カジミェシュ・クッツ
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カジミェシュ・クッツ Kazimierz Kutz | |
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本名 |
カジミェシュ・ジュリアン・クッツ Kazimierz Julian Kutz |
生年月日 | 1929年2月16日 |
没年月日 | 2018年12月18日(89歳没) |
出生地 | ポーランド シロンスク県カトヴィツェ |
職業 | 映画監督、脚本家、政治家 |
ジャンル | 映画、政治 |
活動期間 |
1953年 - 1998年 (映画監督) 1997年 - 2007年 (政治家) |
配偶者 | イヴォナ・シフィェントホフスカ=クッツ (Iwona Świętochowska-Kutz) |
主な作品 | |
『沈黙の声』 『列車の中の人々』 |
カジミェシュ・クッツ (Kazimierz Julian Kutz, 1929年2月16日 - 2018年12月18日) は、ポーランドの映画監督、政治家。
来歴
[編集]1929年2月16日、シロンスク県カトヴィツェで生まれた。第二次世界大戦後、ムィスウォヴィツェのギムナジウムを卒業。1949年にはウッチ映画大学に入学。1953年に初の短編『Słowo honoru』を製作し、翌1954年に同校を卒業した。その後、アンジェイ・ワイダやイェジー・カヴァレロヴィチの元で助監督を務めた。
1959年、初の長編『Krzyż walecznych』を発表。翌1960年の実験映画『沈黙の声』は上映禁止処分を受け、長年に渡って国内外で上映されることはほとんどなかったが、現在ではポーランド派を代表する作品の一つと評価されている。翌1961年の群像劇『列車の中の人々』はロカルノ国際映画祭で銀帆賞を受賞した。1963年の『沈黙』は第24回ヴェネツィア国際映画祭に出品された。
1970年、故郷シロンスクを舞台にした『Sól ziemi czarnej』を発表。1972年の『Perła w koronie』は第25回カンヌ国際映画祭に出品され、ミラン国際映画祭で作品賞を受賞した。1980年の『Paciorki jednego różańca』はカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。これら3作品は故郷を舞台にした「シロンスク三部作」として知られる。
1972年には映画製作会社シロンスクを設立した。1981年からはテレビ映画も手がけるようになった。また、同年には連帯運動に対して敷かれた戒厳令によって、一時当局に拘束された。1997年から2007年までは上院議員として活動した。
作品
[編集]- Słowo honoru (1953年) 短編
- Krzyż walecznych (1959年)
- Jesienny dzień (1959年)
- 沈黙の声 Nikt nie woła (1960年)
- 列車の中の人々 Ludzie z pociągu (1961年)
- Tarpany (1962年)
- 沈黙 Milczenie (1963年)
- Upał (1964年)
- Ktokolwiek wie... (1966年)
- Skok (1969年)
- Sól ziemi czarnej (1970年)
- Perła w koronie (1972年)
- Linia (1975年)
- Znikąd donikąd (1975年)
- Paciorki jednego różańca (1980年)
- Mecz (1981年)
- Na straży swej stać będę (1984年)
- Wkrótce nadejdą bracia (1986年)
- Opowieści Hollywoodu (1987年) テレビ映画
- Samobójca (1988年) テレビ映画
- Do piachu... (1989年) テレビ映画
- Kolacja na cztery ręce (1990年) テレビ映画
- Straszny sen Dzidziusia Górkiewicza (1994年)
- Zawrócony (1994年) テレビ映画
- Śmierć jak kromka chleba (1994年)
- Ziarno zroszone krwią (1994年) テレビ映画
- Antygona w Nowym Jorku (1994年) テレビ映画
- Pułkownik Kwiatkowski (1996年)
- Emigranci テレビ映画 (1995年)
- Sława i chwała (1998年) テレビシリーズ
- Twórcy obrazów (2000年)
- Wielebni (2001年)
- Dzień Podróżny (2004年)