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アムラン・スライマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アムラン・スライマン
Amran Sulaiman
生年月日 (1968-04-27) 1968年4月27日(56歳)
出生地 インドネシアの旗 インドネシア南スラウェシ州ボネ県英語版
出身校 ハサヌディン大学
現職 政治家、実業家
配偶者 マルタティ
子女 4人
親族 アンディ・B・スライマン・ダラン・ペッタ・リンタ(父)
アンディ・ヌルハディ・ペッタ・バウ(母)

インドネシアの旗 インドネシア共和国
第27代農業大臣
在任期間 2023年10月25日 -
2014年10月27日 - 2019年10月21日
大統領 ジョコ・ウィドド
プラボウォ・スビアント
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アンディ・アムラン・スライマンインドネシア語: Andi Amran Sulaiman, 1968年4月27日 - )は、インドネシア政治家実業家。第27代農業大臣。2014年から2019年の間にも、農業大臣を務めている。

経歴

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1968年4月27日インドネシア南スラウェシ州ボネ県英語版にて退役軍人のアンディ・B・スライマン・ダラン・ペッタ・リンタと、アンディ・ヌルハディ・ペッタ・バウの12人兄弟の3番目として誕生する。ボネ県に生まれたが、幼少期のほとんどを隣町のバル県英語版で過ごし、そこで7年間暮らして小学校に入学した。その後ボネ県に戻り、最初の12年間の基礎教育を終え、1989年にラッパリアジャの公立高校を卒業した[1]1988年マカッサルハサヌディン大学で農学を学び、1993年に学士号を取得した。2003年には同大学で修士号を、2012年には同大学院で修士号を取得した。最高成績で卒業し、害虫駆除に関する複数の発明で特許を取得した。現在、ハサヌディン大学で講師を務める傍ら、5件の特許権を保有[2]。弟のアンディ・スディルマン・スライマン2018年の選挙で、ヌルディン・アブドゥラの代理として南スラウェシ州副知事に選出された。卒業後、スライマンはインドネシア国立農業会社に就職した。1994年に製糖工場の現場責任者として入社後6年間で4回昇進し、ピーク時には物流主任となり、15年後に退職。その後、殺鼠剤の特許を手始めに事業を立ち上げてからは急成長を遂げ、2014年までに年商合計14兆円に迫る10社を傘下に収めた。2007年に、インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領から市民賞を受賞。ジョコ・ウィドドは2014年10月26日に農業大臣への就任を発表し、翌日に就任した[3]。スライマンは2014年11月に3,308億ルピアと報告された、最も高い純資産を持つ大臣であった。スライマンの省の目標は、インドネシア11州の灌漑システムの改善に加えて、3年以内にトウモロコシ大豆砂糖の4つの主要食料品目の自給自足に設定された[4]2015年2016年にそれぞれ行われたジョコウィによる2度の内閣改造では、当初は後任が噂されていたにもかかわらず、乗り切った。2023年10月25日、スレイマンはシャルル・ヤシン・リンポ英語版が汚職事件の容疑者となったことを理由に、第27代農業大臣に就任した[5]

脚注

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