ブライアン・ティーチャー

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ブライアン・ティーチャー
Brian Teacher
Tennis pictogram.svg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州
サンディエゴ
生年月日 (1954-12-23) 1954年12月23日(63歳)
身長 190cm
体重 79kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1973年
引退年 1986年
ツアー通算 24勝
シングルス 8勝
ダブルス 16勝
生涯通算成績 555勝407敗
シングルス 335勝235敗
ダブルス 220勝172敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1980)
全仏 3回戦(1978)
全英 ベスト8(1982)
全米 4回戦(1978・80)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1985)
全仏 3回戦(1978・79)
全英 ベスト4(1977)
全米 ベスト4(1977)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 7位
ダブルス 16位

ブライアン・ティーチャーBrian Teacher, 1954年12月23日 - )は、アメリカカリフォルニア州サンディエゴ出身の元男子プロテニス選手。1980年全豪オープン男子シングルス優勝者である。身長190cm、体重79kgの巨体で、長い腕から繰り出す弾丸サービスを最大の持ち味とした。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス16位。ATPツアーで1980年全豪オープンを含むシングルス8勝、ダブルス16勝を挙げた。

1973年にプロ入りし、同年の全米オープン4大大会にデビューする。1980年当時、全豪オープンは(現在の年頭1月開催とは異なる)年末の12月に開催され、出場選手も少なかったことから、64名の選手による6回戦制で行われていた。ブライアン・ティーチャーは第8シードから勝ち進み、決勝でオーストラリアキム・ウォーウィックを 7-5, 7-6, 6-2 のストレートで破り、4大大会の男子シングルス優勝を果たした。この大会には、当時の男子テニス界に君臨していたビョルン・ボルグジミー・コナーズジョン・マッケンローなどの強豪選手は出場しておらず、第1シードがギレルモ・ビラスアルゼンチン)、第2シードがイワン・レンドルチェコスロバキア)で、いくらか出場選手層が薄い中での戦いであった。

ティーチャーはその後、1982年ウィンブルドン全豪オープンでベスト8進出がある。ウィンブルドンでは4回戦で、先の全仏オープンに17歳で優勝したばかりのマッツ・ビランデルを破った後、準々決勝でティム・メイヨットアメリカ)に 7-6, 6-7, 5-7, 6-3, 1-6 のフルセットで敗れた。1983年のシーズンを最後に、ティーチャーは男子ツアーでシングルス・ダブルスとも優勝が途絶えてしまう。彼の現役最後の試合は、1986年10月の「ジャパン・オープン」であった。シングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わったが、元全豪王者のブライアン・ティーチャーは日本のトーナメントを最後の舞台に選んだのである。

外部リンク[編集]