Wikipedia‐ノート:日本中心にならないように/過去ログ3

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日本の事柄に「日本(の)」「日本(国)の」は必要か[編集]

議論が止まってしまっていますね…さて、日本語版は日本版ではないのに、日本に関する事柄には「日本の○○である」ではなく「○○である」(例:所在地を表すときに「日本国茨城県水戸市」ではなく「茨城県水戸市」と「日本」を省略してしまうこと)と書かれているのをよく見かけます。画像を付け足すついでなどに書き足していた(サーバーが重たいこともあったので、投稿回数をなるべく少なくするための配慮でした)こともあったのですが、しばらくすると「日本のことなのだから『日本』との言及・説明は不要」とばかりに「日本国」などを消されてしまうことが多いです。日本版ではない以上、日本の所在地にも「日本」もしくは「日本国」と言及して書くべきだと思いますが、皆様のご意見はいかがでしょうか。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年8月30日 (木) 13:21 (UTC)

○○国の首都意外の世界のさまざまな都市をいくつか(グラスゴーバローリオデジャネイロホーチミンウルムチヤクーツクシドニーケープタウン)みたところ、全て国名が明記してありました。この結果からすると日本のことだからと日本であることを削除するのはよろしくないと思います。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年8月30日 (木) 13:37 (UTC)
日本の市の場合、市テンプレートの最初に「国」の欄があってそこに「日本」と書かれているため、削除する人がいるのでしょう。--Afaz 2007年8月30日 (木) 13:43 (UTC)
それもそうですね。ミラノなんかもあるけどこちらはきちんと冒頭文にイタリアと書いてますし。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年8月30日 (木) 14:06 (UTC)
例をいろいろあげていただいていますが、理解の役に立つかどうかが重要な点ではないかと思います。イタリアがどこにあるか理解できない人がいるかもしれないから、「ヨーロッパイタリアの・・・」とするかといえばしないでしょう。内部リンクやカテゴリがある記事の場合は、あえて付ける必要がないものが多いと思います。日本国茨城県水戸市と書くべきではないかと言われているのが例えばどの記事なのかわかりませんが、例えば等々力の説明で、日本国・・・といったような説明は不要ではないかと思います。意図が計りかねる部分があるのですが、少なくとも「茨城県水戸市」と「日本国茨城県水戸市」といった記述で編集合戦を起こすことは避けていただきたいと思います。単に「日本の」を追加するだけや削除するだけの編集を大量にすることも同様です。学校記事で見た場合、東京大学は日本の国立大学といった書き方をしていますが、国立大学(官制大学)は日本以外にもあるからであろうと思います。例えば水戸市立大場小学校の紹介を考えた場合、茨城県水戸市の小学校にわざわざ日本国をつける必要はないと思います。なぜならば日本人以外、日本在住以外の人が大場小学校を調べたいと考えた場合、茨城県水戸市で日本の学校であることは十分に理解できるのではないかと思います。理解できなかったとしてもウィキペディアの場合、紙の事典と異なり内部リンクというありがたい機能があります。例えば私はロシア語は読めませんが、リンクを辿ることでロシア語ウィキペディアの編集はできます。[1]
ところでL III さんがいっているのは、日本語版のグラスゴーミラノについてでしょうか。日本語圏の人や日本語がわかる人がグラスゴーやミラノがどこにあるか知らないのは十分考えられるので議論の前提として違和感を覚えます。
日本語版以外の例を1つあげるとit:Associazione Calcio MilanACミランのイタリア語版)を見た場合に、Itariaという記述はテンプレートにしか出ないといったことがいえます。--Tiyoringo 2007年8月30日 (木) 14:43 (UTC)
まあ、大部分の日本語話者にとって、「漢字」で表記されているのは中国(満州、台湾)、韓国、北朝鮮、そして日本しかありえず、中国、韓国、北朝鮮の場合特記されているため、なにも書かれてない場合日本のことであると類推しやすいためでしょう。人名の場合も中国、朝鮮、日本でそれぞれある特徴的なパターンが存在しますから類推しやすい。中国人の名前のパターンをしていても日本人の場合は、「日本の」が必ずつくはずです。省略されやすいのは日本語の特徴からでもあると思います。といって、「日本の~」をつけることに反対はしませんが。--Afaz 2007年8月30日 (木) 14:56 (UTC)
Tiyoringoさんのご意見を拝読しましたが、それでも「日本(国)の~」は付けるべきだと主張したいと思います。日本の学校であることは十分に理解できるのではないか、つまりここで「日本のことを前提にしているので『日本(国)の』という言及は不要」とした時点で「日本版との混乱」が生じてしまっていると考えます。「日本(国)の」という言及が一度もないから、つい「飽くまでも日本語版である」「日本語版は『日本語で書かれた百科事典』である」ということを忘れてしまい、「全国」「国内」「海外」というJPOV(造語で失礼します)な単語が出てきてしまうのではないかと思うのです。「日本語版であって日本版ではない」と分かっていても頭で理解できているかというとそうとは言い切れないところが(私を含めて)あると思います。私も記事のチェックを行い、「全国」や「海外」という単語があった場合は適切な表現に書き換えているのですが、かなりJPOVに陥ってしまっていて「全国」「海外」を置き換えていく際に、単純に置き換えただけではすわりが悪くなってしまう文章もあり、スムーズに進んでいません(まあこれは私の語彙力の問題もあるかもしれない)
話が前後してしまいますが、日本国茨城県水戸市と書くべきではないかと言われているのが例えばどの記事なのかです。これは例えば建物の住所ですね。(例:東京タワーは、日本国東京都港区芝公園四丁目にある赤色と白色を交互に配した塗装の集約電波塔である(東京タワーの冒頭文に「日本国」を付与))
it:Associazione Calcio MilanACミランのイタリア語版)を見た場合に、Italiaという記述はテンプレートにしか出ないですが、他言語版にも目を向けると、例えば中国語版では、中国中心を避けるため、中国のことでも態々「中国」と言及するように求めているようです(中国語版の場合、中台の対立や中国語を公用語もしくは主要言語とする国がいくつかあるなどの事情もあるので、単純な比較は控えるべきでしょうけど…)。
参考までに。韓国語版では韓国中心にならないようにするための明文化された文章はまだありませんが、韓国の記事を作成するときも態々「大韓民国の~」と書くようにしています(北朝鮮の場合も同じ)し、抜けている場合は見つけ次第書き足しています。「態々『大韓民国の』と書かないといけないのか」というような反発は(今のところ)表立っていないように見えます。
- LERK 会話 / 投稿記録 2007年8月30日 (木) 17:11 (UTC)
LERKさんの例は日本語としてちょっとおかしいね。言っていることは大筋正しいんだけど、やり方がまずい。既存の日本語の観光案内や百科事典などの文法にそってないので賛成できないな。「東京タワーは、日本国東京都港区~」ではなく「東京タワーは、東京都港区芝公園四丁目にある赤色と白色を交互に配した塗装をした日本の集約電波塔である。」なら編集合戦はおきない。「日本国東京都~」とするのは一般に見ることの少ない表現なので抵抗感が強く、反対されることも多いでしょう。--Afaz 2007年8月31日 (金) 06:38 (UTC)

(インデント戻し)例えば日本国外にある建物で、YTNソウルタワーを挙げますが、これには「Nソウルタワーは、大韓民国ソウル特別市龍山区の南山公園内、頂上付近にある塔である」とあります(Nソウルタワーの冒頭文を引用)。Afazさんのご指摘のようにこれも書き換えるとなると「Nソウルタワーは、ソウル特別市龍山区の南山公園内、頂上付近にある大韓民国の塔である」となります(日本版ではないので日本とそれ以外に分ける必要はない)。このように書き直さないとおかしいということになりますが?- LERK 会話 / 投稿記録 2007年8月31日 (金) 11:01 (UTC)

日本の一般的な書籍(この場合百科事典)の文法を無視した主張を繰り返すなら、これ以上の話し合いは無駄ですね。--Afaz 2007年9月1日 (土) 04:32 (UTC)
所詮、議論をおりたということでLERKさんの主張を通すということでいいのでしょうか????--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年9月1日 (土) 11:41 (UTC)とりあえず訂正。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年9月1日 (土) 13:22 (UTC)
どう読めばそうなるんだい?--Afaz 2007年9月3日 (月) 17:24 (UTC)
「これ以上の話し合いは無駄ですね。」という文とLERKさんが日本版ではないといっているのにもかかわらず、あなたが日本の書籍と相手の意見など完璧無視する態度がこの議論にいらないと考えた次第です。まぁおりてませんね。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年9月3日 (月) 22:27 (UTC)
日本の一般的な書籍という表現に、「日本版」との混合が見られます(日本語で書かれた日本の書籍は、ほとんどが日本版ですから、当然日本向けの表現で書くでしょう)。ウィキペディア日本語版は飽くまでも日本語版であって日本版ではないという立場から「日本版ではない以上、日本のことでも『日本(国)』という言及は必要」と考える今の立場に変化はありません。それと、私のハンドルはLERK(エル・イー・アール・ケー)です。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月3日 (月) 04:43 (UTC)
残念ながらあなたの議論は「日本中心にならないように」から「俺様の表現が論理的に正しいからそれに従え」になっています。論理的に正しくても言語の世界なのですから表現の押し付けはまず通らないでしょう。日本中心にならないように「日本の~をつけましょう」までは賛成できます。が、その表現方法を固定するのは反対です。--Afaz 2007年9月3日 (月) 17:24 (UTC)
表現の押し付けでは決してありません。ウィキペディア日本語版でありウィキペディア日本版ではない、というのを厳密に解釈すれば、本来ならばそういう表記をすべきではないか、と述べたのみです。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月4日 (火) 10:37 (UTC)

議論して勝った、負けたで物事を決定するものでもありませんし、性急に結論を出さなくても良いのでは。のんびり議論してもいい内容だと思います。--Tiyoringo 2007年9月1日 (土) 12:55 (UTC)

あ、すいません。Tiyoringoさんが異論をお持ちのようですのでゆっくり待ちます。LERKさんの主張を通すという性急な結論は取り消します。では。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年9月1日 (土) 13:22 (UTC)
もうひとつ書いておこうか。LEAKさんの今ままでの主張には「日本の地理、地名記事などに日本と言及してないのは日本中心にならないようにという点から問題だ」というしごくまっとうな意見と「日本視点だと思われる表現はすべて排除しよう」という過激な意見がごっちゃになっている。「東京タワーは~日本の電波塔である」でも日本に言及しているからこの表現でいいんじゃない?と代替を提案しても難色をしめしている。つまり自分が正しいと思っている表現以外は認めないといっているんだ。それじゃあ、議論にならない。つまりもう議論で結論がでる段階じゃなく、投票ぐらいでしか結論がでない。だから議論はもう無駄だと書いたのさ。--Afaz 2007年9月3日 (月) 18:38 (UTC)
まま、人の意見は変わりますからそう性急にはならなくても。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年9月3日 (月) 22:27 (UTC)
Afazさんのご意見は「日本中心を許容する日本版になってしまってもそれはやむを得ない」ということでしょうか?- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月4日 (火) 10:37 (UTC)
そうはならない。ちゃんと私の意見を読んでいるのかい?読んでいてその解釈はありえない。下の節でもあげたように「日本中心にならないように」ではなく「世界視点から記事を書く」のほうが正しいと私は思っている。世界視点から記事を書いていれば、つまり「読者が日本人という前提をしない」ならその表現方法については問わないと言っている。例えば「我が国」という表現は、読者が日本人という前提をしているから使わないほうがいい。LEAKさんの意見の、日本~をつけようも、読者が日本人という前提にたたない場合、読者の親切になるので大変よろしい。しかし、「日本国東京都」と「~日本の電波塔」の2つの表現は、読者が日本人という前提にたたない場合でも、両者どちらも通じる。その記事が「日本の事柄」だとね。じゃあ、パスポートぐらいでしかみない前者の表現は採用しないほうがいいというのが私の意見。結局LEAKさんのいままでの議論は「自分が日本中心だと感じる表現をとる」ことと「日本中心の日本版になる」がイコールになってしまっている。私の意見ではそうはならない。「読者が日本人という前提をしない」なら「日本版」ではなく「日本語版」なんだ。--Afaz 2007年9月5日 (水) 17:22 (UTC)
議論する前に。私のここでのハンドルはLEAKでなくLERKです。AではなくRです。すでに指摘をいたしましたが、まだお間違えになっています。何度も何度も間違われてしまうと、少々不愉快です。
話を元に戻します。私はAfaz様が「(LERKの方法は)日本の一般的な書籍(この場合百科事典)の文法を無視した」と仰っていたので、「日本版になっても止む無しとお考えになっている」と解釈いたしました。繰り返しますが、日本の一般的な書籍は当然、読者は日本人(もしくは日本在住が長い外国人も含みうる)が対象であり、当然日本中心の記述となるでしょう(「我が国」「国内」「全国」「海外」が出てきて当然でしょう)。ここjawpは日本版でないので、日本に関する記事でも日本のことにしつこいくらい言及しても、しすぎることはありません。このことがないから、あちこちで「全国」「海外」という単語が氾濫してしまい、収拾がつかなくなっているものと愚考いたします。「事実上の日本版」になってしまっているのです。
- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月11日 (火) 03:26 (UTC)

異論というか学会で学者同士が議論して開催中に結論を出すようなものでもありませんし、のんびりと議論を続けてみてはといった趣旨で発言しました。長期間議論がされたけれども殺伐とした議論にはならなかったものに例えば、ノート:ナインチェミッフィーのことです)で改名すべきか議論(本来ならば過熱してもおかしくありませんが)が長々と続きましたが荒れることはなかったと思います。現状の議論が荒れてるとは思いませんがともすれば白熱してしまう内容だと思います。Wikipedia:議論が白熱しても冷静ににあるようにのんびりかまえて議論していくのが良いかなと思い提案した次第です。逆の例としてはノート:ダグラス・マッカーサーを紹介します。--Tiyoringo 2007年9月1日 (土) 14:27 (UTC)

この文書の問題点[編集]

日本中心にならないような表現をするといってもそれは個々人の主観に依存しますね。ある人にとってはまったく日本中心の表現でないのに、ある人にとっては日本中心の表現だという。このように曖昧な文章の表現をルールとして決めるのはどうかと思いますね。結局、この文書が言いたいことは「世界視点から記事を書く」ということで、それを「日本中心にならないように」と書いてしまったものだから表現規制系の文書になってしまったと思います。改名して、記事を書く上での努力目標ガイドラインぐらいにしたほうがよいのではないでしょうか。--Afaz 2007年9月3日 (月) 21:58 (UTC)

ウィキメディアプロジェクトは多言語展開であって多国籍展開ではないわけで、これを否定してしまうのはウィキメディア財団の基本方針を無視していることになりえますね(世間を見ると、国籍別と勘違いしている嫌いがありますが)。理想を述べるならば、日本語版にある記事すべてが「日本中心ではない」文章で書くことなのですがね。個人的には「日本中心にならないように」というタイトルは鋭いネーミングだと思っております。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月4日 (火) 10:48 (UTC)
無理して世界視点を押し付けるのは良くないですよ。日本中心のほうが好ましい記事もあるかもしれませんし。まぁ、私は日本版状態でも構わないのですから。--122.30.64.61 2007年9月5日 (水) 12:08 (UTC)
無理では無いと思うんですけどね、「百科事典」って、その国特有の事象でも無い限り、世界史的観点でかかれるべきだと思うし。「べき」としか言えないところがあれですが。--ゆきち 2007年9月6日 (木) 07:45 (UTC)

(インデント戻し)日本版の視点でのネット百科事典を目指しているサイトにこれがあるそうです。「jawpは日本中心が避けられているのでけしからん、日本中心が好ましい」とお考えの方はそちらへ移行されてみてはいかがでしょうか?- LERK 会話 / 投稿記録 2007年9月11日 (火) 03:29 (UTC)

まだ新参者の意見として聞いていただければ幸いなのですが、日本語と他の言語を比較した場合に一対多、あるいは多対一となる場合がしばしば見られます。これは、私の知る限りではフランス語以外の全ての言語が当てはまるのですが、言葉について明確な取り決めがなされないまま一般的に広まってしまい、一般的な解釈が辞書に載ってしまうような状況があります。ここまでは今に始まったことではないので仕方がないのですが、実際に1つの言葉を辞典にして運用した場合に言語間での揺らぎが吸収できないまま説明してゆく事態があります。逆に言えば、別の言語から翻訳をした時、日本語に相当する言葉が3つぐらいの語の中間をさすような場合は困りものです。
この場合に、どの言語を優先すべきか、あるいはすべきで無いという判断が難しいのですが、例えば、日本中心の内容を書いて曖昧さ回避で多言語に対応させる方法と、記事を翻訳した上で日本語の曖昧さ回避を取る方法のどちらが良いのでしょうか?
前者は日本人にとっては使いやすいがそのほかの方は使いにくく、また逆は日本人にとっては若干常識から乖離したような内容や説明になってしまうかと思うのですが。例えば、議事が途中で停滞している技術とかもこの例と遠からず当たると思うのですが。--Kikukikukikukikukiku 2007年9月22日 (土) 17:48 (UTC)

(上記意見はちょっと視点が違うのでインデント戻します)そもそも論をすると、「日本中心にならないように」というのは当然のことだと思います。この点、LERKさんには同意します。しかしながら日本の事象であることが内部リンク1回のクリックで明らかな場合(例として日本史や神社関係の記事。定義文の中に所在県名或いは日本の年号があり、それを追うことで日本の事象と分かる。)、私はあえて「日本の」なり「日本国の」という文言は使用しておりません。これは単に「日本語として」冗長になることを嫌っているためであり、上記「東京タワー」の例のようにすっきりとした表現になるのであれば「日本の」などの表記を追加した方が好ましいと思います。なお私は南米史関係の記事も執筆していますが、歴史上の国名を使用した君主記事の場合、いちいち「現ペルーの」などといった表現も使っていないので、このような省略は日本の事象に関してのみの態度ではありません。結論としては公式方針とすることに反対はしないものの、これを理由にした編集合戦などが発生する危険性を踏まえ、「日本の」などの表記を追加する際には、事前にノートで議論することを明記すればいいと思います。いわば「日本語として」自然な表現に落ち着かせるためです。--ろう(Law soma) D C 2007年9月27日 (木) 08:19 (UTC)

ウィキペディア日本語[編集]

「ウィキペディア日本語版は日本語版であって日本版ではない」と言うが、 日本語では、「○○」といえば「日本の○○」を指すのがデフォルト(標準)である。 「○○」がデフォルトで「世界の○○」を指すというのは一般的な日本語の使い方とはズレている。

「○○」には、たとえば「年金」が当てはまる。

日本語では、「年金」といえば「日本の年金」を指すのがデフォルト(標準)である。 「年金」がデフォルトで「世界の年金」を指すというのは一般的な日本語の使い方とはズレている。

このように「世界の」がデフォルトとなるようなウィキペディア特有の日本語は、 「ウィキペディア日本語」とでもしたほうがいい。 そして「ウィキペディア日本語版は日本語版であって日本版ではない」というより、 「ウィキペディア日本語版は『日本語』ではなく『ウィキペディア日本語』を使え」とでも言えばいい。--Rw012 2007年10月15日 (月) 22:45 (UTC)

それは違うのではないでしょうか?日本国内で使用された日本語による「年金」という言葉は「日本の年金」を指すことが多い、というのは正しいと思いますが、Wikipedia日本語版は日本国内でのみ閲覧可能な訳ではありません。その点が、日本国内でのみ出版されている市販の百科事典とは大きく異なる点です。文脈上明らかに日本のことを指している用語又は日本にしかない名称(例:江戸時代、東京都など)に関しては、「日本の」を省略することに多少の理解を覚えますが、広く各国で行われているような事象に関しては適切な例ではないように思います。--ろう(Law soma) D C 2007年10月15日 (月) 23:37 (UTC)
日本国内でのみ閲覧可能な訳ではないからといって、日本国内で誤解と混乱を招くような表現を使ってもいいと思うか?
例が不適切だというなら「広く各国で行われているような事象」である「税金」を当てはめてもいい。たとえば日本語で、「税金」といえば「日本の税金」を指すのがデフォルトである。「世界の税金」を指す場合は「世界の」を明記するのが普通。しかし「ウィキペディア日本語」で「税金」といえば「世界の税金」を指す。この「ウィキペディア日本語」と「一般的な日本語」とのズレが誤解と混乱を招くことになる。--Rw012 2007年10月16日 (火) 08:23 (UTC)
『ウィキペディア日本語』の百科事典じゃなく、どんな言語でもない人類の共有の知識としてのウィキペディアという百科事典の『日本語』版な訳です。理想的には全言語の上位互換で上位語彙の架空言語からの自動翻訳で『日本語』化した版を出力するべきですが、現代のコンピュータ技術的に不可能なので、人力で各言語版を作ってると思ってください。日本語の語彙として言語独特な表現は有っても、書いてある内容は全言語版が共通になる理想に向かう途中の事典と思って書くと、『日本の』を省略しては不味いのが分かるでしょう。--みっとし 2007年10月16日 (火) 09:03 (UTC)
全言語の上位互換で上位語彙の架空言語からの自動翻訳で『日本語』化するときに、日本語の言語仕様に準拠して自動で余分な『日本の』が省略されると思えば、『日本の』を省略しても問題ないのが分かるでしょう?--Rw012 2007年10月17日 (水) 01:53 (UTC)
みっとしさんの御意見は大所高所に立った大目標ですので反対するものではありませんが、私の意見は、上の節でも言及したように「場合によっては」「日本の」を省略することも可であるというものです。発言の趣旨としては、その場合の例としてはRw012さんの例は反対意見をお持ちの方々に突っ込まれやすいと思って書いたものです。Rw012さんに繰り返し申し上げますが、日英バイリンガルのオーストラリア人と日泰バイリンガルのタイ人が共通に理解できる日本語で会話すると思ってください。通常日本国内ではレアケースですが、Web上では極めて稀という訳ではないと思います。彼らの会話に出てくる「税金」というタームは、果たして「日本の税金」を指すものでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2007年10月16日 (火) 23:59 (UTC)
彼らの会話に出てくる「税金」というタームが「日本の税金」を指すかどうかは分からないが、ウィキペディア日本語版の中で、「日本の」を省略しても、一般的な日本語が読めるのなら、彼らが混乱することは無いと思われ。--Rw012 2007年10月17日 (水) 01:53 (UTC)
まあ、危険性を冒さないってことです。日本中心主義ではないよというアリバイと言ってもいいでしょう。元来この方針草案自体が英語版ですらFAQの1項目であるen:Wikipedia:Neutral_point_of_view/FAQ#Anglo-American_focus_and_systematic_bias「Anglo-American focus and systematic bias」を単独方針としようとしたもので、いまだ参加者のコンセンサスを得たものになっていない、いわば日本語版に特有の(中国語版には類似のものがあるが、同一言語を公用語とする2つの政府が自分を正統と主張しているという特殊な事情下のものなので、例外と思う)ページです。私としては、「わが国」「海外」などの「日本国籍所有者」用語は排除すべき、「東京」などの固有名詞であって日本語で通常日本の事象を指すことが一般的と思われる用語(ベトナムにも昔トンキンがあった)は「日本の」を付けずともよく日本国外のそれは補足付きに、「税金」などの一般名詞であって日本語で広く各国で行われているような事象を指している用語は文章表現上不自然にならない範囲で出来るだけ「日本の」「世界の」などを付ける、というのが妥当だと思っています。いずれにしても厳格な方針にするのには疑問ですが、推奨レベルであれば上でも言ったとおり大所高所に立った大目標というか理想があるので反対しません。--ろう(Law soma) D C 2007年10月17日 (水) 03:20 (UTC)