Wikipedia:井戸端/subj/元号を使うべき

元号を使うべき[編集]

wikipediaでは、年数の表記に西暦を主に用いていますが、元号を使うべきではないでしょうか。 そもそも西暦とは、イエス・キリストが生誕したとされる年(実際には数年ずれている)を基点とする数え方で、キリスト教色の強いものです。一応世界共通ということになっていますが、なぜそうなったかといえば、西洋キリスト教諸国が世界を侵略してその国の文化を抹殺した結果です。 それに対し、わが国の元号は1300年以上の歴史を持つ伝統文化です。特定の宗教に由来せず、元号法によって法的根拠もあり、最も適切な表記法といえます。 もちろん歴史上のことや海外のことは元号では表しにくく、西暦を使うべきですが、現在の日付や最近の出来事を表す場合はwikipediaでもなるべく元号を使うべきだと思います。--以上の署名のないコメントは、天照大神会話投稿記録)さんが 2009-12-18 18:18:51 (UTC) に投稿したものです。

個人的には明治以前の元号が良く分かりません。--大和屋敷 2009年12月18日 (金) 19:01 (UTC)[返信]
Wikipedia:日本中心にならないようにというガイドラインがあるように、日本だけで使われている元号、和暦に統一することは止めるべきです。ただし、日本史に関する項目であれば、和暦と西暦を併記するのも構わないと思います。Template:和暦を使うと便利です。--121.102.114.66 2009年12月18日 (金) 19:33 (UTC)[返信]

元号を使うからといって、日本中心になるわけではないと思います。確かに「平成21年」という元号は日本政府が定めたものですが、西暦2009年イコール平成21年であるから、世界中どこに行っても今年は「西暦2009年」とも「平成21年」とも「皇紀2669年」とも言うことができると思います。 むしろ、西暦に統一すれば特定の宗教中心に考えることになり、wikipediaの理念に反すると思います。--天照大神 2009年12月18日 (金) 20:01 (UTC)[返信]

そもそも『わが国』と言っている時点でWikipedia:日本中心にならないようにに反しています。『なぜそうなったかといえば、〜抹殺した』はあなたの独自研究でしょう。『世界中どこに行っても〜言うことができる』ということですが、日本以外の国で言っても通じません。神道も一種の『宗教』でしょう。『wikipediaの理念』とは何のことでしょうか。--青木(おおぎ)高校生 2009年12月18日 (金) 20:09 (UTC)[返信]
神道や中世の日本史を主に編集している者です。個人的には西暦よりも元号のほうに親しみを持っておりますが、歴史上の出来事や海外の事柄はともかく、最近の出来事や将来の事柄を表すのに元号を優先することは混乱を招く可能性があるので、好ましくないと思います。畏れながら、今上陛下は2021年に昭和天皇の崩御された年齢となられます。2040年や2050年など将来の事項を表現する際に平成52年や平成62年のような表記がはたして適切なものか検討する価値はあるのではないかと思いますがいかがでしょう。--まさふゆ 2009年12月18日 (金) 20:23 (UTC)[返信]
Wikipediaの年号表記をすべて西暦に統一するのはガイドライン(Wikipedia:日本中心にならないように)の趣旨の逆の意味で問題がありますので、元号で表記できるものは元号で表記すれば宜しいかと考えます。具体的な指針といたしましては①「西暦だけの記述を採用し元号はすべて排除する」という方針はとらない②「元号だけを採用し西暦をすべて排除する」という方針はとらない③すべての投稿者は「西暦と元号の両方をかならず記述しなければならない」義務があるわけではない④「すべてのWikipedia上の年号記述を西暦と元号の併記を目指すべく努力する義務はどの編集者にも課すされていない」⑤必要に応じてイスラム暦フランス革命暦ローマ暦中国暦など他の年号表記を使用しても良い、といったあたりは合意できそうなのですが、天照大神さんいかがですか?--大和屋敷 2009年12月18日 (金) 21:29 (UTC)[返信]
Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間をご覧になってください。ガイドでは西暦が原則ですが、和暦も併記できます。もし現在のガイドの内容に異議があれば、そちらのノートで議論するほうが良いでしょう。
議論の本筋ではないですが、丸付き数字は使わないほうが良いです。Wikipedia:表記ガイド#丸数字などをご覧ください。--アルビレオ 2009年12月18日 (金) 22:31 (UTC)[返信]
起源がどうであれ、西暦は世界共通で通じるのですから、これを基本として表記するのが現実的かつ妥当でしょう。 -- NiKe 2009年12月19日 (土) 01:26 (UTC)[返信]
記事によっては筆者の指向によって「五島朋幸」のようにほぼ元号でしか書かれていない記事も存在します。また元号(西暦)といった記載方法を取っているのもあります。しかし近代ならともかく平安時代といった古い時代の記事で元号しかかかれていないと、時期の把握が著しく困難です。また未来の年号を元号で書くと不都合が生じます。昭和時代の新聞記事を見ると、元号表記無しで「70年度まで」といった表現がありますが、これは昭和70年の意味でした。また昭和100年といった表現方法すら存在しており、このように元号の記述に固執すると不都合が生じます。当方の場合、概ね二十年ぐらい前の出来事までは元号を書きませんが、明治期から昭和期までの日本で発生した出来事については初出だけ元号を記入し、あとは書かないスタイルをとってはいます。そのため西暦表記のみを優先としています。--Carpkazu 2009年12月19日 (土) 04:16 (UTC)[返信]
西暦の起源は確かにキリスト教ですが、もはやそれとは関係なく世界中で使われているものです(例えば、イスラム教徒の話者が多いWikipediaアラビア語版のイスラム教開祖のムハンマドの記事でさえ西暦が使用されており、ヒジュラ暦は使用されていません)。Wikipedia日本語版は「日本版」ではないのですから、日本の記事だからといって西暦を排除して日本でしか通用しない元号のみにするのは避けるべきです。第一、天照大神さんのおっしゃる、元号に直す基準とする「現在の日付」「最近の出来事」っていつからいつまでが「現在」「最近」なのでしょうか? 仮に「ここ10年以内」だとすると、その期間を過ぎたら西暦に再び直す(例:1999年の出来事の記事を平成11年表記にしたら、来年の2010年には再び1999年に直す)のでしょうか? それはちょっと面倒くさすぎると思います。かと言って、日本の全ての事柄を元号のみにしたら分かりにくくて仕方がありませんし。元号を書くのであれば、直接入力やTemplate:和暦で西暦と併記が分かりやすさの面から言って妥当と思います。--松茸 2009年12月19日 (土) 06:17 (UTC)[返信]
明治以前の旧暦元号を使うと、年だけでなく月日の数字も西暦とは全く違ってきます。--金銀蝋 2009年12月19日 (土) 07:54 (UTC)[返信]
コメント記事 元号法にかかれているように国会答弁により「元号法の存在は元号の使用を強制するものではない」ということが、一般的な観点であると考えます。つまり日本の政府も元号にこだわっていないのですから、日本版だから元号の和歴を使うべきだという意見は、はたして多数意見なのかといえば大いに疑問があります。したがって西暦に併記することは構いませんが、西暦と元号に基づく和歴を置き換えるべきではないです。また、現在の西暦の元となっているグレゴリオ暦は閏が補正されていますが、古い和歴は旧暦であったりの補正方法が異なったりで、現在の月日と一致しないことがしばしばあります。しかし文書の引用はあるがままで記述すべきで、引用部分の和歴を置き換えるのはやりすぎと考えます。したがって本文の説明部分は一貫性という意味でも西暦(グレゴリオ暦)を基準にして適宜文献等を関連させる必要があれば和歴を併記すれはよろしいように考えます。--あら金 2009年12月19日 (土) 09:51 (UTC)[返信]
ご提案の問題の直接の解決にはなりませんが、履歴などの表示については特別:個人設定の日付と時刻の設定画面で元号表示を選択すれば元号で表示されます。--Aotake 2009年12月19日 (土) 13:07 (UTC)[返信]
一般に暦というものは特定の文化や宗教などと強く結びついているものなので、Wikipedia:中立的な観点を考慮すれば一律にどれか特定の暦を用いることを強制するべきではなく、それぞれの文脈において最も相応しいものを用いるようにするほかはないと思います。どこかで明確な合意が形成されたものなのかどうか知らないのですが、例えば日本史分野の項目では近代以前は和暦(西暦)の順、近代以降は西暦(和暦)の順で併記するという方式をとっていることが多いようです。
JAWPは日本語版であって日本国版ではないわけですが、実際問題として大多数の日本語話者は日本国に在住しており、キリスト教徒の日本語話者は割合からいうと極めて少数なので、本来なら和暦を優先して用いる方が望ましいのかも知れません。しかしキリスト教徒であるか否かを問わず日本語圏において広く用いられている西暦をことさらに排除するようなことをすれば、それは閲覧者の利便性を著しく損ねることになるでしょうから、その辺は常識的に判断して下さい。実際のところ、私自身は日本史分野等の項目にはほとんど関わっていませんので、ほとんどの場合西暦を使用しています。
しかし、Wikipedia:井戸端/subj/日本語版での記事に於ける記事題名導入部(定義部分)の英訳記載の件なども見ていて思うのですが、中立性を旨とする百科事典の編集に携わる者として、デファクト・スタンダードとして流布しているものになし崩し的に追随することによって中立性が損なわれる可能性に、私たちはもっと自覚的でなければいけないのではないか、という気がします。--sergei 2009年12月19日 (土) 15:10 (UTC)[返信]
◆和暦なんていやいやー(=・_・、=)。
歴史って前後関係がけっこう重要なものなわけっす。しばしばリセットされる元号ってやつは、前後関係を確認するのに知識or手間がかかるし、おれは知識は持ってません(ふっ)。年代に限らず、基本線直列で配列できるもんはその順番に従った通し番号を振っておくのが楽でよろしい。通し番号の起点をどこにするかというのはいろいろ微妙な問題を抱えていますけれども、確かに西暦ってのはキリスト教POVかもしれませんが(でもまあそれにしても4年ズレてるとかいう説があったりするわけだが)、他のいかなる基準点を持ってきても現状「独自の研究」あるいは「個人的な指標」にしかなんないわけでだな、そんなところで演説をされても知らんとか思う。
とりあえずなんだ。全くもって合理性を見出せない提案なんで、賛成する理由が見出せません。雪玉終了を提案する以前なような気がします。--Nekosuki600 2009年12月19日 (土) 15:32 (UTC)[返信]
コメントちゃんと提案を読んでコメントしていますか?《歴史上のことや海外のことは元号では表しにくく、西暦を使うべきですが》って書いていますよ。提案についてですが近代以降について西暦(元号)の併記を標準にしてもよいかと思います。特に昭和以降はむしろ感覚的に時代を把握しやすいのではないでしょうか?--いんでぃご 2009年12月19日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
そういえば皇紀というのもありましたね。--大和屋敷 2009年12月19日 (土) 17:40 (UTC)[返信]
一応、日本史を高校のとき選択していたので、ある程度の元号なら把握していますが、あまりにも短いものや、これといった出来事のない元号は覚えていません。また寛永のように三代の天皇にわたり使われていた元号なら有名ですが。まあ、元号と言うものは歴史的に見れば中国前漢時代に初めて使われたものであり、「日本独自の文化」といわれるのは違和感があります。「使うべき」と強制するのは、ある種の政治的意図を持って編集者各人に圧力を与えるおそれがあるため、さけるべきだといえます。個人的には平成を「H15」といった略号を使用する方が結構おられますが、このような表現方法をウィキペディアで行っている例はいままでみたことはないですが、もし、このような表現方法が存在すれば排除すべきだとおもいます。書くのでしたら「平成」と書くべきであり、このような略号をつかうぐらいなら西暦を書くべきだとおもいます。--Carpkazu 2009年12月19日 (土) 23:17 (UTC)[返信]

(インデント戻す)やや横道ですが、日本史記事で「元号(西暦)」の表記法が使われることについて。(日本の場合)明治5年(1872年)以前は旧暦を使用していたため、西暦と厳密に年や日付が一致しません。歴史上の出来事が起きた年や史料中に記述として元号までは特定できるが、日付までは特定できず、したがって西暦年との厳密な対照が不可能な場合があります。そのような場合、西暦メインの「西暦(元号)」という表記法は、最悪の場合ウソや誤りを書くことになりかねません。また、専門分野で「元号(西暦)」がスタンダードだと言って差し支えないはずです。そうしたことも鑑みれば、(日本の場合)明治5年(1872年)以前については、「元号(西暦)」という厳密に言えばスタイルガイドに反した表記法を採らざるを得ません。

さて、天照大神さんは

> 歴史上のことや海外のことは元号では表しにくく、西暦を使うべき

と言っておられますが、私がここまで述べた観点からすれば話はむしろ逆です。また、

> 特定の宗教に由来せず

とありますが、元号は本来古代中華王朝の易姓革命という歴然とした宗教思想にルーツを持ちます。

> 現在の日付や最近の出来事を表す場合はwikipediaでもなるべく元号を使うべき

とも言っておられるのを、日本での出来事に関してだと最大限善意に解釈しても、「現在」や「最近」というのは曖昧な語です。「現在」や「最近」というのは そもそもいつまでのことだという点を百歩譲って見ない不利をするとしても、「現在」や「最近」でなくなったらどうするのでしょうか。すでに昭和が歴史上の時代でしかないという世代近代以降について西暦(元号)の併記を標準にされるとむしろ感覚的に時代を把握しやすくなくなる世代)がいます。そうした観点は、あまりにも特定の世代の感覚に依存しすぎていると言う意味で「世代POV」だということはきちんと検討されたのでしょうか? 申し訳ないのだけれど、もう少し勉強してから出直した方が良いんじゃないかと思いました。--ikedat76 2009年12月20日 (日) 02:47 (UTC)[返信]

このような場合は元号を使うべきとか、西暦を使うべきとかではなく、世界各国の人々から見てなるべく判りやすい表現にすべきと考えます。例えば元禄小判の記事では元禄8年(1695年)9月発行という併記にしていますが、これは元禄という元号を知らない人にとっては西暦による表記も必要ですし、また元禄という時代背景も関わる事象であり、文献による記録が「元禄八年亥」となっているわけですから元号による表記も必要と考え、このようにしています。
併記とする場合、Ikedat76氏の言われるとおり、太陰暦太陽暦によるズレも無視はできませんから、日付まで判明しているものは考慮しているつもりです。--As6022014 2009年12月21日 (月) 07:37 (UTC)[返信]

本題からは外れると思うのですが、ある記事(初版執筆記事)において西暦年だけで記述していたところ、≪1997年平成9年)生まれ。……。2008年平成20年)5月31日には……。2009年平成21年)1月には……。2009年平成21年)2月6日には……。≫という記述に編集されたことがあります。日付付きの短文にまとめられた記述が連続する文章において、{{jdate}}を用いた年号併記(西暦を主とする場合に限らず元号を主とする場合でも、併記する限りは同様)が使われるのはかなり見づらく感じました。冗長表現といったところでしょうか。しかも、最後の2つ、年が同じ部分を≪2009年1月には……。2009年2月6日には……。≫といったように初出年以外の年リンクを外せないところとかも、{{和暦}}や{{Jdate}}を見る限りはどうにもならない様子ですし。
併記という話が出ている部分がありますが、それならそれで、初出(上に挙げたケースで言えば1997年のところ)や元号の切り替わりのところだけ併記として、後は記事主体に合わせてどちらかに統一するとかいった工夫しないと、記事によっては見づらいように思いました。--NISYAN 2009年12月22日 (火) 23:41 (UTC) 同一年の初出という意味でなく、記事内で年号表記が初出という意味であることを明示 --NISYAN 2009年12月22日 (火) 23:47 (UTC)[返信]

全体的な指針としては、大和屋敷さんの2009年12月18日 (金) 21:29 (UTC) の意見でよろしいかと存じます。各々の記事で問題が生じた場合は、それぞれの記事のノートあるいは各プロジェクトで議論すればよろしいのではないでしょうか。--As6022014 2009年12月24日 (木) 05:19 (UTC)[返信]
いつも思うことですが、たとえば『太平洋戦争』と記述したら『大東亜戦争』と書き直したり(「日本は太平洋戦争という戦争をしたことが無い!」という理由付けらしいですが・・・)日中戦争を支那事変(同じ理由)と書き換える等、国粋主義・右翼的思想的な表現に固執する方が多いのは何故でしょうか?同じ様な内容を延々繰り返している様な気がします。日本国内では確かに元号が一般的な部分ありますが(履歴書に書くときも元号ですね)、国際的な視点で見れば、日本国の『元号』は日本でしか通用しません。西暦もキリスト教が起源でありますが、国際的に利用・活用されている読み方であるのであればそれを第一優先として記述するのは当たり前で、日本国内での事を考えれば、元号を併記すれば済むことです。記述を統一しなければならない理由がよく分かりません。--男梅 2009年12月27日 (日) 07:03 (UTC)[返信]

横槍失礼。西暦と和暦や中国暦の間の問題は単に元号が分かり難いってだけの問題ではなく、閏や日付などが昔に遡れば遡るほどにかなりずれるのはもちろんみなさん承知の上ですよね?近現代はともかくそれ以前はあくまで「変換したもの」であるのですが。61.209.181.11 2009年12月28日 (月) 12:34 (UTC)[返信]

付け加えるとその「変換した人間」によってこれまたずれが生じます。本当に正確な表記を求めるならば「『○○』によれば(元号)××年の△△月□□日(誰々によれば西暦PP年のOO月LL日)」という表記になってしまいます。
更に加えれば「元号」というものには強い政治思想が付きまといます。改元の動機として革命とか親政の発動とか様々な理由があります。「元号」表記にはそれらを示す意味があります。特に一世一元の制以後は極めて大きな意味があります。すなわち皇帝・天皇の交代という。1989年1月7日と1989年1月8日という表記からは何も読み取れませんが、昭和64年1月7日と平成元年1月8日という表記からは昭和天皇の崩御と今上天皇の即位という極めて大きな事柄が読み取れる訳です。
別段、私は西暦を排除せよといっているわけではありません。基本ラインとして西暦が用いられるのは当然でしょう。しかし上記のような意味合いから元号排除には反対です。61.209.181.11 2009年12月28日 (月) 12:56 (UTC)[返信]
申し訳ない。勘違いしていたようで、日付のずれに関してはすでに上に出ていました。
ただ以上に述べた理由から基本として歴史的な事柄に付いては「併記であるべき」と思います61.209.181.11 2009年12月28日 (月) 13:04 (UTC)[返信]
元号が記されていることそれ自体は紀年法の一種に過ぎず、そこから「大きな事柄が読み取れる」のは、元号それ自体とは関係ない(「昭和64年1月7日と平成元年1月8日」という2つの元号それ自体には大して意味が無く、その改元を生じさせた出来事に重要性がある)ような気がしますが。
まあ、すでに指摘が出ていますが、大和屋敷さんの2009年12月18日 (金) 21:29 (UTC) のコメントで簡にして要を得た結論が出ているようだし、もういいんじゃないかなというのが正直な感想です。そうするとこのコメントも蛇足でしたね…--ikedat76 2009年12月28日 (月) 15:47 (UTC)[返信]