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ブライアン・ティーチャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブライアン・ティーチャー
Brian Teacher
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州
サンディエゴ
生年月日 (1954-12-23) 1954年12月23日(71歳)
身長 190cm
体重 79kg
利き手
デビュー年 1973年
引退年 1986年
生涯獲得賞金 1,426,514 アメリカ合衆国ドル
ツアー経歴・シングルス
ツアー通算 8勝
自己最高ランク 7位(1981年10月5日)
生涯通算成績 333勝236敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪オープン 優勝(1980)
全仏オープン 3回戦(1978)
ウィンブルドン ベスト8(1982)
全米オープン 4回戦(1978・80)
優勝回数 1(豪1)
ツアー経歴・ダブルス
ツアー通算 16勝
自己最高ランク 6位(1981年8月10日)
生涯通算成績 218勝171敗
4大大会最高成績・ダブルス
全豪オープン 2回戦(1985)
全仏オープン 3回戦(1978・79)
ウィンブルドン ベスト4(1977)
全米オープン ベスト4(1977)

ブライアン・ティーチャーBrian Teacher, 1954年12月23日 - )は、アメリカカリフォルニア州サンディエゴ出身の元男子プロテニス選手。1980年全豪オープン男子シングルス優勝者である。身長190cm、体重79kgの巨体で、長い腕から繰り出す弾丸サービスを最大の持ち味とした。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス16位。ATPツアーで1980年全豪オープンを含むシングルス8勝、ダブルス16勝を挙げた。

1973年にプロ入りし、同年の全米オープン4大大会にデビューする。1980年当時、全豪オープンは(現在の年頭1月開催とは異なる)年末の12月に開催され、出場選手も少なかったことから、64名の選手による6回戦制で行われていた。ブライアン・ティーチャーは第8シードから勝ち進み、決勝でオーストラリアキム・ウォーウィックを 7-5, 7-6, 6-2 のストレートで破り、4大大会の男子シングルス優勝を果たした。この大会には、当時の男子テニス界に君臨していたビョルン・ボルグジミー・コナーズジョン・マッケンローなどの強豪選手は出場しておらず、第1シードがギリェルモ・ビラスアルゼンチン)、第2シードがイワン・レンドルチェコスロバキア)で、いくらか出場選手層が薄い中での戦いであった。

ティーチャーはその後、1982年ウィンブルドン全豪オープンでベスト8進出がある。ウィンブルドンでは4回戦で、先の全仏オープンに17歳で優勝したばかりのマッツ・ビランデルを破った後、準々決勝でティム・メイヨットアメリカ)に 7-6, 6-7, 5-7, 6-3, 1-6 のフルセットで敗れた。1983年のシーズンを最後に、ティーチャーは男子ツアーでシングルス・ダブルスとも優勝が途絶えてしまう。彼の現役最後の試合は、1986年10月の「ジャパン・オープン」であった。シングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わったが、元全豪王者のブライアン・ティーチャーは日本のトーナメントを最後の舞台に選んだのである。

外部リンク

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