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ドンジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Donges


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ロワール=アトランティック県
(arrondissement) サン=ナゼール郡
小郡 (canton) サン=ナゼール2小郡
INSEEコード 44052
郵便番号 44480
市長任期 フランソワ・シェノー
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de la région nazairienne et de l'estuaire
人口動態
人口 7092人
2012年
人口密度 118人/km2
住民の呼称 Dongeois
地理
座標 北緯47度19分27秒 西経2度04分30秒 / 北緯47.324163度 西経2.075度 / 47.324163; -2.075座標: 北緯47度19分27秒 西経2度04分30秒 / 北緯47.324163度 西経2.075度 / 47.324163; -2.075
標高 平均:m
最低:0m
最高:31m
面積 59.9km2
Dongesの位置(フランス内)
Donges
Donges
公式サイト http://www.ville-donges.fr/
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ドンジュDonges)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県コミューン

地理

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県におけるドンジュの位置

ドンジュは、ロワール川河口の北岸にあり、サン=ナゼールの東10kmのところにある。国内ではカマルグに次ぐ広大な湿地帯であるブリエール湿地に近い。多くの動植物の種から構成される地域圏自然公園を持つ。町は岩盤がむき出しになった沖積帯に位置する。

エルワン・ヴァルリーによるブルターニュの区分では、ドンジュは伝統的な地方区分ではブリエール、歴史的な地方区分ではペイ・ナンテに属する。

由来

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1104年、ルドンの修道院による特許状台帳には、Dongia の名で記されている。

地元で話されるオイル語の一種、ガロ語では Donj となる。

歴史

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エラルディエールのマノワール
石油精製所
ドンジュ港に停泊する石油タンカー
ドンジュ駅と石油精製所

人の定住は旧石器時代からあったが、人々が活動した痕跡が見つかるのは新石器時代以降である。ドンジュの中では多くの巨石記念物を見つけることができる。ローマ時代には鉛が見つかっている[1]。グレ丘のふもとではガロ=ローマ時代の遺構が発見された。276年頃に起きた最初のサクソン人襲来の際、金品や宝物がエル島に隠された。19世紀、Empereurs gaulois PosthumeとTetricusと刻まれた硬貨が見つかっている。

9世紀、ドンジュの土地はノルマン人に略奪された。ノルマン人たちはロワール川河口に定住していたのである。アラン・バルブトルトはノルマン人を退け、ナント伯そしてブルターニュ公アラン2世となったが、ノルマン人たちは数箇所の地域に残留した。

ドンジュには当時、少なくともブルトン語話者が定住していた。実際に、村や集落の名称の研究によって、地名学はかなり正確に、ブルトン語の方言の東側境界が拡張されていたと認めている。この境界は、1907年に大学教員ジョゼフ・ロットによって決定された。このロット線は、ロワール川からドンジュの東へ、イギリス海峡へ伸び、ロズ・シュル・クエノン(現在はイル=エ=ヴィレーヌ県のコミューン)の東まであった。

11世紀、ナント子爵ロダルは、ロワール川沿いの岩の露頭の上にある、封建時代の山城へ定住した。そこは河口の監視に適した戦略上の要地だった。このダンジョンが、ドンジュの町の最古の起源である[2]

この城の周りで、ドンジュ領主は世襲制の子爵領を確立した。彼らの領地には、ロワール河口の湿地帯にある15の教区が含まれていた。ドンジュ子爵の領地は、サン=ナザールからコルドメ、そしてル・タンプル=ド=ブルターニュまで伸びていた。西側は公爵のドメーヌであるゲランドおよびグランド・ブリエール・モティエールと接し、北はラ・ロッシュ・ベルナール男爵領およびポン=シャトー男爵領、そして東側はラ・ロッシュ・アン・サヴネ男爵領とレゲール、南側はロワール川とレ男爵領に接していた。

1070年代、子爵フリウー・ド・ドンジュは、自らの城の近くに村や修道院をつくるよう、トゥールのマルムーティエ修道院の修道士たちに依頼した[3]。城は12世紀半ば、ブルターニュ公コナン3世の命令によって、当時のドンジュ子爵サヴァリへの報復として、破壊されている。ドンジュ子爵はその後、クロサック湿地の中にある小島にロリユー城を建てて移り住んだ。

1771年から1925年にかけ、湿地帯の干拓が進められた。

1853年、デクレにより鉄道の通過が可能になった。これが産業化の始まりだった。1917年、サン=ナゼール港の混雑を解消するためドンジュ港が建設され、アメリカやイギリスからの貨物が陸揚げされた。1930年代以降、石油精製所が建設されていった。

1944年7月24日と25日、ドンジュの町は爆撃を受けて破壊され、元の町から1km離れた場所に再建された。

トタルが運営する石油精製所は現在、年間11万トンの石油を処理する、国内第2位の石油精製所である。精製所には鉄道のトゥール・サン・ナゼール路線が横切っており、駅も精製所の影響の真っ只中にある。現在の精製所の北4.5kmの新しい場所にバイパスを建設する計画は、町からまっすぐ伸びる路線と新駅の建設が真っ先にあげられる。しかし、この開発計画の実施は常にコストを理由に延期されている(投資額は1億ユーロと見積もられている)。鉄道の存在が、トタルによる工業用地の拡大計画の妨げになっている。状況を打開しようと、トタルは、1.2億ユーロから1.5億ユーロかかるとされるバイパス事業をてこ入れしようと2015年春に準備しているように見えた。計画への合意は、2015年の終わりまでになされると期待されている。行政手続きや公益の認定を受ける作業は2017年に行われることになっている[4]

経済

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コミューン経済は、トタルが運営するドンジュ石油精製所に大きく依存している。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
6263 6458 6280 6726 6377 6156 6338 7092

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[5]、2004年以降INSEE[6][7]

姉妹都市

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脚注

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  1. ^ Toute l'histoire de Bretagne, Skol Vreizh, 2012, p. 85
  2. ^ Hubert Guillotel, « Les origines du Bourg de Donges, une étape de la redistribution des pouvoirs ecclésiastiques et laïques aux XIe ‑ XIIe siècles  », in « Annales de Bretagne et des Pays de l’Ouest », tome 84, 4, 1977, p. 542-552, et Dom Morice, Preuves, I, p. 408-409.
  3. ^ Le Diocèse de Nantes, Yves Durand, Éditions Beauchesne, 1er janvier 1985 - page 46.
  4. ^ http://www.ouest-france.fr/total-la-raffinerie-de-donges-fixees-sur-son-sort-aujourdhui-3337623
  5. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=12051
  6. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  7. ^ http://www.insee.fr