Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ5

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漫画を参考文献にしてもいいのか[編集]

在日特権という記事で、参考文献としてマンガがあげられています。 漫画そのものに関する参考文献として漫画を出すならばともかく、政治の記事の参考文献に漫画を出すのはいいのでしょうか? というか、参考文献として漫画をあげるのはどうなんでしょう。--グラン 2010年1月19日 (火) 10:34 (UTC)

ウィキペディアは二次資料に基づいて記述されなくてはなりません。しかし、政治に関する漫画は二次資料たりえない場合が多いです(著者が一次資料を扱えるプロ(学者)ではないという意味で。原作者がいれば話は別ですが)。したがってそのような漫画は二次資料をもとにして描いた三次資料であるという点で、ウィキペディアを記述する際の情報源として用いるべきではありません。仮にそれに基づいて記述すると、ウィキペディアが四次資料になっちゃいます。--58.93.199.185 2010年2月16日 (火) 02:27 (UTC)
コメント情報源としてではなく、参考にすると良い文献として挙げられているのなら、その項目を主題として扱っていて、話題となったり、信頼できる監修者がいたりするのならば、読者が理解する一助となるでしょう。
記述の情報源として参考にしているのならば、信頼性という点では好ましいものではないですが、他に情報源が見つからない、探していないということならば、とりあえずは現状維持として、よりよい情報源を追加するのがよいでしょう。
一次資料については、その読解や解釈によって独自研究になりがちですが、二次、三次というのは、それほどこだわらなくてもよいでしょう。--Ks aka 98 2010年2月16日 (火) 04:34 (UTC)
情報源としてではないが書籍を利用する場合を考えていなかったので、それについてはよくわかりました(在日特権は一見したところ、この場合のようです)。けれど情報源として考えている場合、資料の次数(二、三)に「それほどこだわらなくてもよい」とおっしゃる意図や根拠がよくわかりません。後学のために、そう書かれているルール等をお教えください。Wikipedia:信頼できる情報源をみる限り、三次資料を信頼できる情報源として利用する場合は資料の種類に気をつけるべきだと書いてあるように読めます。(私が上記に仮定したような著者による)漫画は、まさに信頼できる情報源とする際に気をつける(避ける)べき(三次)資料の種類だと思うのですが。現状維持のための情報源として掲げる場合には気にせずともよいのでしょうか。--58.93.199.185 2010年2月16日 (火) 21:47 (UTC)
58.93.199.185 さんが書いている文からは、一次…四次というのは、原資料から段階的に遠ざかっていくものというように読めました。二次資料から書かれた三次資料があり、三次資料から書かれた四次資料があるというように考えると、その三次資料は一次資料と二次資料の両方を確認しているものもありますし、一次資料が希少なものだったり、読解が困難な言語を用いていたりすれば、その翻訳や注釈などを経て、歴史や文化といった面での分析がなされるのですから、高次であっても、信頼できる研究も多々あります。そういう意味で、何次にはこだわらなくてよいと書きました。
三次資料というのはそれほど一般的ではありませんが、資料#図書館の資料を見ると、「書誌の書誌」や「図書目録」と、「教科書、百科事典」が並んでいます。[9][10]en:Tertiary_sourcesも参照してみてください。ある事実を追求しようとするのではなく、そういった研究のカタログや概観が三次資料と呼ばれていることがわかると思います。ある事実を追求しようとするのであれば、一次資料を参照していない、二次資料から書かれたものであっても、やはり二次資料になるのです。
英語版では、"Tertiary sources such as compendia[11], encyclopedias, textbooks, and other summarizing sources may be used to give overviews or summaries, but should not be used in place of secondary sources for detailed discussion"となっています。概要が書かれたものは詳細な議論において使うべきではない、というのは、その通りです。ただ、百科事典の中には、専門家による学術的な記事もありますし、詰めの甘い二次資料よりは、後日丁寧にまとめられた専門家による概観の方が信頼できることもあります。
ウィキペディアでは、百科事典などの記事で専門家ではない編集部員が書いたものでも、「専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます」(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)。日本語版の現状では、学術的な項目であっても、たとえば大学学部レベルの教科書では足りず、二次資料となる原著論文を用いて議論しなければならないということは、めったに生じませんし、どちらかというと一次資料や二次資料から独自に記述されることがあり、記事全体の構成や独自研究を避けるための資料として三次資料が必要なことのほうが多いように思います。あまりこだわらなくてもいい、と書くときには、そういうことも意識しています。
そもそも例示されている項目は、もともと確立した用語ではありませんし、学術的な先行研究がある類のものではないと思われます。なので、二次資料と三次資料の間の信頼性が衝突するようなものではない。また、外国人参政権について、この漫画が信頼できる情報源とはならないけれど、外国人参政権の実際や、それをめぐる政治的な動きなどへの評価や心情を自ら吐露、あるいは分析し、この用語が内包する感情に共通するものを提示しているという意味での資料にはなるでしょう。これは、上で説明されているような意味での三次資料ではないですし、その信頼性は、著者あるいは著者が扱っている理屈なり解釈なりが、専門家によるものかどうか、どの程度第三者に評価されているか、といった点から判断されるものだと思います。著者による意見表明の部分を見るなら一次資料、分析や解釈の部分を見るなら二次資料として扱い、その上で信頼性を評価する、と。もちろん、一次資料、二次資料もまた、使用する際には気を付けなければならないところがあります。--Ks aka 98 2010年2月18日 (木) 20:19 (UTC)
こういう漫画がある、この漫画にこういう意見の表明がある、という程度なら許容されるかもしれませんが、漫画の記述をもとになんらかの事実の説明として強弁する材料として扱うのはさすがに難しいとおもいます。これはWikipedia:信頼できる情報源からの観点です。この点でいえば漫画だけでなく週刊誌なども査読が入っているか怪しい記事もありますので、学術誌に投稿された論文などと事実関係の説明の点で齟齬があれば、やはり信頼性が劣るということになるかもしれません(工夫しだいで記述可能性はあるとおもいます。また筆者の意見の表明箇所は記述できそうです)。在日特権というのはおそらくまともな論文や研究などなされていない内容だとおもいますので、「このような漫画がある」「このような言論がある」とは記載できそうですが、その記事の筆者の主張を敷衍して事実関係にみせかける(「(漫画○○にあるように)在日は特権を享受しているのである(事実として)」などと強弁する)のは意見と事実を混同した記載とみなされて仕方ないのように思います。--大和屋敷 2010年2月16日 (火) 22:29 (UTC)記事(在日特権)を見てきましたが、参考にして加筆しているようではないので「参考文献→文献情報」に修正しておきました。--大和屋敷 2010年2月16日 (火) 22:37 (UTC)

Template:Cite webの強制力について[編集]

出典における、Template:Cite webには強制力はあるのでしょうか? たまに出典をこのテンプレートに書き換える方がいらっしゃるのですが、使い勝手が悪く多くの編集者も使用していません。 そのページで使用している編集者が少数であれば、使用する必要性はないと思われるのですが、いかがでしょうか? あと、参照日時がこのテンプレートで必須になっており、出典の記載日時との混乱が出てきます。(学術論文では、もちろん参照日時など必要ありません。) 参照日時の必須に対する質問は、こちらでしましたが、いずれにせよ強制力についてご議論頂ければ幸いです。 --山本山815 2010年2月7日 (日) 04:05 (UTC)

コメント ガイドラインにもあるとおり、出典の示しかたにはいろいろな方法がありますので、テンプレートをつかわなければならないということはないとおもいます。ただ、テンプレートを使えば書誌に必要な事項を確実に記入できますから、出典の示しかたとしてはよいものになるでしょう。
ウェブの場合、一番困る示しかたは、URLだけを書くというものです。ページが移動したりすると、だれが作ってなにが書いてあったページだったのかまったくわからなくなり、出典の役目を果たさなくなります (移動先を追跡することも困難です)。URLのほかに、著者、タイトル、作成または最終更新の日付、といった情報は最低限必要です。
さらに、ウェブ上の情報は、公開中にも変更されることがあります (書籍も内容がかわることがありますが、その場合は版が変わるのでわかりやすいです)。たとえば「読点」の記事の脚注「句読点」の記事の脚注で挙げられた、情報処理学会『電子情報通信学会 和文論文誌投稿のしおり』『情報処理学会機関誌原稿執筆案内』の現在の内容は、記事中で引用されている内容とは異なります。URL、著者、タイトル、作成日付だけでは、どの内容を指すのか正確に表せないことがあるのです。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 04:32 (UTC) 例示の間違いを訂正。 --Hatukanezumi 2010年2月13日 (土) 03:01 (UTC)
学術論文では参照日時/閲覧日時は普通書きますよ。--Ks aka 98 2010年2月7日 (日) 05:18 (UTC)
ああ、たしかに学術論文でウェブ上の情報を引用するときは閲覧日を書きますね。補足ありがとうございます。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 05:24 (UTC)
手元にあった『ソシュールの思想』(丸山圭三郎 著)、『<民主>と<愛国>』(小熊英二 著)などを見ても、もちろん「参照日時/閲覧日時は」書かれていません。 これらは学術論文ではないのですか? 
また「ウェブ上の情報」も、「ウェブ・アクセシビリティ向上の要件」(渡辺隆行)を見ても、半分しか「参照」された時が書かれておらず、書かれている物も全て「年代のみ」です。さらに、「『サイバースペース独立宣言』10周年+α─アメリカ起源のネット文化とその行方」(高野泰)では、一切「参照日時」は書かれていません。(あとは、「修士論文 ベンチャー経営におけるネットワークを活用した取締役会に関する研究」(牧兼充)など) 「学術論文では参照日時/閲覧日時は普通書きますよ。」という根拠をお示し下さい。
いずれにせよ、Wikipedia:出典を明記するには、参照日時を書くことを強制していませんので、必須にする根拠は無いように思われます。--山本山815 2010年2月7日 (日) 08:54 (UTC)
『ソシュールの思想』にせよ『サイバースペース独立宣言10周年』にせよ、ウェブ上で利用できる情報がいまより限られており、学術的な利用にたえる情報はやたらと更新されるわけではなく (学術論文に類するものが多かった)、したがって閲覧日付を示すべきだという認識が研究者の間でも浸透していなかった時期の出版物でしょう。小熊の著書は『1968』ではどうなっているかな。ごめん。「高いからブックオフでみつけたら買おう」とおもって、まだよんでません。……ものを投げないでください。
近年ではウェブ上の情報を主要な情報源、基礎データとするような学術研究もあらわれていますから、閲覧日付を明記することが広まりつつあります。たとえばいまわたしのてもとにある文字研究会編『新常用漢字表の文字論』(2009年) では、師茂樹「一般キャラクター論としての文字論の可能性」がウェブページの資料に「最終確認」の日付を付しています。
ウィキペディアでは、(是非は別にして) 情報源をウェブ上の情報に大きく依存する記事も見られますし、そのなかには電子ジャーナルのようなものではなく更新が頻繁なものが多くありますから、閲覧日付を付すことは意味があるとおもいます。
……というか、わたしは上で閲覧日付が必要になる理由を説明したはずですが、なぜこういう話になるのだろう。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 09:25 (UTC)
テンプレートが使いにくいというご意見ですが最近記事編集をする際わりと使うようになりました。同じ日に出典を確認すれば全て同じ日付ですから面倒ということはありません。テンプレートを使わないと閲覧日なのかウェブページの更新日なのか表記がわかりにくいケースが出てきてしまうように思います。--Tiyoringo 2010年2月7日 (日) 09:56 (UTC)
いえいえ、「学術論文」であろうと(まぁ、中には普通のNEWSページもありましたが…)例外がある以上「参照日時/閲覧日時」を「必須」にすることは出来ないと思われます。 せいぜい「意味がある」のでお願いします、としか言えないのではないでしょうか? 話をそらさないで欲しいなぁ、と思われます。
『ソシュールの思想』と『<民主>と<愛国>』は「学術論文」の例で書いただけです。 もちろん参考文献が改訂されるのはよくあることですが、閲覧日時など必要ありません。 その発行された年が書いてあるだけです。 そして、出典を追う者は、それだけで事足ります。 
もちろんWEB上の情報も同様で、WEB上に記載された日付は「出典」の中に書いているのですから、閲覧日時は書かなくてもどの時点の記載かは分かるはずです。 たとえWEB上に記載された日付が不明であっても、その出典がWEB上で削除されれば、もしくは改変されていれば、それはもはやそのまま出典とは成り得ませんし、その都度、削除・改変に従って本文を変更する必要があります。
テンプレートを強制することは出来ないということはわかりました。--山本山815 2010年2月7日 (日) 10:16 (UTC)
山本山815さんは、「閲覧日付は必須ではない」という結論を得たいのですよね。それについては、「個々の資料の性質をみて、自分で考えてください」としかいいようがないです。
書籍の場合は版が変わる、と申し上げました。ですから版を明示する必要がある場合もあります。明示しなくてもたまたま出典としての効力を失わない場合もあります。だったら最初に書誌を記載する場合に明示しておくほうが安全かもしれません (あと、書籍の場合は、版を明示しないかわりにできるだけ初版を参照するようにするという方法もあります)。
ウェブページも同じです。やみくもに厳密にしろとは言いませんが、ウェブページは更新される蓋然性がたかいですから、テンプレートのようにいろんな状況で利用されるものでは安全策として閲覧日付を明記するよううながすというのは、ひとつの考えかとおもいます。
あと個人的な意見ですが、上で述べたような書誌がそろっていれば、リンク切れしたウェブ上の資料への参照でも、急いで除去する必要はないかもしれません。残っている書誌をてがかりに、新たなページを発見できるみこみがあるからです。それができれば、発見した日をaccessdateに書けますね。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 10:53 (UTC)
学術論文の書式として一般的なシカゴ,APA,MLA,CBE,SISTのいずれも参照日時を求めています(シカゴ,APA,MLA,CBEは、指宿信「ネット文献の引用方法について――学術資源としてのネットの可能性――」[12]/エンコード注意、SIST(科学技術情報流通技術基準)は「02 参照文献の書き方」[13])。紙の印刷物と違って、ネット上の情報は削除されたり改訂されたりすることがありますから、発行日だけでは情報源の一意性が確保できません。--Ks aka 98 2010年2月7日 (日) 11:47 (UTC)

(インデント戻す)まずKs aka 98氏があげた「ネット文献の引用方法について――学術資源としてのネットの可能性――」[14]では、様々な「ネット文献の引用上の問題点」を列挙し、「検証可能性に配慮して、WWW上の資料について参照した日付を入れるという工夫もしばしば見られる。もっとも、日付を入れたとしても当該資料が事後的に消失した場合には意味がなく、筆者がサイトを参照した日時が特定されるだけに止まる。」とも記しています。 また、SIST(科学技術情報流通技術基準)においては、「SISTは規制ではありません。」と説明されています。

また、現状では上にあげた論文の例からも明らかなように、「閲覧日時」は「必須」とはなっていません。 また、WEB上の情報は、Wikipediaでは、「削除」・「改訂」された時点で検証が不可能になり「出典」の意味をなくし、その都度本文を変更する必要があります。(つまりWikipediaでは、「閲覧日時」があっても「情報源の一意性が確保」される事とは無関係ということです。)

さらに、現在Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイト (ウェブサイトの例)のガイドラインでは、「閲覧日時」を記載するよう求められていません。 つまり、「個々の資料の性質をみて、自分で考えて」「閲覧日時」を記載してかまいませんが、現状のガイドラインでは「必須」を押し付ける根拠はないように思われます。 (ここでの議論は、テンプレートが「閲覧日時」の「必須」を強制していることについてのTemplate‐ノート:Cite webでの議論の参考になると思われます。) --山本山815 2010年2月7日 (日) 13:02 (UTC)

コメント 出典明記のガイドラインがなんのためにあるのかを考えていただきたいとおもいます。また、ウィキペディアでの記事は公開前に査読によって形式的な斉一化が保証されるものではなく、記事のメンテナンスには時間や利用者の手間暇に制約があることも考えていただきたいとおもいます。単にテンプレートの仕様の問題ではありません。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 13:38 (UTC)
コメント SISTは規制ではなく、また規制であることを目的に作られたものではないですよ。規制というほど強い拘束力を持つスタイルマニュルというのも、おそらくないのではないでしょうか。
指宿は2000年のウェブ上の文献を扱う感覚を読んで欲しいのではなくて、学術論文の書式として一般的なシカゴ,APA,MLA,CBEのいずれも参照日時を求めているということを見て欲しかったのですが。バンクーバー方式、それから社会学評論スタイルガイド[15]も参照日を書くようにとしていました。これで論文のスタイルマニュアルで著名なものはほぼ参照日を書くことが望ましい、必要であると考えていることが分かるでしょう。
それを守るかどうかは、分野や著者に拠ります。人文社会系はウェブ文献に限らず、かなり書式がバラバラですし、参照日を書く必要性は、普段からサイトを情報源として意識していなければ思い当たりにくいことでもあります。国内では、せいぜいこの5年くらいで、ようやく意識が強まってきたというところではないでしょうか。小熊の『<民主>と<愛国>』は2002年です。丸山の『ソシュールの思想』って80年代の本ではなかったでしたっけ。本文でネットを参照したような出典があるんですか?
「『サイバースペース独立宣言』10周年+α」は2007年の人文学部研究紀要掲載で、エッセイ的なものです。修論は2001年度。「ウェブ・アクセシビリティ向上の要件」は2005年のインターネットコンファレンス[16]の論文誌掲載のもので、論文スタイルにほとんど制約がないみたいです[17]。著者の渡辺隆行氏は、「Webコンテンツ・アクセシビリティガイドラインWCAG 2.0の概要とWebアクセシビリティ向上」(『情報管理』通巻49 2006)では参照日を書いています。ネット上の情報を情報源とする必要があり、それなりの検討をしていそうなところだと情報処理学会[18]、日本図書館情報学会[19]は投稿規定で参照日の記載を示していますね。情報処理学会でも2006年頃だと、参照日を示していないものもあります。これらは、「例外」と捉えるべきではないでしょう。
そもそも、このテンプレの使用自体が必須ではありませんから、強制力はたかがしれています。Wikipedia:出典を明記するでは、「ウェブサイトの例」に閲覧日が書かれていないですが、「雑誌論文の例」の筆者名や出版社名だって「強制」はされていません。テンプレを使うなら、「必須」としておくことで、閲覧日付を書く意識を持ってもらえば、それでいいですよね。書かないよりは書いた方がいい。その必要性は、Hatukanezumi さんが書いてくれています。
出典の記載日時との混乱というのは、よくわかりません。その出典情報をいつウィキペディアに書いたかという情報は普通書かれませんから、混乱は生じません。必要なら履歴から確認することができます。逆に、履歴から出典を記載した日時がわかったとしても、それは閲覧時とは限りません。執筆者が参照した情報源が、その日時のものであり、その後改変されているかもしれないので、同じURLに書かれているものと同一とは限らなくて、ひょっとしたら更新履歴で違うことがわかるかもしれないし…ということを示すことには意味があります。たとえ削除・改変されたとしても、それは記事内容の情報源として残すべき情報です。多くのウェブ情報は、改変があったことを明示するとは限らないのですし、改変されていないことを検証することは困難です。
その情報源となる文献がいつ公表されたかということは、ウェブ文献では必ずしも明らかではなく、またその情報が得られるならば、通常は書式から区別できるでしょう。既に述べた通り、多くのスタイルマニュアルは、区別ができるようになっていますし、区別ができると考えられています。今のテンプレの「(公開年月日)いついつ 閲覧」は、わかりにくいところもあるかもしれませんが、これはテンプレの書式を修正すればいい。
テンプレの使いにくさは、使っていないのでよくわかりません。まあ記事を書いていないからですけれど、書くとしても、自分ではテンプレは使わないかなあ。--Ks aka 98 2010年2月7日 (日) 16:43 (UTC)
Ks aka 98氏はご自身が上げられた論文には正当性があり、こちらが上げた論文は「エッセイ的」「論文スタイルにほとんど制約がない」などと、中立性に欠ける記載をされています。 「情報処理学会でも2006年頃だと、参照日を示していないものもあります。これらは、「例外」と捉えるべきではないでしょう。」との根拠も希薄です。 現状で私が上げた例にもあるように、「書式がバラバラ」であり、「例外」がある限り「必須」とは言えないでしょう。 自分の都合の良い事実だけを集めて話されるのは、発表済みの情報の合成とも受け取られかねません。
「テンプレを使うなら、「必須」としておくことで、閲覧日付を書く意識を持ってもらえば、それでいいですよね。書かないよりは書いた方がいい。」という主張も分かりません。 その理由は「WEB上の情報は、Wikipediaでは、「削除」・「改訂」された時点で検証が不可能になり「出典」の意味をなくし、その都度本文を変更する必要があります。(つまりWikipediaでは、「閲覧日時」があっても「情報源の一意性が確保」される事とは無関係ということです。)」と上に書きました。 Wikipediaでは、出典(検証可能性)のない記述は除去されても文句は言えないはずです。 「その後改変され」ればその都度それにあわせて本文を変更する必要があるのです。
現状ではテンプレートで「閲覧日時」の記載の「必須」は強制されています。 もし、「閲覧日時」が疑問だと考える人がいれば、テンプレートを除去して書き換えを行ってもかまわないということでしょうか? Ks aka 98氏の見解では、テンプレートの使用を望む者と、「閲覧日時」の「必須」に疑問を持つ者との間で、無用な編集合戦を引き起こさせるだけです。そして、ガイドラインで明確に定められていないのですから、疑問に思った編集者のテンプレートの除去を明確に止める事は出来ません。 私は、ガイドラインに合わせて、テンプレートの「閲覧日時」の記載の「必須」を除去することが、ガイドラインに従った方向性であり、それによってテンプレートを使う編集者とそうでない編集者との間の、無用な編集合戦を避けることが出来ると思われます。 --山本山815 2010年2月7日 (日) 18:40 (UTC)
ぼくが挙げた論文というのは、どれを指すのでしょうか。指宿さんの文章は、シカゴ,APA,MLA,CBEでは参照日時を求めているというのを、まとめて書いてくれているものとして挙げています。ぼくが示しているのは、様々な分野で用いられている書式なんです。山本山815 さんが挙げているのは、具体例としての論文です。意味が違いますよね?
論文を書く時には、いちおうのルールというのがあります。それを求めていない学会もあるし、守らない人もいるでしょうけれど、多くの代表的なスタイルマニュアルでは参照日時を書くのが普通になっています。書式に対して意識的であれば、普通はそれを守りますし、それに準拠します。
ウェブを参考資料に使うなんてことは、それほど広い分野で行われていることではないし、まともに資料として扱おうということが検討されるようになったのも、比較的最近のことです。情報処理学会でも2006年頃だと、参照日を示していないものもありますが、今は投稿規定で参照日の記載を示しています。そういう流れがあるんです。紀要やカンファレンスの論文集では、書式のシバリは緩いですし、2005年や2006年では、まだ閲覧日時を書くことはたいして広まっていません。何年か前の論文では、閲覧日時を書いていないのは当たり前ですし、分野や人によっては、最近のものでも、書いていないものはいくらでも見つかると思います。
昔は書いていなかった、分野や学会誌によってはそこまで意識されていないこともままあるからといって、現在のスタイルマニュアルや投稿規定では参照日時を書くことが求められていることを覆すべきではないと思いますよ。念のために書いておきますが、WP:NORは、記事についての方針ですから、ノートの議論は対象になりません。ぼくの意見が論理的に妥当性を欠く発表済の情報の合成であるというならば、その矛盾を指摘していただければと思います。
WEB上の情報は、Wikipediaでは、「削除」・「改訂」された時点で検証が不可能になりますが、「出典」の意味をなくすわけではありません。英語版のリンク切れ関連の文書en:Wikipedia:Citing sources#Preventing and repairing dead linksen:Wikipedia:Linkrotも参照してみてください。"WP:Verifiability does not require that all information be supported by a working link"なのです。
「閲覧日時」が疑問だと考える人がいれば、テンプレートを除去して書き換えを行ってもかまわないですよ。無理に止める必要もなくて、なぜ閲覧日時が必要なのかを話しあえばよいのです。編集合戦は無用ですけれど。あ、テンプレはエラーが出るんですね。必須、というのが、エラーが出る、という意味ならば、それは出さなくてもいいと思う。ガイドラインは、それはそれとして、変えたほうがいいと思いますので、提案しておきますね。--Ks aka 98 2010年2月7日 (日) 20:05 (UTC)
ずーと言ってますが、「閲覧日時」がテンプレートで「必須」と強制されていることを問題にしています。 (「スタイルマニュアル」がどうであれ)その「例外」は論文の世界に今でもあります。(「顕現性に基づく談話文脈のモデル化」( 2008年3月)「即興的な分散スマート環境間連携機構」(2009年7月10日)「インターネット-スケールシステムによる電気代の節約」(2009年8月)など) 「参照日時を書くことが求められている」ことと、「必須」=必ず書かなければならない、は全く意味が違います。  また、分かっていて書いているとは思われますが、「検証可能性」ある記載だけしかできないWikipediaと、「真実/真理」を追う論文との違いは踏まえてご議論下さい。
en:Wikipedia:Citing sourcesには、「Dead links should be repaired or replaced if possible. (できれば、死んでいるリンクを修正するか、または取り替えるべきです。) 」と書かれています。 つまり、「WEB上の情報は、Wikipediaでは、「削除」・「改訂」された時点で」、Wikipedia:検証可能性#方針に書かれた、『「出典」の意味』はなくなっています。 新しい「出典」を探すための「アプローチ」の一助になるだけです。 もちろん、リンクが切れたから即座にそれと本文を除去すべきではないと私も思いますが、新たな「出典」が見つからなければ、それらを除去されても文句は言えないでしょう。
ガイドラインの変更は、合意が形成されればあり得るとは思われますが、「求める」のと「必須」であるのは明確に違うと考えています。--山本山815 2010年2月8日 (月) 02:39 (UTC)

ウェブページ[編集]

学術論文の書式として一般的なシカゴ,APA,MLA,CBE,SIST、バンクーバー方式、社会学評論スタイルガイド[20]、のいずれも参照日時を求めています(シカゴ,APA,MLA,CBEは、指宿信「ネット文献の引用方法について――学術資源としてのネットの可能性――」[21]/エンコード注意、SIST(科学技術情報流通技術基準)は「02 参照文献の書き方」[22])。情報処理学会[23]、日本図書館情報学会[24]は投稿規定で参照日時の記載を示しています。このガイドラインでも、閲覧日時を書くことにしませんか。とはいえ、例に「いついつ閲覧」と加える程度でよいと思いますが。必要性は、上の節も参照ください。英語版では、発行日のないウェブページには書くようにと書かれています。--Ks aka 98 2010年2月7日 (日) 20:08 (UTC)

英語版には、「Citations for World Wide Web articles typically include:(中略)・date of publication(中略)・the date you retrieved it (required if the publication date is unknown) 」(wwwの引用は通常以下を含みます(中略)・公表日(中略)・あなたが検索した日付(公表日が未知であるなら、必要とされる))とあります(en:Wikipedia:Citing sources)。 現状では、公表日が分かっていれば、「参照日時」は必須とは言えないと思われます。 また、現状の論文も例外が多く「必須」とはなっておらず、ガイドラインでは強制力を持たせない方が良いと思われます。--山本山815 2010年2月8日 (月) 03:09 (UTC) 
コメント『サイバースペース独立宣言』10周年+α」を読みましたが、これはエッセイです。大学の紀要に載っているものは、学会誌に載るような査読付き論文とはかぎりません。山本山815さんは、まずは「学術論文」というものがどんなものなのか、実際に読んで知るべきです。
だいたい、ウィキペディアの記事を論述の典拠として引用している学術論文なんてあるんですか。またあるとしても、閲覧日()を明記すべきですよね。ウィキペディアの記事は頻繁に変わりますから。
資料の種類も年代もいっしょくたにして「閲覧日は必須ではない」(大意) などと主張することこそ、「発表済みの情報の合成」です。自分の主張に都合のよい根拠をでっちあげるのはお慎みください。
また、リンク切れした出典をすぐさま除去するなんてことは、やらないでください。わたしもリンク切れを直した[25]ことがありますが、記述そのものが除去されていたら、よほど注意深く履歴をウォッチしてでもいないかぎり、資料が掲載されていたことにさえ気づけません。 --Hatukanezumi 2010年2月8日 (月) 04:00 (UTC) 補記 --Hatukanezumi 2010年2月8日 (月) 04:39 (UTC)
私が上にあげた論文全てが「エッセイ」なのですか?一つを取り上げて全てを否定するのはおやめ下さい。 私は「例外」もありますよ、と言って例示を上げてるのです。これのどこが「発表済みの情報の合成」なのですか? 「例外」があり、『「参照日時」は必須とは言えない』と書いているのです。 『「閲覧日は必須ではない」(大意)』などどこに書いていますか? 勝手に人の意見を歪曲されるのはおやめ下さい。 事実Ks aka 98氏も、「分野や人によっては、最近のものでも、書いていないものはいくらでも見つかると思います。」と書かれています。 
さらに、「リンク切れした出典をすぐさま除去するなんてこと」を「やる」などと、どこで私が主張していますか?? 「もちろん、リンクが切れたから即座にそれと本文を除去すべきではないと私も思います」と、はっきり書いています。 「他の人の行為を歪曲して伝える」行為は絶対に認められない行為です。 発言を撤回されることを願っております。 
(追記)ちなみに『サイバースペース独立宣言』10周年+α(高野泰 2007年)は、大学のページで高野泰准教授の「主な著書・論文」とされています。 これを「エッセイ」とする根拠はどこにあるのでしょうか? --山本山815 2010年2月8日 (月) 04:22 (UTC) --追記山本山815 2010年2月8日 (月) 04:54 (UTC)
コメント 了解しました。山本山815さんが「リンク切れした出典をすぐさま除去する」ことはないと理解しました。この点についての山本山815さんへの要請は撤回します。「エッセイ」については見解の相違ですが、この点で合意する必要はないでしょうからこれ以上コメントしません。
ところで、山本山815さんの当初の目的はすでに達せられているのではないですか。
  • {{cite web}}の使用が必須でないことは理解されましたね。
  • 閲覧日(時)の記載が一般論としては「必須でない」ことは、この場のみんなが理解しています。しかし正確にいうとこれは「ウェブ上の情報源については、閲覧日(時)が必要な場合には記載すべきである」ということではないのですか。
ここはガイドラインのノートページですが、当ガイドラインには「{{cite web}}を使わなければならない」とも「閲覧日の記入は必須である」とも書いてありません。たとえ書いてあったとしても、ガイドラインなのですからそうしなければ即方針違反というわけでもありません。
この件について、これ以上の議論は実りのないもののようにおもいます。 --Hatukanezumi 2010年2月8日 (月) 09:13 (UTC)
ご理解ありがとうございました。 この節は、Ks aka 98氏が設けられ、「このガイドラインでも、閲覧日時を書くことに」するかどうかの議論の場です。 その過程で、「閲覧日(時)の記載が」「必須」となるかもしれませんので、それには「ガイドラインでは強制力を持たせない方が良いと思われます」とのコメントをさせて頂きました。 あと、Ks aka 98氏は『閲覧日(時)の記載が一般論としては「必須でない」』とは考えていないのではないでしょうか? あとは、他の編集者の意見を待ちたいと思われます。 --山本山815 2010年2月8日 (月) 10:19 (UTC)
(賛成)当議題については3年前に参考文献からの「改変」、あるいは出典なきルールとして私が指摘したことがあります。提案に異論はまったくありません。現状の作成日や最終更新日に賛成される方は文献を挙げるべきだと考えます。
ただ、閲覧日を書くとして書式をどうするかは議論に価することでしょう。たとえば、英語のウェブサイトの閲覧日情報は英語で記載した方がよいのか。個人的には、いかなる言語のサイトであっても、閲覧日は日本語で書く方が親切だと考えますが、ほかの書誌情報との不統一を招くとして反対される方もいらっしゃるでしょう。この問題は河野の書籍では解決できません。--Nattilv1 2010年2月8日 (月) 13:05 (UTC)
発行日(更新日)を記載しているウェブサイトは少ないですから、閲覧日と発行日が重複することは少ないでしょう。重複したところでさしたる害もないでしょうし。インターネット・アーカイブ#ウェイバックマシンを見れば、コロコロと書き換えられるウェブサイトを論拠の文献として示す際、閲覧日の記入がいかに大切であるかがよく分かります。閲覧日が書いてあれば、記事の正確性を検証する際、追える(かもしれない)からです。したがって、閲覧日(時)の記載は、ウィキペディアの記事においては必須とするのが良いと思います。書式については、SIST02の「参照 2006-05-31」でいいんじゃないでしょうか。書式についてはガチガチに決めなくてもいいと思います。閲覧日がいつかわかれば、どのような書き方でもまぁいいんじゃないですか。--Akaniji 2010年2月9日 (火) 12:57 (UTC)
アーカイブは、著作権に関する議論があります(Wikipedia‐ノート:検証可能性#ウェブ魚拓やウェブアーカイブ等の検証可能性)ので参考に下さい。 書式については、テンプレートは強制性があるようなので、Template‐ノート:Cite webでの私の提案も合わせて議論して下されば嬉しく思われます。--山本山815 2010年2月9日 (火) 13:23 (UTC)

要素としては

著者名、公表日(または最新更新日)、ページのタイトル、サイトの名称、入手URL、閲覧日

で足りると思います。この文書は、厳しく書式を定めるものではないですから、必須とか推奨とかも書かず、#書誌情報の書き方(和書)のところで

  • 著者名、ページのタイトル、サイトの名称、公表日または最新更新日、入手URL、閲覧日を記す。

とすればよいでしょう(公表日または最新更新日の位置については後述)。

sist02だと、

坂本和夫編. “パルスレーザーアブレーションにおけるドロップレットフリー薄膜の作製技術”. J-STORE. 2005-11-01. http://jstore.jst.go.jp/cgi-bin/techeye/detail.cgi?techeye_id=32, (参照 2006-06-23).

となり、だいたいは紙の書式と同じですが、違和感を持つ人がいるとすると「公表日または最新更新日」の場所をどうするか、ではないかと思います。また、複数の日付が現れますから、区別できるようにする必要がある。これは、閲覧日のところを「いついつ閲覧」とすればよいでしょう。末尾に閲覧日ということだけ指定すればいいですかね。

英語文献だと、accessed / cited / Retrieved が使われているようです。英語文献であればこれらを使う人もいるでしょうし、そのことに問題はないと思います。「『日本図書館情報学会誌』執筆要綱」では英語文献でも「閲覧」としている例がありました。無理に統一せずでよいのでは。非英語文献の場合は、論文名他はともかく、「閲覧」に相当する語をその言語で書くと何を意味しているかわからないということも生じるでしょう。ただ、それについては、ここで議論せず、例示もせず、それぞれに任せるということでよいのでは。--Ks aka 98 2010年2月10日 (水) 17:46 (UTC)

山本山815さんへ。前者の話題は存じております。書く側が記事にインターネット・アーカイブへのリンクを貼ったりしなければいいわけで、読者がウェイバックマシンで記事を検証するのは自由でしょう?私が言いたかったのは、ウェブページを論拠に使う場合、閲覧日が書いてあるのとないのとでは、記事を読む者にとって、記事の検証可能性はだいぶ変わりますよ、ということです。書誌情報の書き順については、template:cite webのノートの方に意見を述べました。--Akaniji 2010年2月11日 (木) 03:12 (UTC)--Akaniji 2010年2月11日 (木) 03:30 (UTC)下線部補足

全体に渡る影響がありますので、Wikipedia:コメント依頼を提出しました。 書式に関しては、Template‐ノート:Cite webでの私の提案の方が他の和書との混乱もないのではと思っています。 引き続き他の編集者の意見を待ちたいと思われます。
(追記)ところでインデントなんですが、戻す必要がない時にわざわざ戻されるのはいつも違和感を感じます。「応答コメントでは、相手方のコメントとの区分を明瞭にするために、インデント(字下げ)の深さを変えるのが一般的です。」との記載もあります。 まるで、管理者に議論をまとめる特権があるかのようにも受け取られかねません。 出来ましたら、必要ないときはインデントを戻されませんようにお願い致します。(もちろん、他の意見を無視していない=応答されたコメントです。) --山本山815 2010年2月11日 (木) 04:24 (UTC)
インデントを戻したのは、管理者だからじゃなくて、提案者だからでしょう。--Akaniji 2010年2月11日 (木) 05:39 (UTC)
(いえいえ、前の章でもありました。私が戻しましたが…。(他の場所でも散見されます。)この話題が広がるのは本意ではありません。)  --山本山815 2010年2月11日 (木) 05:56 (UTC)
そうですか。Template‐ノート:cite webの方に参考文献を追記しておきましたので、ご参考までに、見てみてください。--Akaniji 2010年2月11日 (木) 06:18 (UTC)
えーと。この節に関しては、議論を提起したのはぼくですし、反対なく二人の賛同・支持を得たということで次のステップに入ろうとして具体的に改変の方向を示しているのですから、インデントを戻すのが自然だと思いますけれど。他の場所では、前後の発言と区別ができればいい、あんまり深いインデントは好きではないということで、インデントを戻すこともありますが、明確な決まりはないですし、それほど慣習から外れているとは思いません。どうしても別の形、別の位置にしたければ、好きに修正してもらってよいですよ。--Ks aka 98 2010年2月11日 (木) 08:11 (UTC)
本筋の方です。Akaniji さんのTemplate‐ノート:Cite webの意見も合わせると、
宮野勝,1997,「社会調査の参考資料ガイド(入門編)」http://syajyo.tamacc.chuo-u.ac.jp/~miyaken/cyosa.html , 1998.12.10閲覧.

という形の例も置きましょうか(社会学評論スタイルガイドの例から。ただし、入手元URLと閲覧日を囲っていたまるかっこを除去、「閲覧」を付記、htmlと,の間に半角空き)。APA[26]だとDocument Available through the World Wide Webの例として

Land, T. (1996, March 31). Web extension to American Psychological Association style (WEAPAS) [WWW Document] (Rev. 1.2.4). URL http://www.nyu.edu/pages/psychology/WEAPAS/ (visited 1996, September 21).

となっています(かっこの扱いは、ぼくは特にこだわりません)。 --Ks aka 98 2010年2月11日 (木) 08:11 (UTC)

Template‐ノート:Cite webで私が提案したことをここにも書いておきます。
Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトの例では、
  • 『村上春樹 「共生を求める人々、求めない人々-映画『A2』をめぐって」 共同通信社、2002年3月22日。』
と、「発表日付」が後ろに来ています。(Wikipedia:出典を明記する#項目の並び順も参考に下さい。他の和書も同様です。)
テンプレートでは、著者の直後に「date(発表日付)」が来ていますが、
  • (テンプレート)『山田花子; 山田太郎 (1999-12-31). "テンプレート使用例" (日本語). 2007年6月15日 閲覧。』
これが上の章でも書いた閲覧日時が「出典の記載の日付と紛らわしい」(他の和書では、通常後ろに「発行日/発表日」が来るため。)一因でもあるとおもわれます。 この「date(発表日付)」の位置をガイドラインに基づいて後ろにすることは出来ないのでしょうか? その方が混乱もないと思われます。
私は閲覧の記載を強制するのは反対ですが、もし閲覧を記載する場合でも、
  • 『山田花子、山田太郎 「(引用箇所)----------」 ○×出版、1999年12月31日(2007年6月15日 閲覧)。』
とした方が、紛らわしくないでしょう。
あと、書式は、「date(発表日付)」は○○年××月△△日と、引用箇所は<" ">ではなく、<「 」>(もしくは<" ">を除去し、「」を記載するようにする)と、(その他の書式も)ガイドラインの書式例にあわせた方が良いのではないでしょうか? 
(追記)インデントについては、「どうしても別の形、別の位置にしたければ、好きに修正してもらってよいですよ。」などと改善する気のない言い方に対して、ふざけるな!と一喝して置きます。--山本山815 2010年2月11日 (木) 09:12 (UTC)--修正山本山815 2010年2月11日 (木) 09:25 (UTC)
(コメント)>Ks aka 98さん 「違和感」はむしろピリオドやコンマ、ダブルクォーテーションマークの使用に対して覚えます。なお、挙げていただいた文献を一通り目を通しておりますが、ウェブサイト以外の文献でもみな「,」が使用されております。Wikipediaの当ガイドラインでは「、」で統一していますから、ここだけ表記法が変わるのは不自然ではないでしょうか。なお私でしたら、
というスタイルを好みますが、鉤括弧の前後に全角空白を置くという現状の「ルール」に従うのか、そうでないのかを巡っても議論の余地があるでしょう。ちなみに、私も「スタイルは各自に任せたい派」です。ウェブサイトの実例を改訂するのであれば、複数の表記法を列挙するか、あるいはあえて実例を省略したほうがよいと考えます。--Nattilv1 2010年2月11日 (木) 13:16 (UTC)
区切り記号などは、紙の和文文献に揃えるということでいいんじゃないでしょか。紙文献で成立している現状のルールの改変まで考えると話が大きくなるので、それは考えるなら後で、ということで。Nattilv1さんの案がぼくにも自然に感じられますし、自分に関しては日付の混乱はしないと思います。--Ks aka 98 2010年2月11日 (木) 13:56 (UTC)
コメント なんか出遅れてますが。
ウェブ上の情報の場合、日付を特定することは必須であると考えます。ウェブ上の情報は一般に「決定版」であるかどうかをなんらかの権威に基づいて決定しにくいです。改版があったことが明確になる公刊書籍や新聞記事にくらべて、「いつの時点の内容か」を特定する必要性が高いです。
で、日付の特定のしかたですが、英語版の「公開日とアクセス日の少なくとも一方は必要」(要約) でもいいとおもいます。公開日のみを記入した場合は公開日時点の内容を、アクセス日を記入した場合はアクセス時点の内容を、それぞれ参照しているとみなせますので。
  • 注記。ただし (現在jaWPではほぼ皆無ですが) アーカイブサービス上の内容を参照する場合は、複写の信頼性の面で紙媒体よりやや落ちるので (図書館のような権威に頼れない)、アーカイブ日付とともにアクセス日付を必須とすべきかもしれません。
精度について。上の議論のなかで「閲覧日時」という話もでてましたが、時刻まで示さなければならない資料というのは二次資料としての安定性に難があると考えられますから、日付まででいいとおもいます。
日付の書式について。まあ強いて統一しなくてもいいんじゃないでしょうか。公開日付のようにdateかyear/monthかを選べるようにするのでもいいとおもいます (後者はdayパラメタがないのは問題かも)。 --Hatukanezumi 2010年2月11日 (木) 16:14 (UTC)
コメント追記。
ここで漠然と「ウェブ上の情報」と言ってきましたが、どういうものが該当するのかを説明したほうがいいかもしれません。たとえばウェブ公開されている電子書籍、電子ジャーナルの記事、RFCのように、枚葉を体裁の単位としているものは書籍や雑誌の書式を用いるべきです (テンプレートに即して言うと、{{cite book}}や{{cite journal}}にもurlパラメータはあります)。こういったものにまで{{cite web}}が適用されていることがあるような気もします。--- うまい説明の文章がおもいつきませんが。 --Hatukanezumi 2010年2月11日 (木) 16:30 (UTC)
コメント あと、URLを明に表示する必要は、ウィキペディアではないような気がします。リンクが張れていればいいので (紙媒体として配布する場合は、URLを明に表示するよう前処理をすればよい)。 --Hatukanezumi 2010年2月11日 (木) 16:30 (UTC)
コメント ウェブサイトの引用の際には閲覧日の明記が常識と思っていたのですが、APA書式本(Publication Manual of the American Psychological Association)の最新版(第6版)では、閲覧日は書かないことになっているようです。ちょっといま手元にないので、どういう事情でかはわかりません。勘違いだったらすみません。また、通常のウェブサイトだけでなく、ブログの引用やブログのコメントの引用に至るまで、全般的にウェブ素材の引用に関してかなり整備されていたような記憶があるので、見てみると参考になるかもしれません。--Shaz 2010年2月11日 (木) 23:07 (UTC)
第6版ですか、ちょっと私にはすぐには手に入りませんね…。第4版はあったので見てみました。the year of publicationがあればそれを、the most recent updateがあればそれを、どちらもなければan exact date of your searchを記せとあります(219頁)。第6版でそうなっているのであれば、どういった理由からなんでしょう。--Akaniji 2010年2月12日 (金) 12:46 (UTC)
ご勘案いただき、ありがとうございます。そうですね、その方がいいと思います。かっこの扱いは、私も特にこだわりません。--Akaniji 2010年2月12日 (金) 10:27 (UTC)
APAの最新版は、ウィスコンシン大のマニュアル案内サイトが6版に合わせて改訂されていたみたいで([27]右側)、それを見る限りですが、オンラインで読んだジャーナルだと閲覧日は書いていない[28]けれど、公表日付が書かれていないようなものは、アドレスが変わるだろうからという理由で取得日付を書くことになっています[29]
hatukanezumiさんも書いていますが、公表している母体・媒体の性質というのを考える必要はあって、その母体が信頼できるなら、発行元のほうがURLよりもアクセシビリティを担保できるだろうし、改変や訂正が公表されることが期待できる、あるいはシステム的に生じにくいなら閲覧日はそれほど重要ではない。
思うに、通常、この種の書式は論文に書くときのことを想定しています。新聞や電子ジャーナルで同内容の紙媒体があるならそっちを挙げるでしょうし、電子(のみの)ジャーナルや行政資料なら、ある程度母体に信頼がおける(日本の官公庁のホームページはそうもいきませんが)。データベースやウェブサービスを扱う論文だと、それは情報源というよりは参照先の案内としてURLなどが示されている。それら以外だと、従来ネット上の文献というのは、基本的には情報源としては避けるべきものとして扱われてきました。は論文や資料はネット上で公開されるようにもなってきていますし、ウィキペディアでは、特に同時代的なことの記述のためには、論文などよりも広い領域のウェブ上の情報を資料として使う必要があります。
また、ジャーナルや書籍であれば、専門家に拠る執筆であり、近い時期に査読によって検証され、公刊時期が明示され、印刷物が発行後に改変・更新されている可能性はなく、読む側もそしたことを意識して読んでいます。ところがウィキペディアは、書かれた時期が異なる文章が、書かれた時期を本文で明示しないままに、場合によっては何年も経ってからでも「最新版」の記述として閲覧者に提供してしまいます。ウィキペディアの内容と情報源の内容を確認したという痕跡も残りにくいですし。執筆者が確認した時から時間が経てば経つほど、情報源の削除や改変がなされる可能性は高いのですから、その起点を明らかにすることは、ジャーナルや書籍よりも重要です。
なので、ウィキペディアではガイドラインや、執筆の補助のためのテンプレートとしては、閲覧日を書くような方向付けをしたほうがいいと思います。ただし、あくまでもガイドラインですから、閲覧日を書いていないからといって除去が許されるものではないし、書かないからといってブロックされることもない。「公開日とアクセス日の少なくとも一方は必要」ってのは電子書籍や電子ジャーナル限定にしておくというやりかたもあると思うけど、情報源の評価は誰でもできるというわけではないので、個人的にはやっぱりガイドライン的にはとりあえず書く方向がいいと思う。
で、書式関係について、
  • URLはリンクがあるなら明示する必要はないと思います。
  • 「時」まではいらないというのも同意します。
  • テンプレは、電子書籍や電子ジャーナルならcite book,cite journalで対応し、ブログや個人のサイトであればcite webというのもありかなあ。テンプレの作り方とか書式的なところはどっちが楽なんだろ。
  • 例示するのは、以下の2種…とすると、和書などにも例が必要ですね。Akanijiさんどうしましょ。
    • 坂本和夫編「パルスレーザーアブレーションにおけるドロップレットフリー薄膜の作製技術」J-STORE、2005年11月1日掲載、2006年6月23日参照。
    • 坂本和夫編(2005年11月1日)パルスレーザーアブレーションにおけるドロップレットフリー薄膜の作製技術 J-STORE、2006年6月23日参照。
引き続きご意見をお願いします。--Ks aka 98 2010年2月12日 (金) 16:25 (UTC)
挙げて頂いている例が良いと思います。二重鍵括弧などの見慣れた約物がないために違和感を覚える読者がいるかもしれませんが、記事検証のための文献探索上は何ら支障ないはずです。URL、参照時刻については、私も同意見です。ホムペの管理をしていたことが私もありますけど、更新したのに最終更新日を書き換え忘れたとか、何回かありました。トップページにしか更新日書かなかったですし、あんまり信用の置ける日付じゃないんですよね、最終更新日って。なので、参照日も添えた方がいいでしょう。前も言いましたけど、発行日と重複して困るもんでもないですし、参照日なんて、見た日を書くだけなんだから負担でも何でもないでしょう。テンプレートの使い分けはそれでいいんじゃないですか。--Akaniji 2010年2月14日 (日) 07:44 (UTC)
括弧はなんでもいいとおもいます (わたしはAPAかMLAかにはこだわりません。分野的にMLAが近いけど)なお現行の{{cite web}}にはtitleのほかにworkというパラメタがあったりするんですが、これってどういう使いかたを意図してるんでしょうね。
Ks aka 98さんの案にならいつつもうちょっとポップな例を書いてみます (案の意図を自分が理解しているかどうかのテストのためです)。公開・最終更新日付が不明なケースです。
--Hatukanezumi 2010年2月14日 (日) 11:20 (UTC)
「学術論文の書式」に「参照日時」の「記載を示して」いることを根拠に「このガイドラインでも、閲覧日時を書くことにしませんか」と始まった議論が、APA書式本の最新版(第6版)で「閲覧日は書かないことになっている」という話が出たとたんに、「(ウィキペディアは)その起点を明らかにすることは、ジャーナルや書籍よりも重要」と論点を変え、「閲覧日を書くような方向付けをしたほうがいいと思います」としていることに違和感を感じます。
Wikipediaでは、「信頼できる資料」を出典にする必要がありますが、「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。」とされています。Webの情報も、これに準じる資料を求められているのではないでしょうか? この様な資料が「公開日/公表日」からどんどんと変更されて行くのはちょっと考えにくいと思われます。 またどんどんと変更されていったり、すぐ削除される資料を、「信頼できる資料」とするには無理があるのではないでしょうか?(趣旨を変えないタイポなどの変更はあるかもしれませんが、それによって本文記載に影響があることはほとんどないでしょう。) 
英語版でも「公開日とアクセス日の少なくとも一方は必要」となっていますし、(「Citations for World Wide Web articles typically include:(中略)・date of publication(中略)・the date you retrieved it (required if the publication date is unknown) 」(wwwの引用は通常以下を含みます(中略)・公表日(中略)・あなたが検索した日付(公表日が未知であるなら、必要とされる)))、APA書式本の最新版(第6版)でもそうなっているのであれば、「公開日/公表日」があれば、「閲覧日」は「必須」にする必要はないと思われます。
あと書式は「公開日/公表日」を後ろにし、テンプレートも含めて、やはりガイドラインの書式例(和書)に合わせた方が良いと思われます。--山本山815 2010年2月14日 (日) 11:38 (UTC)
「必須」という語は、語弊があったかもしれません。「標準」というのが妥当なところでしょうか。信頼性の高いサイトであれば参照日を明示しなくても構わないという話は、わざわざ明文化することもないのではないかと思います。信頼できる発行日であれば、私は「閲覧日を書いてください」などという、方針の精神を忘れた指摘はしません。もしもそのようなことを言ってくる杓子定規な方に出くわしたら、発行日と参照日は、検証可能性上なぜ必要なのか、ズバっと聞いてみてはいかがですか。たぶんぐぅの音も出ませんよ。
順序については先日解説したとおりです。本文側からの参照が著者姓・発行年で行われるのであれば、参考文献節では著者名と発行日を冒頭に持ってこないと、文献を探しにくいです。特に、20とか30とか、文献の数が膨大になってくると、そうですね。秀逸な記事の多くは、著者姓・発行年で参照を行っており、本来、書誌情報も著者名と発行日を冒頭にもって来た方が、検証しようとする読者には優しい書き方です(だからといって、書き換えに行ったりしないでくださいよ。やるにしてもノートに提案してから)。先ほど文献調査の結果を参照 (書誌学)として標準名前空間に上げました。ご一読ください。--Akaniji 2010年2月14日 (日) 12:23 (UTC)
いや、私は「公開日/公表日」の記載を「他の和書」と合わせた方が紛らわしくないのでは?と言っているだけですので、「検証しようとする読者には優しい書き方」として、他の和書も「著者名と発行日を冒頭に持って」来るのであればどちらでもかまいません。 揃えた方が良いと思われますし、さらに閲覧日を書くなら益々混乱すると思われます。(ちなみに私の身近にある本(思想系)の参考文献の大半は、「発行年」が後ろに来ていました。) 
前段は、そうだよなぁ、と思いました。 ただ、明文化しないと、「閲覧日を書いてください」(キリッ!)と言う人が増えるのだろうとは思います。 Akaniji氏のように良く分かってらっしゃる方ばかりではないと思いますので、そんな議論で時間が費やされるのはいかがだろうか?とは思っています。 --山本山815 2010年2月14日 (日) 13:01 (UTC)
先ほどはああ言いましたが、もし私が言われたら、説き伏せるのがめんどくさいので、参照日を足すと思います。それはそれで読者の益になるでしょうし。重複したところで害はないですし。なんか堂々巡りになってますな。んとですね…。たまーに私もサブカル記事を見ることがあるんですが、その情報源は電子論文みたいな高い信頼性はありません。ですが、サブカル分野が大半を占める日本語版。そこにまさか除去するわけにはいかない。ならば、情報源がマズくとも、その示し方で少しでも改善してやろう、というあたりが、今回の提案の狙いだと思うんですよ。ところで思ったんですが、2つ日付が書いてあるとそんなに混乱しますか?「参照」って書いてあれば、混同することはまずないと思いますが…。--Akaniji 2010年2月14日 (日) 13:14 (UTC)
あと、そろそろインデント戻しませんか。見づらくなってきました。なんか経緯的に、気持ち的に、戻すに戻せないです。--Akaniji 2010年2月14日 (日) 13:18 (UTC)
ああ、そうだ。大事なこと言い忘れてました。APAは確かに書いてないかもしれないですが、他のスタイルでは書くことになってるようです。であれば、争点は、スタイルガイドにどう書いてあるか、ではなくて、読者の検証可能性にとってどちらが有益か、という話になると思います。--Akaniji 2010年2月14日 (日) 13:28 (UTC)

論点整理[編集]

整理してみる。Template‐ノート:Cite web#deteの位置と、deteと引用箇所などの書式についても参照。閲覧日は「必須」と明記しない。標準的な例として、例文には書くってことはよいですね。

  • 「著者(発行日)…閲覧日」の並び順を併記するかどうか。
    • 併記するなら紙の書籍も含めてのほうがいいと思う。
    • テンプレも2種類作った方がいいのかもしれない。
  • 「公開・最終更新日付が不明なケース」を例にするか、そうでないものを例とするか。あるいは併記するか。注記をつけてフォローと言う手もありますが、
    • そうでないものだけを例にすると、閲覧日が強く求められるわけではない文献に対して杓子定規な運用もありうる。
    • 不明なケースだけを例とすると、発行日の書き方がわからなくなる。
    • 並び順も含めて併記すると全部で4例になって、ちとバランスが悪いかも。
    • 電子ジャーナルや電子書籍などは、「雑誌論文の例」などの節に置く? で、ウェブページは「公開・最終更新日付が不明なケース」を例にするという手もある。

合意が得られていないのはこのへんでしょうか。--以上の署名のないコメントは、Ks aka 98会話投稿記録)さんが 2010-02-15T05:36:38Z に投稿したものです(Akanijiによる付記)。

並び順は、無理に併記しなくてもいいですが、併記できるならしてもらえると何かとラクでいいです。テンプレは、現行、著者姓・発行年方式をとるものとして{{Cite book}}、{{Cite journal}}、{{Cite web}}、{{Citation}}、著者姓・表題方式をとるものとしては{{Cite book|和書}}{{Cite journal|和書}}があります。英語版では著者姓・表題方式の変則(同著者の複数文献が登場するときのみ表題を記す、表題を略すときの略し方がいくらでもありえる、等)を嫌ってか、採用していないようです。杓子定規な運用の予防には、注記でいいような気がしますが、どうなんでしょう…。例が多すぎるのが良くないのであれば、並び順は無理に併記しなくてもいいと思います。電子ジャーナルのような発行日に信頼の置けるウェブページは、ウェブページとしてではなく雑誌や書籍に分類した方がいいと思います。同様に、信頼できる発行日と閲覧日が重複する場合は、Cite journalやCite book等のテンプレートを用い、accessdateは不要だと思います。Cite webを使わざるを得ないという時点で発行日はかなり疑わしいように思われます(ので、accessdateは必要かと思います。その点で、このテンプレートにaccessdateエラーを付与した人はすごい!)。--Akaniji 2010年2月16日 (火) 12:31 (UTC)
とりあえず一点だけ。新規投稿ならば、閲覧日を必須としてもよいのですが、英語版など閲覧日を必須としない言語版からの翻訳時に、すべての情報源となるウェブサイトを閲覧し、内容を確認するのは手間がかかりすぎるというような意見が、Cite webテンプレのノートにありました。翻訳時の閲覧では、必ずしも執筆時の閲覧内容を担保するわけではなく、また翻訳後に確認できることでもあるので、翻訳を躊躇してしまうよりは、「閲覧日未確認」などと表示されるようにする、あるいは文字列を入力してエラーを回避して、翻訳投稿できるようにすることも検討してみてもらえますか。--Ks aka 98 2010年2月16日 (火) 17:44 (UTC)
4例挙げるのが煩雑なら挙げなくていいとおもいますよ。上の山形の例はテストですから。
ところでエラーメッセージについて。どうもあまり意識されていないことのようなんですが、{{要出典}}なんかはCSSでnoprintクラスを付与されてますんで、印刷用バージョンでは表示・印刷されません。ウィキペディアのコンテンツを利用する外部サイトでも、noprintクラスの要素を表示しないようにしているものが見受けられます。こういうものは記事を編集する側にとってだけ有益な「舞台裏」の情報 (記事を利用してもらう際に改善すべき箇所を示す) なんですね。{{要出典}}を貼られると怒るひとがたまにいますが、編集上の方便だとおもえば腹も立たない。
閲覧日付抜けのエラーメッセージは、noprintクラスを付与しておけば、ウィキペディアサイト上では表示されていていいとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年2月16日 (火) 21:35 (UTC) fix --Hatukanezumi 2010年2月17日 (水) 00:00 (UTC)
とりあえず、「書誌情報の書き方(外国語文献)」には英語のウェブサイトの実例を載せないという結論でよいんでしょうか。私個人は載せても載せなくてもよいですが、英語の実例を出しておくと、スタイルであれこれ迷う執筆者にとって親切だと思います。
あと、そもそもこのガイドラインには「ウィキペディア全体で統一した形式になるようにしてください」という(一応)大前提があります。私はついついこの文章を忘れて前回、上のようなことを書きました。この前提を尊重するのであれば、現状複数の案を提示するにせよ将来的には一つの形式に統一するような書き方をとるべきではないでしょうか。ただし、「大事なのは情報を漏らさず記入する」を優先し、必要以上に束縛しない(「杓子定規な運用をしない」)という考え方も成り立ちます。2年前に私は「統一派」と「許容派」と呼称して各立場の問題点を列挙したことがあります(過去ログ2「書誌情報の形式について」)。この問題は今回の議論の際にも避けて通りにくいものだと思います。話をでかくして申し訳ないですが。 --Nattilv1 2010年2月17日 (水) 15:08 (UTC)
Akaniji氏に質問なのですが、「電子ジャーナルのような発行日に信頼の置けるウェブページは、ウェブページとしてではなく雑誌や書籍に分類した方がいい」ということですが、それは「最も信頼できる資料」=「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」に該当するようなウェブページ(例えば、時事ドットコムYOMIURI ONLINEなどの「主流の新聞」社のページ、ダイアモンドonline日経BPnetなどの「著名な出版社」のページ)と考えてよろしいでしょうか? そして、これら「発行日に信頼の置けるウェブページ」には、「accessdateは不要」とのお考えでよろしいでしょうか? もしそうであれば、私はAkaniji氏のこの考えには同意出来ます。
加えて、「Cite webを使わざるを得ないという時点で発行日はかなり疑わしい」ページとは具体的にどのようなページとお考えでしょうか? 最近は、著名人のブログ(例えば池田信夫blog2など)や、著名人のTwitter(例えば上杉隆Twitterなど)も「出典」として使われ始めていますが、両者とも発表日は明らかで、特にTwitterについては投稿後の変更は出来ないのですが、これらのページに対しても「accessdateは必要」なのでしょうか? 「Cite webを使わざるを得ない」という具体例を挙げて頂ければ幸いです。
書式については、「和書」は統一し、テンプレートに関しては、{{Cite web}}にも{{Cite web|和書}}を設けて書式を統一すれば良いように思われました。 
Akaniji氏の提案のように、「発行日に信頼の置けるウェブページは」、「Cite journalやCite book等のテンプレートを用い」るのであれば、{{Cite web}}の「エラーメッセージ」はあってもなくてもかまわないと思うのですが、Ks aka 98氏の指摘のように、「英語版など閲覧日を必須としない言語版からの翻訳時に」閲覧日を探すのは、「手間がかかりすぎる」ということであれば、{{Cite web}}の「エラーメッセージ」はなくても良いのではないでしょうか? 「エラーメッセージ」が赤字で画面上表示されれば、やはり無視をするのは難しいでしょう。
書式の実例については、「英語の実例」も含めて載せた方が良いように思われました。 それを避けて、ウィキペディア全体で記載の統一がバラバラになる方が問題だと思われます。--山本山815 2010年2月17日 (水) 16:37 (UTC)--修正山本山815 2010年2月17日 (水) 16:54 (UTC)
えーでかくするとたいへんだぞーー。統一のなかのひとつですから、やめておきませんか? 少なくとも、ネット上の文献の表記の加筆・修正は、ウィキペディア全体での書式の扱いと独立してできることですし。
ちょっとだけ書いておくと、二つの道があると思います。ひとつは既存の形式を十分参照・検討した上で現在のインターネット上にある百科事典の形式としてウィキペディア独自の書式を確立させる(無理だろと思う)。もうひとつは、項目の性質上中心的と思われる分野の既存の形式にならう範囲においては許容(複数分野にまたがる場合は、いずれかに統一が望ましい)。統一派の問題1,3を乗り越えるためには、既存のスタイルを越える書式で統一するしかないと思う。許容派のほうは、1は、記事内の統一を求める。分野が混在しなければ問題は生じにくい。2は必要不可欠な情報さえあれば、またテンプレ使用や、先行する記述の様式に揃えることなどを案内することで回避できると思います。出典情報を書くことに慣れている人は、慣れているものを使う。3の非常識なスタイルは排除。
英語文献は載せましょうか。今でも並び順は複数併記なので、それにならえばよいのかな。
という感じでよいかな。--Ks aka 98 2010年2月17日 (水) 16:47 (UTC) インデント直す--Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 14:04 (UTC)
Schiffの例に対し、「『Accessed』や『閲覧』でもよくないか?」と突っ込まれた場合に、「それらでもいいよ」と回答するのが「許容派」、「 Retrieved に統一する」あるいは「3つからよりよいものを決めよう」と書くのが「統一派」です。現状のガイドラインの「筆者」は明らかに「統一派」に属しており、私も新聞編を書く時にはあえて彼の立場を尊重しました(「当面、複数の表記法を示し、議論にゆだねることにする」)。「統一派」の一部は、このマニュアルで示された表記法にそぐわないものを「改善」することに尽力するでしょうが、それを「筆者」は容認しています(「もちろん、スタイルから外れていれば、誰かが修正してくれるでしょう」〔下線引用者〕)。
書いてる間に怪獣ほどの大きさになりそうでしたが、象ぐらいにおさめます。もうまもなく本文に具体例が挙げられることでしょうが、複数挙げるとすればその目的をじゅうぶん検討する必要があるのでは、ということです。「統一派」の観点からは、「とりあえず2つの例を挙げておきますけど、いずれはどちらかに、もしくはよりよい書式があればそちらに統一させます」ということになるでしょうし、具体例の前段にそのようなことを書くでしょう。もう一方の派は、「とりあえず2つの例を挙げておきます。これらにない書き方でもいいですよ。大切なのは中身なので」と捉えられるように注記しておくことでしょう。
今のところこの議論においては、「許容派」が多いですし、私もそうですが、本文にあげる「最終形」がどういうものになるにせよ、それはこのガイドラインの趣旨を踏まえた上であるべきではないかなと(ただし、「じゃあガイドラインの趣旨を変えよう」「趣旨はあるのは分かるがあえて無視する」「今は踏まえないけど、後で議論する」という選択肢もありえます)。--Nattilv1 2010年2月18日 (木) 04:07 (UTC) インデント直す--Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 14:04 (UTC)
コメント ウェブ上の資料の実例ということですが、こんなのはどうなんでしょう。
最近はネット上の「雑誌」もあり (余談ですが、実はそういうものはインターネット以前のUUCPやFidoNetの時代からあります)、きちんとしたものだと記事が公開されたのちに変更されることもめずらしくありません。紙の雑誌とちがい、すぐ修正・加筆できることで正確性を高めようとしているのですね (どこかで聞いたような話だ)。この例の場合は親切に修正箇所を説明していますが、説明していない修正もありますし、説明がないことだってあります。どういう内容を参照したかをはっきりさせるために、閲覧日付が必要になってきます --- だって、今後も変更や加筆がされるかもしれないんですから。
ところで新聞記事の場合。閲覧日付を示す必要はありません。なぜなら、版があるからです。日刊の全国紙などは、1日に10回以上も版を重ねます。配達時刻によってめいめいが違う版を読んでいます。ためしに自分の購読紙を保管しておいて、縮刷版 (たいていは最終版に基づきます) とくらべてみてください。あちこちがちがっていますし、記事がなくなたり新しい記事が増えていることさえあります。ですから、新聞を参照するときは版を示すべきです。
  • ウェブにもどって、新聞記事の電子版は、紙よりさらに頻繁に変わります。大きな新聞は記事を電子媒体で配信していますが、これには時刻まで記してあることもあります。実際、同じ題名の記事でも、時刻がたつと改訂された記事がでたり、記事が取り消されたりすることもあります。紙の新聞とちがって版指定はありませんから、配信日(時)や閲覧日(時)が必要です。
--Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 14:04 (UTC)微修正--Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 14:15 (UTC)
新聞に「版」があるのはもちろん皆さんご存知だとおもいますが、現状では「版」まで書くことは強制されていません。(それを強制すべきかは別の議論になるのでしょうが、今直ちに問題だとは思われません。)
新聞記事の電子版は、紙よりも更に頻繁に変わるということですが、具体例は何かあるのでしょうか?例えば「国母8位、青野は9位=ホワイトが連覇〔五輪・スノーボード〕」と、「国母8位、青野9位=カーリング惜敗、小原17位、長島は37位-バンクーバー五輪」は時事通信社のほとんど同じ記事ですが、同じページ内での変更はされず、別アドレスで記事が変更されています。(ロイター[30][31]も、YOMIURI ONLINE[32][33]も同じでした。)つまり、同一記事が同一ページで「頻繁に変わ」っているわけではありません。 たとえ変更されていても発表時間まで表示されているのであれば、それを書けば「閲覧日時」は必要ないのではないでしょうか?
雑誌についても何か具体例がありましたら参考にお示し下されれば幸いです。 --山本山815 2010年2月18日 (木) 15:32 (UTC)--追記山本山815 2010年2月18日 (木) 15:39 (UTC)
国母の記事の例は、おたがいに「既報」と「続報」の関係にあるもので、別の記事です (電子版の記事のすべてが紙の新聞に一度に載るわけではありません。版によって、初報を載せていたりその続報を載せていたりします)。新聞の電子版では「そのとき存在している記事」だけが表示されますから、記事の訂正や取り消しに気づきにくいですが、G-Searchのような過去のものもふくめた記事検索サービスをつかうと気づきます。ある記事を、時間をおいてもう一度みたときに「訂正あり」として文面を変更していたり、「取り消し」として閲覧できなくしていたりすることがあります。紙の新聞で版がかわるときも、おなじことが起こっています。
で、「たとえ変更されていても発表時間まで表示されているのであれば、それを書けば『閲覧日時』は必要ない」というのはそのとおりで、そこがわたしの言いたかったことでもあります。大手新聞社や通信社の記事では記事の発表日時や版が厳格に管理されているため (それをはっきりさせることが新聞社の飯の種になるのですし)、変更があったらちゃんとわかりますから、配信日(時)や版は信頼できるのです。--- 公刊書籍も同様で、いつ発行されたかを示せば、どの内容であるかを示せます。出版流通のしくみによって同じときに発行された書籍は同じ内容であることが保証され、内容がかわったものは版の違いで識別でき、さらに図書館に収蔵されることによって複数のひとがおなじものを確認できるようになっているからです。
ウェブ上の情報源の多くは、ここまで述べたような「権威」によって内容を保証できません。上の『Internet Watch』の例では、編集部が内容を変更したとしても確実にわかるようなしくみはありません --- 例示した記事は、たまたま著者が誠実なひとだから、変更したことがわかるだけです。ほかの情報、たとえば紙のビジネス雑誌の「インターネット版限定記事」のなかには、紙の本誌には載らないようなレベルの記事を書き飛ばして、あとで訂正しても断りもしないようなものもあります (そういうものも、ウィキペディアでは情報源として使われることがあります)。
まとめると、ウェブ上の情報の多くは発表元の版管理に信頼をおけませんから、資料を利用したひとが自分で信頼性を「上積み」する必要がでてきます。それで、閲覧日付を書くべきかどうかが議論されているのだとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 16:25 (UTC)
お忙しいところ申し訳ありませんが、「あとで訂正しても断りもしないようなもの」の具体的事例を挙げられないと検証しようがないのですが…。お暇が出来ましたら、具体例をお願い出来れば幸いです。--山本山815 2010年2月18日 (木) 16:53 (UTC)
んー。「断りもしない」のだから、具体例といわれても無理です (訂正した例に挙げられるのは「断り」をしているものだけですよね)。ウェブは変わっていくことがあるという話の一部なんで、そこがポイントではないです。山本山815さんもいろんなウェブ上の資料をしばらく観察してみてください。
あと、新聞の話に補足ですが、新聞記事データベースでは (というか、データベースってそういうもんですが) 記事ひとつひとつに固有のIDがついています。データベース検索でいったん記事をみつけたら、その記事のIDを指定すればピンポイントで何度でもおなじ記事にアクセスできます。だから、「訂正あり」や「取り消し」があることもわかる。ただしこのIDはデータベースの中だけで通用するので、ウィキペディアや学術論文などで記事を指定するのには使えません。
かなり脇道にそれたのでこんなところで。 --Hatukanezumi 2010年2月19日 (金) 16:42 (UTC)
Wikipediaの方針には、「「独自研究」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。」「ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません。」とあります。また、「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」ともあります。 もちろんこれらの方針はノートページの議論には適応されませんが(もちろん本文記載に関しては適応されます。)、それにしても、「具体例といわれても無理です」「山本山815さんもいろんなウェブ上の資料をしばらく観察してみてください。」と、自論の検証を相手に押し付けるのは少し失礼なのでは?と思われました。 
この事例の提示が難しいのであれば、『紙のビジネス雑誌の「インターネット版限定記事」のなかには、紙の本誌には載らないようなレベルの記事を書き飛』ばす場合の別の具体的事例を、議論の進展の為にお示し頂ければ幸いだと思っております。--山本山815 2010年2月19日 (金) 18:16 (UTC)
まあ、ウェブ文献の不安定さは、古谷実「電子文献の参照をどう書くか―SIST 02補遺の公刊にあたって」(情報管理 44(7), 470, 2001)や藤田節子「電子文献の参照をめぐる問題点」(情報の科学と技術 51(4), 239-244, 2001040)など、古くから指摘されていることですけれど。この手の話は、メディア批判として関心が持たれ、記録が残ったものを検索して探しているので、あまり適当な例ではないですけれど、いくつか。たとえばウィキスキャナは今[34]と昔[35]でトップページが違います。「WikiScanner2」とはなっていますが改変があったことは示されていません。ウィキスキャナの記事の脚注にある情報源のニュース[36]は消えてます[37](傍証ブログ[38])。新聞記事だと、2007年9月24日 21時48分発行の記事が削除された例(2007年9月24日 22:41の魚拓[39]、2007年9月24日 23:18の魚拓[40]。背景などは[41])とか。削除の場合は、削除日付が書かれることはあまりないですし、掲載時限が来たから削除されたのか、誤認・誤報として削除されたのかもわかりません。修正の例だと、新聞では2010年1月19日0時3分発行で修正表記が見当たらない記事の2010年1月19日 10:30の魚拓[42]と最新の表示[43](指摘は[44])や、ゲーム雑誌の発行日入りインタビュー記事[45]から一部が削除されている事例がありました[46](傍証として、はてブ[47]、ニュースサイト[48])。--Ks aka 98 2010年2月20日 (土) 09:43 (UTC)
(あまりに深くなったのでインデント戻す。問題がありましたらお戻し下さい。)少し一般論を書いてみます。
例えば次のような「Wikipedia本文α」についての「出典」である、「記事△(内容A→B)」の大幅変更があったとします。
  1. 2007年1月 1日 「記事△(内容A)」 ××書籍Web                            発表日2007年1月 1日
  2. 2008年4月30日 ←(1.の「内容A」を「出典」にした「Wikipedia本文α」記載を編集者アが行う) 閲覧日2008年4月30日
  3. 2009年3月 1日 「記事△(内容B)」※大幅変更が行われる
  4. 2010年現在   「記事△(内容B)」(内容は3.と全く同じ)
  5. 2010年本日   ← (別の編集者イが「出典」の「内容A」が「内容B」に大幅に変わっていることに気が付く)
さて、仮に本日、編集者イが、「本文α」の「出典」である「記事△」の内容が「内容A」→「内容B」に大幅に変わっていることに気が付きます。 普通、変更されてしまった「出典」(この場合は「内容A」)は、Wikipediaでは「出典」としてもう使えませんから、速やかに編集者イは、「内容B」に合わせて「Wikipedia本文α」の内容を変更します。
しかし、どうしても変更される前の「内容A」に重要な記載があり、それを元に「Wikipedia本文α」の記載を維持したいと編集者イが考えた場合、どうすればいいでしょうか? 当然編集者イは、「内容A」と同等の内容を保持した新しい「出典」を捜し当て、それに従って「出典」を変更するしかありません。 その時重要になるのは、「2.閲覧日2008年4月30日」ではなく、「1.発表日2007年1月1日」です。 なぜなら、(ニュースであれ、話題になった人のインタビューであれ)「発表日」と同時期に同等の記載が他の媒体で書かれている可能性が高く、それを新たな「出典」とすることが出来るかもしれないからです。 この時「閲覧日」は、重要な意味を持ちません。
もちろん、「内容A」→「内容B」→「内容C」→「内容D」→… と、「発表日」もそのままでなんの断りもなく(本文内容を変えるような)<大幅変更>がどんどんと続けば、「閲覧日」も一つの参考になるかもしれません。 しかし、「最も信頼できる資料」に匹敵するWebページでそんなことが起こり得るのか?というのが私の疑問でした。
Ks aka 98氏が挙げられた「ゲーム雑誌の発行日入りインタビュー記事」、(改変前(アーカイブ「2007年1月21日」(「発表日2007年1月19日」)))は一見どんどんと大幅変更されて行く事例にも見えます。 しかし、アーカイブでたくさん表示され、どんどん改変されて行ったように思えますが、実際は、「発表」(アーカイブに残っている最古は「2007年1月21日」)から、改変が行われたのは「2007年2月2日-2番目」大幅改変が一度だけで、この改変は「2010年2月21日」現在の記載と全く同じ内容です。 つまり、改変前の記載内容に固執するのであれば、重要なのは「発表日(「2007年1月19日」)」であり「閲覧日」ではなく、改変前の記載内容を維持したい編集者は「発表日」の前後の他の記事を探すという流れになると思われます。(同時期の他のインタビューがあるかもしれません。)
なぜ、この記事が大幅変更されたのかは分かりませんが、もしかしたら内容に対して批判があったからかもしれません[49]。いずれにせよ、<大幅変更>がどんどんと積み重ねられない限り、必要とされるのは「発表日」だけのように思われます。 「最も信頼できる資料」に匹敵するWebページにおいて、同一ページで「発表日」がそのままで、「内容A」→「内容B」→「内容C」→「内容D」→…と本文の内容がどんどんと<大幅に>変わっていくのはやはり考えにくいと思われます。 それはKs aka 98氏の挙げられた新聞記事の事例も同じだと思われました。(「ウィキスキャナ」のページが「信頼できる資料」かは私には分かりません。)
私は、英語版とAPA書式本の最新版(第6版)が「公開日とアクセス日の少なくとも一方は必要」となっていることには根拠があるのではと感じています。--山本山815 2010年2月20日 (土) 19:36 (UTC)
((追記)対立した意見の中書くか迷ったのですが、Ks aka 98氏の真摯に「出典」に向かおうとする姿勢には敬意を持っています。 もし無理に「出典」を引き出し、それを引っ掛ける形で自論を展開していると思われているとすれば誤解です。 Ks aka 98氏の挙げられた事例を真剣に検証しました。 更に具体的、実質的な議論が進むことを願っております。--追記山本山815 2010年2月20日 (土) 21:16 (UTC)
コメント どうもかみ合わないとおもっていたのですが、理由がわかったようにおもうのでコメントします。
ウィキペディアで書かれたものは、わたしたちが会ったこともない、たいへんおおぜいのひとに読まれます (ウィキペディアの利用者のうち、執筆者なんてほんのひとにぎり --- いや、ひとつまみ --- です)。読んだひとの役に立つように、質の高い記事を書くべきです。いい記事が増えれば、そのことがウィキペディアの信用を高め、ますます多くのひとに読まれるようになります。
逆に、記事の内容が不正確だからといって、読んでくれるひとにいちいち説明することは不可能です。読者のほとんどすべては、記事のノートの論争など読みません。それに、ウィキペディアの記事はライセンスに従うかぎり再利用も自由ですから、どこでだれが読むかもわかりません。
「検証可能性」が重要なのはこのためでしょう。読者が検証できるために、出典を記すのです。執筆者の便宜のためではありません。執筆者が正確な書誌による出典を記していれば、読者は記事に書かれている内容を確かめられますから、その記事は信頼されます。そういう記事が多くなれば、ウィキペディアも信用を高めます。
厳密な検証にたえる書誌のほうが、よい書誌です。ウェブ上の情報源の場合、閲覧時刻が記してあれば、読者が読んだときにはすでにページが消されていたり変更されたりしていても、なんらかの方法で (アーカイブサービスなども含みます)、閲覧日付時点の内容を検証できるかもしれません。
ひとに読んでもらえるものを書こう、しかも見も知らぬたくさんのひとに、と思うから、出典を厳密に示す必要があるのではないですか。 --Hatukanezumi 2010年2月23日 (火) 16:23 (UTC)
いえいえ、「読者」も、「公開日とアクセス日の少なくとも一方」があれば、上の一般論の例でも示したような流れでHatukanezumi氏が言う「厳密な検証」はできるでしょう。 
(ちなみに、「ページが消されていたり変更されたりしていた」時点で「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」と、「読者」にとっても「検証」が出来ないと普通は考えると思います。) --山本山815 2010年2月23日 (火) 18:33 (UTC)
「電子ジャーナルのような発行日に信頼の置けるウェブページは、ウェブページとしてではなく雑誌や書籍に分類した方がいい」については、学術論文雑誌や電子書籍を想定して発言しました。オンライン新聞の発行日は紙の新聞ほど信頼できるものではないと思います。「accessdateは必要」と思います。「Cite webを使わざるを得ないという時点で発行日はかなり疑わしい」ページとは、上のようなオンライン新聞や、ブログです。ブログは投稿初版の発行日は表示されますが、修正日は表示されないでしょう。したがって、発行日だけではなく、というよりもむしろ、発行日以上に閲覧日は必要だと思います。
山本山815さん。閲覧日を標準にすることによるデメリットは何だとお考えですか?--Akaniji 2010年2月25日 (木) 12:09 (UTC)
英語版でも「公開日とアクセス日の少なくとも一方は必要」となっていますし、そうした方が良いと思われます。 上の一般論の例でも示したように、「最も信頼できる資料」に匹敵するWebページにおいて、同一ページで「発表日」がそのままで、「内容A」→「内容B」→「内容C」→「内容D」→…と本文の内容がどんどんと<大幅に>変わっていくのはやはり考えにくいと思われます。 そうした資料で「発表日」があれば、「閲覧日」は標準とする必要ないのでは?という根拠は上で説明しましたので読んで下されば幸いです。 標準とする必要がないものを書くことは、デメリットだと思われます。 --山本山815 2010年2月25日 (木) 19:23 (UTC)

大統一の試み関係[編集]

余談気味の話題なので、節を分けます。

「参考文献のスタイルもWikipedia:スタイルマニュアルの一環です。ウィキペディア全体で統一した形式になるようにしてください。」[50]の部分は、ノートでの議論もないですし、Wikipedia:スタイルマニュアルは「ウィキペディアの記事では、文章のスタイルよりも、記事の内容の方が大事であり、執筆者は当マニュアルで規定するスタイルに絶対に従わなければならないわけではありません。しかし、記事の読みやすさや編集のしやすさを保つために、一貫したスタイルに沿って執筆することが推奨されています。」という程度のことしか求めていません。「Wikipedia:出典を明記する」で扱うのは、「Wikipedia:スタイルマニュアル」で扱うものよりも統一が難しいもので、「統一した形式」といっても単一の形式を指すわけでもなく、またそれほど強く求められるものではないと思います。

統一派とか許容派とかだと、その定義に拠るところも大きくて、「当面、あなたは、どれでもいいよ」なら統一派とも言える。あとは、必要に応じて多少の逸脱は認めるか、それと決めた書式以外は合理的であっても許さないのかとか、書式に合致しないものを地道に直していくのか、決めた書式以外で投稿する投稿者を許さないのか、とかいうところもあります。今のコミュニティは、どうしても画一的な基準で運用し、他者に厳しい要求をするという傾向があると思います。

統一というのは、ただ一つの書式を決定するものとしましょう。それは、1)何でもいいからとにかく統一した書式にしようというのと、2)少なくともウィキペディアで用いるにあたっては既存の多くの書式の利点を越えたと思えるものを考えるという、二つの立場があると考えます。とにかく統一することには、明解であり、統一する作業がやりやすいというメリットがあります。後者はいろいろ考えたり調べたりをぼちぼちやってるんですが、とても難しい。既存のスタイルのメリットデメリットを横断的に評価したものもなかったりします。おおまかな方向としては、そのスタイルに慣れていなくても理解できるように書体や約物にあまり意味をもたせず、本文の加筆や修正に対応した情報源の加筆・修正が容易で、作業自体が平易であるということが挙げられるでしょう。

3)分野ごとに統一した、複数の表記を採用して、それに揃えるという考え方もあります。APAが一般的な分野でMLAで書かれていたらAPAに修正する。執筆者、閲覧者の便としては、その項目が属する分野に揃えるのがいいというのは大きくて、普段書いたり読んだりしている論文や書籍に合わせることができるし、その項目を読んで、より詳しくという人への案内にもなる。書式の案内や解説、細かいところの決定はプロジェクトごとで決める。ぼくとしては、分野ごとに統一した複数の表記を採用して、それに揃えるというのがだんだん進みつつ、ウィキペディア向きの参照書式が工夫されていく、というのがいいなあ、と思っているのです。

それから、4)必要な情報が揃っている限りは、その書式などは問わない、ただしその項目内では統一するという考え方もあります。

単純に統一するかしないかなら、統一したほうがいい。ところが、現実の各学術分野も統一には至っていません[1][2][3][4][5]。そこにはくだらない理由もあると思うんだけど、まっとうな理由もあると思う。自然科学や技術分野と、歴史学や社会学では、どうしても参照させる意味合いとか、資料をどういう根拠にしているかとかというところで違ってくる。

無理に揃えるなら、ISO 690なんだろうけど、ISO 690はSIST02になったのに、電子文献ISO 690-2は整合性がとれないということでSIST02補遺はJIS X 0807を持ち込んでいなかったりもするという経緯があるらしい[6][7]

それでも、書誌情報だけなら、前述の「おおまかな方向」に沿っていけば、大きな問題は発行年の位置だけだと思います。ただこれは、Akanijiさんが指摘している通り「本文側からの参照が著者姓・発行年で行われるのであれば、参考文献節では著者名と発行日を冒頭に持ってこないと、文献を探しにくい」ですし、参照方法も含めて、どっちの場所がいいかというのも決めにくい。そうした参照方式を無視するなら、書誌情報はNDLの書式に揃えてしまうという手もあるとは思いますが(論文はciniiでもいいかも)。--Ks aka 98 2010年2月20日 (土) 18:07 (UTC)


「統一派」「許容派」という分け方よりもだんぜんいいですね。「ある程度許容」というのは、逆に言えば「ある程度の統一」を求めているわけで。
さて、私がかつて「書誌情報の形式について」を書いたのは、次のような疑問があったからです。
  • 参考文献に複数表記されているにもかかわらず、一つの書式のみ提出されている。
  • その「一つの書式」が他の書式より推奨される理由が見えない。
  • 「文末の区点」のように、あげられている参考文献のどれにも支持されているものがあるが、それとて「それらの本に書かれてあったから」以上の理由が見いだせない。「区点なしでもよいではないか」という疑問にじゅうぶん答えきれていない。
  • 文献からの改竄、あるいは相違する箇所が複数ある。議論でそう決まったわけではない。
  • 現在の書式に違和感を持つ人がいる。別の書式を好む人は少なくないだろう。ガイドラインの「筆者」は、彼らの意見をどう考えているのか。
少なくとも言えることがあります。このガイドラインに載っている書式は、「Wikipedia:スタイルマニュアル」のように、「ウィキペディアンたちの数多くの経験の中で確立されたスタイル」ではないということです。今回、Wikipedia:秀逸な記事に掲載されている個々の記事を検討してみましたが、このガイドラインに徹頭徹尾従っている記事は一つもありませんでした。一部のサンプルで判断するのも何ですが、誰も守っていないスタイルに「ウィキペディア全体で統一」するのは非常に困難でしょう。
以下、横道ながら個々の記事についてのコメント。いずれも2010年2月25日閲覧時点。
全体を通して気がついたこと。
  • 英語のウェブサイトでも閲覧日は日本語表記ばかりだった。
  • Ks Aka 98さんは「必要な情報が揃っている限りは、その書式などは問わない、ただしその項目内では統一する」という立場を想定しているが、そもそも「必要な情報」が何なのかも、このガイドラインではじゅうぶんに決まっていない。書式を揃えるということは、必要な情報をすべて出すだけでなく、不必要な情報を排除する(たとえば、新書番号が記載された時には消去する)ということも意味するが、たとえば「改訂版」や「増補版」などが必要なのか不必要なのか、出版元と発売元が異なる場合に後者も明記するのかしないのか。--Nattilv1 2010年2月25日 (木) 09:57 (UTC)

ひとまず単純なレス

  • 参考文献に複数表記されているにもかかわらず、一つの書式のみ提出されている。
    • 全部書いてもいい。書く人、書いた方がいいと思った人、書かねばならないと思った人がいない。
  • その「一つの書式」が他の書式より推奨される理由が見えない。
    • ないから見えない。強いて言えば、比較的一般的な感覚に合致しているとは言えるんじゃないでしょか。
  • 「文末の区点」のように、あげられている参考文献のどれにも支持されているものがあるが、それとて「それらの本に書かれてあったから」以上の理由が見いだせない。「区点なしでもよいではないか」という疑問にじゅうぶん答えきれていない。
    • そんなものはないに違いない。日本語では文末に句点があるから、英文では「.」が付いていたから、とかだと思う。
  • 文献からの改竄、あるいは相違する箇所が複数ある。議論でそう決まったわけではない。
    • まあ、そういうもんでしょう。
  • 現在の書式に違和感を持つ人がいる。別の書式を好む人は少なくないだろう。ガイドラインの「筆者」は、彼らの意見をどう考えているのか。
    • 筆者というのは、まあ、みんな、なわけですから、おれらが別の書式がいいと思えば変えればいい。
  • 英語のウェブサイトでも閲覧日は日本語表記ばかりだった。
    • まあ、そのほうがわかりやすいという傾向なんでしょか。
  • Ks Aka 98さんは「必要な情報が揃っている限りは、その書式などは問わない、ただしその項目内では統一する」という立場を想定しているが、そもそも「必要な情報」が何なのかも、このガイドラインではじゅうぶんに決まっていない。
    • 必要な情報は「執筆者が参照した資料を特定できるもの」。加えて、いくらかのセーフティと探しやすさを考慮したもの。特定の程度は、記述内容にも拠るけれど。
  • 書式を揃えるということは、必要な情報をすべて出すだけでなく、不必要な情報を排除する(たとえば、新書番号が記載された時には消去する)ということも意味する
    • 意味しない。あるべきでない情報は排除するとしても、あってもなくてもいいものは、「オプション」として筆者に委ねることもできる(そういうスタイルマニュアルもある)。
  • たとえば「改訂版」や「増補版」などが必要なのか不必要なのか、出版元と発売元が異なる場合に後者も明記するのかしないのか。
将来的な統一のことを考えるのなら、テンプレ使うのをデフォルトにするのがいいのかも。そしたらテンプレをいじればざっくり変更できて、残りもある程度はbotreqでなんとかなるんじゃないかな。--Ks aka 98 2010年2月25日 (木) 18:40 (UTC)
コメント んと。やっぱり「最低限必要な情報」は示してあげたほうがいいんじゃないかな。そのほかに「あってもかまわない情報」、「資料の性質によってはあったほうがよい情報」もある。
とりあえず、あってもかまわない情報。これにも濃淡がある。
  • たとえば岩波文庫は岩波番号 (というのかな) で呼ばれる習慣があるので、書いてあれば資料を探すひとにとっては便利。東洋文庫もそうかもしれない。講談社学術文庫ではあまり必要ないでしょう。
  • 発売元は、なくてもかまわない。というか、版元を記さずに発売元だけ「星雲社刊」などと記すのは困る。版元 (発行者) は必須。
  • ISBNは、あってもかまわない。ただしこれは流通のためのコードなので、版がかわったときだけでなく、発売者がかわっただけでかわってしまう。資料そのものを特定する情報ではない。
    いっぽう、ISSNやDOIは書けるなら書いたほうがいい。雑誌や論文を一意に識別できる情報なので。しかし、学術雑誌の世界では誌名にまぎれがすくなくなるよう考慮されているので、必須ではない。
いま話し合ってるのはおもに最低限必要な情報」と「資料の性質によってはあったほうがよい情報」なんで、そのへんについては文案を考えてみます (だれか先にかいてくれるのならそれはそれで助かるので、遠慮はいらない)。 --Hatukanezumi 2010年3月3日 (水) 14:32 (UTC)
参照方法を挙げてみます。現行、和書は、著者姓・発行年で参照、書誌情報は著者姓名→表題→…となっています。
  1. 著者姓・発行年で参照、書誌情報は著者姓名→発行年月日→…の順
  2. 著者姓(・表題)で参照、書誌情報は著者姓名→表題→…の順
  3. 番号で参照(脚注機能)、書誌情報の順は不問
1番の長所は、現行よりも文献を探しやすいことと、ページ番号を普通に示せること、そして注釈の脚注と共存が可能で、general referencesも共存できること。短所は、書誌情報の記述順を変更しなければならないことと、可読性に難があること。ただし可読性についてはen:WP:CITE#Shortened footnotesの方法で対処可能。
2番の長所は、書誌情報の記述順を現行どおりで済ませられること。短所は、難しいこと(参照に表題を用いたり用いなかったり、表題の省略方法など)。
3番の長所は、可読性に優れること。短所は、general referencesが共存できないこと、ページ番号を示す場合に特殊な方法を用いなければならないこと(en:template:rp)、注釈の脚注と共存させる場合に煩雑になること(H:FN#参考文献リストと注釈リストを別置したいとき)。現行は以上3つのどれでもない組合せになっています。--Akaniji 2010年3月5日 (金) 13:45 (UTC)
4)の立場の人は、たとえば、現在任意表記となっている「元号」を表記するか、表記しないかでも記事内で統一をしましょうという立場だと解釈していました。元号が不必要だと思えば削除するでしょうし、必要だと思えば書かれていないものにも加筆する。まあ4)の人にも「書式を揃える」ということをめぐっていろいろな考え方があるでしょうし、そもそも今ここにいない人たちのことを考慮する意味がどれぐらいあるかわかりませんけど。
まあどういう立場であれ、何が「あるべき情報」であり、何が「あってもなくてもいいもの」であり、何が「あるべきでない情報」なのか。そういった検討は必要でしょう。もちろん、それぞれの中でも濃淡があるでしょう。まず、和書(単行本)だけを対象にして、書式作成者によって検討されてきた「情報」を下にかかげます。ここでは新聞編の参考文献(D)宮澤淳一編のものを特に参考にしました。この本はウェブ関係や非刊本をのぞけば、かなりかゆいところまで手が届いているためです。なお、(A)中村健一も参照。
  • (著者関係)著者<1>/訳者/編者/監修者
  • (書名関係)書名/副題/シリーズ名/講座名/文庫・新書名/文庫・新書の整理番号/巻数/題名に加えて各巻に題名(右例の斜体)がある場合(例:『ニーチェ全集12 権力への意志 上』ちくま学芸文庫、1993年)/各巻に副題(右例の斜体)がある場合(例:ドナルド・キーン『日本文学の歴史15 近代・現代篇6』中央公論社、1996年)/改訂版・新版・改訳版等/(翻訳書の場合の)原書情報
  • (発行所関係)出版地/発行所<2>/発行者/発売所
  • (刊行年関係)初版刊行年/典拠の版の刊行年/改訂版・新装版等刊行年/元号表記
  • (ページ関係)ページ数
<1>(D)では、著作集や書簡集など書名に著者名が含まれている場合には省略可とする。
<2>(D)では、「有名な文庫・新書ならば」((27)頁)出版社の省略を可とする。--Nattilv1 2010年3月9日 (火) 15:59 (UTC)

参考とした/となる資料[編集]

  1. ^ 藤田 節子「国内人文・社会科学系学会誌の投稿規定の分析(I)」[1]情報管理 49(10), 564-575, 2007
  2. ^ 藤田 節子「国内人文・社会科学系学会誌の投稿規定の分析 (II)」[2]情報管理 49(11), 622-631, 2007
  3. ^ 藤田 節子「国内科学技術系学会誌の投稿規定の分析:参照文献の記述,著作権を中心として(I)」[3]情報管理 48(10), 667-676, 2006
  4. ^ 藤田 節子「国内科学技術系学会誌の投稿規定の分析:参照文献の記述,著作権を中心として(II)」[4]情報管理 48(11), 723-734, 2006
  5. ^ 「BibTeX and bibliography styles」[5]
  6. ^ 対応関係は、島田静雄「付録A. 規格の目録」『文書のまとめ方-総目録』中日本建設コンサルタント株式会社[6][7]
  7. ^ 古谷 実「電子文献の参照をどう書くか―SIST 02補遺の公刊にあたって―」[8]情報管理 44(7), 470, 2001

日付の書式[編集]

{{ISOdate}}というテンプレートを移入したので (うまいことを考えるひとがいるものだ)、とりあえずテンプレートでは、▼編集時にISO 8601形式の日付を記入、▼表示は日本語、ということが実現できることになりました。というわけで、以下に異論がなければ、cite系テンプレートでは日付にISOdateをかませることにしようとおもいます。

  • 書式の日付表示は日本語表示を原則とする。
  • 書誌のテンプレートでの日付はISO形式での入力を原則とする。

いいですか? --Hatukanezumi 2010年5月7日 (金) 15:54 (UTC)

[Template:Cite book‎_2010年5月12日 (水) 12:27]において、日付け表記が入った編集が行われましたが、正直、反対です。日付うんぬんよりも洋文献でハーバード方式を採用する場合に、の文字が入るはずが無い。例えば、ノルウェーの経済#参考文献に掲げている、
Eichengreen, Barry (1992年). Golden fetters.という風に、(YYYY年)とを標記した洋書は見た事ありません。論文も同様です。
Eichengreen, Barry (1992). Golden fetters.
となるのが普通ですから、日本語版だからと言って、年を入れるのは、おかしいと思います。
多分、Cite Webについても意見は出てくると思いますが、Cite Webの閲覧日については、あくまで閲覧しただけだから、日本語表記でも構わないと思います。テンプレート(accessdate=accessdate=2010-03-22)を入力して、2010年3月22日閲覧。と出てくる分には抵抗感はありません。--Wushi 2010年5月12日 (水) 13:14 (UTC)
(インデントやや戻し) んじゃ、
  • 書誌本体はHarvard式 (なのかどうかちょっと微妙だが)
  • archivedateとaccessdateについては日本語表記。あとに空白をあけずに「閲覧」をつける。
  • 書誌本体の読点は「.」。archivedateとaccessdateのあとに続く読点は「。」。
にしましょうか。今日、Cite系をIPさんが網羅的に編集しているので、cite bookやcite web以外もまとめて対応することになります。 --Hatukanezumi 2010年5月12日 (水) 13:39 (UTC)

Template:参照方法について[編集]

こ のテンプレートは元の英文では出典の記載方法がおかしい場合に修正を促すために使うもののようですが、日本語版では本文中に注釈を挿入するスタイルに変更 をうながすものに変化しています。たしかに注釈スタイルのほうがベストですが、記事末尾に参考文献を列挙する方法も別に非推奨と決まっているわけではない と思うのですがいかがでしょう。非推奨ならこの文面も説得力を持ちますが、そうでないなら少々高飛車な文面だと感じてしまいます。英文の“出典の書き方が おかしいから修正して”と指摘する文章に変更した方がいいんじゃないでしょうか。--Afaz 2010年2月10日 (水) 16:24 (UTC)

話しあう場所はTemplate‐ノート:参照方法がよいのではないでしょか。--Ks aka 98 2010年2月10日 (水) 17:14 (UTC)

記事「高橋洋一 (音楽家)」について[編集]

私は、本ページの高橋洋一 (音楽家)の秘書の南と申しますが、出典と言う意味、定義は学歴等は、成績証明書等や、作品等だったら当該放送局からの証明書等でしょうが、それらを一々何処に提出するのでしょうか。 また、ツイッターの方で、荒し屋成る者が嫌がらせにやってる事をそのまま鵜呑みにするウィキペディアの方も私共小額ではあっても寄付している中において非常に困惑し、驚愕している事でございます。

ついては、ご回答の程、宜しくお願い申し上げます。 尚、このままだとあたかも嘘を語ってるかの如く思われてしまう可能性もございます。何等訂正して頂けないのであれば、削除して頂いても結構でございます。 職歴等に関しては、30年間に渡って㈳日本音楽著作権協会等の正会員であった髙橋洋一氏の事を改竄し、欺く様な事をされるのであれば、法的手段も辞さない限りであり、所謂、荒し屋の見方をされるのは、些かウィキペディア調査員らしからぬ手口としか思えません。

どうぞ、一般社会通念上でのご考慮をお願いしたいと切望致します。 南 大祐(髙橋洋一の代理人)<minami@ytphd.com>

  • 新規投稿だと思いますので最後部に移動させました。保存のためノート:高橋洋一 (音楽家)にも複写転載いたしました(不要でしたら除去下さい)。
  • さて、当該記事についてはWikipediaの編集ルール(Wikipedia:存命人物の伝記)に著しく反した状態の投稿が行われていると考えます。プライバシーに関わる情報を第三者が勝手に調査して(住民票や学籍簿など)投稿する行為は削除対象となりますので行わないようお願いいたします。つぎに記事の対象であるご本人が記事の内容について投稿されている場合、「あなた以外の第三者が検証できるような信頼できる情報源によってすでに公表されている情報」ではないものについて投稿することは、とくに慎重に振舞うようお願いいたします。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないという編集ルールがあります。Wikipediaの記事内容が広告宣伝、あるいは百科事典の目的に反する利用方法だとみなされた場合、削除対象となることがあります。著名人であっても、個人のブログとして利用することはWikipediaの趣旨・目的に反していると見なされる可能性があります。--大和屋敷 2010年3月12日 (金) 14:12 (UTC)

ノート:高橋洋一 (音楽家)に返事を書きました。--Ks aka 98 2010年3月12日 (金) 17:21 (UTC)

当該、高橋洋一(音楽家)について、急に{要出典}と成りました。しかし、これらの案件及び、種々成る証明書を提出する事は、個人情報に觝触するものであり、私事、南 大祐は高橋洋一の秘書として、この様な揉めてる様な状態では、全く削除するか、荒し屋からの嫌がらせで編集者の方々が惑わされているのであれば、非常に遺憾な事であり、荒し屋と言われてる方は、十代の若い悪者である事は明白でございます。どうぞ、調査精査した上で削除を高橋洋一本人が切望しております。何卒、宜しくお願い申し上げます。—以上の署名の無いコメントは、Daisuke1965会話履歴)さんが 2010年3月17日 (水) 17:09 (UTC) に投稿したものです(Kanoharaによる付記)。

個別参照手順追録提案[編集]

こんにちは。WP:CITEに個別参照の手順について詳細がなかったので、作ってみました。利用者:Akaniji/Help:文献参照。この内容をWP:CITEに盛り込みたいのですが、いかがでしょうか。--Akaniji 2010年10月17日 (日) 01:31 (UTC)

コメント ウィキペディアでは基本的に、人名に敬称はつけないことになっているので(Wikipedia:出典を明記する#著者名Wikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名Wikipedia:表記ガイド#人名)、例文内の「~氏」は不要ではないかと思います。また注釈内における文献の参照について「<ref>内に<ref>タグは入れ子にできない(ので不可能)」とありますが、マジックワードを用いて入れ子の外側を<ref></ref>から{{#tag:ref|}}に置き換えれば、少なくとも技術的には可能になります(例 - 基本的にAはBである{{#tag:ref|なお例外としてAがCである時、Dの法則も成立する<ref>X田Y郎、2010年。</ref>|group="注釈"}}。)。--Kanohara 2010年10月17日 (日) 06:34 (UTC)
入れ子についてご教示ありがとうございます。さっそく盛り込ませていただきました。氏を付けたのには姓の倒置に絡む理由があります。「氏」は辞書上は敬称とされているのかもしれませんが、実用上「先生」や「様」とは大きく異なると思います。--Akaniji 2010年10月17日 (日) 07:43 (UTC)
氏についてはご意見を反映させました。--Akaniji 2010年10月24日 (日) 03:07 (UTC)

出典の示し方節に追録しました。--Akaniji 2010年10月24日 (日) 03:07 (UTC)

井戸端での話題で気づいたのですが、2010-10-24T03:07:55 (UTC) の版での記載方法差分では問題あると思います。少なくとも、このセクションでの提案は「個別の記述に対して出典を付与するときにどのような手順で付与するのか」ということを追記するだけだと判断しています。したがって、「参考文献」セクションで一括して情報源を提示する方法を否定するとも読み取れる現在の記述は問題あるんじゃないでしょうか。--iwaim 2010年11月21日 (日) 00:17 (UTC)
AkanijiさんがたまたまTwitterでつぶやいていたので連絡してみたところ[51]修正していただけました差分。ウィキブレイク中の素早い対応ありがとうございます。--iwaim 2010年11月21日 (日) 01:05 (UTC)

一旦戻しました[編集]

編集の手順について、悪い火種は残すべきじゃないでしょう。 ツィッターはノート代わりにはならないと思いますので、面倒臭いかも知れませんが、正式な手順でお願いします。--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 09:53 (UTC)

必ず差し戻さなければならないってことでもないです。以前の合意に対して、より適切な本文での記述への対応ならば、記述はそのままにして、そこに問題があると考える場合に、ノートで指摘をするとか、手順上の問題を追認するかどうかを問うというような形で対応するということも検討してみてください。上でのやりとりに応じて、本文をちょこっといじりました。--Ks aka 98 2010年11月21日 (日) 10:15 (UTC)
ありがとうございます。今回の場合は戻した方がより良いでしょう。--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 10:21 (UTC)
具体的にどの様な形で盛り込む (参照する) のか、その合意はおろか、提案すらなされていないのですから、本人の修正を尊重すべき場合ではないでしょうか。--Jms 2010年11月21日 (日) 10:29 (UTC)
そういう考え方もできますが、出して数時間以内ならともかく、ここまで時間が経ったものは自分の文章だから、あとは自由自在では通らないと思いますよ。--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 10:43 (UTC)
正式な手順ということなら、具体的にどの様な形で盛り込む (参照する) のか、その提案からでしょう (そうすべきだと主張しているわけではありません)。--Jms 2010年11月21日 (日) 10:48 (UTC)
提案がないままに出したことは手順としては良くはないでしょうが、異論もなく継続していました。 Ks aka 98さんの修正が入って、読者に誤解させる要素もなくなったし、改めて読み直して見ると今の文章でも案外良いように思われます。少なくとも説明としては丁寧です。その点はどうですか。--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 11:03 (UTC)
個別参照は文末になければならない、という提案がなされたわけではないのは、Wikipedia:出典を明記する/個別参照法冒頭からも明らかでしょう。文末にある文献を個別に参照する方法を述べているに過ぎません。「本文中に注釈を挿入する」の例示とも整合しません。その意味で「記事に記述する事柄に対応させて出典を示す場合は」を補ったところで、「参考文献節に書誌情報を書き、本文や脚注から、文献の著者姓・発行年や参照順番号で文献を指し示します。」では不適切でしょう。「参考文献節に書誌情報を書き」と制限してしまうなら、「本文中に注釈を挿入する」の例示も修正が必要ですが、提案されていたのはその様なことではないでしょう (それ以前から不整合なのはまた別の話かと)。--Jms 2010年11月21日 (日) 11:21 (UTC)
戻します。 分かりました。丁寧な説明ありがとうございました。 例示とこの文章は指摘のように正確な整合性とれていないようです。 Jmsさんは現時点で本文をどう編集するのが一番ふさわしいと思われますか?--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 11:41 (UTC)
最低限の手間で済ませるなら、
  1. 当該節冒頭の、「記事に記述する事柄に対応させて」から「本文や脚注から、」までを除去
  2. 残りの「文献の」から「ご覧ください。」は、「出典が参考文献の節(後述で説明)に記載されている文献である場合」の後ろに「は、」をはさんで続ける。
  3. それ以上の修正は今回の提案の範囲を越えるので、ノートであらためて議論して進める。
といったところでしょう。--Jms 2010年11月21日 (日) 11:58 (UTC)
この件は正式でかつ最低限の手間で十分と思います。 提案に同意します。--Gyulfox 2010年11月21日 (日) 12:36 (UTC)
同意に基づき変更を加えました。[52]については、単に詳細への誘導であると考えて下さい。性質上大規模な告知、投票などは省略していますので、それなりのものとします。 Ks aka 98さん、Jmsさんありがとうございます。また、iwaimさん、コメント依頼の御報告ありがとうございました。--Gyulfox 2010年11月28日 (日) 14:16 (UTC)
報告 利用者の行為についてのコメント依頼「Wikipedia:コメント依頼/Akaniji、Iwai.masaharu」を提出しました。--iwaim 2010年11月22日 (月) 19:36 (UTC)

参考文献が情報源として担保されるか?[編集]

「情報源の記載がない記事について」節の最初の1文目で「参考文献がまったく挙げられていなかったり」と書かれているのですが、これの意味するところは、「参考文献は情報源として担保される」と解釈すべきなのでしょうか? 私には無いよりまし程度にしか思えないのですが。 自らが加筆編集する時には、情報の元となった書籍などは全て「出典」として扱い、「参考文献」とはしておりませんので、「参考文献」は記事に関連する書籍を編集者が読んだ上で自らその意味を解釈して独自に記述したと考えられ、かなりの点でその編集者個人が書籍から得た知識以外の常識や事前知識、そして思い込みが含まれると考えます。他の編集者の方々は、参考文献が出典同様の情報源として担保されるとお考えでしょうか? 私が危惧するのは、情報の合成による誤謬といった曖昧な問題ではなく、記事を書く前に関連書物を読みさえすれば、加筆者は当該記事を如何様にも書いて構わないという事態をこの節で保証しているのではないかという点にあります。全く情報源の記載がないよりは参考文献が示されるほうがまし、という考えはありえると思いますが、Wikipedia:出典を明記するの全体を通じて、参考文献があまりにも上質の情報源明示手段として扱われているように思えます。皆様のご意見を気長にお待ちします。--Shigeru23 2011年1月4日 (火) 22:08 (UTC)

  • こんにちは。Wikipedia:出典を明記するはスタイルマニュアルでして、「出典を明記するさいに守ることが推奨されているスタイル」のガイドラインを示すものです(考慮すべきガイドライン)。よく混同されるのはWikipedia:検証可能性でして、こちらは内容に関する編集方針(三大方針、公式な方針)になります。さて、参考文献として末尾に一括して表示しておれば、記事全体の「検証可能性」が担保されるのか、との論点ですが、これは「スタイル上で判断」するのではなく、あくまで内実、すなわち実際に参考文献を読んで見て、適切に引用されていることが確認できれば満たしていると判定できる趣旨のものです。むろん末尾に参考文献をズラズラならべておけば「検証可能性」をみたしているかのような粉飾は可能なわけで、その点では脚注方式での出典の記述が推奨されます。くりかえしますが「参考文献」として末尾にズラズラ文献情報がならんでいるだけの状態をもって「検証可能性がない」とは判断できません。一方でこれは読者の期待に十分応えた体裁ではないので、なるべく脚注方式にすべきだといえるでしょう。逆に「参考文献」や脚注方式で文献情報を明示していても、適切に引用していなかったり、そもそも独自研究の投稿を粉飾する目的で文献情報を捏造(関係してそうなタイトルの書籍を根拠なく表示)するイタズラも可能なので、あくまで「検証可能性」は検証する過程こそが重要で、その手立てが用意されているかどうか、という論点になると思います。Wikipedia:出典を明記するはスタイルマニュアルです。--大和屋敷 2011年1月4日 (火) 22:28 (UTC)
  • 過去ログ[53]に同様の問題提起(具体的な出典の示し方)があったようですが、「やはり原則として脚注機能を使う事を明記すべきでは?」の提案に対するY tambeさんの(2008年4月9日(水)03:10)回答が有力な反論のようで、見送りになっているようです。--大和屋敷 2011年1月4日 (火) 22:36 (UTC)
  • それは、強制するということでなければ、成長過程で独自研究を紛れこみ難くさせる上で良い意見と思います。 強制すると、嫌がらせで問題にもならない記述に対してやれ情報の合成だのそんな単語はそのページに含まれていないから除去するだのと、低レベルの争いを誘発するでしょうね。 それから混ぜっ返しと思われても困るのですが、要出典・要検証・独自研究タグ等も全く出典がない記事以外には原則範囲指定形式の使用を原則化してもらいたいと考えます。--Gyulfox 2011年1月5日 (水) 05:10 (UTC) 
  • ご意見、ありがとうございます。私の問題提起は表ページでの参考文献が「出典情報として信用できるもの」として扱われているのを改善すべきではないかというものです。例えばWikipedia:出典を明記する#出典の示し方の構成は「本文中に注釈を挿入する」と「記事末尾に参考文献を記載する」の2つの節から成り立っており、注釈で出典を明示するのと同列で参考文献の記載方法が示されています。ただ記事全体のいずれかの部分の記述に用いたかも知れない、用いなかったかも知れない、きわめてあいまいなまま参考としての文献情報を記す方法を注釈による方法と同様に細かく説明しているのです。上記の私の危惧の説明の繰り返しになりますが、参考文献だけを示す方法は、かなりの割合でその編集者個人が書籍から得た知識以外の常識や事前知識、そして思い込みが含まれると予想します。なぜなら、出典を注釈によって明示する手間を掛けない加筆者は、かなり大雑把であって参考文献の情報と自らの常識や知識とを峻別しない性格が予想されるからです。Wikipedia:出典を明記するでの参考文献の説明は末尾に追加的に記述するに留めて、基本的には注釈を用いた方法を明確に推奨する方が良いと思いますがいかがでしょうか? 参考文献による方式を全否定する意図はないのですが、現状では注釈を用いた方法と並立していていずれを用いても良いとなっているのを、明確に区別すべきだと考えます。--Shigeru23 2011年1月5日 (水) 08:13 (UTC)
「出典を注釈によって明示する手間を掛けない加筆者は、かなり大雑把であって参考文献の情報と自らの常識や知識とを峻別しない性格が予想される」は少し言い過ぎではないでしょうか。 日本語の論文では良く見かける形式だし、文章のメンテナンスや可読性、単一出典だから等の理由もあるようです。 認められている方法の説明を、分かり難いように省略してしまうのではなく、面倒がらずに公式な方針にも、「なるべく脚注形式が好ましい」のひとことを盛り込むように頑張られてはどうでしょうか。--Gyulfox 2011年1月5日 (水) 11:52 (UTC)

ええと。まず、「参考文献」は「参考になる文献」と「参考にした文献」という両義的な言葉で、使い勝手が悪いんですが、うまく使い分けられる表現が見つからない、という事情があります。

前者については「出典を明記する」あるいは検証可能性の方針と関係ない、記事としての情報に過ぎないという問題があります。最近はあまり見ないけれど、NDL-OPACやCiniiで検索してヒットしたやつ全部並べるような編集もあったり。ただ、この種の情報も、検証可能性や独自研究の方針をしっかり守るのは難しいですけれど、研究史や学説史、further readingとして書かれる分には有益となることもあります。

後者だと、いわゆるジェネラル・リファレンスの是非ということになります。ウィキペディア日本語版では、いわゆるサブカル記事や、日常品の類など。それを主題とした先行研究がない、または少ない項目をめぐって情報源の扱いが議論されることが多かったせいもあって、脚注方式が広く求められるようになっていますが、自然科学系とかで、比較的基礎となる事柄であれば、学部の教科書レベルになら、どの本にも書いてあるという状況になります。そういう場合、どれ読んでも書いてあるよ、というのが、むしろ信頼性や中立性を担保することに繋がる。ただし、これに対しては、加筆時の扱いが難しくなるという問題が生じうるという指摘はありえます。理想的には、初出の原著論文を個別に対応させながら、包括的に信頼できる、入手が用意な概説書をいくつか挙げるということになるのでしょうけれど、それはちょっと本格的な学説史になっちゃうんで。大和屋敷さんが案内しているY tambeさんの意見も確認してみてください。

とりあえずは、参考文献という表現の曖昧さを避ける、記事や節の単位でまったく情報源がない場合と、個別の記述に対して情報源が必要である場合を分ける(あと要出典や要出典範囲のテンプレを案内する)ということで

情報源がまったく挙げられていなかったり、出典の明らかでない評価などの記述があったりしたら、記事や節の冒頭に {{出典の明記}}テンプレートを置いておくのも良いでしょう。どの記述に出典が求められるかについて、ノート欄で指摘したり、執筆者に出典を求めたり、あるいは{{要出典}}{{要出典範囲}}を使ったりすることで、すぐに解決するかもしれません。もしもあなたが良い出典をお持ちでしたら、ぜひご提示ください。

と修正してみるというのはいかがでしょうか。--Ks aka 98 2011年1月5日 (水) 18:18 (UTC)

コメントいいですね。現状を改善させるという観点からこの解釈と提案にはうなづけるものがあります。--Gyulfox 2011年1月5日 (水) 20:00 (UTC)

根本的にどうしようもない議論ですね。資料や史料に第一級から孫引き(あるいはそれ以下)のものまであることを、どう評価するつもりですか? どっかに参考文献があったら、何を書いても自由なんですか? それが私家版にしか過ぎず、他の人が検証不能でも、自分がもっていさえすれば「出典あり」の記事として、一般的なコンセンサスさえ排除できるんですか? これは百科事典編集に当たって、のみならず、「最小限でも客観的な内容の文章を書く」場合に、常に悩まされる課題です(資料批判、テキスト・クリティーク、どれを採択し、どれを棄却するか)。それに対する先人の悩みを少しはもっとまじめに勉強してもらいたいものです。この手間を省いた「記事」は良くて「百科事典風の読み物」、最悪の場合「百科事典を騙った雑文」と評価されるだけでしょう。いずれ、コピペ排除ソフトで、全部棄却の憂き目を見ることになるでしょう。--以上の署名のないコメントは、183.76.237.1会話/Whois)さんが 2011-01-09T08:31:25Z に投稿したものです(Akanijiによる付記)。

情報 183.76.237.1さんは上記発言の直後、各種方針の熟読期間を理由に1週間のブロックを受けていることを付記しておきます。--Kanohara 2011年1月26日 (水) 23:35 (UTC)