セイコー・スーパー・テニス
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セイコー・スーパー・テニス(Seiko Super Tennis)は、1978年から1995年まで毎年10月中旬から下旬に日本・東京の東京体育館で行われていた男子テニスのトーナメントである。室内コート(インドアコート)の大会として行われた。
スポンサーであったセイコーの撤退のため1995年の第18回大会で中止となった。
テレビ中継はTBSが担当、主に日曜のゴールデンタイムで放送された。
概要
[編集]本大会の消滅時期は1995年と早く、現在のような「大会公式ホームページ」のない時代であった。最近は男子プロテニス協会(ATP)ツアーサイトの機能的な進歩により、各トーナメントの抽選表(ドローシート)を個別に調べられるようになったため、以下に列挙する大会歴代優勝者・準優勝者と試合結果はATPツアーのドローシートに準拠したものである。ATPツアーのサイトでは、この大会は“Tokyo Indoor”という名前で記載されている。これは“Tokyo Outdoor”と呼ばれるジャパン・オープンと区別するために用いられた呼び名である。
国際テニス連盟(ITF)では、各年度ごとのトーナメント情報リンクが用意されており、これでシングルス・ダブルスの詳細な経過を調べられる。シングルスの歴代優勝者一覧表に「出典」欄を用意したが、ダブルスもここで調べられる。
大会歴代優勝者
[編集]シングルス
[編集]回 | 決勝年月日 | 優勝者 | 準優勝者 | 試合結果 | 備考 | 出典 |
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1 | 1978年11月5日 | ビョルン・ボルグ | ブライアン・ティーチャー | 6-3, 6-4 | 全32名が出場、5回戦制 | [1] |
2 | 1979年11月4日 | ビョルン・ボルグ | ジミー・コナーズ | 6-2, 6-2 | [2] | |
3 | 1980年11月2日 | ジミー・コナーズ | トム・ガリクソン | 6-1, 6-2 | [3] | |
4 | 1981年11月1日 | ビンセント・バン・パタン | マーク・エドモンドソン | 6-2, 3-6, 6-3 | [4] | |
5 | 1982年10月31日 | ジョン・マッケンロー | ピーター・マクナマラ | 7-6, 7-5 | [5] | |
6 | 1983年10月30日 | イワン・レンドル | スコット・デービス | 3-6, 6-3, 6-4 | [6] | |
7 | 1984年10月21日 | ジミー・コナーズ | イワン・レンドル | 6-4, 3-6, 6-0 | [7] | |
8 | 1985年10月27日 | イワン・レンドル | マッツ・ビランデル | 6-0, 6-4 | [8] | |
9 | 1986年10月26日 | ボリス・ベッカー | ステファン・エドベリ | 7-6, 6-1 | [9] | |
10 | 1987年10月25日 | ステファン・エドベリ | イワン・レンドル | 6-7, 6-4, 6-4 | [10] | |
11 | 1988年10月23日 | ボリス・ベッカー | ジョン・フィッツジェラルド | 7-6, 6-4 | [11] | |
12 | 1989年10月22日 | アーロン・クリックステイン | カール=ウーベ・シュテープ | 6-2, 6-2 | [12] | |
13 | 1990年10月14日 | イワン・レンドル | ボリス・ベッカー | 4-6, 6-3, 7-6 | 出場枠を拡大、48名による6回戦制 | [13] |
14 | 1991年10月13日 | ステファン・エドベリ | デリック・ロスターニョ | 6-3, 1-6, 6-2 | [14] | |
15 | 1992年10月18日 | イワン・レンドル | ヘンリク・ホルム | 7-6, 6-4 | [15] | |
16 | 1993年10月17日 | イワン・レンドル | トッド・マーティン | 6-4, 6-4 | [16] | |
17 | 1994年10月16日 | ゴラン・イワニセビッチ | マイケル・チャン | 6-4, 6-4 | [17] | |
18 | 1995年10月15日 | マイケル・チャン | マーク・フィリプーシス | 6-3, 6-4 | [18] |