Z5型駆逐艦
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| Z5型駆逐艦 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 艦種 | 駆逐艦 |
| 命名基準 | 第一次世界大戦で戦死した、ドイツ帝国海軍の軍人 |
| 就役期間 | 1937年–1958年 |
| 次級 | 1936型(Z17型) |
| 要目 | |
| 排水量 | 基準 (公称)2,232t(Z9以降は2,270t) |
| 全長 | 121m |
| 最大幅 | 11.3m |
| 吃水 | 4.2m |
| 機関 | 蒸気タービン6基 2軸推進 |
| 出力 | 70,000hp |
| 速力 | 38ノット |
| 航続距離 | 2,700海里(巡航速度19ノット) |
| 乗員 | 325人 |
| 兵装 |
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Z5型駆逐艦(1934A型駆逐艦:Zerstörer 1934A)はドイツ海軍の駆逐艦である[1]。1937年から1938年にかけて12隻が就役している。
概要
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ヴェルサイユ条約によって基準排水量800t以上の駆逐艦の建造・保有を禁止されたドイツは、1923年からメーヴェ型やヴォルフ型を制限枠ぎりぎりで建造していたのだが、1933年から計画された海軍増備計画で大型駆逐艦の建造を決定した。翌年から建造を開始し、始めにZ1型を建造したが、機関の振動などにより期待された性能を発揮できなかったため、新たに本型が建造されることになった。
基本的にはZ1型の設計を流用しているが、凌波性向上のために船首楼を若干高くしている[1]。Z5~Z8の4隻はZ1型と同じ機関を搭載しているが[1]、Z9以降の艦はより高温・高圧のボイラーに変更したため、最高速力と排水量が若干増加している。
全艦が第二次世界大戦で実戦参加し、7隻が失われ、大戦を生き残った5隻は連合国側に引き渡され、ソ連に引き渡されたZ15は1958年まで使用されている。また、大戦中盤まで残存していた艦にはレーダーの装備や対空兵装の強化などが行われている。
- 写真はパウル・ヤコビ
同型艦
[編集]| 艦名 | 造船所 | 起工 | 進水 | 就役 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| Z5 パウル・ヤコビ (Paul Jacobi) | DeSchiMag、ブレーメン造船所 | 1935年 7月15日 | 1936年 3月24日 | 1937年 6月29日 | フランス海軍に賠償艦として譲渡、Desaixと再命名の上で就役。 1958年解体。 |
| Z6 テオドール・リーデル (Theodor Riedel) | DeSchiMag、ブレーメン造船所 | 1935年 7月18日 | 1936年 4月22日 | 1937年 7月2日 | フランス海軍に賠償艦として譲渡、Kleberと再命名の上で就役。 1958年解体。 |
| Z7 ヘルマン・シェーマン (Hermann Schoemann) | DeSchiMag、ブレーメン造船所 | 1935年 9月7日 | 1936年 7月16日 | 1937年 9月9日 | 1942年3月2日 イギリス軽巡エディンバラの砲撃により大破、自沈処分。 |
| Z8 ブルーノ・ハイネマン (Bruno Heinemann) | DeSchiMag、ブレーメン造船所 | 1936年 1月14日 | 1936年 9月15日 | 1938年 1月8日 | 1942年1月25日 カレー沖にて触雷・沈没。 |
| Z9 ヴォルフガング・ツェンカー (Wolfgang Zenker) | Germaniawerft、キール造船所 | 1935年 3月23日 | 1936年 3月27日 | 1938年 7月2日 | 1940年4月13日 第2次ナルヴィク海戦にて大破、自沈処分。 |
| Z10 ハンス・ロディ (Hans Lody) | Germaniawerft、キール造船所 | 1935年 4月1日 | 1936年 5月14日 | 1938年 9月13日 | イギリス海軍に賠償艦として接収、試験艦として使用。 1946年から1949年にかけて解体。 |
| Z11 ベルント・フォン・アルニム (Bernd von Arnim) | Germaniawerft、キール造船所 | 1935年 4月26日 | 1936年 7月8日 | 1938年 12月6日 | 1940年4月13日 第2次ナルヴィク海戦にて大破、自沈処分。 |
| Z12 エーリッヒ・ギーゼ (Erich Giese) | Germaniawerft、キール造船所 | 1935年 5月3日 | 1937年 3月12日 | 1939年 3月4日 | 1940年4月13日 第2次ナルヴィク海戦にて撃沈。 |
| Z13 エーリッヒ・ケルナー (Erich Koellner) | Germaniawerft、キール造船所 | 1935年 10月12日 | 1937年 3月18日 | 1939年 3月28日 | 1940年 4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて撃沈。 |
| Z14 フリードリヒ・イーン (Friedrich Ihn) | ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所 | 1935年 3月30日 | 1935年 11月5日 | 1938年 4月6日 | ソ連海軍に賠償艦として譲渡、Прыткий(Prytkiy)として再就役 1952年解体。 |
| Z15 エーリッヒ・シュタインブリンク (Erich Steinbrinck) | ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所 | 1935年 5月30日 | 1936年 9月24日 | 1938年 5月31日 | ソ連海軍に賠償艦として譲渡、Пылкий(Pylkiy)として再就役。 1958年解体。 |
| Z16 フリードリヒ・エッコルト (Friedrich Eckoldt) | ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所 | 1935年 11月14日 | 1937年 3月21日 | 1938年 7月28日 | 1942年12月31日 バレンツ海海戦にてイギリス軽巡シェフィールドの砲撃により撃沈。 |
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 後藤仁ほか『艦艇名鑑 1939-45』株式会社 光栄、1997年3月24日。ISBN 4-87719-455-X。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- german-navy/de - Zerstörer 1934A