Wikipedia‐ノート:日本中心にならないように

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検証可能性との関係で見極めが必要な見解[編集]

Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」とあります。

次の2つの見解にはこの方針との関係について疑問があります。

  1. 「常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先」することはないとする見解
  2. 「日本語版の読者」を前提に考えるべきではないとする見解

日本語による情報源は日本語以外の言語による情報源より優先することはないとする見解は検証可能性の文言との関係についての説明が必要です。また「日本語版の読者」を前提に考えるべきではないとする見解については、記述の観点で国際化が重要なのはよくわかりますが、査読の観点を無視して単純にこれだけを強調されるとWikipedia:検証可能性の前提を否定しているようにみえます。場合によっては説明が必要になるかもしれません。検証可能性の方針の文言に従うなら「日本語版の読者が容易に検証できる」上での国際化が求められているのではないでしょうか。Wikipedia:検証可能性と異なるものでないなら構いませんが、異なる主張ならばまず変更を提案されるべきかと思います。--KOUGOKOU会話2016年10月9日 (日) 00:58 (UTC)[返信]

よくある誤解ですが、ここで言われているのは日本人であることを暗黙の前提とするなであって、日本語や日本語話者を前提にするな、ではありませんし、日本であることが明示的であれば問題ありません。まして情報源の観点にいたってはどこにも書いてありません。よって日本語版として、可能なら日本語の文献が望ましいとする検証可能性とは何ら矛盾はありません。--EULE会話2016年10月9日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
早速コメントありがとうございます。Wikipedia:日本中心にならないようにで言われていることがWikipedia:検証可能性に反していますよという指摘ではありません。一部の「見解」に言語に関係なく情報源をすべて同等とみるべきというようなコメントがあったので、仮にそのような解釈をするなら説明が必要でしょうということです。これまで出された見解がいずれも情報源の観点に言及するものでないなら特に問題はありません。EULEさんから御教示いただいたように情報源の観点との区別をしっかりと認識したうえで議論されるようにお願いしたいです。--KOUGOKOU会話2016年10月9日 (日) 02:54 (UTC)[返信]
どうやら、KOUGOKOU氏が、氏自身の中で完結されてしまってて、論点が見えません。「一部の「見解」に言語に関係なく情報源をすべて同等とみるべきというようなコメント」というのがどこにあったのでしょうか。どこかの記事でそういう話題があったとしても、それはこのガイドラインを誤解しているというだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもございません。そうではなく、もし現状の文面にKOUGOKOU氏がそう感じられた部分があるというのであれば、それを具体的に示していただけないと結局、何の議論にもなりえません。--EULE会話2016年10月9日 (日) 03:14 (UTC)[返信]
Wikipedia:日本中心にならないようにの現状の文面に対する指摘ではなく、それに対する見解への疑問だったのですが、いずれも情報源の観点に言及するものでなかったとすれば杞憂だったのかもしれません。EULEさんには私にもわかりやすく説明していただき感謝しております。--KOUGOKOU会話2016年10月9日 (日) 04:17 (UTC)[返信]

WP:JPOVは日本中心ではないか?[編集]

Wikipedia:日本中心にならないようにというガイドライン(現時点では草案ですが)自体が日本中心ではないでしょうか?「Wikipedia:特定の国中心にならないように」にでも改名すべきでは?--2001:240:241B:92AA:9060:4F48:4768:816 2018年7月5日 (木) 09:25 (UTC)[返信]

ようこそウィキペディアへ、歓迎します。各国の記述がある内容に対して日本だけ国名が省略されることのないように注意を促すための規約なので「JPOV」で問題はありません。全般的な注意喚起は「WP:NPOV」が存在しています。IP様も今後の編集活動にて皆様と協力して日本に関する記述に取り組まれていただければ幸いです。--Triglav会話2018年7月5日 (木) 09:41 (UTC)[返信]
「特定の国中心にならないように」は当然の話で、既にTriglav氏から挙げられてますようにNPOVに包括される概念です(特に英語版ではリンクにあるようにWikipedia:中立的な観点/FAQ#アメリカ中心主義への批判があるわけです)。ここであえて日本中心に注意しているのは、本文中にもあります通り、ここが日本語版ウィキペディアであるがゆえに、アメリカや中国中心となるよりも特に日本中心になってしまう蓋然性が高いからです。起こりうる問題に応じて、より詳細に説明したガイドライン文書があることは、ウィキペディアとしてなんの問題もありません。--EULE会話2018年7月5日 (木) 12:46 (UTC)[返信]
基本的にTriglavさんやEULEさんのおっしゃる通りだと思います。
Wikipedia日本語版では、例えば「海外」という言葉を安易に使ったり、日本国内だけのことを世界中でのことであるかのように誤解され得る記述などが散見されますし、新たにそのような加筆が行われることもしばしばです。そのような編集をする者に注意を促すには、現状の名称が判りやすいと思います。
……特に問題なしという意見しか付かないようなので、そろそろWikipedia:日本中心にならないようにからのリンクを解除しても良いのではないでしょうか。--G-Sounds会話2018年8月7日 (火) 01:13 (UTC)[返信]

「Whataboutism」という記事名はJPOV違反か[編集]

ノート:Whataboutismにおいて、おいしい豚肉氏が「Whataboutism」という記事名を付けるのはWikipedia:日本中心にならないように(JPOV)に反する、といった主張を2021年4月24日にされていますが、本当なのでしょうか? 説明を読んでも私にはどういうことなのかよく理解できませんでした。2週間ほど経っていますが、この主張に対してはまだ誰も反応されていないようです。--雛鳥(Hinadori) 2021年5月8日 (土) 17:11 (UTC)[返信]

コメントとりあえず、そのJPOVに違反しているという意見を読みましたが、私もよくわかりませんね。JPOV関係ないですね。
大分賑やかなノート:Whataboutismの議論を知らなかったのですが(Whataboutismという言葉は知ってたけど)、Whataboutismが指す物は、日本語的には"tu quoque"(お前だって論法)や広義の"anticategoria"(対抗非難)でしかないです。ラテン語が英語になっただけの話で、チューバッカ弁論燻製ニシンの虚偽)やヒトラーに例える論証帰謬法)のような派生語とすら言えない。言ってみれば車輪の再発明みたいなもので、ラテン語よりは現代の英語圏の人にしっくりくるWhat aboutをもじったと言って差し支えが無い。そこで日本語圏の人間が日本語でわちゃわちゃやってるのが、ちょっと無駄な議論に見えます。決定打がない上に、それを意味するものは既に別に日本語があるのだから、不毛にならざるを得ない。
これ逆の立場で考えてみればわかりやすいのですが、例えば極端な例ですが、「雷(かみなり)」は、日本古語で「いなずま(稲妻)」であり、この違いは日本語圏の人間からすれば時に意味のある差異がありますが、非日本語圏、まあ、英語圏の人間からすれば "Lightning" でしかないわけですよ。それを日本には「いなずま(稲妻)」って表現があるから、日本での用法に特化したLightningとは別の記事を作ろうって話になって、発音にしたがって"Inazuma"にすべきか、原義に従って"rice-wife"にすべき、なんて英語圏の人たちが記事名の議論してても、なんか滑稽味がある(まして、そこにEPOVみたいなこと言い出されても意味がわからない)。稲妻に限らず、「高等遊民」だとか「アベック」だとか、そういう死語は、その時代背景を表しているという意味でその言語圏には意味があるかもしれないけど、他言語圏から見ても同等に意味があるとは限らないです。今回の場合は、tu quoqueの方が死語であって例としてはアベコベかもしれませんが本質としては同じことで、いずれにせよ、英語版の記事も、どちらかといえば使用例の寄せ集めに過ぎず、言語学だとか修辞学的な観点の説明が薄く、そういう低質な記事を基に他言語の人間が議論しててもやっぱりしょうがないと思います。
この手のものって、本来は、本来的な意味の語の記事(今回ならお前だって論法)にサブセクションでも設けて、軽く説明すればいいのであって、しょせんは現代の英語圏での使用例の話に過ぎないなら、詳しく知りたいならそれこそ英語版に行けばよく、日本語版であえて詳しく解説する理由もないと思います。英語版だって記事の作成自体は古くとも、ここにきてトランプ絡みでホットな話題だっただけの話で、10年もすればen:tu quoqueとの統合の話が出てくるんじゃないですかね。あるいはトランプ論法みたいな記事に昇華されるか。
まあ、ともかく、JPOVの観点から言えば以上ですかね。--EULE会話2021年5月9日 (日) 06:02 (UTC)[返信]
コメント 「ホワットアバウティズム」にすることをJPOVだと主張するよくある間違いなら分かるのですが、「Whataboutism」がJPOVだとするのは珍しいですね。うまく解釈して「英語が堪能な人たちPOV」といったところでしょうか? いづれにしても記事名決定にJPOVは関係ありません。ただ、NPOVの精神として老若男女の日本語話者に通じる記事を提供してくださいとの主張は理解できます(記事名はともかく読み仮名は必ず用意するのが事典の役割だと思う)。--Triglav会話2021年5月9日 (日) 08:44 (UTC)[返信]
コメント ご指摘ありがとうございます。読み仮名を記載してみました[1]。--雛鳥(Hinadori) 2021年5月13日 (木) 16:34 (UTC)[返信]
コメント私もJPOVを主張するのは苦しいと思いますね。どっちかというとWikipedia:外来語表記法の「基本的には片仮名で表記し」の原則に外れるってだけでしょうか。ただ、原則を外れる原語表記にするには何か強力な例外的理由が必要かと。--Afaz会話2021年5月9日 (日) 11:35 (UTC)[返信]

ガイドライン化に向けての提案[編集]

この文書が示す「ウィキペディア日本語版は『日本語版』であって『日本版』ではない」とする趣旨には大いに賛同します。現状この日本語版ウィキペディアにおいて、本来ならば他国のことも含めて記述が為されなければいけない項目において、それが疎かになってしまっている事例などは散見されます。そのため、将来的なこの文書のガイドライン化を提案することを考えています。

しかし、Wikipedia:方針とガイドラインにあるように、ガイドラインは「文章が明快」でなくてはなりません。この草案文書を読んだところ、私の感想ではありますが、全体として物言いが抽象的で、具体的な事案に対する対処の仕方を示す記述が不足しているように見受けられ、このガイドラインを読んだ編集者がガイドラインの趣旨をイメージしづらいものになってしまう懸念があります。

このガイドラインは「日本中心にならないように」という趣旨であって、「日本語中心にならないように」の趣旨ではありません。このように編集者にとっては非常に趣旨を混同しやすいガイドラインだからこそ、編集者にその趣旨を分かりやすく的確にイメージさせるべく、現在(2023年7月14日 (金) 14:28)の版の「問題となり得る文章例」の節を以下のように書き換えてみることを提案します。


一人称的表現は書き換える

ウィキペディア日本語版の編集者の多くは日本国籍を持つ日本人かも知れません。しかし、全ての日本語話者(すなわちウィキペディア日本語版の読者、利用者)が日本人であるわけではありません。ですから、ウィキペディアの記事を書く際に、「日本」のことを指して「我が国」などという言葉を使うべきではありません。以下のような表現は、日本中心の視点によるものなので、通常次に示しような表現に置き換えられるのが望ましいです。

  • 「我が国(わが国)」「本邦」→「日本」
  • 「邦人」→「日本人」

さらには、以下のような表現は、時として日本中心の視点によるものなので、使用をする際には注意が必要です。

  • 「外国」「海外」「国内」「国外」「外国人」 - これらの表現を使う場合は、どの国やどの視点から見たものなのかを明確に記述するようにして下さい。「日本国外」「日本以外」「日本国内」等へ書き換えることもできますが、文脈的に明らかな場合は逆に表現がくどくなるので乱用しないでください。

上述のような表現を記事文中で見つけたからと言って、機械的に書き換えていくのは望ましくない場合があります。表現を変更する際は、あくまで元の文の意味が変えられないように、そして日本語として不自然な形にならないように、配慮されるべきです。また、出典から引用した文章のようなものまで書き換える必要はありません。

「日本はX。それ以外はY。」などという言い回しはしない
  • 「日本はXである。他の国ではYが一般的である。」

という文章があります。しかし、この文章は提供される情報に関して、日本という国に比重が偏ってしまっています。ですから、以下のような記述に書き換えられるべきです。

  • 「日本ではXが採用されている。またAの国ではYが採用されており、Bの国ではZが採用されている。一方でWの方法を模索し検討する国も出てきている。」

「世界的」という表現は曖昧であり、誤解を招くものになり得ます。また、提供する情報を減らし意図した誘導を行うおそれがあるため使用は避けるのが望ましく、「世界」「他の国」という表現の代わりに、具体的な地域名や数字や例を挙げるのが良いでしょう。全ての列挙はできないかもしれません。ただ、意図的な偏った抽出は避けてください。また、列挙するだけでは紙面を消費するばかりで情報の検索がしにくくなるため、条項号を分けるなどの工夫を行ってください。

日本以外の情報が不足している場合

世界的に見られる事象を記述する場合、日本以外の事柄に関する信頼できる情報源からの知識が不足するときがあります。

例えば、「道路標識」という記事を書く際、本来ならば日本の道路標識だけでなく、韓国中国米国欧州の道路標識についても言及があるべきですが、執筆者が日本語の文献で日本以外の国の道路標識について調べるのには限界がある場合、必然的に得られる情報量が不足し、日本の道路標識のみについて言及した記事が出来てしまうかも知れません。しかしこのような場合は、体裁だけでも日本以外の国に関する節・項目を設け、他国に関する情報を加筆するよう他の編集者に募るなどの対応をするべきです。一方で、日本に関する情報しか掲載されていないからと言って、日本に関する情報の記述を除去・削除するべきではありません。

最初から全世界の事物について網羅することは不可能であり、できるところから加筆していくことが望ましいため、一時的に日本のことに偏るのは仕方ないといえます。またスタブ一般にも言えることですが、不完全な状態を長く放置しておくことはあまり好ましいとは言えません。解決策としては、他に誘導を図る、編集をより詳しい者に依頼する、確証が取れないものは書き込まない、噂や流説、浮言などは(否定はせずとも)そうであることを明確にする、などが挙げられるでしょう。

日本の話題を扱った記事を作ることは妨げるものではない

日本人によって書かれた小説エッセイ漫画のような日本文化の産物や、日本の法規日本の鉄道など日本に密接に関わる事物に関する記事は、日本に関する言及が多くなるのは当然避けられません。しかしそれは記事が「日本中心の視点」に依存していることを意味しません。このガイドラインは日本に関する話題のみを扱った項目を作成することを妨げるものではありません。例えば、「令制国」という記事で、日本以外の国の前近代の地方区分について言及するべきではありません。

また、「日本人のノーベル賞受賞者」の記事が、日本人についてのみの記述しかなく日本からの視点に偏っているという理由で削除されるべきではありません。このような閲覧者の便宜を図り、情報を取捨した項を設けるなど価値の持つ編集をすることは歓迎されます。

という感じです。太字になっている部分は見出しに相当します。元の文章に含まれている趣旨はだいぶ含意したかと思います。私はまだウィキペディア日本語版の編集歴は浅く、このようなガイドラインなどの文章を作成した経験はないため、経験が豊富な方の助言と何か改善案があればそれらを募りたいです。--有筆会話投稿記録 2023年7月25日 (火) 00:59 (UTC)[返信]

賛成 世界的な記事などを見かけても「日本では」や「国内・国外」が目立っており、これは日本語自体がそもそも日本人以外の話者が少ないのが原因なのですが、パラオなどでも話されますし、これは中立的な観点に違反しているものと思えます。議論提起者様の意見に賛成します。--ドラみそjawp (トーク|投稿記録|ログ|CA) 2023年7月26日 (水) 00:28 (UTC)[返信]
コメント 「パラオ」の単語が出てきたので注意してもらいたいことについて少々。おそらく多くの人は元ネタとなっている「アメリカ中心にならないように」を気にされて、これになるべく近づけるように考えていらっしゃるかと思われますが、そもそも英語と日本語の利用状況が大きく異なるため、ルールを同一にすることは不可能です。
「パラオ」の件は「パラオ」のとある州だけのしかも三番目の公用語であって現地語(パラオ語)でもなければ、対外的に通用する語(英語)でもありません。このパラオを気にして圧倒的多数の日本国内の事物に対してパラオとの平等化を実践するのは明らかに非効率です。
要は「世界中のすべての日本語話者」が「国名が省略されている(日本のことしか書かれていない)事物は日本国内のことである」ことが共通に認識されていれば、国名は省略されてよいのです。これによって「信濃川は日本の新潟県および長野県を流れる河川である」と書かずに済みます。--Triglav会話2023年7月26日 (水) 04:50 (UTC)[返信]
条件付反対(三大方針を基礎とする点の明確化) - 「日本以外の情報が不足している場合」の国際化は賛成ですが、その基礎に三大方針との関係の明確化が必要ではないかと思います。私が議論等で直接関与した事例ではありませんが、数年前、ある利用者の方がしばしば国際化を主張して身の回りのことと思しき事項を加筆されており、出典なしに世界のある地域での生活見聞録的な内容を記事に加筆していく感じのものでした。このような行為は項目によっては未検証のまま制度とか習慣をどんどん包摂することになり、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するに違反し信頼性を害します。例示の「世界的に見られる事象」かどうかを信頼できる情報源ではなく未発表かつ独自の解釈で定義することは避けなければならず、Wikipedia:独自研究は載せないの「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」にも反するおそれがあります。特に問題なのは定義で、「世界的に見られる事象」の定義を信頼できる情報源に基づくよう担保しておくことが必要と考えます。
信頼できる情報源に基づき記事名で定義される事項、信頼できる情報源に基づく記事名に関連する事項が基本だと思います。出典のない情報ならノートを活用してほしいです。また日本語版の一部の記事には関連事項を上位概念の記事でなく、似たものの記事にくっつける傾向が見受けられますが出典がない限り避けるべきです。
言い回しに関しては、私も(信頼できる情報源が反映された結果として)記事や文脈で対象地域の範囲が定まっているなら、その内部では国名等は省略するほうが効率的だと思います。--Ihadanai会話2023年8月22日 (火) 17:11 (UTC)[返信]
返信 - ご意見ありがとうございます。三大方針を基礎とする点を明確化する、ということに関しては、こちらの思慮が足りなかったかと思います。もちろんこの草案は「日本中心にならない」ことを目的として、検証可能性を持たせられないような加筆や独自研究などを推奨することを意図するものではありません。ただ、今一度他のガイドラインや方針等を確認したところ、例えばWikipedia:自分自身の記事は、冒頭にガイドラインの根拠が三大方針の何に基づいているかを明記しており、この草案や私の提案した文言などは検証可能性や独自研究の掲載禁止の方針に対する配慮(念押し)が不足しているということはIhadanaiさんの仰る通りだと確かに感じました。
Ihadanaiさんのご意見を受けての考えられる改善手段としては、上に挙げた提案文言の中に、百科事典の記述はあくまで検証可能性の方針に基づかなければならないことの十分な念押しを含ませたり、あるいは、新しい節「三大方針との関連」を設け、そこで三大方針とこの草案の関係性について説明したりなどが挙げられます。後日、これまで寄せられた他のご意見も含めて参考にして、また文言を試作してみようと思います。--有筆会話投稿記録2023年8月23日 (水) 14:14 (UTC)[返信]

三大方針等の確認規定の提案[編集]

数か月ほど前になりますが、前年提起された議論において、出典なしに各地の生活見聞録的な内容を「国際化」として編集する問題点を取り上げました。未発表かつ独自の解釈によって定義等が、信頼できる情報源で一般的に指し示される意味と食い違う結果をきたすのは、検証可能性や独自研究の方針からも避けたいところです。例えば、日本の一地域でみられる火を利用した祭りと滞在中に見たアフリカの一地域でみられる火を利用した祭りの見た目が同じであったとしても、それを「国際化」を便法にして未発表の分析、独自の解釈で関連づけるのは、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないの「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」の文言に反するおそれがあり、方針による説明が困難な編集です。ノートの積極的な利用(情報提供等)も含めて、信頼できる情報源による確認に重点を置き、一般的な指針の最後に次の一文を入れることを提案します。

この文書はウィキペディアの内容に関する三大方針との関係では特にWikipedia:中立的な観点を背景にしていますが、同方針では他の二つの方針と相互補完的に調和して機能し、切り離して解釈されるべきではないと定められています。記事で言及する事物の同一性や関連性については、信頼できる情報源による確認を通して、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないの方針に適合するようにしなければなりません。

--Ihadanai会話) 2024年1月1日 (月) 00:25 (UTC)提案内容訂正、ガイドライン化の前のため段階を問わない「この文書」に変更しました。--Ihadanai会話2024年1月1日 (月) 00:40 (UTC)[返信]

コメント - まず、提案してくださったIhadanaiさんに感謝申し上げます。そして、議論を半ば放置するかたちになってしまったことに関しては申し訳ありませんでした。
提案については基本的には 賛成 なのですが、挿入する先は「一般的な指針」節の最後なのでしょうか。私が読んだ感じでは、「概要」節の最後に「なお、記事名に日本のものであることが……」というガイドラインが何を目的としていないかについての記述がありますので、その後にご提案の文章を続けた方がガイドライン(草案文書)の論旨としては一体感が生まれるように思います。--Yushukasai(利用社名変更しています)2024年1月1日 (月) 03:37 (UTC)[返信]
基本事項の確認として大変僭越ながら提案させていただきました。文面に関しては関連文書を参照した上で調整して作成しましたが、配置は正直悩みました。前後で一体感が図られるということでしたら、「概要」節の最後で確認する形で検討を進めたいと思います。--Ihadanai会話2024年1月1日 (月) 04:36 (UTC)[返信]
報告提案について位置を「概要」節の最後で確認する形にすることで反対意見はなく一週間が経過したため反映しました。三大方針を基礎とする方向性が維持されれば、前年提起された議論で示した当初の懸念も、方針に沿って対応がなされるものと考えます。--Ihadanai会話2024年1月8日 (月) 06:23 (UTC)[返信]

序文について[編集]

この方針の序文は自己言及的なものになっています。また、どうやらこの方針は誤解されやすいようです。議論においてこの方針が持ち出されるのは、「日本に関する記述が多くなっている」ことを批判するときが多いようです。しかし、この方針の主題はそこではなく、「日本について客観的に語りなさい」という内容だと理解しています。そこで、序文を以下のように改訂することを提案します。

日本語版ウィキペディアは日本の事柄のみを扱う百科事典ではありません。また、日本語版ウィキペディアの利用者が、必ずしも日本に住んでいるとは限りません。
日本に関する記述の分量が多くなるのは自然なことですが、あくまで客観的な視点から説明してください。可能なら日本以外の国についても記述し、並列するようにしてください。

おおむね、概要節と一般的な指針節を要約した内容になっていると思います。--FlatLanguage会話2024年2月1日 (木) 22:46 (UTC)[返信]

コメントいくつか論点がありますが、まず、文面変更は適切な手続きをしてください。本文のトップに変更提案があることを示し、またコメント依頼などで告知しましょう。
◆本題ですが、正直に言えば、氏もこの方針を誤解しているように見えます。本項の目的は「日本について客観的に語りなさい」ではなくて、「日本語話者を前提にするために構造的に生じる、暗黙的に日本社会を中心や前提とした言い回しや構成を避けなさい」です。「客観的」なんていう言葉はどこにもでてきませんし、そもそもJPOVに限らず、基本的に説明文は客観的に書くものです。客観的な記述なら日本に偏重しても良いなんていうのは現状の文面からは読み取れません。もっとも、これは氏が客観的という言葉を誤用していて、本当は中立的と言いたいのではないかと推測しています。
◆よって、さらに第二文の「日本に関する記述の分量が多くなるのは自然なこと(中略)可能なら日本以外の国についても記述し、並列するようにしてください」は非常に問題の多い一文と言わざるを得ません。結局、これだとあたかもJPOVの目的が「可能なら日本以外のことも書いてね」という話にかなり矮小化&歪曲化されており、明らかに曲解される文章になってます。そもそも構成などに気をつけることは、たとえ日本以外の国についての資料がなくても気をつけることができるものです。
◆ただ、自己言及的になっていること、それによって、今一奇妙な定義文になっている点は賛同します。--EULE会話2024年2月2日 (金) 14:06 (UTC)[返信]
◆行き違いで告知がなされていたため、該当部分は取り消しました。--EULE会話2024年2月2日 (金) 14:09 (UTC)[返信]
この方針に対する私の理解は少しずれているかもしれませんし、その理解をうまく表現できていないかもしれません。しかし、個人的にこの方針は気に入っているので、どうにか正しい運用がされて欲しいです。
私の理解は次の通りです。
  • 記事を読む人は日本人とは限らないから、日本の文化的背景を前提とした記述をすべきでないし、ニュースで話題になった出来事を知っていると仮定すべきでない。また、「我が国」とか「外国」のような表現はしない
  • 日本関連を主題として、「他の国では……」のような構成にすべきでない
    • 悪い例:〈概要〉で「〇〇とは……(日本限定の記述)」、〈海外において〉で「△△国における〇〇は……」
    • 良い例:〈概要〉で「〇〇とは……(普遍的な記述)」、〈各国における〇〇〉で「日本では……△△国では……」
  • 日本中心的すぎる観点は採用しない
--FlatLanguage会話2024年2月2日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
返信 とりあえず、冒頭文だけの話、かつ、それを現状の要約とするだけの話であれば、例えば

日本中心にならないように(略称:JPOV)は、ウィキペディア日本語版が、日本語話者を前提にするために構造的に生じる、暗黙的に日本社会を中心や前提とした言い回しや構成を防ぐことを目的としたガイドラインです。

ウィキペディア日本語版は、理念として「日本語で提供される百科事典」であり、「日本人向けに提供される百科事典」でも「日本の事物を中心とした百科事典」でもありません。しかし、日本語は主に日本国内や日本人同士で使用される言語であるため、暗黙のうちに日本中心な言い回しや構成になりがちです。これは執筆者だけに帰属される問題ではなく、出典として用いる情報源も日本語文献が主であるがゆえに無意識にその記述や表現に引っ張られることがありえます。この結果、日本人以外の者や日本国外に住む者の立場で、内容の読解に支障をきたす恐れがあります。よって、記事の編集にあたっては日本中心にならないように注意する必要がでてきます。

というくらいになるかと思います。今、簡単に書いただけなので、まだ草案なのにガイドラインと断言していていいのとか、色々と細かいところにツッコミとかあると思いますが、一応、例として。--EULE会話2024年2月2日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ただ、「日本語話者を前提にするために構造的に生じる」「日本語は主に日本国内や日本人同士で使用される言語である」のような原因の説明は冒頭文に必要でしょうか。三代方針を見ると、
Wikipedia:中立的な観点
「すべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならない」
Wikipedia:検証可能性
「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。 つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できる情報源(ソース)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。」
Wikipedia:独自研究は載せない
「独自研究 (original research) とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。(中略) ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません」
ほかには、
Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない
「記述の際には、文章の意味や内容が時間を経ても適切に維持できるよう、記述対象ごとの時間的変化を考慮してください。」
Wikipedia:大言壮語をしない
「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください。記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容動詞や形容詞、副詞を使わないようにしてください。」
Wikipedia:言葉を濁さない
「言葉を濁すとは、意見や主張を記事中に書くときにその意見の論者を明確にせずに一般的なことであるかのように表現にすることを、ここでは指します。(中略)主張する論者(意見の持ち主)を文中に明記した上でその意見を書いてください。」
となっています。いずれも、編集者が何に気をつけるべきか、なぜそうするべきかが簡潔に分かるようになっています。それを踏まえると、本方針の冒頭文には
  • 「日本中心」とはどういうことか
  • 何をすべきか
  • なぜそうすべきか
を書くのがいいと思います。それを踏まえて、
ウィキペディア日本語版は「日本語で提供される百科事典」です。「日本人向けに提供される百科事典」や「日本の事物を中心とした百科事典」ではありません。「読者が日本人であり、日本についてよく知っている」ことを前提にしないでください。日本限定の記述は、「日本の〇〇」や「日本における〇〇」と言ったセクションにいれてください。日本視点の表現・主張を避けてください。
というのはどうでしょうか。--FlatLanguage会話) 2024年2月2日 (金) 15:15 (UTC)--(マークアップ修正)FlatLanguage会話2024年2月2日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
悪くなる理由をあれこれ述べるより、良くする方法をはっきりと言うのが方針の役目だと考えます。--FlatLanguage会話2024年2月2日 (金) 18:07 (UTC)[返信]
返信 まず、「原因の説明は冒頭文に必要でしょうか」ということですが、必要でしょう。というか、原因や理由を説明している方針・ガイドライン文書は普通にあって、そこに挙げられている「Wikipedia:言葉を濁さない」も、第2パラグラフで理由を説明しています。タイトルだけでも、理由も含めて言わんとしていることがわかりやすいものなら、それを省くことはありえましょうが、そうした方針文書だけを挙げて不要だと言われるのは暴論かと存じ上げます。例えば、本項に対応する英語版の文章は「en:Wikipedia:Systemic bias」なのですが、その冒頭文では原因や理由なども説明しています。逆に言えば、表面的な説明では、本項は誤解されやすいという証左でもあります。
次に、再提案された文章は非常に大きな問題があります。あたかも本項が日本の事柄を書く時は「セクションを設ければOK」と言いたいのが目的であるかのようになっているからです。本文のどこにもそんなことは書いてありません。具体例を挙げたいのであれば、どちらかといえば「外国」や「海外」といったありがちな表記は止めてねというのが、全体の文量的にも割かれていることです。本文で具体的に言及されていることを省くのに対し、本文でまったく言及されてないことを推奨例として書く理由は、率直な感想として不可解です。--EULE会話2024年2月3日 (土) 04:26 (UTC)[返信]
Wikipedia:言葉を濁さないについては、第二段落で述べられているのは、「なぜ我々は言葉を濁してしまうのか」ではなく、「なぜ言葉を濁してはいけないか」です。本方針においても、必要なのは「なぜ日本中心になってしまうのか」ではなく、「なぜ日本中心になってはいけないのか」の方でしょう
「セクションを設ければOK」のような内容は、Wikipedia:日本中心にならないように#一般的な指針の「記述の対象範囲の前提に関する指針」に書かれています。この節では、これを含めて3つの指針が示されており、私の文案ではそれぞれ一文ずつ触れるようにしています。--FlatLanguage会話2024年2月3日 (土) 04:40 (UTC)[返信]
#問題となりうる文章例における記述では、#注意すべき表現#文化の例が「対象読者の前提に関する指針」に相当し、#言い回し#時事的記事の扱いが「記述の対象範囲の前提に関する指針」が「記述の対象範囲の前提に関する指針」に相当し、「記述の評価・解釈に関する指針」はWikipedia:中立的な観点に任されています。すなわち、この3つの指針は同程度の重点が置かれています。--FlatLanguage会話2024年2月3日 (土) 04:52 (UTC)[返信]
なお、『「外国」や「海外」といったありがちな表記は止めてね』というのは、そのまま「読者が日本人であることを前提にしないでください」ということでしょう。--FlatLanguage会話2024年2月3日 (土) 04:56 (UTC)[返信]
返信 その「なぜ日本中心になってはいけないのか」を説明するために、その原因についても説明しているだけです。目的説明するにあたって原因に触れてはいけないは理由になってません。そして私は別に「Wikipedia:言葉を濁さない」だけを挙げたわけではありません。他の部分に反論はないということでいいのですか。
次に「記述の対象範囲の前提に関する指針」には「セクションを設ければOK」なんて書かれてはおりません。単に「日本の〇〇」のように範囲を限定にした文章にせよであって、普通の文章中も含めた文言です。例えば、チュニックの記事において、「現代では女性用のカジュアルな上衣にもチュニックと呼ばれるものがあり、日本ではこれらのものを主に指す」のようなものも含めて言っているものです(言うまでもなく、ここで日本という範囲限定を入れないと、世界一般的にそういう定義だという誤解を招くからです)。「日本におけるチュニック」のような節を作ってくださいというようなことだけを言っているものではありません。類推解釈に類推解釈を重ねて、存在しない条文を作り上げないでください。--EULE会話2024年2月3日 (土) 05:02 (UTC)[返信]
取り下げ 私には手に負えないので、この議論から降ります。告知も除去しますので、もし継続して議論する場合は再び告知してください。--FlatLanguage会話2024年2月3日 (土) 05:12 (UTC)[返信]
コメント 出遅れてすみません。
  • このページが指示しているのは記事中の記載内容の言葉の選択についてのみである。
  • そして言葉の選択をさせるために冒頭で基本理念が述べられている。
  • 「Wikipedia:言葉を濁さない」等の各方針文章は記事のためにある。
  • 方針文章が当てはまらない例外がある。それは方針文章自体である(参考:WP:BEANSに関する解説)。
少なくとも現時点では「言葉の選択」以上の指示を増やさないほうがよいと思います。今後はどうなるかわかりません。例えばen版を機械翻訳で初版を作り出すツールが常用される時代が訪れるかもしれません。そうなると日本語話者(つまりほぼ日本人)が便利になるような曖昧さ回避などの別の方針であるとか記事中の項目の配置などを気にしていられなくなります。このページの冒頭は、とりあえず今のままモヤっとした状態でよいのかもしれません。当然、理想を追求して踏み込んでくる方々が現れます(例えば:Wikipedia:井戸端/subj/曖昧さ回避やリダイレクトにおけるJPOVとか)。もしかすると踏み込んだほうが正しいとされる時代がくるかもしれません。そのときに方針文章を書き換えればよろしいのかと。--Triglav会話2024年2月3日 (土) 08:41 (UTC)[返信]
降りますと言っておきながら返信しますが、「指示を増やす」ことは意図していませんでした。
ところで、取り下げた後に、「日本中心にならないように」ではなく「日本中心の観点にならないように」だったら誤解されなかったんじゃないかなぁなどと考えていました。リダイレクトもJapanese Point of Viewから来ているでしょうし。(これは改名提案ではありません)--FlatLanguage会話2024年2月3日 (土) 09:04 (UTC)[返信]
「日本中心の表現にならないように」とか? 極論を言うと、日本語の「我が国」が日本国のことであると全日本語話者の共通認識となれば、このページは「問題ありませんから、どうぞ日本語文献のままの表記を採用してください。」となるのですけどね。指示を強化するのも撤廃するのも、どちらにしても考え方を説明するページは必要となりますから、冒頭の理念は大きく囲ったほうがよいと思います。--Triglav会話2024年2月4日 (日) 01:31 (UTC)[返信]
「たとえ個人的な観点でなくても、特定の地域・国家に限定された観点のみを採用しない。」とあるので、表現には限定していないようです。--FlatLanguage会話2024年2月4日 (日) 01:34 (UTC)[返信]