コンテンツにスキップ

クラウディア・ロート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラウディア・ロート
Claudia Roth
2014年
生年月日 (1955-05-15) 1955年5月15日(69歳)
出生地 西ドイツの旗 西ドイツ ウルム
出身校 ミュンヘン大学
所属政党 同盟90/緑の党

ドイツの旗 文化・メディア担当大臣
内閣 ショルツ内閣
在任期間 2021年12月8日 -

ドイツの旗 連邦議会副議長
在任期間 2013年10月22日 - 2021年12月8日

在任期間 2001年3月9日 - 2002年12月7日
2004年10月2日 - 2013年10月19日
テンプレートを表示

クラウディア・ベネディクタ・ロートドイツ語: Claudia Benedikta Roth1955年5月15日 - )は、ドイツ政治家同盟90/緑の党に所属し、同党の共同党首や連邦議会副議長を歴任した。

経歴

[編集]

ウルム生まれ。バイエルン州バーベンスハウゼンで育つ。父は医師、母は歯科医であった。妹が2人。カトリック教会の洗礼を受けるが、女性の役割に対するカトリック教会の考え方に不満を持ち、離脱している。クルムバッハのギムナジウムに通い、学級委員や生徒会長を務めた。1974年にアビトゥーアに合格して演劇学の勉強を始めるが、1年で中退。メミンゲンシュヴァーベン州立劇場で脚本家として働く。ついでドルトムントウンナの市立劇場に勤める。1982年にはロックバンド Ton Steine Scherben のマネージャーとなるが、1985年にこのバンドは解散した[1]

政治活動

[編集]

1971年から1990年まで自由民主党の下部組織(1982年に分離独立)であった若い民主主義者ドイツ語版(Jungdemokraten) に所属していた。1987年、緑の党に加入[2]。1985年から1989年まで、緑の党のドイツ連邦議会議員団報道官を務めた。1989年、欧州議会議員に当選[3]。1994年から同議会で同盟90/緑の党議員団長を務め、市民の自由・内務委員会、外交委員会、特別調査委員会などに属する。EUトルコ委員会副委員長。

1994年には同性愛者の権利を求める「ロート報告」可決に尽力。またトルコ国内の少数民族クルド人の権利擁護運動に尽力した[4]。1994年にはイスタンブールに事務所を開設。トルコのアイワズ・ギョクデミル次官にトルコの人権状況を伝えようとしたところ「売春婦」と罵られたため、慰謝料を求めて法廷闘争を繰り広げ、勝ち取った慰謝料をトルコの婦人権利擁護団体に寄付した[5]。トルコのEU加盟には賛成している[6]

1998年連邦議会選に立候補し、当選。人権・人道支援委員会委員長を務める。党の婦人政策広報官も兼任。

同盟90/緑の党党首

[編集]
連邦議会にて(2019年)

2001年3月9日、同盟90/緑の党党首に選出される[7]。同盟90/緑の党は連邦議会議員の党首兼任を認めていなかったため、2002年9月の連邦議会選での再選を機に、2002年12月の党首選の候補に名乗り出なかった。2002年より連邦議会外交委員会委員代理。2003年の党大会で連邦議会議員と党首の兼任禁止が緩和されたため、2004年10月にラインハルト・ビュティコーファーと共に党首に選出された。2003年から2004年、ドイツ政府人権政策及び人道支援担当参与を務める。2005年の連邦議会選で再選し、2006年12月の党大会では66%の得票で党首続投が支持された。2008年11月にも82.7%の支持を得て、新たに選出されたジェム・オズデミルと共に党首に再選された[8]。2012年11月の党大会では88.5%の得票で党首に再選[9]

2013年から2021年までドイツ連邦議会の副議長を務めた[3]

2021年に、同盟90/緑の党と社会民主党(SPD)、自由民主党(FDP)の3党連立により発足したショルツ内閣で、文化・メディア大臣に就任した[10]

表彰

[編集]

2004年6月30日、人権擁護や人道支援での活動を賞され、フランス政府よりレジオンドヌール勲章(騎士級)を授与されている。

語録

[編集]

著書

[編集]
  • Claudia Roth: Das Politische ist privat, Erinnerungen für die Zukunft Berlin 2006 ISBN 3-351-02635-8

脚注

[編集]
  1. ^ claudia-roth.person(2022年2月19日閲覧)
  2. ^ Claudia Roth (Augsburg), Bündnis 90/Die Grünen”. Deutscher Bundestag. 2017年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。9. Mai 2017閲覧。
  3. ^ a b Biographie beim Deutschen Bundestag(連邦議会HP)
  4. ^ "Erpressung auf dem Rücken der Kurden"”. Deutschlandradio (2014年10月8日). 2022年2月19日閲覧。
  5. ^ "Claudia Roth", Der Spiegel (ドイツ語), no. 51, 1995
  6. ^ Claudia Roth – Ihre Vita (Memento vom 2. 9月 2007 im Internet Archive)
  7. ^ Claudia Roth MdB – Infos zur Person - Grüne im Bundestag(2022年2月19日閲覧)
  8. ^ Özdemir und Roth neue Doppelspitze der Grünen”. Welt N24 (2008年11月15日). 2022年2月19日閲覧。
  9. ^ Delegierte bestätigen Roth und Özdemir als Parteichefs”. Spiegel Online (2012年11月17日). 2022年2月19日閲覧。
  10. ^ Kristian Schuller (8 December 2021). "Lebenslauf von Staatsministerin Claudia Roth". bundesregierung.de. 2021年12月11日閲覧

外部リンク

[編集]
党職
先代
レナーテ・キュナスト
同盟90/緑の党党首
フリッツ・クーンと共同)

2001年 - 2002年
次代
アンゲリカ・ベーア
先代
アンゲリカ・ベーア
同盟90/緑の党党首
ラインハルト・ビュティコーファージェム・オズデミルと共同)

2004年 - 2013年
次代
ジモーネ・ペーター