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曖昧さ回避やリダイレクトにおけるJPOV[編集]

ノート:NTV (曖昧さ回避)‎‎やノート:TBS (曖昧さ回避)をご覧になっていただければ分かると思うのですが、曖昧さ回避の括弧の無い記事名が日本の放送局(日本テレビ放送網東京放送)へのリダイレクトとなっていることから、現在これらについて平等な曖昧さ回避への移行が提案されています。私としてはこの提案はWikipedia:日本中心にならないようにを解消するための妥当なものに思えましたが、「ウィキペディア日本語版においては日本語圏の代表的なトピックを優先すべし」として反対されている方が何名かいらっしゃいました。Wikipedia:日本中心にならないように(WP:JPOV)を見る限りではあくまでウィキペディア日本語版は「日本語版で書かれた百科事典」であって「日本の事物を本来の対象とすべきでない」とあり、「日本語話者にとって中心的なトピックを優先すべき」ということは読み取れませんでした。こういった事例に対する先例、あるいはご意見などがありましたらお願いいたします。--Web comic 2009年1月10日 (土) 22:24 (UTC)[返信]

本改名提案に反対票を投じさせていただいた者です。私からも、このような事例に対する皆様のご意見を幅広く賜りたいと思います。議論の行方によってはWikipedia:日本中心にならないように(現時点で草案ですが)の改定も視野に入れたいと考えています。
私の見解についてはノート:TBS (曖昧さ回避)に詳細に記しましたが、要約しますと、
  • Wikipedia:日本中心にならないように (WP:JPOV) は記事の内容を対象とした方針またはガイドラインであり、曖昧さ回避の「代表的なトピック」を(その有無も含めて)決定する際に最優先されるべき判断基準ではない(少なくとも現草案からはそう読み取れませんでした)。
  • 曖昧さ回避の「代表的なトピック」を決定する際は、Wikipedia日本語版では、日本語圏(=日本、日本人ではありません。日本人以外も含む日本語話者全体を示す仮想的なグループ、つまりWikipedia日本語版の対象読者とお考えください。厳密には話者だけでなく日本語を読み書きする人も含みます)において代表と考えられるトピックを選定すべきである。
  • 曖昧さ回避の「代表的なトピック」を決定する際、「すべての人(日本語話者)が代表と考えるトピック」を選ぶことは非常に困難。仮にそうだとすると、すべての曖昧さ回避は1人でも別の見方をする人がいれば「平等な曖昧さ回避」となるはずであるが、現実的には、客観的データや常識に基づいて「ほとんどの人(日本語話者)がそれを代表的なトピックと考えるのではないか」という判断の下に「代表的なトピック」が決定されている。
以上です。よろしくお願いします。--Penn Station 2009年1月11日 (日) 03:25 (UTC)[返信]
コメント 結局のところ、表現の国際化はどこかで歯止めを設けないとと切りがないというところでしょう。世界が民族や言語で区分されてる以上、完全なものに出来るとは思えないし。例えばBGMはやはり「日本語で書かれた文章では音楽を指す場合が多い」ということでしょうし、FOMAとかも同様です。しかしこれを「世界的に平等」という名目の元に推し進めていくと、パンとかも曖昧さ回避しなければならなくなりますね。英語の文脈の中で「pæn」と言ったら調理器具だったりあるいは「pan」と言えばまた別の意味だったりしますが、日本語で「パン」と言ったら普通は食べ物です。同様に日本語で「NTV」「TBS」と言えば、通常は放送局です。--ヘコー 2009年1月11日 (日) 03:41 (UTC)[返信]
ヘコーさん、コメントいただきありがとうございます。ヘコーさんのご意見に完全に同意です(TBS (曖昧さ回避)ではアメリカの放送局ターナー・ブロードキャスティング・システム等と比較してどうか、という点が論点になっているので、最後の一文は、「日本語で「NTV」「TBS」と言えば、通常は東京放送、日本テレビです」の意図であるかと推察します)。
私が最も危惧しているのは、ヘコーさんに指摘していただいたように、曖昧さ回避にWP:JPOVを適用すると、結局はほとんどすべての曖昧さ回避は「平等な曖昧さ回避」となってしまい、利用者(Wikipedia日本語版の利用者)の利便性や納得性を著しく損なう恐れがある、Wikipedia日本語版全体に対する影響(悪影響)が大きい、という点なのです。--Penn Station 2009年1月12日 (月) 06:59 (UTC)[返信]
曖昧さ回避に関して言えばその通りで、曖昧さ回避の代表的トピックを選ぶ基準は、内部リンクや参照数の偏りなどを総合して判断されるべきであり、それが日本の項目であるかどうかなどという属性は無関係です。日本語版において現状として日本に関係のある記事に対する内部リンクや参照数が多いということと、日本語版だから日本のトピックを代表とすべきということは全然違うことです。後者であれば、JPOVということになりますが、Wikipedia:曖昧さ回避の冒頭部分にある趣旨からいっても、論点として、Wikipedia:日本中心にならないようにをもちだすのは、違うと思います。代表的なものが日本のものでなくてもなくても、判断基準はそこにはありません。--Mymelo 2009年1月12日 (月) 08:17 (UTC)[返信]
コメント たまたま極端に参照数の多いと思われる項目が日本の放送局であったのでWP:JPOVが論点になっていますが、曖昧さ回避やリダイレクトは、多数の読者が、困惑せず目的とする記事に適切にたどりつくための案内とか指標とかポインタのはずです。TBSなんかは極端に参照数が東京放送にかたよっていると思われます。その記事が日本のものかどうかとはあまり関係がなく、極端に参照数のかたよるものを平等な曖昧さ回避にしてしまうことは著しく利便性を損なうと思います。(事例、ということでいうと個人的にはアメリカアメリカ合衆国へのリダイレクトになっているのが非常にPOVだとおもいますが影響が大きすぎてなんとも)--Mymelo 2009年1月11日 (日) 08:25 (UTC)[返信]
そういうのは、いざとなったらbotで対処すればいいんですよ。--ゆきち 2009年1月11日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
コメント ガイドラインに

日本史を前提にしてしまう。例えば、「武田信玄は戦国時代の武将」としか記述されておらず、日本の戦国時代なのか中国の戦国時代なのかが分からないもの。

という記述がありますが、これは拡大解釈を引き起こす可能性が高いと思います。ほとんどのJAWP編集者にとって自明であろう「武田信玄は戦国時代の武将」という一文でNPOVの例としているので、極端なPOV排除を推奨しているものと受け取られはしないかと危惧します。「武田信玄は戦国時代の武将」という記述の是非はさておき、日本固有でない事物を書く際は絶対にどこの国のことかを明示しなくてはならないと捉えられかねない例はまずいのではないでしょうか。(ちなみに武田信玄の項には日本のことだと明示せず「戦国時代の武将]]と書かれています。その後に「甲斐」「清和源氏」など日本固有の事物が書かれているので文脈でわかりますけどね)114.145.68.30 2009年1月11日 (日) 21:42 (UTC)[返信]
それは今回の議題と無関係です。--ヘコー 2009年1月12日 (月) 06:48 (UTC)[返信]
コメント まず、はっきりさせておくべきことはJapantvmaniaさんの提案の根拠となっている「Wikipedia:日本中心にならないように」はPenn Stationさんも言及されているように現時点ではあくまでも”草案”です。記事を書くに当たっての注意点としてはかなり有用なものとは思いますが、提案の根拠とすることは適切ではないと思います。それに、「(この草案は)記事の内容を対象とした方針またはガイドラインであり、曖昧さ回避の「代表的なトピック」を(その有無も含めて)決定する際に最優先されるべき判断基準ではない」とするPenn Stationさんの意見にはまったく同感です。そもそも「Wikipedia:曖昧さ回避」というものは利用者が探している記事を判別しやすくするという”利便性”のために設けられているものです。曖昧さ回避の種類を決定する際にも”利便性”を考え、記事の参照頻度などから「平等な曖昧さ回避 」にするか「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」にするかなどを決定します。このような探しやすい、使いやすいという”利便性”を重視すべきものに記事の”内容”に適用すべき基準を当てはめ、結果として多くの利用者に不便を強いるのは有益なことではないと思います。もちろん方針やガイドラインに忠実であろうとすることは大事ですが、それにこだわり過ぎても結果がよくないこともあります。事典は美しい”かたち”に仕上げることが最重要ではなく、あくまで便利に”使う”ものであることを忘れないでいただきたいと思います。--モトカル(会話) 2009年1月12日 (月) 10:33 (UTC)[返信]
コメント (1)Wikipedia:中立的な観点の趣旨から言って、WP:JPOVは間違ってはいないでしょう。また、今回はたまたま日本の項目が著名と言えるのでそのように主張されていますが、逆だったらどうでしょう?日本でもマイナーな事物を日本語版だからと言って優先できるでしょうか。(2)内部リンク参照数を基準にするという意見が散見されますが、それだと既存の記事・カテゴリを優先するという結果を招きます。Wikipedia:独自研究を載せないから言って、できればWikipedia:検証可能性であるとか一般常識であるとか各分野での重みであるとかそのような基準が望ましく、ウィキペディア内部の基準を用いるのは望ましくないでしょう。(3)このような事柄はそう一律に判断できるのかどうか疑問です。個別の項目について総合的に判断するものでは?--Kurz 2009年1月12日 (月) 10:47 (UTC)[返信]
(1)の「WP:JPOVは間違ってはいないでしょう」ですが、「曖昧さ回避の代表的トピック(有無を含めて)を決める判断にWP:JPOVを適用することは間違ってはいないでしょう」という意図でしょうか?私もWP:JPOVの精神は間違っていないと思いますし、尊重します。ですがここでの論点は、それが曖昧さ回避にまで適用されるか?という点です。例えばWikipedia:記事名の付け方#略号・記号・片仮名語では、「最終的には日本語圏においてその表記が一般的であるかを重視して記事名を決めます。」となっています。結局のところ、ヘコーさんご指摘のように、どこかで線引きしないと、おかしなことになってしまいます。「日本でもマイナーな事物を日本語版だからと言って優先できるでしょうか」については、日本(日本語圏という意味だと思いますが)でマイナーな事柄を優先する必要は全くありません。例えば、仮に「TBS」と聞いて大多数の人(日本語話者)がターナー・ブロードキャスティング・システムを思い浮かべるし、大多数の日本語の文献でもその意味で使われているのであれば、そちらを優先すべきです。
(3)については、私も、最終的には個々の記事で個別の事情を勘案して総合的に判断すべきと思います。ただ、Wikipedia日本語版全体である程度共通認識がないと、あちこちの記事で同じような議論を繰り返すことになってしまいますし、Wikipedia日本語版全体としての整合性も損なわれる、と考えます。--Penn Station 2009年1月12日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
コメント 日本語版ウィキペディアで「ある対象物xを何と呼ぶか」の判断は、「日本語の文献で、xが何と呼ばれているか」に基づいて決めるべき、という点に争いはないと思います。でないとイギリスなどという記事名はありえないことになります。
となると、「Aという記事名とすべき対象物xと対象物yが存在するときに、どちらに記事名Aを割り当てるか」の判断も、「日本語の文献で、用語Aがxとyのどちらを指していることが多いか」に基づいて決めるべきであると思います。
しかし、「Aという記事名の対象物xと、Bという記事名の対象物yが存在して、どちらも用語Cで呼ばれる場合があるときに、Cがxとyのどちらを指していることが多いかを判断して、もしxを指すことが多いのであれば、Cはxへのリダイレクトとせねばならない」かというと、それはまた別の話です。A=東京放送、B=ターナー・ブロードキャスティング・システム、C=TBSという関係で、現在ノート:TBS (曖昧さ回避)で議論を行っています。--KOSUGHI 2009年1月12日 (月) 11:31 (UTC)[返信]
コメントたまたま極端に参照数の多いと思われる項目が日本の放送局であったのでWP:JPOVが論点になっています」というMymeloさんの指摘がやはり重要ですね。Kurzさんの仰る「日本でもマイナーな事物を日本語版だからと言って優先できるでしょうか」という問いには日本語圏において外国の事物を思い浮かべる人が圧倒的に多いなら、当然そちらにリダイレクトすべきですね。
結局、NTVやTBSが日本の放送局にリダイレクトされていることで何か具体的な不都合があったのでしょうか?もし、具体的な不都合はなく、草案との不整合に問題を感じたということなら、曖昧さ回避というものの役割を再確認すべきでしょう。「曖昧さ回避をする際に内部リンク参照数を基準にするより、Wikipedia:検証可能性であるとか一般常識であるとか各分野での重みであるとかそのような基準が望ましい」というKurzさんのご意見には傾聴すべきものがあると思います。--モトカル(会話) 2009年1月12日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
コメント 具体的な不都合うんぬんという問題ではありません。WP:NPOVWikipedia:五本の柱のひとつでもある大方針のひとつですので、可能な限りそれを追求することが求められます。もしウィキペディアが各国語における観点を重視するとの基本方針であれば話は違ってきますが残念ながらそうではないのです。ですから、原則として類似の方針であるWP:JPOVにも従うようにしていかなくてはなりません。もちろん現実的な限界はあるでしょう、たとえばWikipedia:検証可能性などは通常日本語文献で十分でしょう(理想的には別です)、ただ今回の例ではせいぜい利便性程度の違いでしかないので、大方針を覆すほどの論拠には乏しいと考えます。--Kurz 2009年1月12日 (月) 12:29 (UTC)[返信]
いや、日本語のある単語の利用の過多についてはWP:NPOVは当てはまらないだろう。第一「中立的な観点」というのは記事内容についての指針だ。リダイレクトは記事内容ではない。TBSなどのように極端にリンクが多く、かつ、これからも数多くリンクされるであろう場合は、東京放送に直接リダイレクトにするのが妥当だと思う。--Afaz 2009年1月12日 (月) 12:52 (UTC)[返信]
どうもKurzさんには私やPenn Stationさんの主張が伝わっていないようですね。Afazさんも仰っているように、(WP:JPOV) は”記事の内容”を対象とした草案であって、議論になっているのはどのような曖昧さ回避の方法を取るべきかという”記事の閲覧の問題”です。中立的な観点も”記事の内容”に関するものであって、今回の件はWikipedia:曖昧さ回避という公式方針やWikipedia:リダイレクトという草案をもとに考えてゆくべきものです。--モトカル(会話) 2009年1月12日 (月) 13:02 (UTC)[返信]
Kurzさん(なんかKurzさんへばかりコメントしてすみません)、Wikipedia:中立的な観点はもちろん大方針です。ですが、その大方針の冒頭部分は「中立的な観点 (NPOV, Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。これは、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます。」となっています。「書かれていなければならない」からも、私は、この文章は明らかに記事の内容を想定して書かれている、と思います。そのようには読めませんか?もちろん、その精神(趣旨)は記事の内容以外でもWikipedia(日本語版に限らず)のあるゆる場面で尊重されるべきとは思います。だからと言ってWP:JPOVを曖昧さ回避に適用するのは行き過ぎだと思うのです。過ぎたるは及ばざるがごとし、といいますか。Wikipedia日本語版でパンが「平等な曖昧さ回避」となるような事態は、常識的に考えておかしくないでしょうか?--Penn Station2009年1月12日 (月) 13:09 (UTC) (修正・追記:--Penn Station 2009年1月12日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
残念ながら、WP:NPOVWP:JPOVen:Wikipedia:WikiProject Countering systemic biasを読んだ限りではそのようには判断できません。完全な中立性など難しいものですが、可能な限りそれに努め、完全を目指す、そのようにしか判断できないのです。またそれは内容であれ記事名であれそうです、en:Wikipedia:WikiProject Countering systemic biasではInterlangについてすら書かれています。そうである以上は、曖昧さ回避やリダイレクトについてはJPOVをゆるめるなどという方針を許容できないのです。別に私がそうしたいというわけじゃありません、方針からはそうとしか読めないというだけです。あとは現段階でその目標にどの程度近づけるかということになります。--Kurz 2009年1月13日 (火) 04:26 (UTC)[返信]
Kurzさんのご意見は分かりました。「可能な限り完全を目指す」というKurzさんのご意思、私も尊重したいのですが、やっぱり納得できません。もしそのように徹底して中立性を目指すのであれば、そもそも「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」などあり得ず、すべての曖昧さ回避は「平等な曖昧さ回避」とすべきです(注:但しモトカルさんが下記で示してくださった部分を曖昧さ回避に適用することはあり得るのかもしれませんが)。また、Wikipedia:記事名の付け方#略号・記号・片仮名語の「慣例なども考慮し、最終的には日本語圏においてその表記が一般的であるかを重視して記事名を決めます」や、Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#日本語を使う#推奨される習慣の「日本語を使う:誰に対して投げかけるコメントであっても、ウィキペディア日本語版のノートページでは日本語を使うのが望ましいです。なぜなら、その方がコミュニティ全体に理解しやすくなるからです。」もおかしいです。……というようなことになってはしまいませんか?そのようなことがWikipedia:中立的な観点でのJimbo Wales氏の声明が意図していることなのでしょうか?--Penn Station 2009年1月13日 (火) 13:28 (UTC)(加筆・修正:--Penn Station 2009年1月13日 (火) 15:42 (UTC)[返信]
コメント 「草案」のタグについては話しを詰めると「公式とか草案って誰が決めるのさ」という話しになってしまいますので触れないほうがよいかと思います。
草案(とされている)「Wikipedia:日本中心にならないように」は非常に良く出来ている文章です。概要に書かれている「理念としての中立性」は読んでいてもっともだと感じますし、そうであってほしいとも思います。今「Wikipedia:日本中心にならないように」に実際に書かれている実務的な内容は記事の書き方だけに留まっていますが、これを他の分野にも広げて行きたいと思うのは自然な考えだと思います。
さて、これを今回の「Wikipedia:曖昧さ回避」に広げていった場合、まず回避するための記事の候補を探すためTBSと聞いて一人ひとりが発想するものを拾い出します。ここでJPOVを適用して「日本人」ではなく「日本語話者」として対象者を広げます。
次に発想したものを集計します。参加者で意見を持ち寄ってもいいですが、外部の検索サイトの結果などが有効だと思います。
結果は東京放送の略称としてのTBSが圧倒的に多いため「Wikipedia:曖昧さ回避」を適用すれば、代表的なトピックを中心とする回避の変形である現状の「TBSは東京放送へのリダイレクト」になります。
ここでこの結果を無視して東京放送以外の少数のTBSを無理に平等化すると「Wikipedia:曖昧さ回避」でのルールにおいて、少数派を特別扱いして画面表示アクセスを1段少なくする代わりに、大多数の東京放送閲覧者の画面表示アクセスを1段多くすることになります。これでは最初に申し上げた「理念としての中立性」に反することになるため、ここまでのJPOV適用は不可能である(正確には逆に少数派POV)と考えます。(参考:ノート:東大 (曖昧さ回避))--Triglav 2009年1月12日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
コーパスとして何を使うか、という点はありますが、Triglav さんの処理手順が妥当だと思います。かかる場合にも平等な曖昧さ回避を用いることは不平等な集計を行うことと同義であり、それはそれで問題でしょう。かつて語尾長音の選好度とウィキペディア記事名の関係を調べた経験からすると、別称が同じ対象記事が n 個あった場合、どの対象も同程度の頻度ならば 1/n でしょうから、1/(n+1) よりも頻度が低い対象についてはリダイレクトとしないのはもちろん、第一位と第二位の頻度差が 1/(n+1) 以上なければ第一位の対象についてリダイレクトしてはならない、といったところかと思います。ここで分母が n+1 なのは n = 2 の場合に困るからです。
KOSUGHI さんの xy-ABC モデルの表現を借りると、仮に x も y も「正式名称」が C であった場合の記事名が「C」と「C (y)」になる程の有意差が日本語文献における C の「意味頻度」(C が、x、y それぞれを指示対象として用いられる頻度) にあるならば、記事名が「A」、「B」の場合にも推移律を満足するという意味で「C」は「A」へのリダイレクトであるべきでしょう。--Jms 2009年1月12日 (月) 22:07 (UTC)[返信]
Kurzさんは内容だけでなく曖昧さ回避やリダイレクトについてもWikipedia:中立的な観点を適用すべきと主張されているのようなので、それを当てはめて考えてみましょう。
Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?には以下の文言があります。。

「複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」

このような考えに従えば、「少数派を特別扱いして画面表示アクセスを1段少なくする代わりに、大多数の東京放送閲覧者の画面表示アクセスを1段多くすることになります。これでは最初に申し上げた「理念としての中立性」に反することになる」というTriglavさんの意見こそが中立的な観点に沿うもののように思います。--モトカル(会話) 2009年1月13日 (火) 06:07 (UTC)[返信]
それはTBSの件ですがおおよそそうでしょう、私は現状では特に異論はありません。曖昧さ回避やリダイレクトは、どんな方法を採用するにしろ著しく間違っているというわけではないので、そう強力な主張もありません。私が言いたいのは、当初の質問で出された疑問点である、「ウィキペディア日本語版においては日本語圏の代表的なトピックを優先すべし」というのは方針とするのは無理だし、WP:JPOVの改定も無理だろう、ということだけです。--Kurz 2009年1月13日 (火) 09:53 (UTC)[返信]
うーん、ということは、ノート:TBS (曖昧さ回避)での改名提案への賛成票は撤回(棄権)される、ということでしょうか。だとすると、KurzさんにとってのWP:JPOV適用範囲の線引きはどの辺にあるのでしょう…。WP:JPOVの改定が無理とする理由もよく分からないのですが…。--Penn Station 2009年1月13日 (火) 14:33 (UTC)[返信]
曖昧さ回避やリダイレクトの議論は「自転車置場の議論」の類だと思っていますので、さしてこだわりがなく、JPOVに考慮が払われるならそれで構いません。わかりにくくて申し訳ありません。--Kurz 2009年1月14日 (水) 02:26 (UTC)[返信]
個人的には、JPOVは常に意識しています。ただ、JPOVに配慮することと、あらゆる場面で無条件に適用しようとすることは違う、と考えます。個々の記事の話をしていいるつもりはないです。上の方のKurzさんのコメントに対する応答(NPOVについて)もしましたので、お時間があればご意見お願いします。
……Kurzさんとの議論が続いていますが、それはそれとして、多くの方のご意見をお待ちしております。既存の議論とは無関係に コメントして頂いて構いませんので、よろしくお願いします。--Penn Station 2009年1月14日 (水) 11:52 (UTC)[返信]