アルヴィーゼ・グリッティ
アルヴィーゼ・グリッティ(イタリア語: Alvise Gritti、1480年9月29日 - 1534年10月9日)は、ヴェネツィア共和国出身の政治家。
名前表記は、Aloiso、Lodovigo等、多数の例がある。
生涯
[編集]ヴェネツィア共和国のドージェ(元首)であったアンドレア・グリッティ(在任:1523年-1538年)の庶子。妾腹のためヴェネツィアで要職に就けなかった。
1526年8月、モハーチの戦いでヤギェウォ家のラヨシュ2世が戦死した後、サポヤイ・ヤーノシュに仕えた。
もともと、ヤギェウォ家とハプスブルク家の間に結ばれたウィーン条約により、ラヨシュ2世の死没後はハプスブルク家のオーストリア大公フェルディナントが王位に就くはずであった[1][2]。しかしマグナートはこれを支持せず[1]、国王選挙の結果、少数派によりフェルディナント大公が、多数派にトランシルバニア候サポヤイ・ヤーノシュ(ヤーノシュ1世)が、それぞれ選出された[3]。フェルディナント大公は武力によりサポヤイ派の排斥を試みた[3]。サポヤイ派が望みを託したのは、隣接するオスマン帝国であった。
1527年、アルヴィーゼはオスマン帝国のスレイマン1世及び大宰相イブラヒム・パシャと初めて会見する[4]。サポヤイ派はスレイマン1世を動かすことに成功し[3]、1529年夏には、スレイマン1世が15万の大軍勢を率い、ハンガリーを制圧するとともにヤーノシュ1世を臣従させた[5]。そして、第一次ウィーン包囲が行われ、旧教と新教の対立が激しいキリスト教諸国に衝撃を与えた。ウィーン包囲自体はオスマン帝国の撤退に終わったが、フェルディナント大公も妥協し、ハンガリーは分割され、ヤーノシュ1世の王位も承認された。
1534年10月、トランシルヴァニアのメディアシュ(現ルーマニア)において、アルヴィーゼは民衆の蜂起により殺害された。
登場する作品
[編集]- 小説
- 塩野七生『緋色のヴェネツィア―聖マルコ殺人事件』
- 庶子である故に叶わなかった、かつての恋人リヴィアとの結婚のため、ハンガリアで貴族の位を目指す主人公として描かれる。1991年に宝塚歌劇団花組で舞台化され、大浦みずきがアルヴィーゼ役を演じた(詳細は『ヴェネチアの紋章』を参照)。
- 漫画
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 江村洋『カール5世 中世ヨーロッパ最後の栄光』東京書籍、1992年7月。ISBN 978-4487753796。
- 江村洋『カール5世 ハプスブルク栄光の日々』河出書房新社〈河出文庫〉、2013年11月。ISBN 978-4309412566。
- 岩﨑周一『ハプスブルク帝国』講談社〈講談社現代新書〉、2017年8月。ISBN 978-4-06-288442-6。
- 小笠原弘幸『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』中央公論新社(中公新書)、2018年。ISBN 978-4-12-102518-0。