Wikipedia‐ノート:日本中心にならないように

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過去ログ[編集]

タグ変更の予告[編集]

template:proposedtemplate:guidelineへの変更を予告します。この文書は2006年3月より「方針」または「ガイドライン」として提案されており、1年以上大規模な変更は行われていません。また、ノートについても1年以上異議などの意見が表明されていません。これは、この記事がほぼ完成された状態にあることを示しています。すぐに、タグの変更をしてもよいのですが、見落としていることがあるかもしれませんので、1週間ほど様子を見て、不都合な点についてのご指摘がないようならタグの変更をします。デイナイスホテル東京会話) 2013年5月25日 (土) 13:32 (UTC)

議論が止まっていることと、ガイドライン化に合意が得られているかどうかは別です。労を惜しまずに、コメント依頼の活用など、多くの利用者の合意を得てから変更してください。いったん差し戻しいたします。--Tiyoringo会話) 2013年6月2日 (日) 09:36 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼#その他のコメント依頼に現在のこのノートの状況が「合意が得られている」と」判断できるかどうかについてのコメント依頼をしました。なお、私は今のところWikipedia:方針とガイドラインでいう、「議論から中立な第三者」として議論が終結していると判断しています。デイナイスホテル東京会話) 2013年6月4日 (火) 12:46 (UTC)
コメント Tiyoringoさんが御指摘のように議論が止まっていることと、ガイドライン化に合意が得られているかどうかは別問題だと思います。template:proposedタグの貼り付けさえあれば一定期間の議論停止によって自動的にガイドラインに昇格するという誤った前例になる可能性が高いと思います。--Ryury会話) 2013年6月5日 (水) 21:21 (UTC)
反対 先日のコメント後に再度検討しましたが「タグ変更」という手続の問題として提案されているので反対します。次の3点、つまり第1のtemplate:proposedの貼りつけが行われていること、第2の一年以上大規模な変更が行われていないこと、第3のノート上で一年以上異議のないことの3点をもって「この記事がほぼ完成された状態にあること」を示しているという主張は理由としては不十分です。この3点について揃えば記事が完成されたと認めるのであれば、template:proposedの貼りつけが行われている他のページにおいて、「一年以上大規模な変更が行われておらず、ノート上で一年以上異議もなくガイドライン化の基準に達したのでタグを変更しましょう」という主張が出されたとき、こちらで3つの要件で通してしまっている以上明確に拒否することができなくなりますが疑問です。ガイドライン化について「タグ変更」という手続上の観点から判断することは他のガイドライン化の議論の際に影響を及ぼしかねないと思います。--Ryury会話) 2013年6月8日 (土) 00:26 (UTC) 誤字を修正--Ryury会話) 2013年6月8日 (土) 00:33 (UTC)

複数国での合算記録の表記(日米、日韓等)について[編集]

たとえば、イチローが日本プロ野球とメジャーリーグで通算安打の合算記録を作った場合のマスコミの表記は「日米」となります。では例えば韓国人などが韓国のリーグと日本プロ野球での合算記録は「日韓」と書くべきでしょうか、それともイチローに合わせて「韓日」と書くべきでしょうか?主たる出典となる、日本のマスコミの表記はイチロー最初に述べた通り「日米」、韓国人(最近だと阪神の呉昇桓のセーブ記録)も「日韓」と普通に書かれてますが、それに合わせなければならないのでしょうか?野球以外の競技や日韓、日米以外(例えばドイツ人がフランスとイギリスでの合算記録の場合など)についての場合もあると思いますので、こちらで質問させていただきました 。--須磨寺横行会話) 2014年7月22日 (火) 15:59 (UTC)

マスコミの表記に合わせればいいでしょう。そもそも、「イチローに合わせて「韓日」と書くべき」というのが理解できないのですが、イチローの場合日本→アメリカの順で記録を作ったからということなのでしょうか?そういう法則があるのですか?一般的に使われない用語、言うなれば”ウィキペディア方言”を創るというのは究極の独自研究だと思います。--uaa会話) 2014年7月22日 (火) 16:42 (UTC)
日本中心にならないように、で避けるべき、と書かれてる表現は大体マスコミで書かれてる通りの表現でしょう。マスコミで書いてあっても、日本POVとならないような表現にすべきである、ということなんですから、必ずしも日本が先にならなければならない、とは思いますが?--須磨寺横行会話) 2014年7月22日 (火) 16:57 (UTC)
ちなみに「韓日通算」は方言(何が仰いたいのかわかりかねますが、私が作った独自用語、もしくは私の独自見解という意味ととらせていただきます)ではなく韓国メディアでは普通に書かれてる表現です[1]。--須磨寺横行会話) 2014年7月22日 (火) 17:04 (UTC)
もし困ったら「両国通算」などで逃げてください。--Triglav会話) 2014年7月22日 (火) 17:19 (UTC)
「日本中心にならないように」の趣旨は、視点が日本或は日本人であることを前提とした”表現”はしないということでしょう。「日本を先にするの日本POVだ」なんてどこにも書いてませんね。単語自体が本ガイドラインに違反するなんてことは本来ありえないはずです。確かに、「必ずしも日本が先にならなければならない」なんてルールもありませんが、通常の日本語表現で使われない単語をでっち上げるべきではないでしょう。ここは「ウィキペディアの日本語版百科事典」なのであって、「ウィキペディア韓国語版」でも「ウィキペディア語の百科事典」でもありませんので。
ところで、「イチローに合わせて「韓日」と書くべき」に関する私の問いにお答え頂いてないのですが。--uaa会話) 2014年7月22日 (火) 17:32 (UTC)
「日米」か「米日」かの違いで、その記事・記述が日本中心になる・ならないが決まる訳ではありませんでしょう。まあここは「日本語版」なのですから、現代の日本語で(および日本語話者が)通常使用されている(している)表現に合わせるのが、シンプルでしょう。つまり、日本語版は「日韓」で良い。私は韓国の事情は詳しくありませんが、韓国語で通常「韓日」が使われて居るのであれば、韓国語版は「韓日」でよい。とどのつまり各言語版で多少表記が揺れても良く、全言語版での統一は不要。これでいかがでしょう。なお、個人的には・・・まあ、野球で二国間の通算記録に限定しましょうか。これは時系列順に並べる、と言う手も有力とは思うのですが(イチローなど日本からアメリカに行ったなら日米、アメリカデビューで日本に凱旋帰国した多田野数人なら米日)、日本語話者やスポーツ業界にこのような用法が習慣付いているとは到底言いがたく、全く不自然であり、採用を検討する必要を感じません。--Hman会話) 2014年7月22日 (火) 17:38 (UTC)
日本人のイチローが日本プロ野球とMLBで合算記録を作って「日米」なんですから、それに照らし合わせれば韓国人が韓国と日本で記録を作れば「韓日」になる、ということです。ちなみにアメリカ人がMLBとNPBで作れば米日になるかと。まぁ私はそこまで韓日にしろとこだわってるわけではないので(どっちにするべきなんでしょうか?と言う質問のつもりだったんですが)韓国人が作っても日韓でいいというなら、これからは日韓とします。--須磨寺横行会話) 2014年7月22日 (火) 17:47 (UTC)
韓国にしても、日本の新聞もテレビニュースも雑誌も書籍もほとんどが「日韓」としますでしょう(フジは以前のワールドカップを韓日表記にしたことがあるとかなんとか聞きましたが、それが話題になるくらいにはレアケースなんでしょう)。それが今の日本語の主流なんだから仕方ないです(流石に出典持ってこい、とは仰らないでしょう)。数十年後に日本語がどうなっているのかは我々にはわかりませんが、まあ当面の結論についてはご同意頂けた様ですので、私からは、以上にて。--Hman会話) 2014年7月22日 (火) 17:59 (UTC)
他にないようでしたら、これにて議論を閉めさせてもらいます。お付き合いくださりありがとうございました--須磨寺横行会話) 2014年7月23日 (水) 14:18 (UTC)

テレビ番組、ラジオ、雑誌や道路、水道、戦争などのできごとでもどこまで国際化が必要なのか[編集]

海外の大きな出来事や歴史を変えるようなものの場合は必要な例だとは思いますが日本国内の番組たとえばサザエさんやドラえもん、水曜どうでしょうなどが海外版に載っていない場合やその国で必要ないからと言って削ったりまた海外のラジオ、テレビ番組まで日本語版に加筆する必要があるでしょうか? アジアの国の記事の場合書き込みが多いことが多いですが、交通や道路でも日本語版で仮にベトナムやインド、ペルーなどの地方道路開通が載っていないと全世界中の道路開通情報を載せるのが本当に国際的だと言えるのでしょうか?また仮にアラビア語やスワヒリ語版で同じような記事があったとして日本の県道や高速道の開通情報をこと細かく書いたとしたらそれが国際的や有益な情報なのでしょうか?海外版でもある程度翻訳などされることはあってもローカライズや地域により情報、一般的見識、需要によって差をつけるもある程度は必要なものだと思います。 また日本のかかわった戦争などに関してもアメリカ側、中国側、韓国側、台湾側、ロシア側など国によって立ち位置、政治姿勢が大きく違うと思います。英語版などでは空襲や沖縄戦などでも日本国民の民間人の被害もしくはなどの情報は少ないですがそこで単純に外国ではこうだからでこういう話題も簡単にそれに合わせて決められるものではないでしょう。もちろん単純な戦争美化や戦争拒絶、被害者意識、勝者意識などどれか一辺倒もまた問題ではあると思います。--Silyne会話) 2014年12月16日 (火) 11:05 (UTC)

他言語版に記事が移植されるかどうかは誰が決めるものでもありません。ただし、可能性としては常に存在します(翻訳での移植後にどう加筆訂正されるかは移植先の言語版に参加していない人間が口を出す問題ではありません)。よって、記事は他言語に翻訳して他の国の人が読んでも、でき得れば数百年後・数千年後に誰かが読んだとしても、なりたつかたちで書かれるのが好ましい。それだけのことです。--Hman会話) 2014年12月16日 (火) 17:50 (UTC)

Wikipedia日本語版は日本版に誤解されがち[編集]

詳しくはMy First BIG ゴルゴ13 陰謀論をご覧ください。 --Kino-K会話) 2014年11月28日 (金) 03:18 (UTC)

「日本語中心にならないように」という混同の問題について[編集]

ウィキペディア日本語版なのですが「日本中心にならないように」が「日本語中心にならないように」と混同され記事に不安定さや不正確さを生じさせているとすれば問題です。記事名が本来果たしている役割や記事名に対する定義の正確性など、記事の構成とWP:JPOVとの関係についてWikipedia:井戸端/subj/他言語版の記事の翻訳など他言語版との関係についての質問で取り上げています。--Skimr会話) 2015年8月25日 (火) 20:50 (UTC)

記事名が日本語で決められることとの整合性[編集]

WP:NCにあるように記事名は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」でなければなりません。同時に記事における定義の表現はWP:LEADPARAGRAPHで「(項目名)は」や「(項目名)とは」と定型化されています。日本でどうかという観点と日本語でどうかという観点は完全に切り離せるわけではないかもしれませんけど、記事名には記述対象を特定する大事な役割があるのですから「日本語では」という観点を放棄してはいけないと考えます。
たとえば日本語版のストック (スキー)の記事におくべき定義は、日本語で「ストック」と呼ばれているスキーで用いられる物についての定義です。定義は日本語で「ストック」と呼ばれているものがどういうものか説明するもので、これが他言語でどう呼ばれているかは物の定義とは関係ありません。ストック (スキー)の記事の定義はそういう意味で妥当です。たとえば英語のスキーポールという表現が日本語でも用いられることがありますよ。というのは特記すべき事項と考えられますがこれは定義そのものではありませんし、定義になるはずもないものです。「日本語でいう何々とは」というWP:NCで考えるべきことをWP:JPOVの問題と錯覚しているのではないかとみられる記事もあります。項目名の定義、他言語との関係で特記すべき事項、両者は分けないと概念の正確性だとか記事間の一体性が図れなくなると思います。
記事で扱う対象は記事名によってある程度特定されます。たしかに厳しくしすぎると不都合を生じるでしょうし、反対にあまり緩やかすぎると独自研究のおそれが生じます。合成樹脂の記事を用いて例示したように、合成樹脂とプラスチックは必ずしも同一の概念ではありません。プラスチックが合成樹脂へのリダイレクトなのは許容できる範囲ですし、それに合わせて合成樹脂という記事の内容がある程度柔軟であってもよいと思います。しかし同じ記事にあっても概念には違いがあるということへの注意を忘れてはいけないと思います。特に専門科目での定義とか分類とかを個人的な直感や思い込みで整理するのは独自研究のおそれがあります。--Skimr会話) 2015年10月5日 (月) 16:43 (UTC))誤記を訂正--Skimr会話) 2015年11月3日 (火) 15:50 (UTC)

Template:国際化は適切? 不適切?[編集]

茶系飲料において、Template:国際化を貼る/貼らないで編集合戦が発生しました。

私個人としては、日本の事象のみが記述されているため(ペットボトルや缶のウーロン茶飲料、緑茶飲料などは日本発祥ですので否めない感はありますが)、中国やイギリスでの事例の追記も欲しいと思い、Template:国際化の貼付は適切であると判断しました。しかし、不適切を主張するユーザーの「Template:国際化はWP:JPOVへのリンクになっており、日本への不適切な偏重、誤解を与える表現が無い以上は貼るのは不適切」というも、なんとなく理解できます。なお、不適切を主張するユーザーはTemplate:加筆をすべきであるとの主張です。(これも、これでもっともだと思う)

昔の消防車救急車の記事のように「明らかに日本以外でも同一概念であるにも関わらず、日本の事例しか説明していない」というような記事にTemplate:国際化を貼るのは適切でしょうか? 仮に適切なら、このページWP:JPOVはちょいと追記が必要に思えますし、逆に不適切ならTemplate:国際化への追記が必要かと思えます。

(なお、消防車、救急車はそれぞれ日本の消防車日本の救急車へ移動して、跡地を世界的な記事としています。)

みなさまのご意見をいただければ。--KoZ会話) 2015年9月4日 (金) 08:09 (UTC)

こんにちは、今回の当事者です。提議ありがとうございます。KoZさんのおっしゃるとおり、この周辺は以下の2つに分類されると思います。①単に日本以外でも同一概念であるにも関わらず、日本の事例しか説明していないもの。②政治的な議論を呼ぶ内容、人種差別的な意見、国粋主義的な偏重がみられるもの。 そして、①のつもりで貼ったテンプレートが②だと捉えられて編集合戦化するということは大いにありえそうです(今回がとはいいません)。私個人的には、今回は夜市に貼ったように①の目的で貼ったのですが(そして夜市では「日本中心」でなく「台湾中心」なので②だと誤解する人が出なかったのだとは思いますが……いやそれはそれで別の問題が浮き彫りになる気もします)、確かにこの2つは分けるべきではないかと今回気づきました。いずれにせよ有益な結果になるよう皆様のコメントを頂きたいと思います。--Tonbi ko会話) 2015年9月4日 (金) 08:34 (UTC)
  • コメント KoZ様、議論提議ありがとうございます。まず書かなければならないのは、Tonbi koさんがTemplate:国際化に記載されている内容を確認せず、「国際化」というテンプレート名だけを見て安易に使用した件です。当初、Tonbi koさんはTemplate:国際化にはJPOVへのリンクは無いとまで仰っていました。KoZ様がいらっしゃなければ、勘違いを起こしたまま押し通していただとうと想像できます。今後はこういうことは厳に慎んでいただき、内容や関連文書を熟読されてから差し戻しおよび反論をするようにしてください。--183.77.107.79 2015年9月4日 (金) 09:01 (UTC)
コメント JPOVについて長年研究している者です。各テンプレートや規約文章の関連性はとりあえず置いといて。ウィキペディアの作業は次の2種類があります。
1.現状がまずくて即修正が必要なもの(JPOVなど)
2.現状の改善を呼びかけるもの(国際化テンプレなど)
初版投稿者の能力として日本のことしか書けなかった。ということはよくあることです。なにも問題はありません。そこに次の人が他国のことを書き加えたとします。そこでこれまでの日本の記述に「わが国」とは書いてはいけないし、「日本の」と必ず付けるようにするのが JPOV です。これ以外の JPOV の仕事はありません(つまり他国のことが書き加えられるまでJPOVの出番がない)。
次に国際化などの各種呼びかけテンプレートの貼り付けは、(経験則上)貼り逃げではないか?と警戒されて嫌われる傾向にあります。なので、今回のようにテンプレートが剥がされるような場合には、「心配するな。俺が近日中に仕上げてやる」か「私は他ページの国際化を解決しているので、こちらは私の代わりに協力してください」と答えて貼りなおしてください。手腕に期待します。よろしくお願いします。--Triglav会話) 2015年9月4日 (金) 15:01 (UTC)
  • 内容についてと視点についてで別のテンプレにするとかしたら解決できないかな。——以上の署名の無いコメントは、Ks aka 98ノート履歴)さんが 2015年9月4日 (金) 15:35 (UTC) に投稿したものです(KurodaSho会話)による付記)。

コメント ①の目的でTemplate:国際化を使用することは厳密に言うと不適切であり、上記IP氏の指摘は妥当と考えます。ノート:茶系飲料で指摘されたように、「加筆依頼を行うべき案件」ですね。「別のテンプレにする」という話は、この手の議論で度々出ます()。夜市についてはそれ以前の問題だと思いますが。台湾の記述が多いというだけで貼られているようですが、国によって規模や社会に於ける重要度が違うのなら、記述量に差が出るのは当然でしょう。Wikipedia:中立的な観点の「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」の趣旨から鑑みると、小規模なものしかない国まで同等に扱うことの方が問題だと思います。仮に、①の目的で貼ってもいいとした場合でも、不適切なものように見えます。
そもそも、茶系飲料の場合、「加筆依頼」が妥当であるか自体疑問です。他国に「茶系飲料」という概念が存在するのでしょうか?記事内容や提示されている出典資料のタイトルからは、「緑茶系飲料」や「紅茶飲料」などを日本の業界が統計を出す際などに、便宜上「茶系飲料」と総称しているように見えますね。日本ローカルのカテゴリではないでしょうか?確かに、他国にも「茶葉を原料とした飲料缶やペットボトルや入れた状態で販売されているもの」は存在するでしょうが、それを総称する用語がありますか?英語版へは「Canned tea(飲料缶)」にリンクされてますけどね。「他国にもこのカテゴリに入るものは存在する」程度の記述がせいぜいのように思えます。「国際化」に固執するなら、他国にも同等の概念が存在するという出典を求めたいですね。最低でも、英語や中国語で何と言うのかくらいは示すべきでしょう。当該記事は現在保護されているので、解除されるまでに出典が示されなければ、Template:国際化の「適用すべきでない場合」及び冒頭の「このタグは、国際的な視点による資料が合理的な方法による調査によっても見つからない場合は、外されるかもしれません」に基づいてテンプレを除去しよう思います。「無責任な貼り逃げ」は「警戒されて嫌われる」のが当然であり、「心配するな。俺が近日中に仕上げてやる」とか「私は他ページの国際化を解決しているので、こちらは私の代わりに協力してください」では何の説得力も持ちません。独自研究で加筆されても困りますし。
これは加筆を求める新たなテンプレを作った場合にも懸念されることですが、日本の事象に関する記事に「日本以外の記述が無い」というだけの浅薄な判断で「国際化」が求められるのは問題だと思います。現に、日本ローカルの事象が万国共通の概念であるかのように書かれている記事を度々見かけます(私が直した例としてノート:巡視艇参照)。このように、日本に於ける定義に該当するものを世界中から探し出し、日本ローカルの概念を万国共通のものであるように騙ることこそ、”日本中心の観点”に基づいた”独自研究”な”情報の無差別な収集”です。前述の議論の最後にも「自分自身は一切執筆するつもりがなくても、誰かに日本法以外について執筆させようとするわけですから、広い意味では「書き加えようとする側」なんじゃないでしょうか。」との指摘がありました。新たなテンプレを作るにせよ、現在のテンプレを①にも使えるようにするにせよ、「国際化」を求める際にも出典が必要であること、及び「出典が示されない場合は除去されても文句は言ない」を明記したほうがいいと思います。現在の「このタグは、国際的な視点による資料が合理的な方法による調査によっても見つからない場合は、外されるかもしれません」ではわかりにくいので。--uaa会話) 2015年9月5日 (土) 20:24 (UTC)

コメント uaa会話)さん、ご意見ありがとうございます。少なくとも「世界における茶系飲料という概念の存在」に関しては、一度google検索で"ready to drink tea"(すぐに飲めるお茶)で検索されてみることをおすすめします。google検索で15ページ目を超えても"ready to drink tea"に関するサイトが続々とヒットすることがお分かりいただけると存じますし、市場調査レポート: 米国のお茶・RTDティー市場なるサイトでは「RTDティー」という単語がなんの説明もなく、当たり前のように使われております。なお、私はすぐ思い浮かぶだけで渡し船また、夜市で国際化を行った実績がこれまでにございます(ですので、該当テンプレが「貼り逃げ扱い」される可能性は気づきませんでした。今のところ出典なき記述ばかりなのは申し訳ありませんが……)。夜市に関しては私が加筆する以前の版との差分を、渡し船に関しては同様にこの差分を見ていただければと思います。「国によって規模や社会に於ける重要度が違うのなら、記述量に差が出るのは当然」とのご意見ですが、たとえば観光に関する日本のテレビ番組や雑誌からの印象に基づき、台湾における夜市が「規模や社会に於ける重要度が圧倒的に高い」と思われているのであれば、私の編集以前・以降を見比べたうえで、中文版wikipediaの該当記事ベトナム語版wikipediaの該当記事と読み比べてその記事バランスを確認して頂ければと思います。私はなにも、100:5を100:50にせよとは申しておりません。100:0である記事に対して異議を呈しているにすぎません。もちろんWikipediaへの加筆には可能な限り出典が必要ですから、実際の執筆の際には出典を用意させていただきます。しかし、日本語圏における知見だけを元に、「他国に概念が存在するのでしょうか」とおっしゃるのはどうかな、と思います。 ただ、「「国際化」を求める際にも出典が必要」では、というご意見に関しては尤もかな、と思います。①目的でテンプレ(既存・新設を問わず)を貼る場合に、ノートで何らかの根拠を示すことを求めるように改良するのであれば、賛成いたします。--Tonbi ko会話) 2015年9月5日 (土) 21:56 (UTC)加筆--Tonbi ko会話) 2015年9月5日 (土) 23:42 (UTC)

  • コメント 申し訳ないんだけど、Tonbi koさんの返信はuaaさんのコメントに対応していない上、意味が分かりません。茶系飲料は日本の飲料メーカーが統計上の便宜のために作った概念という話のはずだったのですが。検索して自分で調べろというのではなく、日本国外の茶系飲料について分かる範囲で結構ですので第三者にも分かりやすい形であなたが説明してください。--180.235.33.41 2015年9月6日 (日) 12:03 (UTC)
「RTDティー」の提示は「私のコメントに対応し」たものですね。「茶系飲料は日本だけのものではなく、中国や東南アジアにも多数あります~」と仰ってたので、それを根拠に国際化を求められているのかと思っていました。確かに、これを見ると、"ready to drink tea"は「茶系飲料」と同じもののように私は感じました。しかし、これは一次資料的なものから導き出したことであり、「本当にそうか?」と問われたら断定はできません。「RTDティー」という表記が現に使われているわけですし、ここでは「茶系飲料」と「RTD茶系カテゴリー」の両者が使われています。よって、微妙に使い分けられている可能性を払拭できません。"ready to drink tea"=「茶系飲料」だけど、≠「RTDティー」というパターンも考えられますね(服飾系によくある)。何れにせよ、「「同一」であるかのような誤解を生じる惧れ」を考慮するならば、「RTDティー」はレディ・トゥ・ドリンクで扱ったほうが無難なように思えます。ここ数年のウィキペディア英語版の傾向を見ると、「全世界網羅的」な記事が減って、国毎の記事に細分化されてますね。このようなリスクを避けるためなのかと私は考えています。私も、国毎に違いがあるものを同一の記事で扱うことが「国際的」だとは思いません。
ここで言うのは議論の拡散になりかねないのですが、ついでに言わせてもらうと、ノート:ねこまんまでの議論の方向にも懸念を持っています。「ねこまんま」と「汁かけ飯」を分割するのは良いのですが、「内外網羅的汁かけ飯」とするのは問題だと思います。「「調理としてではなく、食べる者が勝手に行うもの」に限ったほうが良さそうです」のように、定義を二次資料に拠らずに参加者が話し合いで決めるのは”独自研究”ですし(一覧記事の定義じゃないんだから)、扱うものを「ざっと見て~言及すべき記事が下記の数あります。ほかにあればご指摘ください」のように決めるのは”情報の無差別な収集”になりかねません。ベトナムとかの風習については別記事にして、互いに「関連項目」とする方が、各記事の内容もすっきりすると思うのですが。
夜市についてですが、あなたの編集によって”国際化”されたので、タグは不要になったのでは?現在の記事に”世界的観点”情の問題があるようには見えません。中文版でも台湾の扱いが多いようですし。どこが問題なのかお教え頂きたいです。--uaa会話) 2015年9月6日 (日) 14:22 (UTC)
昔、米問屋に国際化のテンプレートが貼られた時に言ったことだけれども、限りなく特殊性を剥いでいって「普遍的に」あるいは「広義の意味で」見れば同じ概念かもしれないが、だからといって言語的に、あるいは地理・歴史的に特筆性が発生があるかどうかは別問題の話です。米、あるいは穀物を扱った問屋(卸業)が日本だけのものかといえば、当然日本以外にもあるでしょうが、だからといって「米問屋」が「米問屋」として特筆性を持つのは、米が貨幣制度だったという歴史・地域的な特異性があるからであって、単に「穀物を扱った業態」に特筆性があるわけじゃないんですよ。
これが「征夷大将軍」みたいな言葉だったら、「異民族を排除するための特別な軍指揮官の地位は他にも見られるから国際化の観点が必要!」なんて馬鹿が現れはしないんだけれども、国際化で拗れる場合って、こう「米」+「問屋」みたいな、何というかフラットな単語や、その組み合わせの場合で起こってるのが何とか上手い手はないもんかなーと思います。--EULE会話) 2015年9月6日 (日) 15:17 (UTC)
「米」といえば、インターネットが現れる以前の大昔、アメリカで「日本もコメの国なので米国との絆は深い」のようなスピーチをして通訳をフリーズさせた田舎政治家がいたそうです。ウィキペデイアの日本語版にも、「訳語として使われているから同じ」だとか「英和辞典に書いてあるから」などと言い出す、田舎政治家レベルの輩がいて頭が痛いですね。--uaa会話) 2015年9月6日 (日) 15:41 (UTC)
返信 (編集競合したようですがここで)uaaさん、EULEさん、こんばんは。
Uaauaaさん>ここ数年のウィキペディア英語版の傾向を見ると、「全世界網羅的」な記事が減って、国毎の記事に細分化されてますね。このようなリスクを避けるためなのかと私は考えています。
大変貴重なご意見ありがとうございます。そういった視点は持っていませんでした。私の危惧していることは前述したとおり「100:0」のままであることですので、後述の
aauaaさん>互いに「関連項目」とする方が、各記事の内容もすっきりすると思うのですが。
と併せて考えれば、確かに記事「茶系飲料」内で「英語で ready to drink teaと呼ばれる茶飲料に関してはレディ・トゥ・ドリンクを参照」とすることでも「100:1」にはなりますので、解決法としては十分受け入れられます(記事内で「茶系飲料とは、日本において全国茶生産団体連合会が○○において定義している言葉で」くらいの説明は必要と思いますが)。
なお、最初に「中国や東南アジア……」と申し上げたのは、ベトナムにおける合弁企業であるサントリー・ペプシコ社の売れ筋製品 Oolong TEA+の紹介で、ハイフンつなぎの単語として「ready-to-drink-tea」とあることが根拠のひとつです。また同サイトのベトナム語版で書かれているtrà uống liềnは漢訳すれば「茶飲即」とでも言うような概念で、google検索でも7,000件ヒットします(site:gov.vnに限っても1380件です)、現地スーパーマーケットでもまさに「茶系飲料うりば」としか言いようのない場所の棚名になっています。
(なお蛇足ですが、ねこまんまに関してはなにも出典ゼロではじめようとしているわけではありません。該当記事に追記しておきました。夜市に関してはご指摘ごもっともですのでタグは外しておきます。)
さて、話を本ノートの本来の趣旨に若干戻しますと、第二のテストケースとして竹細工はどうでしょうか? いまのところ{{japan-culture-stub}}まで貼られ、完全に日本文化扱い(100:0)になっています。おそらく今回の議論がなければ、私はこの記事にも「とりあえず国際化タグを貼って、加筆準備をする」という行動をとったかと思います。これに対してはどのような対処が考えられるでしょうか? 「竹のあるところに竹細工あり」という事に異論がある方はいないと思いますし、日本において竹の業界団体が言葉の定義を決めていたり、商標とされていることもないでしょう。中国語にも当然「竹工艺(竹工芸)」という概念はあり、専門書もあるようです。ただしWikipedia中文版にはまだ記事はありません。近年の造語(?)である「茶系飲料」と、古くからあり普遍性の高そうな「竹細工」ではまた異なるだろう、という考えもありますが(EULEさんが「何というかフラットな単語や、その組み合わせの場合で起こってる」とおっしゃることと同様ですね)、表題となっている言葉の普遍度で判断が別れるとすれば今後とも今回のような問題が発生しそうです。やはり新たな仕組みを設けるか、現状のタグに関する説明を厳密にする必要はあるのではないかと思います。 --Tonbi ko会話) 2015年9月6日 (日) 16:58 (UTC)

どもども。結論としては私とTonbi ko氏のTemplate:国際化への理解が勘違いであった…ということですね。そしてノート:巡視艇での議論のはじめのように「日本偏重な記事内容の是正」として利用されている例もあるので、これが私とTonbi ko氏だけの特殊例でないと判断できます。そうすると、Template:国際化のほうに「日本偏重な記事内容の是正には用いず、そのような場合は加筆依頼」というのを追記しておいたほうが良いかもしれませんね。--KoZ会話) 2015年9月7日 (月) 01:22 (UTC)

Template‐ノート:国際化#使用上の注意の追記についてで、テンプレートへの注意書きの追記について発議しました。--KoZ会話) 2015年9月7日 (月) 01:34 (UTC)

茶系飲料の初版執筆者です。どこにコメントすれば良いのか迷いましたが、こちらに一応自分の意見を書いておきます。

まず日本国外の茶系飲料について記述がない点について、力不足をお詫びします。その上で言い訳をすると、海外の事情については良い出典が限られており、CiNiiで検索しても適切なものをなかなか見つけられません。国会図書館の推奨するリストにある『Who drinks what』でも読めば良いかもしれませんが、言語や閲覧するコストの面からそこまで気力がありません。

私としては何のTemplateを貼るかという議論に関しては特に意見を持ちませんが、他力本願ながらTligravさんのおっしゃる「心配するな。俺が近日中に仕上げてやる」という方がいらっしゃれば非常にありがたい、と思っております。現状、私が書けるのはこのくらいです(保護中のため、サンドボックスに書いてます)。史的展開や統計などを扱った良い資料を使って、Tonbi koさんをはじめどなたかが加筆される日を心からお待ちしております。--Raccoon Japanese会話) 2015年9月7日 (月) 03:50 (UTC)

返信 Raccoon Japaneseさま:こんばんは。まずは作成したての記事で編集合戦を起こしてしまったことをお詫びいたします。こちらに顔を出していただき、ほっとした気持ちです。出典等難しい部分もありますが、可能な限り記事の充実に協力したいと思います。
返信 KoZさま:うーん、ちょっとその行動は性急にすぎると思います。TriglavさんやKs aka 98さんのご意見はどこに消えてしまったのですか? uaaさんも、そういった意図ではタグを使うなと行っているわけでないでしょう。「他国に「茶系飲料」という概念が存在するのでしょうか?」との問いかけがまずあり、それに対し他国の私の提出した「Ready to drink tea」あるいは「RTDティー」があり、それに対して茶系飲料と完全に同一であるとは言い切れないので、Template:国際化#適用すべきでない場合にある、「「同一」であるかのような誤解を生じる惧れが高い場合。」に該当するのでは、という趣旨だと私は理解します。
uaaさんの提示された「数年のウィキペディア英語版の傾向を見ると、「全世界網羅的」な記事が減って、国毎の記事に細分化されてますね。このようなリスクを避けるためなのかと私は考えています」は非常にクレバーな対処法だと思います。しかしやはり、もうひとつのテストケースとして出させていただいた竹細工の内容とTemplate:国際化Wikipedia:日本中心にならないようにを読んで考えれば、これは国際化タグしかないんじゃないかな、とも思います。JPOVは確かに立場・視点に多くを裂いていますが、「世界的にみられる事象をそのことに触れず局地の事象のみを描写している場合、また局地の観点からのみ説明されている場合は、観点の偏りや誤解を生みやすい表現であるため修正や加筆を行うことが望ましいといえます」 と書かれていることもまた事実です。また、Wikipedia:加筆依頼は言ってしまえばすべての修正系タグに対応できてしまうものであり、これを使用するようにしてしまうことは一種の後退に感じられます。また今後、「国際化不足を理由としたWikipedia:加筆依頼タグ」を貼るべき題材なのか否かでまた見解の相違が分かれてしまい、今回のような編集合戦が起こらないとも限らず、「今後別のものを使いましょう」ではあまり解決には近づけていないと感じます。また竹細工なら誰もが使用に納得する? 米問屋なら8割は納得しない?、巡視艇は9割いくだろ、征夷大将軍は100%ありえないだろ、という、個人の考えによる偏りを「しきい値で判断する」ことは不可能であって、それを「そんなもん空気読めや」ではなく「可能な限りケースバイケースで明文化しておく」のがコミュニティとして正しい対処でしょう。
今回の議論の中でも、使用方法の厳密化や、使用法の2パターン化を明瞭にすればどうかという案も出ておりますので、そちらもご考慮頂きたいと思います。私の意見としましては、①使用時に同一の事物・概念であることを示す出典をノートで明記することを義務付ける②別記事化で対処できる際は可能な限りそうすべきであると明記する③JPOVにおいて明確にA.主語などの言い回しに問題のある場合B.世界的にみられる事象でそのことに触れていない場合C.視点に問題があり政治的論争を招きかねない場合、等の記述の充実化を図る、の3点を提案します。それでもやはり、このタグは使わないことにするのであれば、Wikipedia:加筆依頼以外の方法を考えたほうがいいのでは、と思います。
また、個人的には「貼り逃げと思われるから」という意見が結構な数あったことに驚いています。これに関しては、編集合戦相手であるIP氏の忌憚なき意見も聞かなければなぁ、と思いますので、止めていた私の会話ページを前進させます。--Tonbi ko会話) 2015年9月7日 (月) 12:40 (UTC)

コメント テンプレートと規約との関連性について(個人的感想にとどめておきます)私は、Template:国際化はTemplate:加筆の要求を具体化したサブテンプレートと考えています。なぜTemplate:国際化のドキュメントの関連項目節にJPOVのリンクがあるのか?については、(現状のためではなく)国際化の加筆が行われる際に失敗しないように注意を促すためであると思っています。
一番の原因はTemplate:国際化の表示文言なんだと思います「この項目は世界的観点からの説明がされていない可能性があります」は、ドキュメントの「項目やその執筆者・編集者を非難する目的で使わないでください」の解説を真っ向から否定しているように感じます。「この項目は世界的観点からの説明の記述が望まれています」とでもすれば使い勝手もよくなるような気がするのですが。--Triglav会話) 2015年9月8日 (火) 12:25 (UTC)

コメント 今回の編集合戦の原因はTonbi koさんの分析の通り、現状の国際化テンプレートでは

  1. 単に日本以外でも同一概念であるにも関わらず、日本の事例しか説明していないもの
  2. 政治的な議論を呼ぶ内容、(人種)差別的な意見、(国粋)主義的な偏重がみられるもの
の区別がつかないことにあります。JPOVにリンクしていることからも、2の「内容が差別的・偏見的である」と捉える方の方が多いのではないかと思います。しかしながら、テンプレートを使用する側からすればほとんどの場合、1の目的で用いていると考えられます。だとすれば、国際化テンプレートは1の目的だと分かるように文を書き換え、2についてはTemplate:観点を使うように決めてしまえばいいと考えます。--116.70.214.95 2015年9月9日 (水) 10:14 (UTC)
  • 報告 Triglavさん案「この項目は世界的観点からの説明の記述が望まれています」に変更してみました。--116.70.215.195 2015年9月9日 (水) 22:24 (UTC)
ご賛同頂けるのはありがたいのですが、元に戻しました。1200ページほどで(前文言で)使用中のようです。どうか慌てずにお願いします。それとアカウントの取得をお願いします。--Triglav会話) 2015年9月10日 (木) 00:00 (UTC)
  • コメント 反対がないようであれば1週間ほどで再度変更しようかと思います。--180.235.23.85 2015年9月10日 (木) 12:49 (UTC)

Template:国際化の改良について[編集]

コメント 「他国の事情の加筆要求については別のテンプレを作るべき」と言いながら、現在の使用状況を見ると大変な作業になりそうでどうしようかと考えていたので、「2についてはTemplate:観点を使う」はいい案だと思います。しかし、元々の争点が「日本以外の記述が無いというケースが”観点”と言えるか否か」なので、「この項目は世界的観点からの説明の記述が望まれています」では禍根を残すと思います。そもそも、”観点”を分離するのに「世界的観点からの説明」を求めるのはおかしいでしょう。”観点”を削って、「この項目には世界的な事象の加筆が望まれています」のようにしたほうがいいと思います。或は、Triglav氏が指摘されているように、膨大な記事で使用中なので、現行のテンプレを両方にそのまま使用できるように、「この項目には特定の国の記述に偏らないための加筆又は国際的に中立な観点からの説明が望まれています」のようにしてもいいと思います。使用方法の注意書きについては、もう少し考えて案を出したいと思います。
Raccoon Japaneseさんへ)
「海外の事情については良い出典が限られており、CiNiiで検索しても適切なものをなかなか見つけられません」という状況なら、無理に加筆しないほうがいいと思います。大変失礼ながら利用者:Raccoon Japanese/sandboxを拝見したところ、「日本国外」節の出典が殆んど日本人によるものですよね。「茶系飲料」というカテゴライズ自体は日本以外では使われておらず、日本人が他国の事情をそれで集計したようにも見えます。そうならば、そのように扱うべきでしょう。
Tonbi koさんへ)竹細工の件
「竹細工」もかなり広い意味を持つようですが、国によってはそれに納まらないような利用もあるようなので、現在の竹細工は「日本の細工物について述べる」とし、世界的な(東アジアが殆んどだろうけど)ものについては「竹の利用」がいいと思います。竹製の家とか足場が排除されずに済みます。竹#利用を独立させてもいいと思ったのですが、あの記事こそ「特定の国の記述に偏らないための加筆が望まれる」ばかりでなく、「国際的に中立な観点からの説明が望まれる」にも該当しますね。ちなみに、日本語の「竹細工」と「竹工芸」は違いますね。但し、中国語の「竹工艺」が=「竹工芸」なのか、「竹細工」のように多少広い意味なのかはわかりませんが(最近編集した陸戦隊のような例もあるので)。--uaa会話) 2015年9月10日 (木) 16:45 (UTC)

コメント  なんとなく皆さんの意見がまとまりつつあるようで喜ばしい限りです。もうちょっと私に時間があればきちんと私案を出したいです。またちょっと気づいたのですが、「国際化の3つのパターン」のうち、「①単に日本以外でも同一概念であるにも関わらず、日本の事例しか説明していないもの」に関しては今のところ文章単位で貼り付ける修正タグがないんですよね。仕組み的にもちょっと思いつきません。「②政治的な議論を呼ぶ内容、人種差別的な意見、国粋主義的な偏重がみられるもの」であれば、すぐに加筆訂正する余裕がなくても、問題の箇所に直接「大言壮語」だとか「独自研究」だとか「誰?」を貼ればとりあえずレベルでの問題の指摘になります。「③言い回しに我が国だとか我々日本人とあるもの」は、知恵も技術も出典も不要で誰でもすぐ修正できます。つまり、記事全体にかかる修正タグを貼らないと本当にどうしようもないのは、やはり①のケースだけではないかと思います。また、私もテンプレの新設はかなり骨の折れる作業ではあると思いますので、②のケースにTemplate:観点を使うのはいい考えだと思いますし、現状のTemplate:国際化から「観点」という単語をパージするのにも賛成です。
まとめまして、下記でどうでしょう?
  1. Template:国際化は①のためのものと関連文章に明記
  2. ②にはTemplate:観点を使うことも関連文章に明記
  3. テンプレートから「観点」の2文字を除去し、また反発を招きにくい文章にするなど改良をおこなう
  4. タグを貼る前に他の記事がないか探してみましょう。あなたが提灯に加えるべきだと思っているものはランタンかもしれません」的な文言を使用方法に加える
(個人的には 34で上げた例に関してはいろいろ不満があるのですが、ここで現代日本語の構造に文句いってもしょうがないですね)
返信 uaaさんどうも。新記事「竹の利用」はいいアイデアであると思います。しかし総論的な「竹の利用」が記事として立った場合には、今度は Japanese handiworks with bambooだけを扱った「竹細工」に果たして単体の記事として特筆性ありやなしや、という問題が出てきてしまうかと思います。日本竹細工組合(仮称)みたいな認定組織があるとか、どなたか権威ある学者の方が「日本の竹細工にはfooがbarである、またhogeがpiyoであるなど他の国に見られない特殊性があり……」と言ってるとかの出典がないと記事の存立が危ういのではという見解も出てきます。まぁこの辺は本当に難しいので各論を是々非々で、こちらが落ち着いてから該当記事で。(以上1コメント1返信)--Tonbi ko会話) 2015年9月10日 (木) 21:44 (UTC)誤記訂正--Tonbi ko会話) 2015年9月10日 (木) 23:22 (UTC)
単体の記事としての特筆性に「他の国に見られない特殊性」まで求められることは無いでしょう。分量の大きい部分を新たな記事として分割することが認められているのですから。--uaa会話) 2015年9月11日 (金) 15:23 (UTC)
(個々の記事事例についての話はここではあまりしたくないのですが)そうなっても結局は「竹細工に日本の事例しか書かない」という根拠はどこからも生まれず、結局は竹細工を国際化せざるを得なくなります。竹細工から国際化を排除しようとするあまりに話が堂々巡りになっているように感じてしまいます。--Tonbi ko会話) 2015年9月11日 (金) 15:41 (UTC)
難しく考える必要はありません。国や文化が違うのですから特殊性は十二分にあります。にも竹の利用についての記述があります。竹細工についてはの子記事という扱いになるんでしょうか。--183.76.226.186 2015年9月11日 (金) 21:45 (UTC)
ですから、「国や文化が違う」根拠が明確であればいいけど、そうじゃないとまずくね? という話を私は最初からずっとしてます。日本竹細工工業組合(仮称)みたいな組織が日本の竹細工はこうである、みたいな定義をしていたり、竹細工についてのオーソリティが日本の竹細工は他国と違う特筆性があると述べているという記述があれば私は1mmも記事の9割が日本のそれになっちゃうことには反対しませんよ。別に日本文化をDisりたいみたいな意図は本当にまったくないです。これだけは誤解しないで頂きたい。-Tonbi ko会話) 2015年9月11日 (金) 22:07 (UTC)ちょっと言い過ぎを訂正--Tonbi ko会話) 2015年9月11日 (金) 22:18 (UTC)
コメントUaauaaさん、コメントを頂きありがとうございます。
>「茶系飲料」というカテゴライズ自体は日本以外では使われておらず、日本人が他国の事情をそれで集計したようにも見えます。そうならば、そのように扱うべきでしょう。
というところが十分に理解できなかったのですが、改稿案の脚注15に挙げたJETROの報告書では、「ペットボトル等(略)そのまま飲める飲料」を「茶系飲料」として(pdfのP.6)、P.10の統計も含めそのまま海外の茶系飲料について記述しています。「茶系飲料というカテゴライズ」が外国でポピュラーかは分かりません(肯定も否定も文献中ではされていない)が、茶系飲料という枠組みを外国にも当てはめる姿勢を「信頼できる情報源」が採っています。ですので、加筆案はそれに従って書いています。
文献に対する姿勢の例として、最近書いたチェナーの定義を「インドフレッシュチーズ」としましたが、インドに「フレッシュチーズ」という概念があるかないか私には分かりません。ただ、信頼できる論文が「フレッシュチーズ」と定義しているので、著者が日本人でもそれに従って書いています。以上のような考えで、今回の加筆案でも「日本人特有の概念である」などとは特に書いていません(そういう出典があればもちろん書きます)。改めて問題点があれば、お手数ではありますがご説明をお願いできれば幸いです。よろしくお願いいたします。--Raccoon Japanese会話) 2015年9月11日 (金) 12:10 (UTC)
私が懸念しているのは、他国の似て非なる概念が「同一のもの」として混ぜ込まれることでして、JETROなどが同一の概念で他国の市場を分析した結果を加えるのは問題ありません。「茶系飲料」が「日本人特有の概念である」か否かを証明するのも難しいので、「特に書く」必要はないでしょう。「フレッシュチーズ」はそもそも万国共通のチーズの分類だったように私は認識してますが、他国のものを説明するのに「日本の~に相当する」というのも問題だとは思いません。私が言いたかったのは、そのような資料がなかったとしても、「日本国外の記述がないのは力不足」などとお考えにならず、慌てず騒がず「無いなら書かない」という姿勢でいて頂きたいということです。私が主に執筆している軍事関係には、「国際化」に対する強迫観念から、世界中の似て非なるものを無差別に集めてくる人が多いので、気になってしまったのです。--uaa会話) 2015年9月11日 (金) 13:09 (UTC)
国際的に共通する概念であり、それが記述された記事を「国際化が達成された記事」というのは問題ないかと思います。しかし、日本での概念をもとに集計した「統計情報」を記述して「国際化が達成された記事」というのは違うと思います。茶系飲料で揉める前に、まず先に飲料をどうにかするべきではないかと真面目に思いました。飲料は国際化以前にサブスタブ状態です。--183.76.226.10 2015年9月11日 (金) 13:26 (UTC)
飲料については、一般的な「飲み物」と日本の食品表記上の「飲料」がごっちゃになってますね。--uaa会話) 2015年9月11日 (金) 15:23 (UTC)
uaaさん、重ねてのご説明ありがとうございました。無理して似て非なるものを集めないように、とのご懸念について承知しました。今回の改稿案でそのような間違いがないように留意します。
183.76.226.10さん、飲料についての建設的な提言などありがとうございました。前回のコメントの通り茶系飲料が日本「だけ」の概念かは分かりませんが、JETROのレポートなどに基づいて加筆しようと思います。また、Trigravさんと同様に私からも(他のIPの方にも)お願いしますが、特段の事情がなければアカウントを取得して頂けませんでしょうか(Wikipedia:説明責任などの観点から取得が推奨されています)?複数のIPでこの項にコメントがあって、同じ発言者が含まれるのか客観的に判断できないと思われます。--Raccoon Japanese会話) 2015年9月12日 (土) 05:33 (UTC)
概念かは分かりませんとおっしゃるのであれば、分かるまで手を加えないようにしていただけませんか?困るのは閲覧者の方です。アカウントですが、同一かそうでないかによって問題が起こるような発言はしておりません。編集したい領域が半保護されているのであればアカウント取得も考えますよ。--183.77.110.125 2015年9月12日 (土) 08:00 (UTC)
183.77.110.125様の唯一の編集記録がJPOVに何の関係があるのかわからないので、この議論に参加している意図が掴めませんし、どうやってWikipedia空間のノートページにたどり着くことができたのかもわかりません。当該テンプレートの貼り剥がしでトラブルになってから議論に参加したほうがよい解決策が出せると思う。--Triglav会話) 2015年9月12日 (土) 08:38 (UTC)

(インデント戻します)183.77.110.125さん、>困るのは閲覧者の方です。 との事ですが、今回の改稿案を読んで、具体的にどう閲覧者が困るとお考えなのでしょうか?加筆部分については、出典を明示した通り、JETROや論文をそのまま引用しています。出典の信頼性に問題があるとは私には感じられませんし、独自研究でもありません。茶系飲料の概念を海外に適用したJETROの姿勢が問題である、という事でしたら、それを裏付ける出典を示して頂ければ幸いです。
また、投稿ブロックされたIPユーザーの方もこの議論に参加されているので、発言の固有性と同一性を表すためにも、Triglavさんと同様に重ねてログインをお勧めします。--Raccoon Japanese会話) 2015年9月13日 (日) 08:14 (UTC)

リダイレクト「世界的観点」の作成について[編集]

中立的観点独自研究出典の明記曖昧さ回避などのように、Wikipedia名前空間の文書の多くは記事名前空間にリダイレクトを持っていますが、Template:国際化の影響から、このガイドラインはどちらかというと「世界的観点」の名で知られており、そちらの用語のほうがむしろ有名であろうと思われるので、[[世界的観点]]というリダイレクトを新設しようと思うのですが、いかがでしょうか。--核青会話) 2015年11月16日 (月) 07:01 (UTC) 提案取り下げ。削除線を追加--核青会話) 2015年11月19日 (木) 14:47 (UTC)

  • 単純に世界的観点というと誤謬があるように思います。むしろ、JPOVを単純に「世界的観点」という言葉で表現してしまうからこそ、上記#Template:国際化は適切? 不適切?節のような問題が起こるのではないかと思います。JPOVの主題というのは文書表現的、文脈的な部分(そしてそれによって生じる暗黙的な部分)であって、一方であえて世界的観点と言う場合には文章表現というようなある種小手先の話じゃなくて具体的内容の粒度の問題に近いと考えてます。そういう意味では、前回の議論の続きとして、文書表現的な意味でのJPOVと、内容としての世界的観点で、明確に切り分けたような説明文にした方が良いんじゃないかなと思います。--EULE会話) 2015年11月16日 (月) 15:38 (UTC)
不見識をお詫びします。まず、この提案ですが、上の議論を踏まえたうえでの提案ではなく、全く突発的になされた軽々しいものでした。以前の議論を読まずに投稿したこと、大変申し訳なく思います。また、今から読み返そうとも考えましたが、当該論議には茶系飲料に関する具体的な話を基調に議論が進行しているようなので、ついていくことは私には難しそうです。よって、提案は取り下げとさせていただきます。お付き合いいただきありがとうございました。--核青会話) 2015年11月19日 (木) 14:47 (UTC)

年度[編集]

年度については国や組織によって開始月が異なりますがどうなんですか?4月始めとするところもあれば、10月始めとするところもあれば。同じ国の中でも企業によって年度初めが違いますよねっ。--36.3.174.141 2016年5月7日 (土) 18:30 (UTC)

まず、意短くも36.3.174.141氏が「同じ国の中でも」というように、同じ国でも、あるいは分野でも年度の期間は異なります。それは他ならぬ「年度」にも書かれてることです。ということは、それは日本/日本以外という区切りとは本質的に別問題です。よって、JPOVでそれを規定しようというのがそもそも誤りです。
また、実際の運用面でも、例えばある人物の学歴に「○○年度卒」と書かれていた場合、それが4月開始か9月開始で、読み手に非常に大きな誤解を生じさせるというケースはまず無いでしょう。中には、開始月が異なることによって、読み手に大きな誤解を生じさせるというレアケースもあるかもしれませんが、その場合はその記事中に説明が書かれてれば十分であるし、実際、まず書かれると思います。そういうレアケースのために、大半の問題の無いケースも全部、問題の渦中に落としこんで原則論で一律に縛るような制限を付けるというような提案はJPOVでなくとも、反対です。--EULE会話) 2016年5月8日 (日) 01:15 (UTC)

「問題となりうる文章例」の修正提案[編集]

①IPユーザーが、Wikipedia:日本中心にならないように#注意すべき表現へ、頻繁に合意なき追加を繰り返すので、保護依頼しました。しかし、そもそもこの節が必要なのか疑問です。具体的な例が挙げられているのですが、結果的には言葉狩りに悪用されているだけに思えます。最近でも、本規定を誤用して、「未邦訳」を「未日本語訳」という珍妙な日本語に書き換えまくったIPユーザーがいました(利用者‐会話:36.3.174.141#未日本語訳参照)。本規定は観点の中立性を求めるものであり、それが担保されていれば、本来どのような言葉を使ってもいい筈です。にもかかわらず、絶対使ってはいけない表現だと勘違いして、通常の日本語にはない”ウィキペディア語”を創作する輩が後を絶ちません。”ウィキペディア語”の創作こそ究極の独自研究ですよね。よって、百害あって一利なしであるWikipedia:日本中心にならないように#注意すべき表現の節を削除することを提案します。
②もう一点。「問題となりうる文章例」の冒頭の「世界的にみられる事象をそのことに触れず局地の事象のみを描写している場合~」ですが、片手落ちであると考えます。上記#Template:国際化は適切? 不適切?で疑問を呈したのですが、「局地的な事象が世界的にみられる事象であるかのように描写されること」への注意も盛り込むべきだと思います。このような記述は、日本中心の観点に基づいた独自研究という、三大方針の二つに違反するものです。よって「~望ましいでしょう。しかし、」と「最初から全てを網羅~」の間に、「逆に日本の局地的事象を世界的な事象であるかのように描写することも、日本中心の観点に基づいた編集です。また、世界中の似て非なる事象を同列に並べ立てるのは、独自研究でもあります。」の一文を加えることを提案します。--uaa会話) 2016年8月22日 (月) 06:34 (UTC)

反対 さすが、「然し」「或いは」「反れとも」といった表記を使う自由を主張するような方は言うことが違いますね。1は、単にそのIPユーザーの問題というだけで(あるいは uaaさんの問題であって)それだけです。「どのような言葉を使ってもいい」訳ではないというのが、この文書の趣旨です。「ウィキペディア語を創作しない」のはもちろんですが、それとは関係のないことで論外です。2については、その趣旨の是非はともかく、この文書で扱う内容からは逸脱しており蛇足になるため反対します。--Hisagi会話) 2016年8月22日 (月) 18:38 (UTC)
古い話を持ち出しての個人攻撃から始まるとは、さすが、礼儀を理由に2回もブロックされた人ですね。本規定の趣旨は、観点が日本に偏重するような”表現”を避けることであり、単語の使用規制ではありません。趣旨を勝手にでっちあげないように。本規定の趣旨から鑑みても、単語の使用規制や一律書き換えを促すような書き換えの例示は、少なくとも、削除すべきでしょう。②については、確かに当該節で扱う内容ではありませんね。「概要」節の片手落ちな重複なので、逆に全部除去してもいいですね。現状を維持すべきと主張するなら、その理由を説明してください。--uaa会話) 2016年8月23日 (火) 03:09 (UTC)
反対 Wikipedia:井戸端/subj/「各国の制度」節と「日本の制度」節ではどちらが先に来るかでも少し表明しましたが、全体的にuaa氏のJPOVに対する解釈・理解に賛同できません。JPOVとなりうる表現を回避しようとして稚拙な表現になってしまったのであればそれはそれで個別に修正すればよいだけであり、JPOVの観点から避けるべき表現や注意すべき表現があるという文面自体を削除する理由にはなりません。
なおIPユーザーが議論なしに追加したとして編集合戦になった「来日 → 訪日」の言い換えですが、今まで気にしていませんでしたが確かに「来日」というのに対して「来米」「来英」といった使い方はしないという非対称性があり、少なくとも検討に値するのではないかと思いました。--頭痛会話) 2016年8月24日 (水) 18:48 (UTC)
文面自体の削除までは必要なくても、稚拙な表現をされないようにする必要はあると思います。よって、⓵の代案として「我が国(わが国)」「本邦」「邦人」についても、その下の「外国」等の段落に組み入れることを提案します。現在の記述だと、一律書き換えなければならないように見えます。それ以前に、「邦人」の書き換えが 「日本人」のみというのもおかしいですね。文脈によっては「自国民」とかもあると思います。
②については、異論無いのですね?--uaa会話) 2016年8月26日 (金) 19:49 (UTC)
コメント はじめまして、①について幾つかコメントさせて頂きます。Uaaさんが挙げられた「問題となりうる文章例」を濫用したIP利用者のお話のような問題については、「注意すべき例」の削除ではなく説明を加えることによって解決すべきだと思います。私も「邦」という漢字を含む単語を機械的に削除・変更する方を見かけたことがありますが、彼らは「日本中心にならないように」という理念を理解できないからそういった頓珍漢な編集を繰り返すのであって、彼らのような利用者でも理解できるように「注意すべき例」の表現がどんな場合にどんな理由で「日本の視点によるもの」とみなされ、「避けることが望ましい」のか、またそれを踏まえた上でどのような言い換えが望ましいのかを誰にでも理解できるようにもっと詳細に書くことこそが必要なのではないかと思います。--ミクロ経済学会話) 2016年9月24日 (土) 08:33 (UTC)

「日本語中心にならないように」配慮する必要はあるのか?[編集]

はじめまして。ある利用者の方がWP:JPOVを根拠として「邦訳」を「日本語訳」、「邦題」を「題」、参考文献節の「邦語文献」を「日本語文献」、「外国語文献」を「欧語文献」といった具合に機械的に置き換えられているのを目にしたのですが、WP:JPOVは「日本語が表現の中心になること」すらも禁じているのでしょうか?私は「日本語版」のウィキペディアである以上、日本語が表現の中心になることは一切問題が無いと思うのですが。--ミクロ経済学会話) 2016年9月24日 (土) 08:49 (UTC) Symbol comment vote.svg 追記 関連した問題として次の3つを確認させて頂きたいです。

②ある概念の辞書的な定義を紹介する際に日本語辞書だけを引用することに問題はあるのでしょうか?(もちろんその概念が関連する分野によっては関連性の強い言語の辞書を引用することも必要だと思いますが)私は「日本語版」百科事典なのだから英語辞書、韓国語辞書、ドイツ語辞書などを網羅的に引用する必要はないと思います。

③ある概念「甲」の記事において、甲の語源を説明する際に日本語としての甲の語源だけを説明することに問題はあるのでしょうか?例えば「甲」に対応する英単語として"koh"があった場合、"koh"の語源も紹介しなければいけないのでしょうか?私はその必要はなく日本語中心に記事を形成していけば良いと思います。

④ある学術分野「乙」の記事において、日本語圏における乙の発展だけに焦点を当てた節を設けることには問題があるのでしょうか?そのように世界的な「研究史」の節とは別に「日本(語圏)における乙の研究」の節を作る場合は「中国(語圏)における乙の研究」や「ドイツ語圏における乙の研究」などを同程度に作成すべきなのでしょうか?私は「日本語版」ウィキペディアなのだから、記事で扱われる題材が日本語で書かれた研究論文に偏っていても問題ないように思います。もちろんその記事に「一般的・世界的な研究動向」が充実していることが前提ですが。

以上です。既出のものがあったらすみません。--ミクロ経済学会話) 2016年9月24日 (土) 09:16 (UTC)

個人的な意見ですが、「日本語中心」で構わないと思います。ただし「日本語圏」でない場所に居る日本語話者の事を考慮すべきだと思ってます--aki4会話) 2016年9月24日 (土) 11:41 (UTC)
私もAki42006さんと同意見です。日本語中心でいいと思います。ただし、日本人だが海外に住んでいる人や日本語を第2言語として学んだ外国人の学生さんも世界中にいることでしょうから、そういう配慮はするべきだと思います。そういう意味で言えば「邦訳」という言い方より「日本語訳」という言い方のほうが読者にとって都合がいいかと個人的に思います。
また、例えばミクロ経済学さんの下記の質問
ある概念の辞書的な定義を紹介する際に日本語辞書だけを引用することに問題はあるのでしょうか?
日本語辞書だけ参照することは問題ないと思います。ただし、Wikipediaの記事は常に編集され変わっていくものですから、日本語文献を出典とした編集の後に他の編集者が日本語以外の言語の出典を追加しても排除すべきではないし、日本語・他言語の資料は平等に扱われるべきだと思います。-ShuBraque会話) 2016年9月24日 (土) 16:11 (UTC)
(追記)これは私の個人的な意見であって、wikipediaの統一的な見解ではありません。-ShuBraque会話) 2016年9月24日 (土) 16:18 (UTC)

返信 コメント有難うございます。①②③についてはWP:JPOVの範囲外であり、より一般的なWP:NPOVの範囲で考えればよいということが確認でき良かったです。④の問題についてはケースバイケースでしょうね。ちなみに図書館で幾つかの辞書を調べたのですが、「本邦」が「この国。わが国。」(広辞苑第6版)、「this country, our country」(ウィズダム和英辞典)と定義されているのに対し、「邦訳」は「外国文を日本語に訳すこと。また、その訳したもの。和訳」(広辞苑)、「Japanese translation」(ウィズダム和英辞典)であり、日本語の文章の中で「邦訳」という言葉を使った場合にJPOVが危惧する問題が起こる可能性はゼロだと思います。したがって、出典の記述や一般的なコロケーションとして自然な表現であれば躊躇なく「邦訳」という単語を用いても問題ない、というのが私の結論です。--ミクロ経済学会話) 2016年9月25日 (日) 08:27 (UTC)

日本語からしたら英語や中国語は「外国語」に他なりませんから、「外国語文献」を「欧語文献」に直すのは行き過ぎかと思います。それ以外の修正は妥当でしょう。「邦訳」は辞書を引けば「日本語に訳したもの」と出てきますが、それは日本語辞書を引くのが日本人であるという前提があるからで、Wikipedia:日本中心にならないようにで避けた方が良いとされている「邦人」と事情は同じです。まあ、「邦訳」と書いてあったところで致命的にまずいというようなことでもないですから、ほかの編集の序にでも「日本語訳」などに直したほうがよろしいと思います。--頭痛会話) 2016年9月25日 (日) 09:55 (UTC)
ちょっと確認なのですが、「それは日本語辞書を引くのが日本人であるという前提があるから」の部分には出典が必要なのではないでしょうか。
「邦人」の場合「自国の人」「日本人」の二通りの意味を挙げている辞書が複数ある(広辞苑、精選版日本国語大辞典、デジタル大辞泉)のに対し、「邦訳」は上記三辞書すべてが、上でミクロ経済学さんが挙げている意味しか載せていません。この点で、無条件に「「邦人」と事情は同じ」とはいえないと感じており、「日本語の文章の中で「邦訳」という言葉を使った場合にJPOVが危惧する問題が起こる可能性はゼロだと思います」というミクロ経済学さんのご認識に私も賛成です。実際のところ、「邦訳」を「日本語以外の特定の国の言語に訳すこと」の意味に用いられた実例があるのか、ということ自体に疑問を感じています。
なお、「邦」が本来「くに」一般の意味であるというくらいは当然存じていますが、「日米関係」の「日」を「太陽」、「米」を「コメ」の意味に解釈する人が普通いないのと同じように、単語の本来の意味と、熟語での用いられ方は文脈によって当然変わる場合があり、単純に文字単位にばらして本来の意味で解釈する行為が常に成立するとは限らないと認識しています。
なので、さすがに「日本語訳」を「邦訳」に直して回るような行為は不毛だと思いますが、あえて「邦訳」を「日本語訳」に直すべき理由も現時点では無く、仮にそれがなされるべきであるなら、裏づけとなる外部のしかるべき出典(「邦訳」の使われるべき場面の適否などを、直接的であれ、他の熟語などのついでであれ論じている専門家の文献など)が必要なのではないかと、私は考えています。--Sumaru会話) 2016年9月25日 (日) 14:02 (UTC)
なるほど。たしかに「邦人」とは違い「日本語に訳す」という定義しか確認できないようです。
なお「邦」を漢語辞典でひくと「1.国家。国土。2.わが国の。日本の。」とあり、「邦文」「邦楽」「邦訳」が2の例として出てきます(岩波新漢語辞典)。「単語の本来の意味と、熟語での用いられ方は~」というのはおっしゃる通りと思いますが、このようなかたちで字義を単語と結び付けて解説されている以上、やはり「避けた方がよい」といいうるであろうと私は考えます。もっとも「邦楽」は「日本音楽」と必ずしも言い換え可能ではないようなので、無理なく言い換えられるならというところでしょうか。「邦語」は辞書に「自国の」とあるので避けるべきだが「邦文」「邦訳」はないので異なる、というのは漢字のなりたちから考えてだいぶ釈然としないものがあります。--頭痛会話) 2016年9月25日 (日) 17:44 (UTC)
>このようなかたちで字義を単語と結び付けて解説されている以上、やはり「避けた方がよい」といいうるであろうと私は考えます
確かにそういうお考えも一理あると思います。しかしその書き方は逆に、『邦訳』等の場合は、一般的な「くに」の意味で使われていない(=日本の事象のみを指す熟語である)ことを裏付けているとも言えますから、『邦訳』=日本語訳、以外に解釈されないことをむしろ証明しているようにも解釈できませんか。(「わが国の」のみが挙げられていて「邦訳」がその例に挙がっているなら問題でしょうが、「日本の」という字義もあげられている状況では、強く問題視されるべきものとは私は感じません。『邦訳』という語を見て「これは『わが国の訳』の意味だ。そしてわが国といえば日本なのだから邦訳とはすなわち日本語訳なのだ」という面倒な理解しかしない人が日本人であれ、外国人であれ、そう多いとは考えられないということです)
>漢字のなりたちから考えてだいぶ釈然としないものがあります
おっしゃりたいことはもちろん理解できます。しかし、全く(あるいはほとんど)使われることの無い語義(の可能性)まで、「漢字の成り立ち」から配慮する必要があるものなのでしょうか。『邦人』は二通りの意味があるから日本語の不自由な話者が辞書を引いても迷う可能性はゼロではない、しかし、『邦訳』は辞書を引けば一意に確定させられる可能性が高く、日本語の不自由な話者がそもそも『邦』の「成り立ち」にまで遡って意味を推察する可能性は低いのですから、避けるべきというのは「誰に対する」配慮なのか、が分かりません。
ただ、中国人ならば自国での字義に照らして確かに奇異に感じるかもしれません。しかし、それは「日本語」の解釈ではありません。
そして、それを言い出せば『米国』でさえ、他の漢字文化圏(「美国」)と異なる表現であり、「漢字の成り立ち」からも離れた「日本の視点によるもので、避けるべき」ということになりかねません。しかし、「日米関係」を「日本アメリカ合衆国関係」と言い換えよ、という主張は多分誰もしないでしょうし、しても支持されないでしょう。『米国』の「米」は本来の字義を離れていても問題ないのに、『邦訳』の場合の「邦」は慣例的に「日本」の意味以外には理解されなくても、「くに」という本来の字義に配慮せねばならない、というのは、私には過剰反応に感じられます。--Sumaru会話) 2016年9月25日 (日) 18:32 (UTC)
頭痛さんの引用された『岩波新漢語辞典』が「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」を採っている可能性が高いと思います。つまり、仮に「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」を放棄している辞書ならば、「1.国家。国土。2.わが国の。日本の。」ではなく「1.国家。国土。2.わが国の。3.日本の。」と書かれているはずでしょう。私もSumaruさんと同様に「邦訳」が「日本語以外の特定の国の言語に訳すこと」の意味で用いられているのを見たことがありませんし、頭痛さんの理想とする「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」を放棄している辞書であれば「2. わが国の。」ではなく「3. 日本の。」の例として「邦訳」が掲載されていたのではないでしょうか?要約すると、「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」から脱却することを目的とした議論に「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」を採用した文献を根拠として持ち出したことによってパラドックスが生じている可能性がある、ということです。--ミクロ経済学会話) 2016年9月25日 (日) 19:24 (UTC)
「米国」を続けて引き合いに出されている意図がちょっとよくわかりません。「米」は漢字辞典でも独立した字義のひとつとして「アメリカ合衆国」と明記されています。私が問題に感じているのは、「2.わが国の。日本の。」というふうに、「わが国」「日本」が字書の定義として明確に分けられず並列されているという点です(「くに」という一般事象が「日本」に置き換えられているという点ではありません)。これは日本語話者にとっての「わが国」が「日本」である、という前提から生じている事象に他ならず(逆ではありえません)、かつ両方の字義を明瞭に区別することができない、ということを意味していると私は考えます。漢字の字義にまで遡って捉えるべきであるか、という点について疑問に思われるのはもっともかと思いますが、「一般事象について述べるとき、できる限り平易で公平な観点で描写するのが望ましい」( 傍線引用者)という現状の文面を額面どおり受け取るなら、それを言い換えることによって失われるものがない限りにおいては可能な別の表現をとった方が良いとは言いうると思いますし、それを過剰反応であるとは考えません。なお蛇足ですが、日本語にかぎらずその言語の初学者のほうが、むしろ単語を構成する要素を手掛かりに個々の単語の意味を覚えたり解釈しようとする傾向がないでしょうか。
もっとも実際問題としては「邦訳」でなにか困ったことが生じるとは考えにくいと私も思いますし、この上「邦訳」や「邦文」を避けるべきと考えることを共通認識とすべきだとまで主張しようとは思いません。--頭痛会話) 2016年9月25日 (日) 19:58 (UTC)
「くに」一般なのか、「わが国」なのか、という点につき、私の主張に一部混乱があったことをまずお詫びします。その上でですが、
>かつ両方の字義を明瞭に区別することができない
そうでしょうか。少なくとも私の手元の『新漢語林』第二版では、「わが国」の意味は日本で追加された意味(元の中国の語義には無い)であることが示されていますが、お手元の辞書にはそういう記号等がありませんでしょうか。日本で付与された意味なら「わが国」が「日本」になるのは自明ですが、他方で『邦人』の「自国の人」という意味も「わが国の人」の意味から派生しているのは明らかでしょう(広辞苑で『邦』(ほう)を引くと「わが国。自国。日本」とあります)。『邦人』の場合、「わが国」という日本で付与された意味から「自国の人」「日本人」の二通りの意味が導かれているのですから、意味の区別は可能と考えられます(もっとも個人的には、日本の意味から離れた「自国の人」の意味で『邦人』を使っている実例を見たことがありませんが)。そうであれば、いきさつはどうあれ、現に「邦」が「日本」の意味でしか使われなくなっている熟語があることを、ことさら問題視しなくてよいのではないでしょうか(上で述べた「面倒な理解しかしない人」云々はそういう意味です)。
アメリカの例は日本で独自の意味が付与され、日本でしか通用しないものの例として挙げました。現実問題として「日本語訳」の意味でしか使われていない『邦訳』が、元々の意味に遡って「わが国=日本」という図式より導かれたから不適切、となるのであれば、Wikipedia:日本中心にならないように#注意すべき表現の「日本の視点によるものであり、通常は避けることが望ましい」は『米』という字にも適用されるべき(日本人以外の視点ではコメがアメリカを意味することはありえないのですから)、という意図です。もっとも、この例はあくまでも言葉狩りというか文字狩りに繋がる過剰反応では、という意図で出したに過ぎないので、別にこれ以上こだわるつもりはありません。
当方としては、「ほかの編集の序にでも「日本語訳」などに直したほうがよろしいと思います」と仰っていた頭痛さんが「「邦訳」や「邦文」を避けるべきと考えることを共通認識とすべきだとまで主張しようとは思いません」と明言して下さったので、この話題をこれ以上続ける意図はありません。--Sumaru会話) 2016年9月25日 (日) 22:16 (UTC)
ミクロ経済学さんが出されたお題についコメントさせていただきます。
①について
日本語版である以上、正しい日本語で表記することが第一であると考えます。ここは”ウィキペディア語版”ではありませんから。従って、「日本語訳」は許容できますが、「未日本語訳」はないと思いますね。「欧語文献」とか「日本語題」も見慣れない表現ですし。「邦題」を「題」としたら意味自体変わってしまいますしね。逆に、「邦語文献」については「日本語文献」のほうが一般的なように思えます。日本語を学ぶ外国人への配慮が指摘されていますが、ならばこそ、正しい日本語(一般的に使われる表現)を使うべきなのではないでしょうか?「ウィキペディアで日本語を勉強した、変な日本語を使う外国人」が現れたらシャレにならないでしょう。
②③について
日本語辞書の定義のみでもいいとは思います。しかし、記事の主題によっては、対応する外国語の定義が日本語とずれている場合もあります。そのような場合は、他言語における定義も示した方がいいと思います。その辺が曖昧で、記事全体がぐちゃぐちゃになっているケースが多々見られます。語源も、日本語のものだけでもいいでしょうが、他国語だと「語源が違うから定義も微妙に違う」のようなこともあると考えられます。
④について
問題ないと思います。逆に、他国の事象も書かなければならないという強迫観念に駆られて、独自研究に走ることを防げないだろうかと考えています。--uaa会話) 2016年9月25日 (日) 17:19 (UTC)

返信 皆様、参考になるコメントをありがとうございます。◆頭痛さんの「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提がある」という部分についてはSumaruさん同様に私も懐疑的な立場です。また、仮に広辞苑などの日本を代表する辞典が「邦訳」等の語彙を定義する際に「日本語辞書を引くのが日本人であるという前提」を採用していたならば、ウィキペディアでも同程度の基準を採用して良いと思います。というのも、中立性に関する基準は相対的な問題であり、どういった「程度」を採用するかという裁量が我々に求められているからです。もちろん辞典と事典の違いはありますが、辞典を作る一流の学者が仮にその程度の「前提」を採用していたならば、事典を作る我々もそれを模範として採用する、という決定には一定の合理性が認められると思います。◆uaaさんの「正しい日本語を使うべし」、という一貫した主張は強く同意できます(先に挙げられた「未日本語訳」はその極端な例でしょう)。ただし、「正しい日本語」や「適切な表現」は分野やコロケーションによって変化し得る、というのが私の主張です。例えば、「邦語文献」という表現は一部の学問分野や学術雑誌において「日本語文献」という表現よりも主流であり、「邦語文献」に対しては「欧語文献(あるいは漢語文献)」、「日本語文献」に対しては「外国語文献」というように表現を使い分けている方もいるようですし、こういった「何が正しい日本語か」という基準についても各記事の編集者がJPOVとは別の次元で追求する必要があるかと思います。何れにせよ、上記の問題はJPOVの領域外であると考えて良いでしょう。--ミクロ経済学会話) 2016年9月25日 (日) 17:49 (UTC)

検証可能性との関係で見極めが必要な見解[編集]

Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」とあります。

次の2つの見解にはこの方針との関係について疑問があります。

  1. 「常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先」することはないとする見解
  2. 「日本語版の読者」を前提に考えるべきではないとする見解

日本語による情報源は日本語以外の言語による情報源より優先することはないとする見解は検証可能性の文言との関係についての説明が必要です。また「日本語版の読者」を前提に考えるべきではないとする見解については、記述の観点で国際化が重要なのはよくわかりますが、査読の観点を無視して単純にこれだけを強調されるとWikipedia:検証可能性の前提を否定しているようにみえます。場合によっては説明が必要になるかもしれません。検証可能性の方針の文言に従うなら「日本語版の読者が容易に検証できる」上での国際化が求められているのではないでしょうか。Wikipedia:検証可能性と異なるものでないなら構いませんが、異なる主張ならばまず変更を提案されるべきかと思います。--KOUGOKOU会話) 2016年10月9日 (日) 00:58 (UTC)

よくある誤解ですが、ここで言われているのは日本人であることを暗黙の前提とするなであって、日本語や日本語話者を前提にするな、ではありませんし、日本であることが明示的であれば問題ありません。まして情報源の観点にいたってはどこにも書いてありません。よって日本語版として、可能なら日本語の文献が望ましいとする検証可能性とは何ら矛盾はありません。--EULE会話) 2016年10月9日 (日) 01:48 (UTC)
早速コメントありがとうございます。Wikipedia:日本中心にならないようにで言われていることがWikipedia:検証可能性に反していますよという指摘ではありません。一部の「見解」に言語に関係なく情報源をすべて同等とみるべきというようなコメントがあったので、仮にそのような解釈をするなら説明が必要でしょうということです。これまで出された見解がいずれも情報源の観点に言及するものでないなら特に問題はありません。EULEさんから御教示いただいたように情報源の観点との区別をしっかりと認識したうえで議論されるようにお願いしたいです。--KOUGOKOU会話) 2016年10月9日 (日) 02:54 (UTC)
どうやら、KOUGOKOU氏が、氏自身の中で完結されてしまってて、論点が見えません。「一部の「見解」に言語に関係なく情報源をすべて同等とみるべきというようなコメント」というのがどこにあったのでしょうか。どこかの記事でそういう話題があったとしても、それはこのガイドラインを誤解しているというだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもございません。そうではなく、もし現状の文面にKOUGOKOU氏がそう感じられた部分があるというのであれば、それを具体的に示していただけないと結局、何の議論にもなりえません。--EULE会話) 2016年10月9日 (日) 03:14 (UTC)
Wikipedia:日本中心にならないようにの現状の文面に対する指摘ではなく、それに対する見解への疑問だったのですが、いずれも情報源の観点に言及するものでなかったとすれば杞憂だったのかもしれません。EULEさんには私にもわかりやすく説明していただき感謝しております。--KOUGOKOU会話) 2016年10月9日 (日) 04:17 (UTC)