キヤ (エジプト)
キヤ Kiya | |
---|---|
第18王朝エジプト王妃 | |
ニューヨークのメトロポリタンミュージアムで、現在のところ、一般にキヤと呼ばれている大きな耳飾りを着けた若い女性の石膏像。 | |
埋葬 |
KV35?またはKV63? |
配偶者 | イクナートン |
子女 | 名が不明な女子 ツタンカーメン |
宗教 | 古代エジプトの宗教 アトン(太陽円盤)信仰 |
キヤ 「深く愛された妻」 ヒエログリフで表示 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
キヤ(英:Kiya)は、エジプトのファラオ・イクナートンの妻の一人。全般的に、正妃ネフェルティティに比べ、彼女の言動や業績に関する記録は乏しいが、彼女の風変わりな名前から、彼女の出自が ミタンニ王女だったと推察されている[1]。 残されている史料から、イクナートン治世下の宮廷でのキヤは、イクナートンの娘を出産してからずっと、重要人物とされていたことが分かっている[2][3]。 彼女の痕跡は、彼女の夫が亡くなる数年前を最後に歴史から途切れている。 以前は、彼女こそがツタンカーメンの母親だったと考えられていたが、最新のDNA鑑定の結果、その可能性は否定された。
名前 と 称号
[編集]キヤという名前自体が、議論の対象になっている。 彼女が、ミタンニ王トゥシュラタの娘、"タドゥキパ"だったとすれば、その正式名に由来する、 ミタンニ独自の愛称だったのかも知れない。
アマルナ文書は、アメンホテプ三世の治世の終末期に、エジプトへと嫁いだ頃のタドゥキパが、性的魅力に溢れる年頃の若い女性だったことを述べている[4]。特に、アマルナ文書の27~29によって、タドゥキパはイクナートンの妃の一人だったことが確定している。かくして、何人かのエジプト学の研究者たちは、ひょっとしたら、タドゥキパとキヤは、同一人物なのかもしれないという考えを持ち始めた[2]。
しかしながら、それらの史料は、キヤが生粋のエジプト人ではなかったという確証を示すものではない[5]。 事実、シリル・オールドレッドは、まさかと思うだろうが、と断りをいれつつも、彼女の風変わりな名前が、 古代エジプト人の言葉で「猿」を表す言葉の変型で、彼女のために外国風を装ったものと結論付けている[6]。
銘刻された、キヤの称号には、「格別な(寵姫)」や「深く愛された」という表現はあっても「相続人」であるとか「偉大なる貴な血筋」という表現は見当たらない。いずれにしても、彼女がエジプト王家の血統に属していないことを指し示している。彼女の称号の全文は、「妻として王から深く愛され、上下エジプトからも深く愛された、誠実に生き抜いた、二つの国の領主、日の出の太陽を受け入れる者、生きるアテン神の善き崇拝者、いつまでも、いつまでも、不滅であれ、キヤ。」キヤに関する全ての遺物は、イクナートンとの短い結婚生活を過ごした首都アマルナか、王家の谷から出土するか、王家の谷の墓所 KV55から出土する。彼女には、どのファラオの統治期間にも埋葬の手続きがなされた記録がなかった。
キヤが生きていた形跡
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
キヤの生活ぶりは、1959年まで分からないままだった。彼女の名前と称号は、 メトロポリタンミュージアムの所蔵品の中でも小さな化粧品容器で知られていた。それは、恐らく30年ほど前に、エジプト考古学者 ハワード・カーターから、来歴なしで、買い取ったものだった[7]。
脚注
[編集]- ^ Reeves, C. Nicholas. New Light on Kiya from Texts in the British Museum, p.100 The Journal of Egyptian Archaeology, Vol. 74 (1988)
- ^ a b William J. Murnane. Texts from the Amarna Period in Egypt. Edited by E.S. Meltzer. Atlanta: Society of Biblical Literature, 1995. (ISBN 1-55540-966-0) Page 9, pp 90–93, pp 210–211.
- ^ Aidan Dodson. Amarna Sunset: Nefertiti, Tutankhamun, Ay, Horemheb, and the Egyptian Counter Reformation. The American University in Cairo Press, 2009. (ISBN 978-977-416-304-3) Page 17.
- ^ The Amarna Letters. Edited and translated by William L. Moran. Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1992. (ISBN 0-8018-4251-4) Two Mitanni princesses, Gilukhipa and Tadukhipa, are referenced in a series of letters, EA 19-29.
- ^ Jacobus Van Dijk, "The Noble Lady of Mitanni and Other Royal Favourites of the Eighteenth Dynasty" in Essays on Ancient Egypt in Honour of Herman te Velde, Groningen, 1997, pp. 35–37.
- ^ Cyril Aldred. Akhenaten, King of Egypt. Thames & Hudson, 1991. (ISBN 0-500-27621-8) Page 286.
- ^ Dennis Forbes, "The Lady Wearing Large Earrings: Royal Wife Kiya, Nefertiti's Rival", KMT. volume 17, number 3 (Fall 2006), p. 28.