Wikipedia‐ノート:出典を明記する/リンク切れに関する規定の改定提案

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リンク切れに関する規定の改定提案[編集]

Wikipedia:出典を明記する#リンク切れの回避と修復について、以下の改定を提案します。

現行 改定案
切れたリンクは、可能であれば修復・置換を試みてください。今日の時点でURLがリンク切れだからとして即座に出典を削除しないでください。 記事に必要な信頼できる情報源がリンク切れであった場合は、次の順序で修復方法を試してみてください。 リンク切れとなった出典は、それが記事に必要でかつ信頼できると推測されるものであれば、次の順序で修復・置換を試みてください。出典またはそれに関する記述自体が不要なもの、あるいは信頼性に問題のあると推測される出典は除去してください。
注 - 多くのアーカイブでは、保管データが公開されるのに最大18ヶ月の遅れがあります。そのため編集者はアーカイブされていないと判断するのに、リンク切れとしてタグが打たれたあと最大24ヶ月待つべきです。信頼できる出典がリンク切れした場合、通常は[リンク切れ]のタグを打ってください。そうすれば編集者はどの期間リンク切れであったか判断できます。 注 - 記事に必要でかつ信頼できる(と推測される)リンク切れの出典には、リンク切れのタグ [リンク切れ] を付けてください。リンク切れタグが打たれたあと2か月は除去を待つべきです。
復旧する見込みのないウェブのみの情報源を削除 - その文献がオフラインで存在せず、かつアーカイブにも(最大24ヶ月待っても)存在せず、かつ文献の別コピーも入手できない場合、リンク切れの出典は削除し、その文献に基づいた記載は検証不可能と見なされるべきです。 リンク切れとなって2か月経った情報源を削除 - 2か月待っても代替となる出典が提示されない場合は、速やかに削除してください。念のため情報を残したい場合はコメントアウトするかノートに記述してください。

現行の規定では、全体的にリンク切れについて寛容すぎます。リンク切れを除去しようとする側に過大な負担を強いることは、三大方針である「Wikipedia:検証可能性」で規定されている『出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。』の趣旨とは反対であり不適切です。一応『記事に必要な信頼できる情報源が』とはあるものの、そうでないから削除して良いのかと言うとそうではなく、条件の限定もなしに『即座に出典を削除しないでください』などと書かれています。特に問題なのは24ヶ月待つべきという箇所で、これによると、仮にどれだけ疑わしくても、あたかも信頼できそうなタイトル・著者・出版者を偽られた場合、真偽がまったく検証できない状態のまま2年間放置しなければならないことになってしまいます。そもそも公開されるまで18か月かかるアーカイブなど、配慮すべきではないでしょう。--氷鷺会話2014年1月11日 (土) 04:48 (UTC)
(追記)なお、個人的には「2か月」という数字にはそれほど拘りません。1か月から6か月程度の範囲が妥当、個人的には2-3か月というところです。--氷鷺会話2014年1月11日 (土) 05:01 (UTC)

こんにちは。まずは、この提案をするに至った具体例をいくつか挙げてみてはいかがでしょうか。「こういうリンク切れの文章があって、これこれこういう理由で除去すべきである、だが今の規定では除去できない、だから変えた方がいいと考えた」というような例を示すことで、より提案の趣旨がわかりやすくなるのではないでしょうか。--Akaniji会話2014年1月11日 (土) 05:38 (UTC)
提案のきっかけはこの規定そのものなので、そういうものはありません。どこか分かりづらいところがありましたか? --氷鷺会話2014年1月11日 (土) 12:58 (UTC)
除去しやすくすることに反対します。 変更するのであれば本当にそう書いてあるのか疑わしい記述のみ除去ということでよろしいでしょう。 逆にリンク切れを理由に内容の除去をしないようにお勧めしたいくらいです。--Gyulfox会話2014年1月11日 (土) 13:09 (UTC)
疑わしくなければ存在しない出典を2年も放置すべきということでしょうか。--氷鷺会話2014年1月11日 (土) 22:20 (UTC)
コメント 私の体験談でいいますと「橋本涼加」の件に該当するのでしょうか。参考文献としてあげた朝日新聞デジタルからの参考記述をリンク切れで出典がないからと{{要出典}}を貼られてしまいました[1]。作成当時は何も問題なかったのに、朝日新聞の都合で出典が見えなくなっら要出典を貼られるなんて。まして今回のご提案はリンク切れしたサイトを参考にした記述は削除しろということなんですよね(誤認があったらご容赦下さい)。個人的には到底納得できるものではありません。--Chiba ryo会話2014年1月11日 (土) 20:33 (UTC)
コメント ネット上のニュースを出典にすることがあたかも何の問題もない正しいことのように誤解されていませんか? もちろん、リンク切れまでは全く何の問題もありませんよ。むしろ紙媒体より検証可能性は優れているくらいです。しかし必要なのは現在と今後の安定的な検証可能性であって、リンク切れとなった時点でもはや出典としては無価値です。出典探しのヒントにはなりますが、もはや存在しないものは出典ではありませんから、要出典を貼られても文句は言えません。強いて誰が悪いのかというなら、新聞社ではなくあなたが悪い。--氷鷺会話2014年1月11日 (土) 22:20 (UTC)
コメント 橋本涼加の件であればインターネットアーカイブから容易に情報に当たれましたので修正しておきました。「今回のご提案はリンク切れしたサイトを参考にした記述は削除しろということなんですよね」とのことですがそれは誤解であって、参考にしたサイトがリンク切れになったら代替となる出典を探してくださいと言うのが本筋でしょう。それは改訂案にも「それが記事に必要でかつ信頼できると推測されるものであれば、次の順序で修復・置換を試みてください。」という記述が削除されず残されている通りです。もしインターネットアーカイブに情報が残っていなかったとしても、Chiba ryoさんの提示されたようなケースであれば朝日新聞本紙にも同様のニュースが掲載されているでしょうから、見出しと日時があれば十中八九情報にたどり着けることは確実ですし、例えばジー・サーチの新聞記事検索サービスなどを利用すればパソコンの前から一歩も動かずに容易に情報を入手できますよ。ジーサーチは有料ですが。少しの労を厭わないのであれば図書館に足を運んで縮刷版に当たるというような手もあるでしょう。地域面であって近くの図書館に収蔵されていないような場合でも、発行された地域の図書館に収蔵されていれば図書館を通じて複写依頼をするという手もあるかと思います。--重陽会話2014年1月12日 (日) 01:32 (UTC)
ジー・サーチはここ[2]ですね。恥ずかしながら初めて知りました。だいぶ便利そうですね。1000円/年+従量課金なら、ちょっと契約も考えてしまうお値段ですね…。ともあれ、情報ありがとうございます。--Akaniji会話2014年1月12日 (日) 02:35 (UTC)
わかりにくいと感じたのは主旨ではなく趣旨、つまり経緯と目的です。標準名前空間で問題となっているものを抽出してわかりやすく提示し、まずは問題意識をみんなで共有することから始めるのがいいと思いますよ。--Akaniji会話2014年1月11日 (土) 22:52 (UTC)
ウィキペディアは絶版書籍は問題なしという扱いであり、図書館にもないという本についても問題なしという考え方です。リンク切れだけがどうしてそんなに悪いのでしょうか。リンク切れのお知らせはいいですよ。しかし急いで削除するほどのこともないと思いますし内容を消す必要もないと思いますよ。(疑わしい場合は別ですが)--Gyulfox会話2014年1月12日 (日) 00:12 (UTC)
世界中のどっかの図書館にはなきゃだめだと思い込んでましたが、もしかして方針変わってますか?--Akaniji会話2014年1月12日 (日) 00:43 (UTC)
Wikipedia:検証可能性に曰く「情報源は公表された(何らかの手段で大衆が入手可能である)ものでなければなりません。」ですし、実際にそうあるべきでしょう。ただし、図書館になければならない、とは全く書いてありません・・・昔、「文献は必ずどこかの図書館など公的な機関にアーカイヴされている必要があります」と記述された版があったのでしょうか・・・。まあ何にしても、図書館など公的な機関にアーカイヴされていれば、余程の事が無い限り、この条件は満たされます。要件の一つでしかありませんが、これをクリアしていれば相当に長期間大衆が検証可能である事が担保される、非常に強力な要件です。図書館にさえありゃあ文句を言う人なんて(まともな方なら)誰一人として居らっしゃらないことは確かです。
図書館に蔵書されていないものの場合の入手の容易性については「オンラインの文献には有料のものもありますし、一部の刊行物は大学図書館でのみ入手可能かもしれません。」と言及されています。文章の端々に杓子定規に従う必要はありませんが、「この程度の難易度」であれば、「何らかの手段で大衆が入手可能である」と見なされるのでしょう。そして、文献が図書館など公的な機関にアーカイヴに無いものであれば、代わる手段で現実的な難易度で入手可能であることを、記述を行いたいと考える人間が担保せねばならないでしょう。例えば本日、大衆が入手可能な価格で当該文献がamazonに複数並んでいれば、本日の時点では検証可能と見なすべきでしょうか。現実的に入手が可能なら検証は可能なのではないでしょうか。「ドラえもん」や「ドラゴンボール」の1巻などについて、図書館に蔵書されてないからと言う理由だけで検証不可能だと見なすのは、無理があるでしょう。また、「テレビ番組がDVD化されていれば検証可能と見なす」と言う運用は一般的です。DVDは必ずしも、図書館などでアーカイヴされているとは限らないのに、です。そう考えれば、まあこのケースでしたら、今日の時点では検証可能、と見なすべきで、いずれ大衆が入手できない、もしくは大衆にとって入手が非常に困難になった、と言う日が訪れた時に、「リンク切れ」と同じ対応を行えば良いのではないでしょうか。また、「amazonには見当たらないが日本中の古書店を端々まで探し回れば5冊くらいはあるはずだ!」は理論上は入手は不可能では無いかもしれませんが、予算や時間は無限ではないため、現実的には、「何らかの手段で大衆が入手可能である」と見なすべきではないでしょう。なお大衆とは、人類から特殊な人やエリートを除いた残りの人、つまり一般人の事を言います。サラリーマンとか主婦とか学生とか自営業のおやっさんとかです。
蛇足ですが、以上を前提にWikipedia:出典を明記するを読みますと、「もしあなたが用いている情報源がオンラインで利用できないならば、それは標準的な図書館・書庫・公文書館で入手可能であるべきです。」の部分は、検証可能性の内容と整合性がとれていません。解っている皆さんならいいのですが、これら文書はむしろ解っていない皆さん向けのものであり、解っていない皆さんが混乱してしまいかねません。何らかの改良が必要かもしれませんね。また、Wikipedia:信頼できる情報源においても、図書館でアーカイヴされている資料の利用を強制している様ではないようです。--Hman会話2014年1月12日 (日) 01:37 (UTC)
何らかの方法で大衆が確認可能であれば良いのであれば、いくつかの個人のブログにある程度コピーが残っていれば確認するだけなら可能ですよね。 かつて信頼できる検証可能な出典があり、それができなくなった。 しかしWPの標準に合わないから出典にはできないものの、WPとの整合性は確認できるわけであり、かつてWP上で信頼できる情報であったならば、改ざんされていなければ情報の信頼性自体が下がるということもないですよね。 従って疑わしい点がないのならそんなに期間を定めて除去を急ぐ理由も薄いだろうという話なんですけども。--Gyulfox会話2014年1月12日 (日) 04:48 (UTC)
Hmanさん、方針とガイドラインをご教示くださり、ありがとうございます。図書館でも書庫でも公文書館でもない公表のどこかで入手可能であれば…ということになりますでしょうか。放送ライブラリーは広義の図書館に含まれるでしょうから、おそらくオンデマンド放送などが該当するのかなと思われました。
Gyulfoxさんのおっしゃった、検証可能性が一時期確保されたとする編集があったという事実はリンク切れ後も変わらないという点は、着目すべき点かと思います。これについては後述します。お二方とも、いろいろとご教示ありがとうございます。--Akaniji会話2014年1月12日 (日) 10:51 (UTC)
  • 「検証可能性のない、テレビ番組内などでの著名人の発言」に類似する扱いで良いのでは?いくら個人的に録画していたとしても、それはWikipediaのいう検証可能性には当たりませんし、著作権を無視した形で違法にアップロードされたサイトを「信頼できる情報源」としてリンクするワケにも行きません。そのようなグレーゾーンの情報は、それこそ知っている人だけが知っておけばよいのであって百科事典に採録するまでもないでしょう。むしろ論点は「2ヶ月で除去するか24ヶ月で除去するか」といった期間の問題ではないでしょうか。--大和屋敷会話2014年1月12日 (日) 05:16 (UTC)
  • 私が言ってるのは、リンク切れの出典を出典扱いにしようということではないのです。リンクが切れたら基本的には出典のない情報とおなじで良いのです。 大和屋敷さんだって出典がないという理由だけで片っ端から削除削除っていう編集はしませんよね。 出典のない情報に対する第一アプローチは出典探しであり、理想が適わなければ未来の編集者にたくすか除去するかです。 逆にイタズラが疑われるものなら時間をおかずに積極的に除去すると思います。  一方恣意的(つまり攻撃あるは擁護的)編集だったり百科辞典的でなければ出典があっても断ってから除去は試みると思うし、試みるのは正しい判断だと思います。 それなのにどうして過去に出典がついたという理由で目の敵のように期間を定めて積極的に消す方向にいってしまうのが、根本的にどこかがおかしいだろうと述べているだけです。改定されるのであれば期間を設けるのではなしに、リンク切れは基本的には出典がない情報と同じ扱いであり、除去されても文句はいえなくなります。ただし虚偽が疑われるものは別として、出典がない情報に対するアプローチとして、まずは出典を見つけ出すことが推奨されるのと同じように、除去はより慎重に行ってください。リンク切れ情報に対する出典探しは、元から出典のない情報のケースより容易なことがほとんどです。というような意味の一文を差し込めばそれで十分です。--Gyulfox会話2014年1月12日 (日) 06:57 (UTC)
  • んー。逆にいいますとリンク切れが「出典のない記述」と同等に扱われるとしますと即座に除去されても文句が言えないことになりますので、むしろ別のURLを探してくるまでの期間を設定しておくほうが掲載希望側に猶予ということになるのでは。但しそれが24ヶ月というのはさすがに長すぎるのではないかというあたりが改正提案の焦点のように考えるのですが。--大和屋敷会話) 2014年1月12日 (日) 08:05 (UTC)なお、大和屋敷の見識によりますと、「どのWikipedia編集者にも出典のない記述を削除しなければならない義務はない」ので、仮にリンク切れ状態の記事を発見しても「改善する義務はない」。ですからリンク切れであろうが正確に情報提供されていると個人的に考える記述をそのままにしておいてもよい。一方で、その記述が問題であり改善すべきだと考えているにも拘らず、リンク切れでありなおかつ代替URLが一向に提示されないのを問題と考える編集者にとっては「24ヶ月は待って下さい」という指針はいかにも迷惑な指針でしょう。むしろ即座に除去したいはずだからです。そのあたりの折り合い期間として2ヶ月くらいなら、まあ分からないでもないかなという印象です。--大和屋敷会話2014年1月12日 (日) 08:11 (UTC)
出典のない記述と同等に扱うのは、大和屋敷さんのおっしゃる通り代替を探す者にとってはあんまりでしょうし、かといって無制限に放置というのも問題視されたからこそ、英語版でもこの規定が盛り込まれたものと思います。Gyulfoxさんのお話を少し噛み砕いてみますが、{{リンク切れ}}はリンクが切れていたら機械的に付されますね。{{要出典}}を貼る時は怪しげな情報を選んで貼りますよね。リンク切れというのは、ある一時点で文献が示されていたということですよね。要出典の記述や要出典が付されていない未検証の平文は、一度も文献が示されたことがないということですね。以上から、情報としての信頼性は、要出典より・要出典が付されていない未検証の平文より、リンク切れの方が高いと考える、というところでしょうか。これに従えば、リンク切れは、未検証の平文以上・出典未満、といった立ち位置になると思います。ここで{{要出典}}を見ると、今回の提案にあるような「タグ付与後一定期間後に原則速やかに除去」というのは、要出典には定められていません。リンク切れの立ち位置や要出典とのバランスも考えて、大和屋敷さんの提案も踏まえて再考する方が、合意には辿り着きやすいのではないでしょうか。この先の話も、リンク切れが24ヶ月残留して発生しているリスクの実例があれば、問題意識を共有しやすいと思います。--Akaniji会話2014年1月12日 (日) 10:51 (UTC)
何の折り合いかが釈然としません。基本は出典のないものと同じであり、{{リンク切れ}}を張って放置が基本でしょう。最も違うのはリンク切れになったものは誰も責められないという点と、より疑い難いという点だけです。内容が疑わしければ{{リンク切れ}}と{{精度}}なり、おなじみの独自研究なりをダブル張りして、しばらく(それこそ60日なり)待ってから除去しておけば良いのです。その間に誰かが自分が調べてみるから待って欲しいとくれば、さらに60日なり30日なり待ってあげるとかそのへんも要出典の時と同じで良いと思います。 非常にイタズラっぽければすぐに除去でもいいのです。--Gyulfox会話2014年1月12日 (日) 11:01 (UTC)

反対 2ヶ月だ24ヶ月だは問題でなく、インターネットアーカイブや縮刷版などで探す努力?を怠ることを推奨してはいけないでしょう。一度除去すると履歴から探すのが面倒になるため(特にデカイ記事でまとめてどさくさで除去したりの場合)、出典を削るのは慎重にすべきかと。ノートに記すなどの配慮を期待。--Benzoyl会話2014年1月15日 (水) 11:42 (UTC)

コメント 以前、こんなことがありました。記事の出典に紙媒体の新聞記事を{{Cite news}}で出典として使い、朝刊何面と出典として明記し、ついでに新聞社のサイトで公開されていた同内容のオンライン記事にリンクを張りました。ところがその後、リンク先の記事が消滅して{{リンク切れ}}が貼られ、しばらく私が記事の編集からから離れている間に、出典はリンク切れの情報として除去されてしまったのでした。こういった場合は、{{Cite news}}からURLとaccessdateの情報だけを抜いて、紙媒体の新聞の情報のみを参照している形に直すのが正しい運用だと思いますし、このような場合に規定に沿ってリンク切れの文献を除去するのはルールの悪用か、機械的にリンク切れを除去していったことによる編集ミスだと思いますが、そんな編集はしないよう注意して欲しいところです。--Kanohara会話2014年1月15日 (水) 15:55 (UTC)

  • 裏付けとなる出典が未提示であること(出典の存在が全く確認されていない)と、一旦提示された出典が見えなくなっている(出典は一度確認されたが、今は再確認ができなくなっている)では全然意味が違います。同一視はできないと思います。
  • かつてそこに出典が存在したという情報は、記述の信頼性を評価する上でも、代替の出典を探す上でも、非常に有益です。信頼できる情報源の存在を疑うのであれば、記述そのものもまとめて除去すべき。記述を残すのであれば、出典情報も(たとえリンク切れでも有益な情報ですから)除去すべきではありません。
  • 以上の理由により、「5.復旧する見込みのないウェブのみの情報源を削除」の項の削除を提案します。--Dwy会話2014年1月19日 (日) 02:33 (UTC)
コメント 個人的には、Dwyさんの提案に賛成です。--Kanohara会話2014年1月19日 (日) 17:19 (UTC)

コメント 各位様。通常の場合であれば、「リンク切れ」と「リンクなし」は違う扱いとし、「5.復旧する見込みのないウェブのみの情報源を削除」の項を除去し、「こんな事、本当に出典に書いてあったのか?」という非常に疑わしいものを見つけた場合、「ノートか要約欄にその旨を記載すれば、除去しても良い」とすれば、問題ないでしょう。一方、簡単に合意できないような場合、政治などイデオロギーが絡むような記事(生野区連続通り魔事件の一件は記憶に新しいかと思います)で、その出典を元にした記述が有効か無効かで激しく揉めそうな気がしますね。火種を無くす意味では、リンク切れが貼られてから2ヶ月に除去とした方が良いような気もしますが、滅多にない「簡単に合意できない場合」にフラグを倒すのも勧められません。--JapaneseA会話2014年1月21日 (火) 19:10 (UTC)

コメント えー、ちょっと、出典無き記載は除去するだけでなく、ノートに移動することができることが、忘れられている様な気がします。残したいと思った側が有用な記述だと判断すれば、差しあたりそれを活用し、ノートに保存しておけばいいでしょう。ただしちょっとフォーマットが定まっていないきらいがあります。「除去された記述については単一の節に格納されることが推奨されます。また、過去ログ化を行ってはいけません」くらいは必要なんじゃないかなあ、と。ちなみに現行の24か月は長いですね。出典無効が貼られてから6か月くらいじゃないですか。--Hman会話2014年1月21日 (火) 22:10 (UTC)

コメント そもそも期間を決めて処置するということに違和感があります。全く情報源のない記述でさえ機械的に期間を切って処置するわけでもないのにそんなのおかしいだろう。 --Gyulfox会話2014年1月22日 (水) 03:56 (UTC)

そういう事を言い出しますと、えー、(前提)wikipediaでは典拠のない加筆は禁止されています。(1)故に典拠のない加筆が見られたら即座に除去しwikipedia全体の信頼性を保つため力を尽くします。加筆者には検証可能性について丁寧に説明し改善を促します。(2)故に典拠のない加筆が見られたら有害な記述は即座に除去、そうでない記述には即座に要出典を添付し、加筆者に出典の提示を求めると同時に読者に注意を喚起します。一定期間待って出典が添付されない場合には記述を除去します。(3)典拠が全く不明でも記述を除去してはいけません。jawpではblp案件以外については、検証可能性はただの努力目標でしかありません。・・・原則的にどれで行くべきなのか、誰にもわかっていません。ケースバイケースと言えば聞こえはいいですが、実情は「何も決まっていない」だけです。もちろん物事には例外は有ってしかるべきですが、まず本道が無ければ、何が例外かもわかりません。基準は一体どこにあるのでしょうか。なんか人それぞれな気がします。私などは正確性を最重要視しますので除去寄りの考えを持っていますが、なんでもいいからwikipediaを発展させたいとおっしゃる方は逆のスタンスを取られるでしょう。遙か昔から、例えば検証可能性が文書化される前から出入りしていらっしゃる方は、その点ルーズな傾向があると想像してもよいかもしれません。・・・もし仮に方針文書をありのまま解釈し実行しろと言うのであれば、当然(1)に近い運用がなされるのが筋でしょう。「wikipediaに書いてはいけないこと」がそこにあるのであれば、その記述は除去されるのが自然の成り行きです。違反する事を加筆しても原則ほったらかしじゃ、禁止する意味も実効性もありませんから。--Hman会話2014年1月22日 (水) 11:45 (UTC)
出典のないものを加筆しないというのは行為の禁止であって、リンク切れはだれの過失でもありません。また出典なき情報の扱いがケースバイケースの話し合い優先になっているのであれば、なおさらリンク切れタグをなにか時限爆弾のようにしてはならないでしょう。 リンク切れタグはリンクが切れたという通知機能があれば十分で、どうしても記述が疑わしければ要出典範囲を併用すれば良いだけのことでしょう。何でもかんでも2年待つ意義はないし2ヶ月に早める意義はもっとない。 --Gyulfox会話) 2014年1月22日 (水) 19:57 (UTC)--Gyulfox会話2014年1月22日 (水) 20:25 (UTC)
ですからまあ、こういうボトムアップではなく、トップダウンで考えてくべきものだと思うんですよね。リンク切れなどは枝葉の問題ですから、まず幹んとこからなんとかしないと、と。それから、リンク切れと言う枝葉はどう扱うんだ?の話になると思います。まあ2か月は短すぎると思いますが、ノートに移動さえしておけばデータの実体、書いてあった事は保てるのですから「執筆者」であれば特に実害は無いのでは無いかと。「閲覧者」に見せておくべきかどうかが問題となりますね。また、もう一点。リンク切れは、執筆時点では検証可能で「あったはず」だが、現在は検証不可能と言う状態です。残念ながら、査読をして、バッチリでしたと言うコメントでも入ってない限り、「あったはず」の域を出ないんですよね。archiveも無いのであれば困った事にどうしようもない。それを査読できる様な状態に保つのが検証可能性でして・・・。執筆者はできるだけネット出典は避ける、これがベターでしょうね。でなければ地力でweb魚拓を取っておいて、もしリンク切れが発生すれば差し替える準備をしておきますか?--Hman会話2014年1月22日 (水) 21:41 (UTC)
執筆者はできるだけネット出典は避ける、これがベターなの?私から言わせればバカらしい結論と言うしかありません。 削除ありきで進むからそういう結論になるのです。 疑う能力のあるユーザーが判別して疑わしい記述に要出典範囲タグなどを使えばいいだけの話ですよね。 それともリンクが切れたら二度と編集タグを使えない深いわけでもあるんでしょうか?--Gyulfox会話2014年1月23日 (木) 15:35 (UTC)
はい、ベターです。例えばニュースにしましょうか。ネットと紙新聞、両方に載っていたとします。この場合、ネットだけを提示するのは、後に禍根を残す行為です。紙新聞の方を、使いましょう。ただし、ネットニュースの方がアクセスビリティーが高いのは確かであり、検証容易性の向上に寄与します。よって、結論としては、紙新聞とネットニュースの並記がベターとなります(が、紙新聞が手に入る状態でネットニュースを苦労して探し回る必要は無いでしょう)。では次は、新たに発表された何らかの論文としましょうか。えーこれは、ネットでも掲載されているものであれば、まあ、urlは書いてももちろんよろしい。しかしその時点で手を休めず、調査の上で何らかの雑誌・学会誌等に掲載されている事がかなりの確度で確認できるのであれば、それも明記しておけば良いのです。何故リンク切れ後でなくその時点で行うのかと申しますと・・・冷静に考えればわかりますが、例えば5年後。10年後でもいい。いざ修復不能なリンク切れが発生したとして、その時に掲載情報を改めて探索する事は、論文が発表されて間もない本日現時点で探索するより、遥かに難易度が高いのです。よって、余程の事(第三次世界大戦とか?)が無い限り検証可能性が途切れる心配の無いネット以外の出典もしくは出典情報を並記する/使う方が好ましいのです。検証可能性が途切れる心配のある可能性のある(重陽氏によれば4割程度)リンク切れが発生する危険のあるネット出典に過度に依存することは、到底お勧めできることではありません。恐らくネット上のほとんどのデータは、我々から見て充分長期間(例えば数百年)保持されていると言う保証は、全くないのです。ものによっては半年でさえ怪しいですし、3日で消える物もあります。結論として、選択可能なのであれば、好んでそれを選択し利用する理由はありません。一度実験的に(?)全部ネット出典でいち記事書いてみたのですが、上梓から一年少々、404はもちろん、サイトの構成が変わってしまった結果、リンク先が記述の担保を全くしていないと言う状態も見られています(blpでもありますので、記事の大幅な縮小が必要かもしれません)。ネット文献を使うと文献が無くなる、だけでなく、文献が変更される、と言う危険性もあるのですね。--Hman会話2014年1月24日 (金) 21:03 (UTC)

コメント ここ1週間ほどリンク切れの修正作業をして回ってみました。サンプル数はそれほど多くなく、2009年以前の古いところから作業していたので新しい所では傾向が異なる可能性もありますが、ひとまず以下のような傾向が確認できました。

  • 外部リンク節のリンク切れ
リンク切れカテゴリに入れられた記事群の内の半分程度は、記事の出典に用いられているわけでない外部リンク節に設けられた外部リンクのリンク切れでした。それらの多くは単純除去で構わないもののように思えましたが、手は付けていません。これらは本議論の範疇ではないため、以下、出典に使われている外部リンクのリンク切れのみを母数として割合を示します。
  • 代替配信サイトのリンク切れ
およそ3割程度は、ニュースサイトやGooglebooks、学術論文の出版元のサイトのような代替配信サイトや、新聞社自身のサイトのリンク切れでした。中でも、ニュースサイトのリンク切れが非常に多かったです。このようなリンク切れは規定に従い紙媒体の情報だけを残し単純にリンクを除去すべきケースですが、ニュースサイトのリンク切れでは裸のリンクであったりして日付や見出しの情報が無く大元の紙媒体の情報に辿り着き辛いものもありました。また、DOIのような恒久的な外部リンクがあり情報源へのアクセスが保障されているにもかかわらずリンク切れが貼られているような、単にリンク切れの貼り付け自体が不適切なものも見られました。
  • インターネットアーカイブにより容易に修復可能なリンク切れ
およそ2割程度は、リンク切れになったURLを単純にインターネットアーカイブに打ち込むだけで修復可能なケースでした。私が作業していたのが古いページで他の方が既にアーカイブで修復された後だったものも多数ありましたから、新しいページであればこの割合はもっと増えるかと思われます。
  • ネット検索により修復可能なリンク切れ
およそ1割程度は、リンク切れとなったリンクの見出しの文字や、そのリンクが出典となっている記事の情報からネット検索を行えば、代替出典によってリンク切れの修復が可能なケースでした。この中には、単純にページ内のURLが変更になったためリンク切れになっていたようなケースも含まれます。
  • 簡単な修復は難しそうなリンク切れ
およそ4割程度は、リンク切れとなったリンクにURLしか情報が無く検索の手掛かりが少なすぎたり、本文情報を元に検索をかけても少なくともネット上からは代替情報源が見つからないケースがありました。他言語版からの翻訳記事におけるリンク切れ等の日本語以外の言語によるリンクであったり、私自身が明るくない分野なために代替出典を上手く見つけられなかったというものも多くありました。

これらの結果を踏まえると、大元の出典は紙媒体でありリンク切れは代替配信サイトに対するものに過ぎず機械的作業で単純に記述を除去することが不適切なケースが3割程度存在しており、インターネットアーカイブで即座に修正できる2割のケースも併せれば、実に半分近くが除去でなく修正で容易に問題解決が可能な状況でした。さらに単純にネット上で検索を行うだけで修正可能なケースも少なくなく、実際に修正作業をやってみた感覚としてはやはり除去を行う前に最低限の修復の試みを行った方がよいように感じました。いくら出典を提示する義務は記載を求める側にあるとはいえ、単純にインターネットアーカイブにURLをコピペするだけで数分もかからずに確認できるようなものですら杓子定規に除去から入るのはあんまりだと思います。また、まず修復でなくまず除去では、Kanoharaさんが示されたケースのような杜撰な作業による不適切な除去が横行する懸念も大きいです。

その上で、どうにも修正し難い4割程度のものに関しては、Hmanさんのおっしゃるように一定期間リンク切れテンプレートによって修復の呼びかけを行った上で、それでも修復されないものはノートページに退避させておくというのもいい手段なように思えます。単純にノートページでは他の議論とごっちゃになって分かり難くなることも懸念されますし、退避場所をノートページのサブページにして、Category:記事から除去された記述の保管されたページ/2014年1月というような形でメンテナンス用カテゴリを設けて管理すれば良さそうだなと感じました。ただ実際に除去作業を行う場合でも、例えば個別参照法によって複数の出典が示されている記事において記事末尾に参考文献としてGENREF形式で示された出典がリンク切れとなっている場合や、一文に複数の脚注が付けられておりその内1つがリンク切れで他の脚注は書籍などのその場ですぐに参照し難い出典である場合、リンク切れの出典が示す本文の範囲が不明瞭な場合、リンク切れの出典の部分を単純に丸々除去したら後に残った文章の繋がりがおかしくなったり矛盾したりする場合、などなど、記述を除去してノートに退避させるという作業にも相当な編集技術が問われることも多そうであり、記事主題について相応の予備知識がないままに作業を行うのは記事破壊になりかねないというようにも感じました。その点も踏まえれば、期限を切ってその期限が過ぎれば機械的に除去してしまうというのは不適切な形での除去の呼び水になりかねませんし、記事主題をしっかり把握してどういう形で切り出すのが最適なのかを記事の全体像を見ながら適切に作業できる人が適切に作業するまでは、下手に触らずにリンク切れのまま置いておく方がいいのではないかとも思えます。不適切な除去作業を検出するという意味でも、ノートに退避してカテゴリで管理という方式は有用そうかなと思います。--重陽会話2014年1月23日 (木) 10:23 (UTC)

個人的には可能性を感じるご提案である、との感想です。リンク切れに限定せずお話しますが、とかく、jawpがデマの発生源となってはいけない、不正確な情報をばらまいてはいけない。本文からの除去ではなく未確定情報の移動と言うかたちであれば、「掲載を希望する側」の抵抗も少なくなるかもしれませんしね。幸いにも、ノートへの移動については、Wikipedia:検証可能性でも既に言及されています。移動の方式について明確な文書が作られ、それに合意が得られれば、いけそうではありますね。なお、「編集技術の低い方が編集に関わると記事が壊れる」のは、何も除去や移動に限った問題ではなく常にあることですから、今回殊更に重要視する必要は無いでしょう。手空きの人間が技術指導を行うなり、修正するなりすれば良いと言う、通常の、従来の、運用で良いのではないでしょうか。--Hman会話2014年1月24日 (金) 21:10 (UTC)
私も書いてて、リンク切れに限らず未確定情報の移動という形で無出典の記述などにも広げて運用できそうだとは感じました。リンク切れの問題からは外れますが、疑いがあったり信頼できない記述というのは出典がリンク切れなものよりもむしろ無出典なものにおいて深刻ですし、Hmanさんのおっしゃるようにリンク切れをどうこうという各論の議論を積み重ねてもどうにもならなそうな気もします。そう言う意味でも本件を合意まで持っていくのは非常に困難でしょうし、ペンディングしておくしかないかなと感じています。
ただ、Wikipediaで編集作業を行う際の姿勢を示す最も重要度の高い方針の一つであるWikipedia:編集方針の「完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください」節に「最も大事なことは、それが直せる限りは直すと言うことです。」と書かれている通り、直せる限りは直そうとする「まず修正ありき」という姿勢は方針が求めている姿勢でもあるのですよね。それをないがしろにして容易に修正可能なものにまで「除去を求める側」というのもまた、方針に反する姿勢なのではないかなと思います。やるだけやって、それでもダメで望み薄な記述に対してさあどうしようかというのが本来の流れでしょうし、その「やるだけやる」という所にどこまでを求めるかは人によって差があるでしょうが、少なくともPC前から一歩も動かずネット上だけで何とかできるようなレベルぐらいは求めるべきだと私は思っています。
手の空いた人が適宜指導し修正すればいいというのは理想論としてはその通りですが、現実には人と手が圧倒的に足りておらず不適切な編集が不適切なまま多数放置されているのが現状ですよね。指導しようとする人が高圧的にやっちゃて揉めるケースも多かったりするので、その辺りも何とも難しいです。当然Hmanさんのおっしゃるように除去や移動に限らず拙い編集による記事破壊はいつでもどこでもあり得る事ではありますが、ただでさえフォローの手が足りていないのに、わざわざそれを増やしかねない藪蛇はしない方がいいのではないかという印象を持っています。--重陽会話2014年1月25日 (土) 13:02 (UTC)
提案者の氷鷺氏にとってみれば「いくらなんでも2年は長すぎるだろう」とまあ、そういう事なんでしょうね。私としては六か月くらいかなあ、と経験上、考えては居ます。大体まあ、IPさんを除いて、書いた人は大抵ウォッチしてるんですよ。「リンク切れ」を貼られたら、解る訳です。六か月は短いとは言えませんし、ノートへの転記と言う手段もある。これを「除去ではなく転記だ」と加筆向きに?捕らえたとしても、やはり当然技術上の問題が発生すれば、手空きの人が技術指導なり代行なりを行う訳で、この点は揺るぎはありません。ま、指導だの代行だのは常にどこかで起こっていますので、正直リンク切れ問題で多少増えようが減ろうが(いや減りはしないか・・・)全体的な数から見ればほとんど誤差なんじゃないかなと言う気がします。まあそもそもこういう問題は「ここ」で考える事じゃ無いってのもありますしね。--Hman会話2014年1月28日 (火) 09:47 (UTC)
執筆者はリンク切れは分かるんだからは楽観過ぎです。多くの方が1年未満で口論やイヤガラセに近い事、不運なトラブルなどで去ってゆくの実情です。そしてお約束どおり出典を示された以上は、リンクが切れようが何しようがその方の義務は終わっています。--Gyulfox会話2014年1月29日 (水) 06:22 (UTC)
それから2年であろうと、6ヶ月であろうと、2ヶ月であろうと「期間を定めて」時限爆弾式の措置を取ることに反対します。そのような行為はボットのような能無しでもできて簡単ですが、極めて有害なことと危惧します。 どれだけの探索努力がなされたかが評価されるべきであって、時間の経過は評価されるべきではないでしょう。努力なしの削除・移動等はズボラというほかありません。草取り感覚でやってもらっては困ります。--Gyulfox会話2014年1月29日 (水) 06:07 (UTC)
仮に直接その部分を執筆した人にはわからずとも、その一名しかウォッチしていない、様な記事はそれほど多いものでしょうか。ま、もしそういうケースが無視出来ないほど多くあるのであればやはり「ネット文献は避け得るなら避けた方がベター」が現状、と言うお話に繋がって参りますね。とかく、Gyulfox氏と言う一名の方が時間経過について反対意見を述べていらっしゃることは、皆さんに伝わったでしょう。なお私は申し上げるまでもないでしょうが、既に検証不可能となった情報を一定期間を目処に一旦除去/移動してしまう事には賛成です。まあ、「十分探索してからにしてください」との注意書きがあれば、あとは編集者各位の善意に任せるよりない感じですね。きりがないですから。「最悪」なのは「jawpがデマの発信源となる」ことなんですから、多少保守的で良いのです。--Hman会話2014年1月29日 (水) 22:55 (UTC)
いかにも日本人が好みそうな御意見ですが、そもそもそこが180度間違ってます。WPは最悪の事態をベースに行動しないのが理念の基本。例外が在命の人物に関する情報です。それ以外は性善説に基づいたプロジェクトです--Gyulfox会話2014年1月30日 (木) 00:51 (UTC)
そんなのどこに書いてあるんですか?そんな合意が有ったとも記憶しておりませんが。・・・そんなことを言っている人がいるから信頼性の低い記事が減らないんですよ。正確性を重視することこそが大切な事でしょう。質量共に最大の百科事典を目指してと良くいいますが、質とは当然信頼性と言うものが多くの部分を占めているものと思いますがね。以上、おしまい。--Hman会話2014年2月3日 (月) 00:10 (UTC)
Hmanさんは私のせいで信頼性の低い記事が減らないというんでしょうか? 信頼性の高い記事にするのを時限式に怠けていいようにするのはどうなんでしょうか。 合意もなにも最初から決めてあります。Wikipedia:編集方針を読みましょう。(在命の記事以外)最悪の場合の誤報を恐れるようなプロジェクトとは180度違いますよね。出来る限り改善するのが方針である以上、性善説というほかないでしょう。 それから行動に関して、JWPの編集者に対しては基本的に処罰の方法がない。それに近いのが投稿ブロックだが無期限ブロックでさえ処罰ではないですよね。WPの理念は質と量の両立であって、ガイドラインに合わないものを手っ取り早くやっつけて、あたかも品質の高いように見せかけることではないのです。--Gyulfox会話2014年2月3日 (月) 05:38 (UTC)
Category:外部リンクがリンク切れになっている記事/2014年1月 は、修正したい人・検閲したい人が探す分には便利ですけど、所詮カテゴリなので出典が不正に(安易)に除去された場合、その行為の記録が残りづらいですよね。
アーカイブサイトの存在を知らない人が多いとも思えないのですが、極端な例、アーカイブサイトを知らない人がリンク切れを貼って、同じく知らない人が2ヶ月後に出典消すのもどうかと。--Benzoyl会話2014年1月29日 (水) 23:52 (UTC)
直接この方針をどうすべきかについてのヒントにはならないとは思いますが、英語版だとリンクが切れているところを探し出して、Internet Archiveから代わりになりうるところを見つけてarchiveurlを付け、代わりになりうるものが見つからない場合にdeadlinkを貼って回るボットが活動しています。たとえばen:User:H3llBot/ADLとかです。自動化できることはどんどん自動でやってもらった方が良いように思います。同じようなことを日本語版でもできないものでしょうか。--Tam0031会話2014年1月30日 (木) 16:14 (UTC)
ちょうどWikipedia:井戸端/subj/未承認botによるウェブアーカイブへのリンク置換についてで話題になっていますね。インターネットアーカイブにアーカイブは存在しているけれどもそのアーカイブの中身がページが見つかりませんというエラー表示だけだったりすることも多いので(特にリンク切れの多くを占めるニュースサイトのリンク切れでそういうケースが多い)、アーカイブがあればarchiveurlを付けるという単純な操作では前述の井戸端のように大きな問題になっちゃうようです。アーカイブの中身が記述の内容と問題無く対応しているかまできちんとBOTで確認できるなら可能でしょうけど、その辺り英語版で動いているBOTはどうやって回避してるんでしょうね?上手く自動化できるなら是非ともやっていただきたいのは確かなのですけど。--重陽会話2014年2月2日 (日) 22:28 (UTC)