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カステルノー=ド=モンミラル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Castelnau-de-Montmiral

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オクシタニー地域圏
(département) タルヌ県
(arrondissement) アルビ郡
小郡 (canton) ヴィニョーブル・エ・バスティッド小郡
INSEEコード 81064
郵便番号 81140
市長任期 ポール・サルヴァドル
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération du Rabastinois - Tarn et Dadou - Vère Grésigne et Pays Salvagnacois
人口動態
人口 1037人
(2014年)
人口密度 12人/km2
住民の呼称 Montmiralais
地理
座標 北緯43度57分59秒 東経1度49分18秒 / 北緯43.9663888889度 東経1.82166666667度 / 43.9663888889; 1.82166666667座標: 北緯43度57分59秒 東経1度49分18秒 / 北緯43.9663888889度 東経1.82166666667度 / 43.9663888889; 1.82166666667
標高 平均:m
最低:153 m[1]
最高:485m
面積 88.81km2
Castelnau-de-Montmiralの位置(フランス内)
Castelnau-de-Montmiral
Castelnau-de-Montmiral
公式サイト site officiel
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カステルノー=ド=モンミラルCastelnau-de-Montmiralオック語:Castèlnòu de Montmiralh)は、フランスオクシタニー地域圏タルヌ県コミューン

地理

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アルビモントーバンの中間に位置する。アヴェロン川の支流ヴェール川が流れている。

歴史

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グレジーニュの森の周囲には青銅器時代ドルメンや、鉄器時代のオッピドゥムが立っている。

アルビジョワ地方のバスティッドは、1222年にトゥールーズ伯レーモン7世によって建設された。最初の名はカステルム・ノヴム・モンティス・ミラビリス(Castellum Novum Montis Mirabilis)であった。指小接尾辞のMontmiralは、19世紀を含めて公式文書で一般的に使われてきた。

百年戦争では、エドワード黒太子率いるイングランド軍が、1345年にアルビジョワ地方へ侵攻した。彼らは都市へ攻撃することを敢えてせずに撤退した。

ユグノー戦争では、カステルノー=ド=モンミラルは一度も新教徒派と接触せず、多数派の新教徒によって追放されたガヤックのカトリック教徒たちを歓迎した。1587年1月、新教徒のブリュニケル隊長の攻撃を受けるが撤退させている。言い伝えによると、セロンの泉から水を汲んで戻ってきた女性が、敵に強制的に撤退させるよう警告を発したのだという。

1622年6月24日、カステルノー=ド=モンミラルをルイ13世が通過し、トナック邸に滞在した。この住宅は有名なプリヴァ家の住宅であった。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年 2014年
1238 1215 1037 958 910 895 952 1037

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

ギャラリー

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脚注

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