メルシータカオー

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メルシータカオー
品種 サラブレッド
性別 せん
毛色 栗毛
生誕 1999年4月5日
死没 2007年9月25日(8歳没)
サクラユタカオー
ウィスパーモア
母の父 マルゼンスキー
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産 三石ファーム
馬主 永井康郎
調教師 武宏平栗東
競走成績
生涯成績 平地競走9戦1勝
障害競走15戦3勝
獲得賞金 1億8591万3000円
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メルシータカオー日本競走馬2004年J・GI中山大障害に優勝した。栗毛せん馬

経歴[編集]

2002年の1月に中央競馬にて平地競走でデビューし、3戦目で初勝利を挙げたが昇級後は惨敗続きで障害競走に転向することとなる。障害初戦から低評価を覆して3着に好走するとその後5戦目で障害初勝利。そして昇級2戦目の秋陽ジャンプステークスでは道中内々にコースを取り、直線では粘る重賞馬ミレニアムスズカを振り切ってオープン初勝利を挙げる。その後の重賞戦線でも安定した活躍を見せ、2004年の中山グランドジャンプではブランディスの2着に健闘する。

そして迎えた同年暮れの中山大障害。重賞3連勝で臨んだロードプリヴェイルが1.7倍の圧倒的1番人気となり、メルシータカオーは前走のイルミネーションジャンプステークスで9着と惨敗したことが影響したか5番人気と低評価だった。しかしレースでは序盤から果敢に先頭を奪うと終始安定した飛越で後続を寄せ付けず、直線では粘るメジロオーモンド以下を楽々振り切って6馬身差の圧勝となった。なお、鞍上の出津孝一は年末のこのレースが2004年初勝利であり、同時にこの年唯一の勝ち鞍となった。翌年、中山グランドジャンプを目指してペガサスジャンプステークスに出走し7着。その後グランドジャンプに向けて調整を行っていたが屈腱炎を発症し長期休養に入る。

復帰戦は1年半後の2006年10月の500万下条件戦。久々の平地競走に出走したが14着と大敗。レースの1か月後に屈腱炎を再発させ、2度目の長期離脱を余儀なくされた。復帰が希望されていたが2007年9月25日、放牧先で運動中に骨折し、安楽死処分となった。翌9月26日に競走馬登録を抹消された。

血統表[編集]

メルシータカオー血統プリンスリーギフト系 / ネヴァービート 3×4=18.75%、Princely Gift 3×5=15.63%、Nasrullah 4×5 =9.38%) (血統表の出典)

サクラユタカオー
栗毛 1982
父の父
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
父の母
アンジェリカ
1970 黒鹿毛
*ネヴァービート
Never Beat
Never Say Die
Bride Elect
スターハイネス *ユアハイネス
スターロツチ

ウィスパーモア
1986 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル
Shill
Buckpasser
Quill
母の母
メルシーブルー
1976 鹿毛
*ダイアトム
Diatome
Sicambre
Dictaway
マミーブルー *ネヴァービート
リーガルローブ F-No.1-e


外部リンク[編集]