標高 2,637 m
所在地 タミル・ナードゥ州, ケーララ州, カルナータカ州
山系 西ガーツ山脈
種類 断層[1]
プロジェクト 山
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ニルギリ丘陵 (タミル語: நீலகிரி, マラヤーラム語: നീലഗിരി, 英語: Nilgiri, Blue Mountains)はインドタミル・ナードゥ州山地山脈である。「ニルギリ」はタミル語で「青い山」を意味する。そしてこの山地はタミル・ナードゥ州、カルナータカ州ケーララ州の3州にまたがる西ガーツ山脈の一部を成している。ニルギリ丘陵に含まれるのうち少なくとも24峰は海抜2000メートルを超える。最高峰は2637メートルのドッダベッタ・ピークになる。

概要[編集]

ニルギリ生物保護区の地図。

ニルギリ丘陵はタミル・ナードゥ州ニーラギリ県に位置しており、範囲は2479平方メートルに及ぶ[2]ニルギリ山岳鉄道によってコーヤンブットゥール県メットゥパラヤムと結ばれている[3]

この山地は、北はモヤー川英語版によってカルナータカ平野と区切られ、南はパラカド峡谷英語版によってアナイマライ丘陵英語版パルニ丘陵英語版と隔てられている。ニルギリ丘陵はニルギリ生物圏保護区に含まれている[4][5]生物圏保護区)。山地のケーララ州とタミル・ナードゥ州にまたがる部分には熱帯常緑樹林、半常緑樹林、湿潤落葉樹林ショーラ英語版草原の植生があり、カルナータカ州の部分には乾燥落葉樹林、湿潤落葉樹林、半常緑樹林と低木林の植生がある。ロードデンドロン・アルボレウム英語版ガルシニアなどの固有種の植物が生えており、トラアジアゾウガウルシシオザルアクシスジカサンバーイノシシホエジカ英語版ニルギリタールなどの保護動物が生息している[4]。また、コタギリ英語版付近のロングウッド・ショーラはActinodaphne bourneae英語版Psychotria nilgiriensisフランス語版Cinnamomum wightiiスウェーデン語版などの植物およびニルギリガビチョウ英語版ハイイロコバネヒタキ英語版カノコモリバトなどの鳥類の重要な生息地で、2023年にラムサール条約登録地となった[6]

歴史[編集]

ニルギリ丘陵には先史時代から人が暮らしていたとみられ、人工物が多数出土している。イギリス領インド帝国時代に収集されたそれらの多くは大英博物館で見ることができる[7]

最初に「ニルギリ」という語が使われた記録はホイサラ朝の将軍によるもので、1117年まで遡ることができる。すなわちヴィシュヌバルダナ英語版王時代の将軍がこの地を制圧したときの報告に「この青い山(ニルギリ)の峰を富の神ラクシュミーに捧げる」と記されている[8]

また、ヴァジャイトッタム(Vazhaithottam)では10世紀のカンナダ語で記された碑が見つかっている[9]。ニルギリ・サダラナ・コテ(Nilagiri Sadarana Kote)に存在したヒンドゥー寺院からは、14世紀ホイサラ朝のバララ3世による物と思われる碑が見つかっているが、この寺院は今はダムに沈んでいる[9][10]

1800年代の初めにはイギリスやフランスによって公的あるいは私的な調査が行われ熱帯地方でありながら過ごしやすい気候が報告されている[11]。その後1820年代の初めにはイギリス領インド帝国の主導で急速に開発が進み、避暑地として人気を博した。1827年にはウダカマンダラム保養地とされ、マドラス管区の夏場の首都ともなった。1899年にはマドラス政府と民間の資本によりニルギリ山岳鉄道が開通している[12]

19世紀になると海峡植民地(すなわちマレー半島)から中国人の囚人がインドに送られるようになり、彼らは釈放された後にニルギリ山地に暮らすようになった。結果、中国人とタミル人のパーリア(低位のカースト)との混血が進んだ[13]

参考文献[編集]

  1. ^ Application of GPS and GIS for the detailed Development planning”. Map India 2000 (2000年4月10日). 2008年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月5日閲覧。
  2. ^ EAGAN, J. S. C (1916). The Nilgiri Guide And Directory. VEPERY: S.P.C.K. PRESS. https://archive.org/details/nilgiriguideandd031416mbp 
  3. ^ Nilgiri Mountain Railway”. railtourismindia.com. 2013年3月8日閲覧。
  4. ^ a b Nilgiri Biosphere Reserve, India” (英語). UNESCO (2018年10月). 2023年2月1日閲覧。
  5. ^ UNESCO, World Heritage sites, Tentative lists, Western Ghats (sub cluster nomination), retrieved 4/20/2007 World Heritage sites, Nilgiri Sub-Cluster
  6. ^ Longwood Shola Reserve Forest | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2024年1月31日). 2024年3月3日閲覧。
  7. ^ Collection search: You searched for Nilgiri”. British Museum. 2016年8月9日閲覧。
  8. ^ Pai, Mohan (15 January 2009). ...and they created little England. the-western-ghats-by-mohan-pai-hill-stations, Egmore, Chennai. pp. Ootacamund 
  9. ^ a b Kannada script (10600)”. Department of Archaeology - Tamil Nadu. Tamil Nadu Government. 2016年10月28日閲覧。
  10. ^ Francis, Walter (1908). Madras District Gazetteers: The Nilgiris. 1. New Delhi: Asian Educational Services. pp. 90–94, 102–105. ISBN 978-81-2060-546-6 
  11. ^ Burton, Richard Francis, (1851). “Nilgiri Hills (India), Description and travel; Nilgiri Hills (India), Social life and customs”. Goa, and the Blue Mountains, or, Six months of sick leave. London: R. Bentley. https://archive.org/details/goabluemountains00burtrich 
  12. ^ Ooty Queen of hill stations”. www.ooty.com. 2011年6月5日閲覧。
  13. ^ Sarat Chandra Roy (Rai Bahadur), ed (1959). Man in India, Volume 39. A. K. Bose. p. 309. https://books.google.com/books?ei=wpFWT-jhCeHc0QHg5e2CCg&id=UkwLAAAAIAAJ&dq=In+Gudalur%2C+enquiries+were+made+regarding+the+present+position+of+the+Tamil-Chinese+cross+described+by+Thurston+%281909%29.+It+may+be+recalled+here+that+Thurston+reported+the+above+cross+resulting+from+the+union+of+some+Chinese+convicts%2C+deported+from+the+Straits+Settlement%2C+and+local+Tamil+Paraiyan&q=enquiries+union+deported+local 2012年3月2日閲覧。 

外部リンク[編集]

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