ピツフィク宇宙軍基地
ピツフィク宇宙軍基地 Pituffik Space Base | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
IATA: THU - ICAO: BGTL | |||||||||
概要 | |||||||||
国・地域 | デンマーク・グリーンランド | ||||||||
所在地 | カーナーク | ||||||||
種類 | 軍用 | ||||||||
運営者 | アメリカ宇宙軍 | ||||||||
標高 | 76.5 m (251 ft) | ||||||||
座標 | 北緯76度31分53秒 西経68度42分12秒 / 北緯76.53139度 西経68.70333度 | ||||||||
公式サイト | ピツフィク宇宙軍基地 | ||||||||
地図 | |||||||||
ピツフィク宇宙軍基地の位置 | |||||||||
滑走路 | |||||||||
| |||||||||
出典:デンマークAIP[1] | |||||||||
リスト | |||||||||
空港の一覧 |
ピツフィク宇宙軍基地(ピツフィクうちゅうぐんきち,Pituffik Space Base [biːduːˈfiːk])[2]は、グリーンランド西北部、カーナーク(Qaanaaq)の未編入飛地にあるアメリカ宇宙軍の軍事基地。アメリカ宇宙軍の基地では、最北にあるものであり、北緯76度32分西経68度42分に位置する。これは北極点から1,500kmほどしか離れていない。旧称は、チューレ空軍基地(Thule Air Base [ˈtuːli][3])であり、2023年4月に改名された[2]。
概要
[編集]グリーンランドにアメリカ軍の基地が設置されたのは、第二次世界大戦中のことである。1941年にデンマーク本国がドイツ軍に占領されたために、アメリカ軍がグリーンランドを保護したことによる。第二次世界大戦中から戦後にかけて、チューレは気象観測基地となっており、小規模な滑走路などが設置されていた。1950年11月にチューレに爆撃機用の基地を設置する計画がアメリカ空軍で決定され、1951年6月にはグリーンランドがNATOの防衛担当地域となった。冷戦期において、ソ連とアメリカの最短経路は北極を経由するものであり、北極圏にあるグリーンランドは軍事的に重要な位置にあった。つまり、ソ連を爆撃する爆撃機の発進・経由地として適した位置にあり、またソ連爆撃機の迎撃に適した地点であった。
チューレ空軍基地の建設は1951年7月より秘密裏に開始され、1953年にほぼ完成した。基地の主要部分は1951年夏季中に完成しており、150を超える建物が建設された。1953年から1959年にかけては戦略航空軍団のB-36、B-47爆撃機、KC-97空中給油機などが配備されていた。
1961年には弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)のレーダーが設置されている。1960年代前半がチューレが最も活発であった時期であり、配置された要員も1万人を超えていた。以降は、基地が縮小され、1968年には常駐人員が約3,370名となった。
基地の管轄は、1952年1月には北東航空軍団(Northeast Air Command, NEAC)であったが、1957年に戦略航空軍団(Strategic Air Commond, SAC)に、1960年に防空軍団(Air Defense Command, ADC)に移管され、1982年以降は空軍宇宙軍団(Air Force Space Command)の管轄となっていた。アメリカ宇宙軍創設後に、基地及び所在部隊は宇宙軍へと移管されてきている。
現在の基地の主任務は宇宙作戦軍団第12宇宙警戒中隊によるICBMなどの弾道ミサイル警戒任務および第23宇宙作戦中隊第1分遣隊により人工衛星の追跡・管制となっている。飛行場の維持整備は第821飛行場群(821st Air Base Group)が担当している。
所在部隊
[編集]- 宇宙作戦軍団隷下
就航航空会社と就航都市
[編集]航空会社 | 就航地 |
---|---|
エア・グリーンランド | カーナーク ヘリコプター:モリサック、サビシビク チャーター便:コペンハーゲン、カンゲルルススアーク |
脚注
[編集]- ^ Greenland AIP for BGTL – Thule Air Base from Naviair
- ^ a b Dillon, Connie (6 April 2023). “Thule Air Base Gets New Name”. Space Force News. 6 April 2023閲覧。
- ^ Oxford Dictionaries "Thule" (US)