Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ4
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あらすじと出典の明記
[編集]en:Wikipedia:WikiProject_Films/Style_guidelines#Plotに“Plot summaries do not normally require citations; the film itself is the source, as the accuracy of the plot description can be verified by watching the film. Exceptions to this rule may apply to films containing plot details that are unclear or open to interpretation, in which case the various interpretations should be cited to reliable sources.”(訳:あらすじは通常、出典を明記する必要はありません。映画それ自体がソースであり、映画を見ることであらすじの正確性は検証しえるからです。このルールの例外は、あらすじが不確かな場合、あるいは解釈の余地がある場合です。解釈それぞれには信頼のおける情報源からの出典が必要とされます。)とありますが、これは日本語版に移入してもよいでしょうか。とくに問題はなさそうですが、この文章についての議論を英語版で探してみても見つからないし(探し方が足らないのかも)、これは映画以外にも小説、ゲーム、ドラマなどとも関係しそうなので、こちらで質問してみました。--Afaz 2009年2月25日 (水) 13:16 (UTC)
- これはまた、問題の多そうな指針ですね・・・。「あらすじ」がWikipediaの読者に好意的に受け入れられるか他の編集者に軽く流されている(見のがされている)状態なら問題なさそうですが、深刻な編集合戦が発生したらどうなんでしょう。あらすじはWikipedia読者の便宜に供するための「仮の穴埋め(Wikipedia編集者による創作(独自の要約))」ですから、Wikipediaの編集ルールに正確に従うなら「あらすじ」にも検証可能性(出典)が必要になりますね。投稿者次第では、「あらすじ」と称して自分の詩・作文・エッセイを投稿するような人もいるでしょうし、それをリバートしたら紛争になるでしょうしで「あらすじのガイドライン」が必要なのかも。--ネコバット 2009年2月25日 (水) 13:40 (UTC)「あらすじ」についての基準の例としてWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画/過剰な内容の整理#過剰な内容の整理があるようですが、一般化されているわけではなさそうですね。--ネコバット 2009年2月25日 (水) 13:53 (UTC)
- こんばんは。私は、多少解釈が緩めのせいか英語版のその記述には諸手を挙げて賛成派です(作品内で明確に判断できないことや解釈については二次資料の出典を必要とするという部分も勿論含めて)。ただ日本語版では、この考え方には抵抗がある方の方が多数派かもしれませんね。実際のところはわかりませんが。個人的には、創作作品の原典は(その作品記事においては)神の書であって、原典に「白」と記載があれば、二次資料がいくら「黒」となっていようが問答無用で「白」が正解――というのは基本事項だと思うのですが。そうした発言を参加まもない頃にしたところ、大荒れになって井戸端まで持ち込んでやっと沈静化したようなあまり思い出したくない記憶があります。現在の日本語版の方針を素直に読めば「一次資料だから作品本体を出典とすることは望ましくない」と理解するのも無理はないかと思いますし。少し話がそれるのですが英語版には、創作作品のスタイルマニュアルがあり、そこには使用できる一次情報源として「and, of course, the plot itself」との記載があります。こちらのガイドラインに関しては、昨年末にガイドラインからの降格動議が出され雪玉で終了していますので、ガイドラインとして一定のコミュニティの評価は得られていると判断してよいかと思います。話が脱線しましたが、私はAfazさん提案の英語版の文言について「輸入に賛成」です。ですがもめるようなら、遠回りですがまず上位ガイドラインの輸入からやった方が安全かなとも思います。なお、あらすじのガイドラインについては、Kojidoiさんが、現在「利用者:Kojidoi/ストーリー紹介の在り方についての解説素案」で素案作りに取り組まれています。そちらと一緒に検討してみてもいいのではないでしょうか。--Giftlists 2009年2月25日 (水) 15:02 (UTC)
- A good plot summary should stick to describing what happened in the film, and does not interpret the reactions or motivations of the characters, attempt to explain the significance of events, or speculate about the purpose of the filmmakers - such analysis belongs in Critical reception and must come from reliable sources.
- 良いあらすじは、映画の中で起こったことの描写に徹するべきであり、作中人物の反応や動機を解釈したり、出来事の意味の説明を試みたり、製作者の意図を推測したりするべきではありません。そういう分析は「批評」の章で行うべきですし、信頼できる情報源に準拠していなければなりません。
- というわけで、解釈が分かれる余地がある場合には、やはり出典が別途必要になります。、ネコバットさんがご懸念の「編集合戦」について言えば、「編集合戦」になるということはおそらく解釈が分かれているということでしょうから、そういう場合には「別途出典を出してくれなければ記述を除去」で良いと思います。
- Giftlistsさんの 「原典に「白」と記載があれば、二次資料がいくら「黒」となっていようが問答無用で「白」が正解」には、私としては若干異論があります。「黒」だと言っている二次資料がある以上、「白」か「黒」かについては異なった解釈の余地があるわけで、「白」を裏付ける出典がないなら、「原典に「白」と記載」という判断自体が執筆者の「解釈」に過ぎないことになります。そういう「解釈」は、やはり記事に書いてはいけないだろうと思います。--Dwy 2009年2月25日 (水) 18:02 (UTC)
- こんばんは。最初に書いたように私は解釈が要求されるものには二次情報源による資料が必要派です。白黒例は、文字通り原著で白となっており、二次資料で黒なっているような、解釈が混じらなくてもわかるようなものです(Wikipediaの方針は一次情報と二次情報に差異があったら二次情報を採用しましょうとあるので、それを真っ正直に受け取ってしまって二次資料を採用しようと言う方もたまにおられるのです。ちょっとびっくりですが)--Giftlists 2009年2月26日 (木) 14:24 (UTC)
- 「原典は神の書」だとしても、Wikipediaの執筆者は素人ですから「僕たちでは神様が何とおっしゃっているのかちゃんと理解できないかもしれない」というくらいの謙虚な心が必要だと思います。その意味で、Giftlistsさんの「二次資料がいくら「黒」となっていようが問答無用」という言い方にちょっと抵抗を感じています。
- 少なくとも、信頼できる情報源(=第三者による事実確認や査読等の手続きを経た情報)が「黒」だと言っている場合には、「原典で白となっている」というWikipedianの判断は引っ込めなければいけないだろうと思います。一方で、信頼できない情報源の出鱈目な情報ならば、記事を書く際に考慮する必要はないでしょう。つまり、「黒」だと言っている二次情報の信頼性を検討・確認した上でなければ白黒はっきり決められないはずです。「問答無用」は少し傲慢かなと思います。
- もっとも、情報源の信頼性については「明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます」[5]ということになっていますから、Giftlistsさんが、「黒」と言っている二次資料は信頼できないと判断されたのなら、おそらくその判断は正しいのだろうとは思います。--Dwy 2009年2月27日 (金) 09:33 (UTC)
- こんばんは。えーとですね、私が申し上げているのは解釈論を挟まない話です。小説の中で「主人公はパリへ旅立った」と書かれていて、二次情報で「主人公はロンドンへ旅立った」となっていたら、どちらが正しいかは自明ではないですか? うーん、最初のコメントで解釈を挟むものには二次資料の出典が必要であると断り、追記のコメントでも念を押したにも関わらず、どうして解釈論の話だという前提で傲慢な解釈という結論になってしまうのか正直戸惑います。最初に私が一次情報源の有意性について書く際に蛇足的なことを書いたのが悪かったのかもしれませんが、話題がそれてしまってAfazさんには申し訳ないことをしてしまいました。以後は「白黒の例え」についてのコメントは控えます。--Giftlists 2009年2月27日 (金) 10:28 (UTC)
- 何を原典とするかも含めて、あらゆることが解釈の対象になりえます。解釈が入っているかどうかは結構判断が難しい問題で、一見解釈の余地がなさそうなところでも、場合によっては読む人の判断によって違う結論になっていることがありえます。例えば、「従来出版されているほとんどの版では「パリへ旅立った」とされているが、これはベストセラーとなった○○版の出版時の誤植がその後も訂正されずに流布してしまったもので、本来は「ロンドンへ旅立った」が正しい」のようなこともありうるわけです。「ロンドンへ旅立った」と言っている情報源がある以上、その情報源の信頼性や情報の内容を確認することなく、「自明」だからと「問答無用」で切り捨ててしまうのは、やはり少し乱暴だと思います。--Dwy 2009年2月27日 (金) 17:49 (UTC)
- こんばんは。えーとですね、私が申し上げているのは解釈論を挟まない話です。小説の中で「主人公はパリへ旅立った」と書かれていて、二次情報で「主人公はロンドンへ旅立った」となっていたら、どちらが正しいかは自明ではないですか? うーん、最初のコメントで解釈を挟むものには二次資料の出典が必要であると断り、追記のコメントでも念を押したにも関わらず、どうして解釈論の話だという前提で傲慢な解釈という結論になってしまうのか正直戸惑います。最初に私が一次情報源の有意性について書く際に蛇足的なことを書いたのが悪かったのかもしれませんが、話題がそれてしまってAfazさんには申し訳ないことをしてしまいました。以後は「白黒の例え」についてのコメントは控えます。--Giftlists 2009年2月27日 (金) 10:28 (UTC)
Dwyさん、英語版での議論のポインタをありがとうございます。en:Wikipedia:Manual of Style (writing about fiction)が根拠文書のようですね。“英語版で「あらすじには、通常、出典を明記する必要はありません」と言っているのは、「あらすじ」では解釈や分析を書かないことになっているからである”は重要でしたね。あらすじに関しては「独自研究にあたるのではないか」という議論を英語版のあちこちで見つけることができますが(en:Wikipedia talk:No original research/Archive 1#Books and moviesなど)、あらすじでは解釈や分析を書かないことがコンセンサスになっているようで、その場合、独自研究にあたらないし出典も必要ない、という議論のようでした。それでは時期をおいてPJ:FILMのスタイルガイドに移入したいと思います。ありがとうございました。--Afaz 2009年2月27日 (金) 12:02 (UTC)
関連項目に追加していただきたい。
[編集]Template:出典の明記 を追加してください。--124.155.108.157 2009年3月25日 (水) 08:35 (UTC)
ニュースサイト
[編集]時々、ヤフーニュースのように他のニュースサイトから拾ってくるサイトを再引用してあることがありますが問題ないのでしょうか? 後、最近は記事の長期保存してあるところが多いですが一定期間で記事が消滅するようなところはどうなんでしょうか?(ヤフーニュースの場合上記の問題を無視しても記事は一週間で消えますよね。) --123.203.129.178 2009年4月4日 (土) 03:14 (UTC)
脚注スクロール廃止提案
[編集]脚注表示部分において、スクロールリスト表示させることを廃止する提案がHelp‐ノート:脚注#脚注スクロール廃止の提案で出されております。こちらにも関係すると思われましたので、お知らせしておきます。--Tam0031 2009年4月22日 (水) 14:47 (UTC)
1年以上経っている要出典範囲
[編集]wikipediaの編集を行っていると1年以上前に貼り付けられたものを見るのですがそれは文章ごと削除してよろしいのでしょうか。
△△△△△△△△△△△△△、{{要出典範囲|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○|2008年5月10日 (木) 08:30 (UTC)}}。□□□□□・・・
の様な感じのものです。—以上の署名の無いコメントは、心日和(会話・履歴)さんによるものです。
- 時間ルールはあまり関係がないのじゃないでしょうか。「要出典」を塗布した側も「自分も確かにおなじ内容のことをどこかで見た事があるのだが、うろ覚えで何だったか自信が無い」といった程度で内容の正確性より情報源そのものの情報を探している場合もありますので、この場合は機械的に削除してよいような種類のものとは違うかもしれません(他の編集者にとってはそうでもないので削除されてしまう可能性はありますが)。正確性に疑念があり、記述しておくことが好ましくない種類の「要出典」は適宜コメントアウトすれば宜しいかとおもいます。--大和屋敷 2009年5月12日 (火) 13:22 (UTC)
著作権(およびその隣接権)の遵守の説明の修正が必要
[編集]2004年10月11日 (月) 17:39の作業によって「なお、引用に関してはGFDLとの不適合から、ウィキペディア内で引用をすることは薦められません。」が加えられています。このことが元になって現在の「なお、日本語版を取り巻く状況により、あるいは様々な意見があって、現在のところ日本語版ウィキペディアでの引用は勧められません。・・・」となりました。この文章は間違っていると思われます。引用を制限されるのは文字資料以外の写真、絵画などではないでしょうか。これらの制限は別の場所(Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意)で規定されているのでこの部分を削除することを提案します。--Sweeper tamonten 2009年5月27日 (水) 03:19 (UTC)
- Wikipedia:原典のコピーはしないという頁を見つけたのですが、これには引っかからないのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、藤田紗代(会話・投稿記録)さんが 2010年6月28日 (月) 06:46 (UTC) に投稿したものです。
本文記述追加提案
[編集]目蒲東急之介です。さて人物記事、人気有名人記事に多い(その他の記事でも極稀に見掛けるが)のが、「ある~では」「某~では」と言う、意図的に出典を明記しない(と言うより伏せている)文章が多い事です。この為解説本文に、例えば「「ある~では」や「某~では」との記述では出典を伏せているいる事になる為、この様に記載する事は好ましくありません。出典を意図的に伏せずに具体的に明記する様にお願いします」と言った一文を追加すべきではないかと思いますが、如何でしょうか?これに付いてのご意見やご提案、ご反論があればよろしくお願い申し上げます。--目蒲東急之介 2009年6月19日 (金) 21:07 (UTC)
- まだ意見が無い様なので、近々文章に追記する事を検討開始しました。--目蒲東急之介 2009年8月8日 (土) 09:51 (UTC)
- むしろWikipedia:存命人物の伝記にて検討すべき内容かと思いますがいかがでしょうか?--Web comic 2009年8月8日 (土) 09:59 (UTC)
- なるほど。そこでも良いかも知れませんね。ただ人物記事にやたらとこう言う類は多いですが、その他の記事にもごく一部にあったのでここで提案した次第です。ご提案に感謝します。--目蒲東急之介 2009年8月8日 (土) 10:03 (UTC)
- むしろWikipedia:存命人物の伝記にて検討すべき内容かと思いますがいかがでしょうか?--Web comic 2009年8月8日 (土) 09:59 (UTC)
「出典の示し方」の節について
[編集]「出典を明記する#出典の示し方」の節についてコメントさせて下さい。「参考文献の示し方」という項目の2番目なのですが
- 2.並べる順序は、著者名別の五十音順、またはアルファベット順で統一する。姓を先行させ、姓が同じ場合は名前で順序をつける。同一著者は年代順にする。
という一文なのですが、これは参考文献が複数ある場合の記載法ということですよね。この一文だけだと、説明が足りないし分かりづらい気がしたので(少なくとも私は一度、読んだだけではわからなかったので…)、
- 2.参考文献が複数ある場合、記載する順序は、著者名別の五十音順、またはアルファベット順で統一する。姓を先行させ、姓が同じ場合は名前で順序をつける。同一著者は年代順にする。
というふうに記述を追加したいと思ったのですが、どうでしょうか。ご意見お聞かせくだい。よろしくお願いします。--藤田紗代 2009年6月23日 (火) 05:42 (UTC)
- そうですね、確かに分かりづらいかも。私も後者の改案のほうが、文の流れは良くなると思うので支持します。--ブレイカーズ 2009年6月25日 (木) 16:50 (UTC)
- こんにちは。その前の「参考文献は記事の一番最後にまとめて記載する」(読点は余分なのでこの話が終わったら一緒に除去しといてください)のほうは、違和感はなかったでしょうか。一瞬とまどったとしても、理解できるのであれば、それほど強く主張するわけではないですが、このままのほうがよいと考えます。どっちかというと、ひとつだけというのが例外的ですし、単一の情報源に依拠する記述は好ましくないので、「参考文献が複数ある場合、」という限定の仕方は避けたい気もします。--Ks aka 98 2009年6月25日 (木) 17:22 (UTC)
- そうですね、確かに分かりづらいかも。私も後者の改案のほうが、文の流れは良くなると思うので支持します。--ブレイカーズ 2009年6月25日 (木) 16:50 (UTC)
- 確かに「参考文献は記事の一番最後にまとめて記載する」のまとめては余分な気がするし違和感がありますね(読点も)。なくてもいい気がします。
- >どっちかというと、ひとつだけというのが例外的ですし、単一の情報源に依拠する記述は好ましくないので、「参考文献が複数ある場合、」という限定の仕方は避けたい気もします。
- おっしゃる通りです。参考文献がひとつだけというのがそもそも異例ですよね。2に関しては
- 2.参考文献を記載する順序は、著者名別の五十音順、またはアルファベット順で統一する。姓を先行させ、姓が同じ場合は名前で順序をつける。同一著者は年代順にする。
- というのはどうでしょうか?--藤田紗代 2009年6月27日 (土) 13:31 (UTC)
- 特に反対意見がなかったので変更を行いました。--藤田紗代 2009年9月19日 (土) 07:41 (UTC)
「出典の示し方」の節(セクション)の具体例について
[編集](例)「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日までのべつに尽してるんだってね」(夏目漱石『それから』新潮文庫、1985年改版、40頁より引用)
上記のように夏目漱石の文章が引用の具体例として提示されていますが、何ゆえ、この文章が選ばれたのでしょうか?
確かに、夏目漱石は誰もが知る日本を代表する立派な作家です。
しかし正直、言って現代の若い人たちには、この文章は分かりづらく、余計、記事に出典を示すことへの苦手意識を増長させてしまうような気がしたのですが…(偏見でしたらすみません)。村上春樹など現代の作家の文章でもう少し、分かりやすい例示は示せないものでしょうか?また同じ夏目漱石の文章でも『坊ちゃん』など誰もが知る文章のほうが、例示を示す上では分かりやすいと思うのですが。
皆様のご意見、お聞きしたいです。よろしくお願いいたします。--121.114.228.125 2010年1月21日 (木) 07:43 (UTC)
- おそらく、著作権の保護期間が消失している古い文章の中から、という前提のもとに選んだものと思います。--Su-no-G 2010年1月21日 (木) 07:50 (UTC)
- 具体例をもう少し分かりやすく提示できればいいなと思うのですが、もう少し分かりやすい文章はないのでしょうか?私がそれをできるのであれば、編集するのですが、いかんせん専門的な知識がないもので。何かいい知恵があればぜひ教えていただきたいです。よろしくお願い致します。--121.114.236.189 2010年1月28日 (木) 09:56 (UTC)
- 出典を示す目的は記述の論拠を示すことによる独自研究の排除ですから、現在示されているような文章の丸写しは、出典の示し方の模範としてはふさわしくないのではないでしょうか。丸写しでなければ、著作権もあまり関係ないでしょう(注意は必要ですが)。論拠を示す姿勢での出典の示し方はこんな感じでしょうか↓
- このとき代助は、父の活動姿勢に驚いた旨を発言している(夏目漱石『それから』新潮文庫、1985年改版、40頁)。--Akaniji 2010年2月8日 (月) 12:06 (UTC)
- Wikipedia:原典のコピーはしないというページがあるのですが、Akanijiさんのおっしゃるように現在、掲示されているような文章の丸写しは、出典の示し方の模範としてはふさわしくないのではないでしょうか?著作権が切れているとは言っても模範とするにはふさわしくないのではないでしょうか?--Aguri sagimori 2010年7月22日 (木) 05:42 (UTC)
- 引用そのものは認められているのですから、厳格に「原典に記述されている記事のすこしでもコピーと認識できる状態ではいけない」とするのはさすがに無理があると思います。Wikipediaにおける著作権規制はあくまでWikipedia上の自主規制ですので、最終的にその引用が引用の範疇を超えて著作権の侵害にあたるのかどうかを確定させるには著作権者による提訴と確定判決に拠らなければなりません。適切な引用の方法についてはWikipedia:引用のガイドラインがあります。また一般論としては記事引用に比較的充実した記述があります。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 06:42 (UTC)ああ、ちょっと論点が微妙にずれているかもしれない。たとえばお父さんというWikipedia記事に「どのような漢字表記があるのか」という例としてくだんの夏目漱石の一節を引用するようなケースは想定できる、という程度の趣旨です。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 06:50 (UTC)
- 表現を変更しない「引用」の方が模範的とお考えですか…?引用そのものは認められているとはいえ、避けた方が無難とは考えられています。Wikipedia:著作権侵害への対処#引用の扱いやWikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用の問題をご覧ください。--Akaniji 2010年7月27日 (火) 13:46 (UTC)
- 引用そのものは認められているのですから、厳格に「原典に記述されている記事のすこしでもコピーと認識できる状態ではいけない」とするのはさすがに無理があると思います。Wikipediaにおける著作権規制はあくまでWikipedia上の自主規制ですので、最終的にその引用が引用の範疇を超えて著作権の侵害にあたるのかどうかを確定させるには著作権者による提訴と確定判決に拠らなければなりません。適切な引用の方法についてはWikipedia:引用のガイドラインがあります。また一般論としては記事引用に比較的充実した記述があります。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 06:42 (UTC)ああ、ちょっと論点が微妙にずれているかもしれない。たとえばお父さんというWikipedia記事に「どのような漢字表記があるのか」という例としてくだんの夏目漱石の一節を引用するようなケースは想定できる、という程度の趣旨です。--大和屋敷 2010年7月22日 (木) 06:50 (UTC)
- Wikipedia:原典のコピーはしないというページがあるのですが、Akanijiさんのおっしゃるように現在、掲示されているような文章の丸写しは、出典の示し方の模範としてはふさわしくないのではないでしょうか?著作権が切れているとは言っても模範とするにはふさわしくないのではないでしょうか?--Aguri sagimori 2010年7月22日 (木) 05:42 (UTC)
- コメント 逆に言えば、「引用」は出所の明記といった慎重な扱いが求められる分、必要に迫られて引用を行おうとする人が間違いを犯さないよう、例示によって規範を示さなければならないと考えます。そもそもウィキペディアにおいて引用が無難であると考えられていることについては、本ガイドラインの「#はじめに」で触れられています。(個人的には引用には肯定的ですが、それは別にしても)「編集者が引用と言う手段を思いつかないよう、読者の目から目から遠ざけよう」という考えは、個人的にはあまり賛同できませんし、そもそも「出典を明記する」のガイドラインは「仮に引用を行う場合に出所を明記しなければならない」ことを定めたガイドラインでもあるので、引用についての例示はあってよいと思います。
- 引用が唯一の例示となっていることが問題であるという主張については、引用元の示し方の例と併記する形で、「論拠を示す姿勢での出典の示し方」も続けて例示すれば宜しいかと思います。--Kanohara 2010年7月27日 (火) 14:45 (UTC)
- 引用が非推奨である以上、『「編集者が引用と言う手段を思いつかないよう、読者の目から目から遠ざけよう」』とするのはむしろ当然ではありませんか?非推奨の「引用の出どころを示す」よりも、「検証文献を示す」方がメジャー(であるべき)なんだから、例は後者で示しましょう、ということでの提案です。『そもそも「出典を明記する」のガイドラインは「仮に引用を行う場合に出所を明記しなければならない」ことを定めたガイドラインでもある』ということですが、本ガイドラインは「文献の参照方法」にのみ特化し、引用については引用のガイドラインに完全に預けたほうがよろしいのではないでしょうか。--Akaniji 2010年9月19日 (日) 07:22 (UTC)
- コメント 仮に引用が「禁止」なのであれば、Akanijiさんの言うことは正論になると思いますが、推奨されていないだけで禁止されている訳ではなく、引用という形の方が適切な場合も少なからず存在する以上、そうはならないと思います。引用するにせよ参考文献を例示するにせよ、出典を明記する際の書式は変わらないのですから、「出典を明記する」のガイドラインはそれらの書式を示すことに専念し、「引用のガイドライン」は引用を行う場合の注意や判断材料についてのガイドラインとした方がよいと考えます。--Kanohara 2010年9月23日 (木) 04:33 (UTC)
- 禁止されていなくとも推奨されていない形式で、ガイドラインが作成されているのは問題だと思いませんか?--Akaniji 2010年9月25日 (土) 14:15 (UTC)
- なぜウィキペディアにおいて引用が推奨されていないかと言えば、以前にAkanijiさんが示した「Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#引用の問題」にあるように、「他の人によって書き換えられることで」「引用の要件が満たされなくなる可能性」があるためで、要するに「引用とはどのようなものであるか」という知識が共有されていないために、適切でない加筆が行われる可能性があるためという理由です。逆に言えば、引用というものがどのようなものであるかという知識が共有されていれば問題ないはずなのです。「読者の目から目から遠ざける」という解決法は、そうした実情に逆行しているとは思いませんか? 第一、仮に読者の目から「引用」という概念を遠ざけても、文献からの丸写しで記事を書こうとする初心者の方は減らないと思いますし、「引用」という概念を知ったために記事を引用ばかりで構成しようとする人が出現するようなことは、多分あまりないと想像します。
- 改善点としては、先述のように引用と併記して「論拠を示す姿勢での出典の示し方」の場合も例示する、引用があまり推奨されておらずガイドラインなどを熟読する必要があることを「前述のように~」のような形で再度忠告する、といった方向性での対処がより適切だと考えます。--Kanohara 2010年9月25日 (土) 14:52 (UTC)
公人ブログ=公式サイトなのかどうか
[編集]はじめまして。皆様のお知恵を借りたく書き込みいたします。 畑健二郎の生年月日ですが、畑の旧友のチョップリンのブログに畑と中学時代の同級生ということが明記されており、これを出典元として記載していたようです。。ですがこのブログが「信頼性の高い参考資料とは言えない」ことを理由として畑の項目が差し戻されていました。「芸人のブログ」は公式サイト扱いではなく、信頼性に足りる情報では無いと判断せざるを得ないのでしょうか? それとも編集者の勇み足と捉えるべきなのでしょうか。皆様の意見をお聞かせくださいませ。114.145.122.168 2009年11月8日 (日) 03:29 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ところで貴方はWikipedia:コメント依頼/大和屋敷の方でしょうか。真摯なコメント依頼に対応もせず初めてやりとりする相手に挑発的文章や「W」の文字で挑発するような言動は感心しません。114.145.122.168 2009年11月8日 (日) 07:10 (UTC)
- 不愉快なので自分の投稿をすべて削除しました。ご覧に成りたい方は履歴から確認できます。いわゆる「 対話拒否」に相当しないことは正確にご確認ください。--大和屋敷 2009年11月8日 (日) 07:49 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ところで貴方はWikipedia:コメント依頼/大和屋敷の方でしょうか。真摯なコメント依頼に対応もせず初めてやりとりする相手に挑発的文章や「W」の文字で挑発するような言動は感心しません。114.145.122.168 2009年11月8日 (日) 07:10 (UTC)