アソル公爵
アソル公爵 Duke of Atholl | |
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Arms:Quarterly: 1st, Paly of six Or and Sable (Atholl); 2nd, Or a Fess checky Azure and Argent (Stewart); 3rd, Argent on a Bend Azure three Stags' heads cabossed Or (Stanley); 4th, Gules three Legs in Armour proper garnished and spurred Or flexed and conjoined in triangle at the upper part of the thigh (the Isle of Man); over all an Inescutcheon en surtout Azure three Mullets Argent within a Double Tressure flory ensigned of a Marquess's Coronet Or (the Chiefship of the Name of Murray and the Marquessate of Tullibardine) Crests:1st: A Mermaid holding in her dexter hand a Mirror and in her sinister a Comb all proper (Murray); 2nd: A demi-Savage proper wreathed about the temples and waist with laurel his arms extended and holding in the dexter hand a Dagger and in the sinister a Key all proper (Atholl); 3rd: A Peacock's Head and Neck proper accompanied on either side by two Arms from the elbow proper and vested in Maunches Azure doubled Argent Supporters:Dexter: a Savage proper wreathed about the temples and loins with Juniper his feet in Fetters the Chain held in his right hand proper; Sinister: a Lion rampant Gules armed and langued Azure gorged with a plain Collar of the last charged with three Mullets Argent
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創設時期 | 1703年6月30日 |
創設者 | アン |
貴族 | スコットランド貴族 |
初代 | 2代アソル侯ジョン・マレー |
現所有者 | 12代公ブルース・マレー |
相続人 | タリバーディン侯爵マイケル・マレー |
付随称号 | 本文を参照。 |
現況 | 存続 |
旧邸宅 | ブレア城 ダンケルド・ハウス |
モットー | つとめて慎重に(Tout Prest) 進め、幸あれ、生け捕りて戻れ (Furth Fortune & fill the Fetters)など |
アソル公爵(英: Duke of Atholl)は、スコットランド貴族の公爵位。タリバーディン伯爵、アソル伯爵、アソル侯爵などを前身とし、第2代アソル侯爵ジョン・マレーが1703年に叙されたのに始まる。
歴史
[編集]マレー家はスコットランドの氏族(クラン)の一つマレー氏族の族長(Chief of Clan Murray)の家柄である。マレー家が貴族に叙されたのはジョン・マレー(1550頃-1609)が、1604年4月25日にタリバーディンのマレー卿(Lord Murray of Tullibardine)、1606年7月10日にタリバーディン伯爵(Earl of Tullibardine)、マレー=ガスク=バルクヒダー卿(Lord Murray, Gask and Balquhidder)という3つのスコットランド貴族爵位に叙されたのに始まる[1][2]。
その息子2代タリバーディン伯ウィリアム・マレー(1574頃–1626)は、第5代アソル伯爵ジェイムズ・ステュワートの娘ドロシア(生年不詳-1628)と結婚した。ウィリアムとドロシアは、タリバーディンについては弟パトリック・マレー(1578–1644)に譲るので、アソル伯爵領を息子ジョン・マレー(生年不詳-1642)に欲しいと国王チャールズ1世に要求した。国王はそれを認め、ウィリアムをタリバーディン伯爵とマレー=ガスク=バルクヒダー卿から解き、代わりに1628年1月30日にパトリックに対して同じ爵位を新規に与え、また同年2月17日にジョンをアソル伯爵(Earl of Atholl)に叙した[3][4]。
しかし結局、初代アソル伯の息子で2代アソル伯爵位を継承したジョン・マレー(1631–1703)が1669/70年1月に分流のタリバーディン伯爵位を継承している。さらに1676年2月7日にアソル侯爵(Marquess of Atholl)、タリバーディン伯爵(Earl of Tullibardine)、バルクヒダー子爵(Viscount of Balquhidder)、マレー=バルベニー=ガスク卿(Lord Murray, Balvany and Gask)という四つのスコットランド貴族爵位を新規に叙された[5][6]。
その息子の2代アソル侯爵ジョン・マレー(1660–1724)は、1703年5月6日にアソル公爵(Duke of Atholl)、タリバーディン侯爵(Marquis of Tullibardine)、ストラステイ=ストラスエーデル伯爵(Earl of Strathtay and Strathardle)、バルクヒダー=グレナルモンド=グレンライオン子爵(Viscount Balquhidder, Glenalmond, and Glenlyon)、マレー=バルベニー=ガスク卿(Lord Murray, Balvenie, and Gask)という5つのスコットランド貴族爵位を与えられた[7][8]。
初代公は7代ダービー伯爵ジェイムズ・スタンリー(1607-1651)の娘アメリア(-1702)と結婚していたため、夫妻の三男で第2代アソル公爵位を継承したジェイムズ・マレー(1690–1764)は、1736年に第10代ダービー伯ジェイムズ・スタンリーが死去した際に議会招集令状によるイングランド貴族爵位(1963年貴族法の制定以降は、男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる)であるストレンジ男爵位を継承している[9]。加えてこの際にマン島とその領主の称号マン島領主(Lord of Mann)も継承した。
初代公の六男ジョージ・マレー卿(1694-1760)はジャコバイトの王「チャールズ3世」(小僭称者)に与してジャコバイト軍の指揮をとったことで知られる[10]。2代公が死去した時、生存している男子がなかったため、このジョージ・マレー卿の息子であるジョン・マレー(1729–1774)が3代アソル公爵位を継承した。彼は2代公の娘で8代ストレンジ男爵位を継承したシャーロットと従兄妹同士の結婚をした[8]。夫妻は1765年にマン島とマン島領主の称号を英国王室に売却している[11][12]。
夫妻の長男である4代公ジョン・マレー(1755–1830)は、1786年8月16日にグレートブリテン貴族爵位ストレンジ伯爵(Earl Strange)とグロスター州におけるスタンリーのマレー男爵(Baron Murray, of Stanley in the County of Gloucester)に叙された[8][13]。
4代公の死後はその長男ジョン・マレー(1778–1846)が5代公爵位を継承したが、5代公には子供がなかったため、甥にあたるジョージ・マレー(1814–1864)が6代公を継承した[8]。彼の父で4代公の次男にあたるジェイムズ・マレー(1782–1837)は、1821年7月9日に連合王国貴族爵位パース州におけるグレンライオンのグレンライオン男爵(Baron Glenlyon, of Glenlyon in the County of Perth)に叙されており、そのためジョージは6代公を継承する前に第2代グレンライオン男爵位を継承していた[14]。
6代公の孫にあたる9代公ジェイムズ・ステュワート=マレー(1879–1957)の死去をもって4代公からの男系男子は絶え、ストレンジ伯爵位、スタンリーのマレー男爵、グレンライオン男爵位は廃絶し、またストレンジ男爵位は4代公の三人の娘の間で停止(abeyance)された。ストレンジ男爵位については1964年に4代公の長女シャーロットの孫にあたるジョン・ドラモンドが継承者と確定した[8][9]。アソル公爵位をはじめとするそれ以外の爵位については、3代公に遡っての分流であるイアン・マレーに継承された。
10代公イアン(1931–1996)は公爵家の儀仗兵アソル・ハイランダーズを再興した人物で、その死に際して居城ブレア城とその領地を、慈善団体アソル・エステート(Atholl Estate)へ寄付している[15]。彼が生涯未婚のまま没すると、爵位は4代前までさかのぼっての分流ジョン・マレー(1929–2012)が11代公を継承している。11代公の死後は、その長男ブルース・マレー(1960-)が12代公を継承しており、彼が2017年現在も当主である[8]。
代々スコットランド・フリーメイソンの家系であり、とりわけ3代公ジョン[16]、4代公ジョン(1755–1830)[17]、6代公ジョージ(1814–1864)[18]、8代公ジョン(1871–1942)[19]がスコットランド・グランドロッジの最高指導者であるグランドマスターに昇進している。分流の貴族ダンモア伯爵家も代々フリーメイソンの家系であり、歴代当主のうち3人がグランドマスターになっている[20]。
公爵家のかつての主城はスコットランド・パースシャーにあるブレア城。
現当主の保有爵位
[編集]現在の当主第12代アソル公爵ブルース・ジョージ・ロナルド・マレーは、以下の爵位を保有している[8][21][22]。
- 第12代アソル公爵 (12th Duke of Atholl)
- 第13代アソル侯爵 (13th Marquess of Atholl)
- 第12代タリバーディン侯爵 (12th Marquess of Tullibardine)
- (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第15代タリバーディン伯爵 (15th Earl of Tullibardine)
- 第13代タリバーディン伯爵 (13th Earl of Tullibardine)
- (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第14代アソル伯爵 (14th Earl of Atholl)
- 第12代ストラステイ=ストラスエーデル伯爵 (12th Earl of Strathtay and Strathardle)
- (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第13代バルクヒダー子爵 (13th Viscount Balquhidder)
- (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第12代バルクヒダー=グレナルモンド=グレンライオン子爵 (12th Viscount Balquhidder, Glenalmond, and Glenlyon)
- (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- タリバーディンの第17代マレー卿 (17th Lord Murray of Tullibardine)
- 第12代マレー=バルベニー=ガスク卿 (12th Lord Murray, Balveny, and Gask)
- (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
歴代当主一覧
[編集]タリバーディン伯 ; 第1期 (1606年)
[編集]タリバーディン伯 ; 第2期 (1628年)
[編集]- 初代タリバーディン伯パトリック・マレー(1578–1644) (第1期初代タリバーディン伯の三男)
- 2代タリバーディン伯ジェイムズ・マレー (1617–1670) (初代伯の長男)
- 3代タリバーディン伯・2代アソル伯ジョン・マレー (1631–1703) (2代伯の従兄弟、1676年にアソル侯爵に叙される)
アソル伯 (1629年)
[編集]アソル侯 (1676年)
[編集]アソル公 (1703年)
[編集]- 初代アソル公ジョン・マレー (1660–1724)
- 2代アソル公ジェイムズ・マレー (1690–1764) (初代公の三男)
- 3代アソル公ジョン・マレー (1729–1774) (2代公の甥)
- 4代アソル公ジョン・マレー (1755–1830) (3代公の長男)
- 5代アソル公ジョン・マレー (1778–1846) (4代公の長男)
- 6代アソル公ジョージ・オーガスタス・フレデリック・ジョン・マレー (1814–1864) (5代公の甥)
- 7代アソル公ジョン・ジェイムズ・ヒュー・ヘンリー・ステュワート=マレー (1840–1917) (6代公の長男)
- 8代アソル公ジョン・ジョージ・ステュワート=マレー (1871–1942) (7代公の次男)
- 9代アソル公ジェイムズ・ステュワート (1879–1957) (7代公の四男)
- 10代アソル公ジョージ・イアン・マレー (1931–1996) (3代公の次男の子孫)
- 11代アソル公ジョン・マレー (1929–2012) (3代公の次男の子孫)
- 12代アソル公ブルース・ジョージ・ロナルド・マレー (1960-) (11代公の長男)
- 法定推定相続人は、現当主の長男タリバーディン侯爵(儀礼称号)マイケル・ブルース・ジョン・マレー (1985-)
系図
[編集]出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Earl of Tullibardine” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Tullibardine, Earl of (S, 1606 - surrendered 1626)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ “The Murray Clan Society of North America, Clan Murray History” (英語). [1]. 2017年10月29日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Tullibardine, Earl of (S, 1628)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Marquess of Athole” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Atholl, Marquess of (S, 1676)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Atholl, Duke of (S, 1703)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Strange, Baron (E, 1627/8)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 496.
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 448.
- ^ バグリー 1993, p. 242.
- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 4th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Lt.-Gen. Sir James Murray, 1st Baron Glenlyon” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
- ^ “稲富博士のスコッチノート 第104章 ピットロッホリー散歩 -(1)アソール公爵とブレア城”. サントリー バランタイン. 2020年9月24日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 3rd Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 4th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George Augustus Frederick John Murray, 6th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月22日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John George Stewart-Murray, 8th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
- ^ “Our Patron - the Earl of Dunmore” (英語). Lodge Amalthea. 2015年9月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Bruce George Ronald Murray, 12th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月17日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Mr John Murray” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
- バグリー, ジョン・ジョゼフ 著、海保眞夫 訳『ダービー伯爵の英国史』平凡社、1993年。ISBN 978-4582474510。