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ガルニャーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガルニャーノ
Gargnano
ガルニャーノの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
県/大都市 ブレシア
CAP(郵便番号) 25084
市外局番 0365
ISTATコード 017076
識別コード D924
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
気候分類 zona E, 2120 GG
公式サイト リンク
人口
人口 2,766 [1](2021-01-01)
人口密度 35.3 人/km2
文化
住民の呼称 Gargnanesi
守護聖人 聖マルティーノ
(San Martino)
祝祭日 11月11日
地理
座標 北緯45度41分15秒 東経10度39分41秒 / 北緯45.68750度 東経10.66139度 / 45.68750; 10.66139座標: 北緯45度41分15秒 東経10度39分41秒 / 北緯45.68750度 東経10.66139度 / 45.68750; 10.66139
標高 66 (65 - 1497) [2] m
面積 78.28 [3] km2
ガルニャーノの位置(イタリア内)
ガルニャーノ
ガルニャーノの位置
ブレシア県におけるコムーネの領域
ブレシア県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ガルニャーノ: Gargnano)は、イタリア共和国ロンバルディア州ブレシア県にある、人口約2,800人の基礎自治体(コムーネ)。ガルダ湖畔に位置する。

名称

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標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

地理

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ブレシア県概略図

位置・広がり

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ブレシア県北東部、ガルダ湖畔のコムーネ。サロから北東へ15km、ガルダ湖南西端のデゼンツァーノ・デル・ガルダから北北東へ26km、ガルダ湖北端のリーヴァ・デル・ガルダから南南西へ26km、県都ブレシアから東北東へ39km、ヴェローナから北西へ38km、州都ミラノの東北東118kmに位置する[5]

コムーネはアルト・ガルダ・ブレシアーノ州立公園 (it:Parco regionale dell'Alto Garda Brescianoに含まれる。1962年にトスコラーノ川 (it:Toscolano (torrente)を堰き止めて作られたヴァルヴェスティーノ湖 (it:Lago di Valvestinoを含む。

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。VRはヴェローナ県所属。

ヴェローナ県のコムーネはガルダ湖対岸にあたる。

地震分類

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イタリアの地震リスク階級 (itでは、2 に分類される [6]

歴史

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中世

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この町は、937年の文献に Garniano として現れる。この地名はおそらくラテン語の人名 Garenius から派生したものである。ティトゥス・リウィウスの記録や墓碑銘から、この地にはエトルリア人ケルト人ケノマニ人 (Cenomaniローマ人が暮らしていたことがわかる[7]

ガルニャーノを含む、サロを中心とするマグニフィカ・パトリア(Magnifica Patria)の一帯は、1350年から1426年にかけてヴィスコンティ家の所領となり、その後ヴェネツィア共和国の支配下に置かれている。

近代

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フランス革命戦争からイタリア統一まで

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1797年にヴェネツィア共和国が消滅すると、ナポレオンの作った姉妹共和国の一つ・ブレシア共和国 (it:Repubblica brescianaの領土となった。ブレシア共和国は、その後チザルピーナ共和国イタリア共和国イタリア王国と変遷する。

ナポレオン没落後は、ロンバルド=ヴェネト王国オーストリア帝国の一部)の領土となり、ハプスブルク家による支配を受けた。

1859年に第二次イタリア独立戦争によってサルデーニャ王国(1861年にイタリア王国となる)に編入された[8]

イタリア統一以後

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近代、ミラノを拠点に財閥を形成したフェルトリネッリ家はガルニャーノにルーツを持つ。19世紀末、フェルトリネッリ家の別荘としてガルダ湖畔にヴィッラ・フェルトリネッリが建設された。第二次世界大戦後期のイタリア社会共和国(いわゆるサロ共和国)の時期、ヴィッラ・フェルトリネッリにはベニート・ムッソリーニが滞在した。

行政

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行政区画

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ガルニャーノには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Bogliaco, Costa, Fornico, Formaga, Liano, Musaga, Muslone, Navazzo, Sasso, Villa, Villavetro, Zuino

そのほか、以下の集落(Località)がある。

  • Cristol, San Giacomo, Mignone, Sostaga, Briano

社会

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人口

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人口推移

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文化・観光

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ヴィッラ・フェルトリネッリ

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ヴィッラ・フェルトリネッリ

パラッツォ・フェルトリネッリPalazzo Feltrinelli)、あるいはヴィッラ・フェルトリネッリVilla Feltrinelli)は、ガルニャーノにルーツを持つ富豪フェルトリネッリ家によって1898年から1899年にかけて建設された邸宅である。第二次世界大戦後期(イタリア社会共和国期)にはベニート・ムッソリーニが滞在した。

この建物はミラノ大学に寄贈されており、夏季(7月から8月第一週まで)はミラノ大学のイタリア語学・文化研究センター(Centro d'Ateneo per la promozione della lingua e cultura italiana, 略称: CALCIF)として、3月から10月には大学の会議施設として利用されている。大学で利用しない時期にはホテルとして営業している。

人物

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著名な出身者

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ミラノの富豪フェルトリネッリ家 (it:Feltrinelli (famiglia)は、ガルニャーノをルーツに持つ。フェルトネッリ家は材木交易から出発し、イタリアの統一および資本主義の成長とともに財閥を形成した。第二次世界大戦後の1952年、当主ジャンジャコモ・フェルトリネッリ (it:Giangiacomo Feltrinelliはフェルトリネッリ出版 (it:Giangiacomo Feltrinelli Editoreを創業している。

脚注

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「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Resident population on 1st January : Lombardia” (英語). 2021年5月10日閲覧。左側メニューのPopulation and Households > Population > Resident population on 1st January > Regions and municipalities より州を選択
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Brescia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Brescia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
  4. ^ Toponimi in dialetto bresciano
  5. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年2月19日閲覧。
  6. ^ classificazione sismica 1 dicembre 2020” (xls). イタリア市民保護局. 2021年2月7日閲覧。
  7. ^ Gargnano, a cura della Provincia di Brescia, DeAgostini, Novara, 2008. ※
  8. ^ Istituzioni storiche - Lombardia beni culturali - Gargnano

外部リンク

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