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オキノサキガケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オキノサキガケ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1978年3月20日
死没 不明
ホーント
エムプレスチャチャ
生国 日本
生産者 なべかけ牧場
馬主 沖崎エイ
調教師 大久保末吉(美浦)
大久保洋吉(美浦)
→佐藤林次郎(美浦)
競走成績
生涯成績 平地38戦1勝
障害25戦6勝
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オキノサキガケ日本競走馬である。1983年中山大障害の春秋連覇を達成した。

戦績

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デビュー~1982年

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1980年10月に福島競馬場でデビューし6着。その後翌1981年5月の芝2000m戦で16戦目にして初勝利を挙げた。その後、6月より大久保末吉厩舎から息子の大久保洋吉厩舎に転厩、さらに1982年3月より佐藤林次郎厩舎に移った。同年7月までに400万以下の競走を22戦したが勝利を挙げられず、8月より障害競走に転向した。

障害競走では1戦を除いて全て星野忍が騎乗した。障害入り2戦目の未勝利戦で2着に1.8秒の大差で初勝利を挙げ、4戦目で400万以下でも勝利した。オープン初戦の東京障害特別(秋)では他に有力馬が不在だったこともあり、1番人気となったが優勝したラッキータウロから5馬身差の4着に敗れた。続く中山大障害(秋)では大竹柵の飛越でバランスを崩し騎手が落馬。ハヤテジョー、ボールドマッチと共に競走中止した。

1983年以降

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1983年は1月の障害オープンでは3着に敗れたが、2戦目の東京障害特別で2着のメジロアンタレスに3秒の差をつける圧勝で重賞初優勝を遂げた。しかし3月の中山競馬場での障害オープンは勝ったメジロクラウンに6.5秒差の5着と負け、中山大障害(春)でも1番人気はメジロクラウンとなりオキノサキガケは2番人気での出走となった。しかし、メジロクラウンはレース途中で鼻出血を発症し8頭立ての6着と惨敗[1]。オキノサキガケは先行2,3番手でレースを進め、大生垣の着地がやや悪かったが体勢を立て直し、最後の坂路を越えてライバコウハクとのマッチレースとなったが、ゴール手前で外からライバコウハクをかわして優勝した。

同年秋の東京障害特別は63kgのハンデで出走したが5着。続く中山大障害は1982年に中山大障害を連覇したキングスポイントが単勝1.1倍の圧倒的な人気となり、オキノサキガケは2番人気とはいえ単勝8.4倍でのスタートとなった。キングスポイントは2番手から大竹柵を越えて先頭に立ち、オキノサキガケは後方を追走。オキノサキガケは大生垣を越えて徐々に進出し、最終障害を越えて直線手前で先頭のハヤテタケル、キングスポイントを抜いて先頭に立ち、最後は内から伸びてきたメジロジュピターを1馬身1/4抑えて春秋連覇となった。同年の最優秀障害馬に選出される。

1984年は年明けの東京障害特別を優勝したネイティブボーイから0.6秒差の4着。続く中山の障害オープンは62kgで出走し、65kgのキングスポイントから0.8秒差の4着と完敗した。中山大障害はキングスポイントが単勝1.2倍、オキノサキガケが5.3倍の2番人気となったが、キングスポイントは水濠障害で故障し、1、2コーナー中間の生垣障害手前で競走中止。オキノサキガケも優勝したメジロジュピターから17馬身差で完走した4頭の中で最下位という結果に終わった。その後も結果を残せず、秋の大障害はメジロアンタレスから5馬身3/4差の4着となり、翌1985年4月の中山大障害(春)では大竹柵で騎手落馬により競走中止[2]。5月に競走馬登録を抹消し、その後は馬術競技馬として生活した。

血統表

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オキノサキガケ血統ロイヤルチャージャー系/Foxhunter 5×5=6.25%(母内)) (血統表の出典)

*ホーント
Haunt
1971 黒鹿毛
父の父
Habitat
1966 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Little Hut Occupy
Savage Beauty
父の母
Kew
1963 栗毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Astrentia Denturius
Aherlow Valley

エムプレスチャチャ
1968 鹿毛
*ワラビー
Wallaby
1955 黒鹿毛
Fast Fox Fastnet
Foxcraff
Wagging Tail Tourbillon
Foxtail
母の母
キヨハ
1947 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
第弐オーイエー *シアンモア
*オーイエー F-No.3-e

脚注

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  1. ^ 7着、8着は落馬再騎乗のヤクモファントム、サビアスポートがそれぞれ大きく遅れて入線した。
  2. ^ この障害で同時に6頭が競走中止した。

外部リンク

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