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オマー・ミナヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オマー・テオドロ・アントニオ・ミナヤ・サンチェスOmar Teodoro Antonio Minaya y Sánchez, 1958年11月10日 - )は、MLBゼネラルマネージャー(GM)。ドミニカ共和国出身。

オマー・ミナヤ(2007年

経歴

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GM就任まで

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ドミニカ共和国で生まれ、8歳の時に家族でニューヨーク市クイーンズ区に移住。ニューヨーク・メッツの大ファンとして育ち、ニュータウン高校では野球部で活躍した。1978年ドラフト14巡目(全体342位)でオークランド・アスレチックスから指名され入団。マイナーリーグで3年間プレーするも芽が出ず、イタリアのリーグでも2年間プレーした後に現役を引退。1985年テキサス・レンジャーズのスカウトに就任し[1]サミー・ソーサフアン・ゴンザレスらを発掘。

モントリオール・エクスポズGM

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2002年モントリオール・エクスポズゼネラルマネージャー(GM)に就任。メジャーリーグ史上初のヒスパニック系GMとなった[2]。財政難の中、2年連続で勝率5割を上回る健闘を見せたが、2004年のシーズンを最後にエクスポズはワシントンD.C.へと移転した。

ニューヨーク・メッツGM

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エクスポズ消滅後、ジム・デュケット前GMの後任として、ニューヨーク・メッツのGMに就任。メッツでは、豊富な資金を元にFAやトレードでペドロ・マルティネスカルロス・ベルトランビリー・ワグナーカルロス・デルガドヨハン・サンタナフランシスコ・ロドリゲスジェイソン・ベイなどの大物選手を次々と獲得した。2年目の2006年には97勝を挙げて18年ぶりの地区優勝を果たしたが、リーグチャンピオンシップシリーズセントルイス・カージナルスに3勝4敗で敗れ、ワールドシリーズ進出を逃した。2008年10月には、メッツと新たに4年契約を結んだ。しかし、怪我人の続出などもあり、2009年2010年はMLB屈指の年俸総額ながら勝率5割を下回る苦しいシーズンとなった。

2010年10月4日、成績不振を理由に契約を2年残したままメッツのGMを解任された[3]

サンディエゴ・パドレスGM

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2011年12月2日よりサンディエゴ・パドレス上級副社長に就任。2014年6月22日ジョシュ・バーンズGM解任に伴い元アリゾナ・ダイヤモンドバックス監督のA・J・ヒンチらとともに代行を務めることになった[4]

GMとしての戦績

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年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 年俸総額[5]
2002年 MON NL East 162 83 79 .512 2位 3867万ドル
2003年 162 83 79 .512 4位 5194万ドル
2004年 162 67 95 .414 5位 4119万ドル
2005年 NYM 162 83 79 .512 3位 1億130万ドル
2006年 162 97 65 .599 1位 1億108万ドル
2007年 162 88 74 .543 2位 1億1523万ドル
2008年 162 89 73 .549 2位 1億3779万ドル
2009年 162 70 92 .432 4位 1億4937万ドル
2010年 160 79 83 .488 4位 1億2649万ドル
通算 1458 739 719 .507

脚注

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  1. ^ MICHAEL O'KEEFFE(1999-05-27),METS' MINAYA A GROUND-BREAKER,New York Daily News(英語),2010年9月5日閲覧
  2. ^ IRA BERKOW(2002-07-18),BASEBALL; Amid Some Uncertainty, The Expos Play to Win,New York Times(英語),2010年9月5日閲覧
  3. ^ Anthony DiComo(2010-10-04), Mets part ways with Manuel, Minaya, mets.com(英語),2010年10月5日閲覧
  4. ^ Padres to begin GM search immediately” (英語). MLB.com (2014年6月22日). 2014年6月25日閲覧。
  5. ^ 数字は開幕時の年俸総額。Cot's Baseball Contracts: Washington NationalsCot's Baseball Contracts: New York Mets,2010年10月5日閲覧