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アリックス・ド・フランス (1150-1195)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリックス・ド・フランス
Alix de France

称号 ブロワ伯
出生 1150年
死去 1195年
埋葬 フランス王国
モー
サン・エティエンヌ大聖堂
配偶者 ブロワ伯ティボー5世
子女 一覧参照
家名 カペー家
父親 フランスルイ7世
母親 アリエノール・ダキテーヌ
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アリックス・ド・フランスAlix de France, 1150年 - 1195年)は、フランス王女。アデライード・ド・フランス(Adélaïde de France)、またはアエリス・ド・ブロワ(Aélis de Blois)とも呼ばれた。フランス王ルイ7世と最初の王妃アリエノール・ダキテーヌの次女である[1]。同母姉にマリー、異母弟妹にマルグリットアニェスフィリップ2世がいる。また、異母妹の1人であるアデルとしばしば混同される。

一方、母が再婚相手のイングランドヘンリー2世との間に産んだウィリアム若ヘンリー王マティルダリチャード1世ジェフリーエレノアジョーンジョンらは異父弟妹に当たる。

生涯

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1150年に生まれた頃には両親の仲は悪化しており、母は息子が生まれないことを責められ、第2回十字軍の失敗の原因を作ったと責任も追及され、フランス国民からの非難を浴びていた。1152年に両親が離婚した時、姉マリーと共に親権は父の物になった[2]

1160年に父はアデル・ド・シャンパーニュと再婚し、アリエノールとの間にもうけたマリーとアリックスの娘2人をアデルの兄2人(シャンパーニュ伯アンリ1世ブロワ伯ティボー5世)に縁付かせることを約束した[1][3]

婚約から4年後の1164年、マリー・アリックスとアンリ1世・ティボー5世の二重結婚が行われた。結婚後は姉と共に母のいるポワティエへ行き再会を果たし、母の文学的事業を引き継いだという[1][4]

ティボー5世は第3回十字軍に参加し、アッコ包囲戦の最中に戦死した。アリックスは夫の不在時に伯の権力を行使した。

子女

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ティボー5世との間に7人の子をもうけた。

  • ティボー(? - 1187年) - 夭折
  • ルイ1世(1172年 - 1205年) - ブロワ伯
  • アンリ(? - 1185年) - 夭折
  • フィリップ(? - 1202年) - 夭折
  • マルグリット(1170年 - 1230年) - ブロワ女伯。ルクセンブルク伯・ブルゴーニュ伯オトン1世と結婚。
  • アデライード(生没年不詳) - 1190年、フォントヴロー修道院院長となる
  • イザベル(1180年 - 1247年/1248年) - シャルトルおよびロモランタン女伯。シュルピス3世・ダンボワーズと結婚、ジャン2世・ド・モンミライユと再婚。

脚注

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  1. ^ a b c Jiří Louda et Michael MacLagan, Les Dynasties d'Europe, Bordas, 1995. ISBN 2-04-027115-5
  2. ^ 桐生、P72 - P73、P80、石井、P193、P205、ペルヌー、P90、P97。
  3. ^ 桐生、P109、P119、石井、P243 - P244、ペルヌー、P151、P163。
  4. ^ カペラヌス、P13、ペルヌー、P185 - P186。

参考文献

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