Wikipedia:井戸端/subj/ウィキプロジェクトでの提案、議論は強制力を持てるか?

ウィキプロジェクトでの提案、議論は強制力を持てるか?[編集]

大学のノート内に

と言うテンプレートが張られていますが、上記内容を読む限りウィキプロジェクト 大学での提案、議論内容には強制力があると取れます。 一方Wikipedia:ウィキプロジェクトでは「ウィキプロジェクトで提案されたものは強制力はもちませんが、その分野の指針となります。」とあり、強制力は持てないと解釈できます。ウィキプロジェクトについて強制力を持たせると言う議論もコンセンサスの形成も無かったと思っております。果たしてウィキプロジェクトは強制力を持てるのでしょうか?若しくは持つべきなのでしょうか?これまでのプロジェクトの運営を見る限りでは、プロジェクトの合意に反している編集を行ったユーザーに対して「プロジェクトではこういう合意が形成されたが、あなたの編集はこの合意に反している。合意を覆したいのであれば、プロジェクトで議論して欲しい。」とこれ以上でもこれ以下でもないように思うのですがどうでしょうか?--Juyukichi 2006年5月10日 (水) 16:00 (UTC)[返信]

私も同感です。ウィキプロジェクト 大学のノートにこのことについて改善を要望しています。広範囲な記事に関連する議論は一つの場にて集約して議論することは有用でその内容に多くの賛同があるからこそプロジェクトは尊重される話、、、。誘導的な内容(例えばウィキプロジェクト 軍事などで導入された内容)なら話は分かりますが、強制力を全面に出したテンプレートは抵抗感を感じます。--toto-tarou 2006年5月10日 (水) 18:43 (UTC)[返信]
自分も同感。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学/大学テンプレート (日本国内)/200605ログ#“Template:大学”およびテンプレート冒頭部についてを読んでて強くしたので疑問を感じました。圧迫系のtmpはプロジェクトに参加していない方(特にIPユーザーや新人)の編集を妨げる事につながりかねず、たとえ荒らし対策であっても導入するべきでないと思います。--ECLIPSE!? 2006年5月10日 (水) 18:56 (UTC)[返信]

私も同感です。このテンプレート使用と前後して、一部のユーザが高圧的な態度(に私には見える)で大学関係の記事に手を入れています。例えば学術的に評価がほぼ定まっているものを、その学問に詳しい人が正しい表記にするよう強制的な手段を取るのならば理解できますが、今回のケースは無用な強制のような気がします。--Hachikou 2006年5月10日 (水) 23:35 (UTC)[返信]

既にご確認頂いているとは思いますが、ウィキプロジェクト大学においてはテンプレートのフォーマットや表現基準に関して、原則として準拠するように求めることで合意の形成ができています。これは大学関係の記事が編集合戦にあいやすく、またPOVな内容になりがちであるために合意が形成されたものになります。
このような状況が好ましくないのは私も存じております。また、テンプレートを国内外で分けるのも日本POVであり、良くないというのも重々承知しております。しかし、発生している状況がこうした「善意」を許さない状況であるのもまた事実なのです。そこで発生した問題に一つずつ慎重に基準を定めていく中でテンプレートへの原則準拠や表現基準の徹底に関して合意形成となりました。細かい部分でも多くの議論が積み重ねられて今の状況になっています。今の状況はベストではありません。しかし、どうにもならないことの積み重ねでこうなったのです。井戸端で告知もしました。コメント依頼にも出しました。その上でこのような状況になってきたのです。
願わくば原則準拠に反対の方は、かつて大学記事で発生し、現在も多くの大学の記事で発生している問題に対応できる良い対応策を下さい。ログなどからもう一度引っ張り出して提起しても結構です。「どこに基準があるのだ」「あの基準は目標であってそんなのに強制される憶えはない」という反論をされることでせっかくNPOVかつ中立的観点で直した大学記事が元に戻され、また項目も好き勝手にいじられて大学の記事同士が全く比較できない百科事典としてはあり得ないような現状を打開できる何か良い方策があればぜひともご提示下さい。開き直りでもなんでもなく現状は問題があると認識しているからこそ、もっと簡便で強制力を持たず、どんな方でも編集しやすく、さらには今まで問題を解決できる良い方法があればそちらを実践したいのです。反対の方は何か良い方法をお持ちのようですのでぜひともその案を教えて下さい。何卒よろしくお願い致します。--秋の虹 2006年5月11日 (木) 00:53 (UTC)[返信]
Toki-hoと申します。この節のご提案、きちんと議論しておくべき内容だと思いました。ご提案ありがとうございます。以下、私の意見を書きます。私はみなさんとは逆に、このテンプレートは、初心者の方が編集するおりに、ウィキプロジェクト大学をみればいいのだな、と思える、親切な試みだと思いました。以下理由を書きます。大学記事は、日本の学歴社会では自分の所属する大学(あるいは所属できなかった大学)は、自分の人生の一部(あるいは失われた人生の一部)のように思われがちなことから、Wikipediaのような場所ではとくに荒れやすい(自分の思い込みや項目に対する毀誉褒貶の感情がでやすい=百科事典的な記述になりにくい=荒れやすい)のではないでしょうか。それがほかの記事とちょっと違うところだと思います。ですので、プロジェクトでの「厳しいほうによった縛り」は、必要と思います。縛りをゆるやかにすると、残念ながら、Wikipediaの期待する「よりよい百科事典をつくるという善意」から逸脱した方が、自由に編集できることをたてにとり、記事をほしいままにする可能性が大きいからです。そしてやっかいなことに、その前例ができてしまえば「あっちの大学でこう書いているから」という強引な理由で、どんどん各大学の記事が百科事典的でない内容に育っていくのではないかと危惧いたします。ですので、いまの「ウィキプロジェクト大学」のとりきめ、およびそのとりきめを個別の記事においてまもるようにある程度強制することは妥当であると存じます。もし、百科事典的にするために個別の大学の記事の書きようを変更したいなら、プロジェクトで話し合い、それが採用されれば、プロジェクトに準拠しているすべての大学記事が、百科事典的になっていくというメリットもあります。以上によって、ウィキプロジェクト大学の「強制力」と「案内テンプレート添付」を支持いたします。ただし、テンプレートについては文言に工夫が必要だと思いますので、当該のノートに書いてまいります。(意見を書いている間に、秋の虹さんが私と同趣意のことを書かれましたが、その支持という意味もかねて投稿いたしました。)Toki-ho 2006年5月11日 (木) 01:22 (UTC)[返信]
Toki-hoさんに同感です。
皆さんのおっしゃることは確かにその通りなのですが、他と違って学校分野はものすごい「見当違いの母校愛」に駆られた方々のPOVな編集が絶えませんので、やむを得ず「高圧的」とも取れる誘導にならざるを得無かったのだと思います。
はっきりいって「明治大学」(ノート:明治大学過去ログ参照)や法政大学(議論ノート:法政大学/200604)、「立教大学」(例 2005年7月22日の版)、東海大学2006年3月1日)のようなPOVまみれの編集を中立化するにはこうするしかないなら、もっとまともな編集者が学校分野に増えるまでは許容するしかないと考えます。東京経済大学はまだテンプレ化していないそうですが、上で強制反対の皆様に項目の中立化を強制によらずにお願いしてみたい気がします。
保護・半保護されている項目・ノートも少なくありません(例 ノート:立教大学)。長期保護が続くよりはテンプレートによる規制の方がはるかにましだと思います。--miya 2006年5月11日 (木) 01:30 (UTC)[返信]
経緯については理解できましたが、全てにおいて賛同はしかねます。今回のウィキプロジェクト 大学における決定というのは強制力を持たせるのは反対です。ウィキプロジェクト 大学で決定したからではなく、ウィキペディアとしての方針として決まったとした方がよいと思います。このような例はどのウィキプロジェクトでも当てはまるわけではないと思うので。後々、なぜウィキプロジェクト 大学だけ強制力があるのだ?という事にもなりかねません。基準を選定したのはウィキプロジェクト 大学だが、強制力を持たせているのはウィキペディアの方針としてであるといった方向に持っていければいいと思います。
Templateに関してですが記事のトップに貼るのかと思ったら、ノートページの方に貼ってるのですね。記事のトップだと違和感があるなぁと思ったので。それにしても日本国内だけと言っても、大学記事全部に貼るのでしょうか?それとも問題がある記事のみ?--Koichi 2006年5月11日 (木) 04:05 (UTC)[返信]
日本国内の大学だけではなく韓国の大学に対しても同様のTPを貼ることを検討しています。(外部リンクの問題などがあるため)--hyolee2 2006年5月11日 (木) 07:31 (UTC)[返信]
一案としては、プロジェクトとしての合意(強制力なし)では効果がない場合に、wikipediaとしての合意・ガイドライン(強制力あり)に昇格させる標準的な手続きを決めるということでしょう。事情はあるにせよ、プロジェクト段階で強制力を一般論として認めてしまうと、プロジェクトの設立にはほとんど条件がないわけですから、ルール形成に「裏口」を認めることにもなり、また、たとえば同一記事について、異なる方針を持つ複数のプロジェクトが、自分たちのプロジェクトの合意に基づき編集するとき、問題が生じます。(ひとつの記事が複数のプロジェクトの対象であることはままあることです)それまでの暫定的な手続きとしては、「この記事の編集にはウィキプロジェクト大学のフォーマットに準拠することにローカル・ルールで合意しました」テンプレートを用意することでしょうか。--Clinamen 2006年5月11日 (木) 04:21 (UTC)[返信]
ちゃんと議論して欲しいという立場であることを最初に明記します。
先ず感じたことは手続きが間違っている。と言うことです。いきなり「プロジェクト 大学」での提案、議論、コンセンサスを得られた内容について「強制力がある」と宣言するのではなく。
  1. ウィキプロジェクトが「強制力を持てるか?」と言う事について議論を行う
  2. 上記議論で「強制力」を持てると言うコンセンサスが形成された上で初めて「プロジェクト 大学」が自ら「強制力を持っている」と宣言できる。
と言う事は無いのでしょうか?議論の内容として、ここでも幾つか問題点が指摘されていますが
  • 「強制力」を主張できる場合の手続きについて。
  • 何処まで「強制力」を主張できるか?
  • 他のプロジェクトと意見が対立した場合どうするのか?
  • じゃあ「強制力」に反した場合どうするのか?
と言った事が議論されて、方針が示されない限り、「強制力」というのは持てないのではないかと考えます。--Juyukichi 2006年5月11日 (木) 05:49 (UTC)[返信]
本来編集指針のガイドであるウィキプロジェクトに強制力を持たせて、執筆者の編集を制限する事は確かに好ましいことではありません。しかし、こと学校分野においてはPOV(その多くは独自の愛校心に基づくために対話による合意形成が非常に困難)編集が多発し、保護にまで至るケースが多発しているのが現状であり、その解決に多大な労力が費やされていることも無視はできません。分野ごとの編集方針の合意形成の場としてウィキプロジェクトがあてられ、編集者に協力を求めているにも関わらずそれが得られないのは悲しむべき状況ではありますが。プロジェクトに強制力を持たせることによって合意形成への参加を促進する事ができます(なにもプロジェクトに参加しなければ議論に参加できないわけではありませんし、IPユーザが参加できない訳でもありません)。既に合意した内容についてもプロジェクトで再検討する事も可能な訳ですし、編集の前にプロジェクトでの論議を一考してもらう(残念ながら、学校関連を編集する方のほとんどはプロジェクト論議に目を通しているとは思えません)には最も有効なはずです。もしも、プロジェクトによる強制力以外に編集方針合意への参加とNPOV遵守を促進する有効な手段があるのであれば、強制力にこだわるつもりはありませんが、個人的には思いつきませんでした。
また、Clinamenさんが提示された、強制力を持たせるためにの手続き段階的手順を設けるとの提案は、他のウィキプロジェクトとの不公平感を払拭するのによい案であると思います。しかし、その為に新たに手続きを設ける必要まであるかどうかは疑問です。個人的には投票などで合意形成すれば十分だと思いますが...--TEy 2006年5月11日 (木) 06:02 (UTC)[返信]
韓国語版でウィキプロジェクト 大学を立ち上げましたが、早速POV編集や(独自の愛校心に基づくもの)学校HPからの丸写し(もちろん著作権侵害)、大学によっては外部リンク集化している記事も見受けられます。立ち上げたばかりの韓国語版でもこのような状態であることを考えれば、保護が頻発している日本語版においては強制力が必要ではないかと考えています。NPOVを遵守する有効な手段があれば別ですが。--hyolee2 2006年5月11日 (木) 07:31 (UTC)[返信]
ウィキプロジェクトの趣旨と強制力とはちょっと違うように思います。強制力がひつようならプロジェクトで案を煮詰めてからWikipedia:スタイルマニュアル内にWikipedia:各年のスタイルガイドのようなものを作成したほうがよいと思います。ただここまでしないと記事が改善できないとなるとPOVな執筆者の完全排除を実施しないとならなくなってきてしまいますが...たね 2006年5月11日 (木) 07:47 (UTC)[返信]

強制力・拘束力を支持されている方に質問なんですが、大学記事の編集における「プロジェクト参加者」と「プロジェクト不参加者」の違いは何ですか?--ECLIPSE!? 2006年5月11日 (木) 06:20 (UTC)[返信]

今回の件と参加者の定義付けがどのように関連しているか判りませんが、この部分は現在まで特に議論になっていないので、他のウィキプロジェクトと同じく、「そのプロジェクトを気に掛け、何かあれば積極的に議論に参加していこうと考えている人々」であると私は思っています。参加者であろうと無かろうと疑問点に関しては対等に議論ができるとも私は考えています。ただしこの部分はWikipedia:ウィキプロジェクトに特段の定義づけがあるわけではないので、もしかしたら全ウィキプロジェクトを通して参加者欄というのはいらないのかもしれません。逆に参加者にリスティングしないと議論に参加するべきではないのかもしれません。これはWikipedia:ウィキプロジェクトで議論しなければならないことかもしれません。議論しなくても良いことかもしれません。
とりあえず私が思うところを書いてみましたが、どのように関わってくるのかがいまいち不明確です。よろしければ参加者の定義付けと今回の件がどのように関わってくるのかを教えて下さい。--秋の虹 2006年5月11日 (木) 07:51 (UTC)[返信]
「強制力」が認められると言うのを前提に議論しますが、先ず、「強制力」を持ったプロジェクトが乱立した場合、「万プロジェクトによる、万プロジェクトの闘争」になる危険性があります。「プロジェクト 大学」内だけのコップの中の嵐では済まなくなるわけですね。従って「強制力」を持ちえるプロジェクトの制定には一定の条件とハードルを用意することが望ましいと考えます。
そこでTEyさんが仰る「手続き」「投票」についての議論ですが、「強制力」というのは上の条件の他にプロジェクト参加者に一定のパワーを認めることになりますので、少なくともsysopと同様、投票は絶対条件であるように思われます。(「投票」も一つの「手続き」であるように思いますが)
次にプロジェクト参加者について問題が提起されていますが、私はプロジェクト参加者の質よりも量が問題になると思われます。例えば極端な話、参加者1人のプロジェクトが強制力を持った場合、この1人によってさまざまなルールが決定される危険性があります。「プロジェクト 大学」の場合4人(常に議論に参加できる人数はもっと少ない)ですが、これが「強制力」と言うパワーを持ちうるプロジェクトとして、意思決定に危険性の無い十分な人数であるかは確信が持てません。これに付いても条件を定めるべきではないでしょうか?
もう一つ、「強制力」と言うパワーを持ちうるプロジェクトの問題点として、意思決定過程が問題になると思います。「プロジェクト 大学」で中心的に議論に参加している秋の虹さんは、自身の利用者ページに
ノートで明確な反対が付いていない場合、多くは現状に賛成していると考えた方がよい。「ノートで指摘されていないから一部で決めたことだ、だから従わなくて良い」というのは少なくともWikipediaにおいては間違っている。(秋の虹さんの利用者ページからママ)
と記していますが、こうした態度で「強制力」を定めるのは危険ではないでしょうか?例えば秋の虹さんは、これを決定するに当たり井戸端で告知したと仰られ、確かに井戸端で「それらしき」告知をされているのですが、一読する限り「強制力を持つことに関して議論を行う」と言うようには読み取れない告知の仕方でした。(少なくとも僕にはそう読み取れませんでした。)それをとって告知した。周知させた。その上で決定した。反論は無かった。従って「現状に賛成している」と言う考え方は「強制力」を主張するプロジェクトにおいては危険極まりない態度であるように思われます。もしプロジェクトが「強制力」を持ちうるとするならば、意思決定に関しても、他のプロジェクトより厳しい制限を設ける必要があるのではないかと考えます。--Juyukichi 2006年5月11日 (木) 08:36 (UTC)[返信]

対象が特定の方向けではありませんのでインデント戻します。私自身はかなり長い時間を掛けて慎重に協議をしながら合意形成が成り立ったと考えているのですが、今までの議論に参加されてこなかった皆様から見ると「ウィキプロジェクトは強制力が無いのだからそんなものは全て無効である」「どういうときに基準への準拠を強く求めるのかを今回改めてまた議論し直すべきである」というご意見が多いようです。この件ではかなり慎重に基準を提起して、合意の形成を一つずつ積み重ねていったと考えていますので、私が発言をするとどうしても過去の経緯に触れざるを得なくなりますし、それらの時間や手間に対する思いもありますので現状にこだわることになりそうです。ですから、私はしばらくウィキブレークをいただきまして、新しい考え方をお持ちの皆様で討議をしていただくのが一番と考えるに至りました。過去の経緯や起きていた編集合戦、それにまつわる状況などを全く知らない皆様での御討議によってよりよい結果が見いだせるようにご検討下さい。長い間ありがとうございました。--秋の虹 2006年5月11日 (木) 08:55 (UTC)[返信]

えーと、まず手続き的にはふつうの投票でいい、というのは私もそう思います。ですから、ウィキプロジェクトのガイドラインなりヘルプなりに、「ウィキプロジェクトでの合意は強制力を持ちません。どうしても必要だと思われる場合は、ウィキペディア全体の投票にかけてください。プロジェクト内部での投票や合意は、参加者以外には効力が及びません。」というような意味の文言をつけくわえれば、今後の紛争を回避できるのではないか、ということです。次に、具体的には、ようするに、該当のテンプレート{{Template:ProjectUnivInfo1}}をどうするか、という話なわけですよ。強制力が必要であるという意見が一方である。その場合、
  1. 「これから」地道に、各記事において、ローカル・ルールとして採用を議論してもらい、それで記事ごとに合意が成立するまでは、合意はないものとしてあつかうか、
  2. それとも「デ・ファクト」として、これまでの記事に関しては、すでに、ローカル・ルールとして採用されたものとして扱い、今後、議論によって記事ごとに変更可能なものとするか。
というのが、選択肢としてひとつ。筋論としては前者だと思いますが、どうでしょう。これによってすでにはってあるテンプレートへの対処が違ってきます。剥がすのは面倒なので、文言を前者だと、「準拠しています」とだけ書いて、べきという文言のないものに修正。後者だと、ローカル・ルールとして準拠することになりました、的な文言への修正。
なお、大学ウィキプロジェクト内でのフォーマットやガイドラインの文言については、RFCやGDFLのように、「準拠できる」のであって「準拠すべき」ではない、というふうに修正が必要だと思います。これだと、まあ、かりにフォーマットを各記事が微調整したり変更して採用した場合、標準としてそれが投票によって成立した場合の変更という面倒が生じますが、これはしょうがないでしょう。

--Clinamen 2006年5月11日 (木) 11:29 (UTC)[返信]

「参加者」「不参加者」についての質問は、プロジェクトの合意はどこまで拘束力を持つのかという話です。
プロジェクト参加者は概ねその編集方針に賛同している(と思われる)わけなので問題ありませんが、荒らし以外の不参加者(下でコメントしているような荒らし君は論外です)にまで強制力・拘束力を持ちうるものでしょうか?tmpの「必要」という文字を見た限りでは全ての大学記事はプロジェクトの所有物・管理物であるかのようになっているので、そのへんの兼ね合いを教えてください。--ECLIPSE!? 2006年5月11日 (木) 12:22 (UTC)[返信]

これはすばらしいね。強制だ強制だいって実はだめだったとはな。指摘した皆さんありがとう。これでちゃんと事実を書けるようになるよ。やっぱ一流は一流と書くべきなんだよ。名門と書くなとかうるさかったからな。秋の虹がいなくなってようやく大学も自由だな!嬉しいよ!以上の署名の無いコメントは、IP:222.151.94.138(会話/履歴/whois)氏が[2006年5月11日 (木) 12:26(UTC)]に投稿したものです

こういう書込みを読むと「強制もやむなし」という気分にさせてくれますね。 --忠太 2006年5月11日 (木) 17:16 (UTC)[返信]


筋道さえ立てていただければ、「ウィキプロジェクト」がある程度のパワーを持つのは認めてもいいと考えます。ただ現状では、そこまでの手続きをしていないので、最初からやり直してください。と言う事です。そこだけです。僕が問題があると考えた部分に関しては前に列挙したので、そう言う問題をクリアした後ですね。一部現状がこうだからと言う理由をつけて追認することも辞さない議論が見受けられますが、そう言うのはボタン押しとしてはどうかと思います。
だから、方法としては一つは最初から手続きをやり直して頂くことですね。秋の虹さんも指摘されている通りこれには時間がかかります。「ウィキプロジェクト 大学」として逼迫した問題であるならば、たねさんが示すWikipedia:スタイルマニュアルへの移行がもう一つの方法として考えられますが、これは選択できないのでしょうか?
それから、「ウィキプロジェクト 大学」の立場から議論し主張できる方が、一方的に退場なさるのは、議論を混乱させるだけですので歓迎できません。責任をもって議論に参加し続けて欲しいと考えます。
それから、それから、今までの「ウィキプロジェクト 大学」での議論はコンセンサスを得る事が出来たモノとして尊重されてしかるべきです。これを覆すにはやはり「ウィキプロジェクト 大学」での議論を経る必要があると考えます。そこんとこ勘違いしないように。--Juyukichi 2006年5月11日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
222.151.94.138さんより、的外れな意見が出てきているので一言。ウィキプロジェクトに対して尊重は必要で、それにより結果的にある一定の強制力を伴うことと、今回のように強制を前提として記事内容すべてに対し準拠を求めるというテンプレートを各記事ノートに貼るのは違うという話です。もしこのテンプレートを使用するなら各ウィキプロジェクトへの影響を考えた場合に問題があるとの指摘を行っているのであって、「強制だ強制だいって実はだめだった」などとどう読めばそうなるのやら、、、。こういう意見が出てくるのを見るとやはり問題を感じます。こういう形で湾曲して解釈する人は出てくる話で、大きく舵を切る場合は慎重にしないと、ルールだけが一人歩きして悪用されてしまうと思うのです。その辺りを加味して指摘・反対している話ですから誤解のないように願います。--toto-tarou 2006年5月11日 (木) 13:01 (UTC)[返信]

まず始めに、大学関連の記事が(一部大学で)これほどまでにひどい荒らし行為にさらされていたということを認識できていなかった点を反省いたします。上に指摘があった大学の編集履歴や222.151.94.138さんの編集履歴を見るなどして、今は秋の虹さんのやり方にも理解を持てる気がします。ただ、「強制」を感じさせる表現などに強い違和感を持つユーザも決して少なくないのだということを理解していただきたいと願います。秋の虹さん、大変なことをお願いすることになるのは承知なのですが、どうかこれからの議論に再び参加していただいて、大学関連の記事の正常化に引き続きお力を貸していただけないでしょうか。--Hachikou 2006年5月11日 (木) 13:39 (UTC)[返信]

Juyukichiさんの言っているとおり、道筋さえ立ててもらえばなんら問題のない事だったと思います。大学記事での現状を察すれば、なんらかの強制力は必要でしょう。ただ、それがウィキプロジェクトによるものなのか、ウィキペディアとしての方針として取り決めるのかといった違いはありますが、そこら辺は協議なり投票なりで手順を踏めばよい訳なので。
ここでの議論とは別扱いにした方がよいとは思いますが(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト辺りで議論するのが妥当でしょう)、ウィキプロジェクトの参加者蘭はあれはあれであってもよいと思います。あれは常駐的に参加する人というか、ウィキプロジェクトでの議論に進んで参加しますという宣言みたいなものだと考えます。個別の議論に関しては著名がなくても議論や投票に参加するのは問題ないと思っています。--Koichi 2006年5月11日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
強制力を持たせるための手続きよりも、プロジェクトの名のもとに指針遵守を強制するような文章でテンプレを貼り付けまくっている現状の方が余程問題ありかと。秋の虹氏は自ら「原則として準拠するように求めることで合意の形成ができています」と言っていますが、つまりテンプレはプロジェクト賛同者の意見を保護するためのハッタリだと言っているようにしか取れないのですよ。
もちろん、大学関連記事が異様に荒らされているのは承知していますが、運用があまりにも安直ではないかと。--Jud 2006年5月11日 (木) 16:33 (UTC)[返信]

みなさんのご意見はわかりますが、修正してほしいというだけではなく、具体的にどうすべきかに言及していただくと助かります。別にこれまでのプロジェクトでの議論の経過を知らないから具体案は出せないということはないと思います。

とくにテンプレートを剥がすのか、文言を変えるのか、文言を変えるならどう変えるのか、強制力が必要なら、それはローカル・ルール・レベルでもたせるのか、スタイルマニュアル(大学)を新規作成するのか、などなどです。

なお、プロジェクトレベルで強制力を持たせるのは反対です。荒らし対処は、スタイルマニュアル(大学)の作成か、ローカル・ルール・レベルでの準拠の合意か、どちらかで対処できます。

秋の虹さんか、大学プロジェクト関係者がかかわるのが望ましいのですが、大学関係が、さきのIP氏のように、面倒なのはたしかなようなので、まず、wikipedia:スタイルマニュアル(大学)の草案作成に入るのと、該当テンプレートの文言修正とが、とりあえず必要だと思いますが、どうですか。大学関係のスタイルマニュアルは必要か、テンプレートは、文言の修正か、それとも剥がすべきか、それについて見解が出ないと話が進まないように思うのですが。

私の意見は、プロジェクトの規定をたたき台に大学のスタイルマニュアルの作成、当該テンプレートは、当座は準拠しています、というだけの義務の意味のない文言に修正し、ローカル・ルール案かマニュアル案かによって最終的な文言は確定、という案です。

--Clinamen 2006年5月11日 (木) 17:07 (UTC) (手違いからの復帰時に戻した位置が間違っていたので修正--Clinamen 2006年5月12日 (金) 10:09 (UTC)[返信]

私自身は今のところ意見は持ちませんが、さっそくこういうことをする輩も出現しているようなのでご参考までに。--Muyo master 2006年5月12日 (金) 05:38 (UTC)[返信]
強制力があるかどうかはともかくとして、大学関連の記事に関しての議論の場所となっているのは事実なので、尊重しなければならないのは確かです。それを無視して好き勝手やるから強制力を持たせなければならない状況になってしまっているのです。Wikipedia:ウィキプロジェクトから引用しますと、『ウィキプロジェクトとは、特定の分野の項目について、それがウィキペディアでどのようなフォーマット(書式)で整形され、どのように説明されるとよいかなどを検討するためのものです。』とあり、ウィキプロジェクトはフォーマット統一のための雛形作成がメインで、そのフォーマットを作る段階でどのような書き方がよいのかが議論されています。ウィキペディアで強制力があるのはGFDL(と法律)と基本的な方針だけであると思うのですが。議論の場が提供されていてかつ誰でも参加できるのですから、ここでの意見の集約は非常に有効であり、議論の場への誘導を無視して勝手にやればそれは荒らし行為にほかなりません。例示のTemplateは議論への誘導にとどめ、(ウィキプロジェクト 大学での)議論の拒否・停止を無視しての独自の編集はコミュニティーの秩序を乱すものとして投稿ブロック依頼に提出するというのが今回の落としどころのような気がします。(もちろんブロック依頼する前に議論場所の提示をして議論に積極的に参加してもらえるように誘導するのが大切ですが。)たね 2006年5月12日 (金) 06:03 (UTC)[返信]
既に現時点ではまだウィキプロジェクトに強制力はないという点においては多数の意見で出ているので、テンプレートを貼り付けているのは問題だという認識はあると思います。それを踏まえて、強制力をもたせるにはという次の段階に話が進んでいるのだと思います。
では、今貼っているテンプレートを剥がしてまわるかという話になります。議論が長引いている状態なので一旦剥がしてもよいかとも思いますが、Muyo masterさん指摘のような方がいると考えるとハッタリでも残しておいたまま話をすすめてもよいかなという気もします。--Koichi 2006年5月12日 (金) 06:23 (UTC)[返信]
わざわざ剥がさなくてもテンプレートの内容を書き換えて、「大学の記事に関してのフォーマットがWikipedia:ウィキプロジェクト 大学にあるのでご覧下さい。また、大学全体に関する議論を同プロジェクトのノートで行っておりますので議論の参加をお願いします。」とでもしておけばよいのでは?たね 2006年5月12日 (金) 07:41 (UTC)[返信]
たねさんはウィキプロジェクトでの合意はそのプロジェクト参加者以外にとっても、強制力はないが尊重されるべきもので、そこでの議論の無視はペナルティの提議の理由になる、とお考えなのでしょうか。わたしはウィキプロジェクトでの合意は参加者の行動の指針にすぎない、という理解でした。したがって、私は、ウィキプロジェクトでの合意を何らかの議論における根拠として持ち出すためには、ただそれだけでは不足で、該当記事において、ローカル・ルールなりで合意を形成をする必要がある、と考えていました。(もちろん、同じ内容を、プロジェクトでの合意であることによるのではなく、内容の合理性を理由に持ち出すなら、話は別です。)スタイルマニュアルの作成についてはどうお考えでしょうか。--Clinamen 2006年5月12日 (金) 10:09 (UTC)[返信]
プロジェクトはその分野の雛形を作成するところです。その中で議論もされるでしょう。プロジェクトに参加していても不参加でもその分野の書き方を議論する場所としては一番最適であると思います。記事ごとに一件づつローカルルールを作っていくのでは非常に非効率です。それを改善するためにまとめられるルールは一まとめにし、議論を集約したほうが効率も上がりますし議論のしやすい環境になります。(もちろんその記事固有の事象についてはその記事のノートで議論が行われると思いますが。)単純にプロジェクトの方針を無視したからブロックされるという理由ではなく、議論場をお知らせしてそこで話し合いをしてコンセンサスをはかって欲しいのに、それを無視して協調性の取れない編集を続けるならブロックの理由になりえると考えます。あと、スタイルマニュアルについては全部の記事を通してどのような書き方をすればwikipedia全体が統一して書式になるかを規定しているものであり、強制的な義務が生じるものではないが執筆の際にはよく読んで書式をあわせる努力をすべき内容であると思います。(いずれにせよ、どうしてウィキプロジェクト大学が強制力があるかどうか問題になるまで話が進んでしまったかを考えたほうがよいでしょう。利用者全員が議論をして内容を煮詰めてから執筆できていればこうはならなかったと思うのですが)たね 2006年5月12日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

名門大学を名門と書いたらいままで削除されていた。強制的に守らせる基準があるからだという。だから今まで黙っていたんだが基準は強制ではないのでしょ?それなら名門大学や一流大学をそのように記すべきでしょう。私観だとか公平ではないだと名門を名門と書くのがだめだなんてこのホームページのどこにも書いていないよ。ハーバード大学を見てみなさい。ちゃんと名門と書いてある。今までの規則がうそだというなら日本の大学だけ書いちゃいけないなんておかしいでしょう。名門大学を名門と書くのが悪いということが理解できない。規則じゃないのでしょ。とりあえず今はそのままにしておくからこのホームページ全体のルールさえ守れば自由に書いてよいのだと決めてね。よろしく。以上の署名の無いコメントは、IP:59.87.52.187(会話/履歴/whois)氏が[2006年5月12日 (金) 15:00 (JST)]に投稿したものです

ハーバード大学については表現を修正しました。なお、このような表現は日本のみならず外国の大学についても書くべきではありません。--hyolee2 2006年5月12日 (金) 06:32 (UTC)[返信]

状況を鑑みるに、あの程度の表現は許容範囲だと思う。ついでに大学関連全記事を半保護にしちゃえば~、と思ったりもする。--Nekosuki600 2006年5月12日 (金) 08:17 (UTC)[返信]

(指示語の「あの程度の表現」が何を示しているかわかりづらいというクレームがあったので解説。この場合の「あの程度の表現」は、テンプレートの表現を意味する。--Nekosuki600 2006年5月12日 (金) 17:05 (UTC)[返信]
この機会に日本の大学の記事とその大学の英語版での記事を見比べてみました。英語版でははっきりとその大学が日本の中でどういう位置づけにあるか大抵書かれていました。東京の某私立大学A大学とB大学は日本を代表するふたつの私立大学のひとつであるとか。こういうことさえも日本語版は書かれていないのですね。日本語版の記事を読んでもその大学がどういう大学かわからず英語版の方が詳しいというのはどうかと思います。常に英語版の記述が正しいわけではないとも思いますが。--211.123.254.30 2006年5月12日 (金) 10:52 (UTC)[返信]
英語版はどのようになっているかまでは知りませんが、日本語版の場合A大学は一流、B大学は三流でダメだなど何を基準にしているかわからない記述が多く編集合戦になってしまうため「書かれていない」のではなく「書くことができなくなってしまった」と思うのですが。たね 2006年5月12日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
いっそのこと「自分のことは書かない」というガイドラインに沿って「自分の出身大学のことは書かない」ということで合意を成立させられないもんか(笑い話のようだが、一理くらいはあるよーな、あるよーな)。--Nekosuki600 2006年5月12日 (金) 17:05 (UTC)[返信]

あくまで指針であり強制されないという事なので、ノートで統合の合意がない大学スポーツに関する内容と大学の歌を復活させました。--219.104.112.30 2006年5月12日 (金) 15:17 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学/大学歌記事独立基準という議論場があるようですが。強制力がないから何でもやってよいというのは違うでしょ。こういうことをするからますます「強制」「強制」となってしまうのです。行動を起こす前にゆっくり議論をしてもよいのではないでしょうか。たね 2006年5月12日 (金) 15:26 (UTC)[返信]
それは議論をするための指針で困ったときに初めて頼る場所ですよね。その前にノートで議論してから統合するのが当たり前でしょう。ノートで議論もせずに指針が強制できるのだっていう事で統合されていたのですから戻すのが当然です。もちろんちゃんとノートで議論されて統合する事になったものは戻していませんよ。--219.104.112.30 2006年5月12日 (金) 15:45 (UTC)[返信]
とりあえず、Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学およびそのサブページの規定そのものやそれらの運用に関する議論は、井戸端ではなくそれぞれのノートですることにしましょう。ここで大学プロジェクトの個別の規定にまで立ち入るのは議論を拡散させてしまうだけです。
個々の議論や指針がどの程度尊重されるべきかという点に関しては、それが、スタイルマニュアルであるとかウィキプロジェクトの取り決めであるとか言う、形式的な問題はさして重要ではないと思います。重要なのはその規定がWikipediaの発展に資するものであるかどうかという点です。それを判断する一つの手がかりとして、その規定がどのような根拠の元にその指針が制定されたかということや、どのような議論が行われたかという中身が重要なのだと思います。GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典を作るという大前提さえ踏み外さなければ、どのような取り決めにも異論をはさむ余地は常に有りますが、その取り決めが行われた背景となる議論を十分に考慮し、反駁するのでないかぎりは相手にされなくても文句は言えないでしょう。過去の議論を無視して、十分な説明無しにすでにある指針等にそぐわない行動をとるならば、その人は「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」を作成するコミュニティのメンバーとして値しない人物として扱われるでしょう。もちろん、議論が十分でないと思ったり、取り決めが不合理なものであると感じた場合には積極的にその取り決めの改定を議論すべきです。また、取り決めが十分な議論無しに定められた、問題のある内容のものであると人々を納得させるだけの根拠を持っているならば、あえて問題のある指針に沿って行動する必要はないと思いますが、その際にも指針に沿っていない行動であるということについて指摘されたならば、きちんと説明する容易が必要だと思います。
Wikipedia:ウィキプロジェクトによれば、「ウィキプロジェクトとは、特定の分野の項目について、それがウィキペディアでどのようなフォーマット(書式)で整形され、どのように説明されるとよいかなどを検討するためのもの」です。個々のウィキプロジェクトにはその分野に詳しいか少なくともその分野の事象を百科事典の記事とすることに関心を持っている人間が集まっていると考えることが出来ます。プロジェクトの指針は、その対象とする分野に包括的に適用されることによってはじめて効果を発揮するものであると考えます。個別にローカルルールとして採用の可否を決めるのはナンセンスです。
また、例外はあるかも知れませんが、基本的にはウィキプロジェクトの指針は「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」を実現する助けとなるように作られているはずです。「ウィキプロジェクトで提案されたものは強制力はもちませんが、その分野の指針となります。」とあって、ここでの「強制力」という言葉が示すものについて議論の余地はあると思いますが、少なくとも無視していいものなどではないはずです。プロジェクトで決定する指針というのは、その分野に属する「記事」が従うべき基準であって、個々人の「行動」を規定するものではないでしょう。特定の分野にある「記事」を、過去の議論を無視してその分野のプロジェクトの指針から外れる形に編集するのは、「強制力」が有るか無いかという以前の問題としてウィキペディアンとしての良識が問われる問題だと思います。あえて、指針を無視することは言うまでも無く個人の自由ですが、その結果に対してコミュニティがどう判断するかはまた別の問題です。もちろん、ウィキプロジェクトの指針に反した行動が、「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」をつくる上で有用な行動であったと判断される余地も常に残されていますが、よく整備されたウィキプロジェクトに関してはその可能性は低いとも思います。
ある記事がウィキプロジェクトの方針によって規定された何らかの制限を受けるものであるかどうかというのは、その記事を編集する上で知っていたほうが良い情報です。この議論の発端で問題になったテンプレートも、本来の趣旨としては、その記事が大学プロジェクトの指針に沿って編集されたものであることを編集者に伝え、過去の議論を参照するように求めるものであったのだと思います。ただ、分野の特殊性から、問題行動を起こす執筆者に無駄に付け入る隙を与えたくないという観点から多少強制の度合いが強いものになってしまったのだと思います。その点を含めテンプレートの改善については現在Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学#7.1 文言の訂正に関するご提案で議論が進行中です。yhr 2006年5月12日 (金) 16:49 (UTC)[返信]

うーん、ということは道義的な尊重義務という形で、やっぱりある種の強制力を認める、ということでしょう。それを強制力がない、と表現してしまったら、説得力・効力がなくなるのは、むしろ当然です。何らかの義務を発生させることが強制力なんですから、尊重義務があるのなら強制力はあるのでしょう。従うべき、と仰っているのか、従わなくていいと仰っているのか、はなはだ曖昧です。いかにも雰囲気・空気・文脈次第のような日本的なグレー・ゾーンな話で、むしろそういう尊重義務を求めながら強制力はない、と宣言することでどういう違いが実質的に生まれるのか、またそれはどういう必要性があるのか問いたいと思います。

厳密に強制力のない指針なら、こういう指針があるぞと誰かが反論しても、考慮した、と言われればそれで終了のはずです。それ以上踏み込むのはもう強制力の範疇でしょう。指針というのは準拠できる、だけなのですから。

もっと実践的な問題として、どこか別の場所で、別の誰かがつくった合意で、しかも、「強制力がない」と曲がりなりにも宣言されているものの効果・説得力と、現状の「強制力がある」という言い方ではぜんぜん効果が違うでしょう。

で、たねさん、スタイルマニュアル云々という質問は、その位置付けについての質問ではありません。スタイルマニュアル(大学)をあらたにつくることは必要か、それとも、現状の「強制力のない」文書への「道徳的尊重義務の喚起」で十分だと思うか、という問いでした。

また、たとえペナルティのない形でやっぱりそういうある種の強制力があるのなら、つまり分野別の議論の特権的な場として、そういう準公的性格をプロジェクトに認めるならば、依然として、プロジェクト間の管轄や方針の対立の問題、プロジェクトの設立のハードルの問題は残るでしょう。現状では、有志が思い立っていきなり作れるものという位置付けで、これはやっぱり問題なのではありませんか。--Clinamen 2006年5月13日 (土) 07:25 (UTC)[返信]


初めまして。今日拝見しました。議論が拡散しているのですが、今回の論点というのは皆さんでウィキプロジェクトのとらえ方が違うということに尽きるのではないでしょうか。こういうときは英語版に帰るのがよいと思ったので英語版を見てみました。を見てみると大まかに以下のようなことが書いてあります。

  1. ウィキプロジェクトは各分野の記述方法に関して調整と組織化をする場所である
  2. ウィキプロジェクトは各分野の概念や構造、スタイルを決める場所である
  3. ウィキプロジェクトは複数の意見を調整をする場所である

日本語のガイドラインに書いてある「ウィキプロジェクトで提案されたものは強制力はもちませんが、その分野の指針となります。」というのは英語版にはどこにも出てきていません。そこで追加された時期を確認しました。2006年1月31日 (火) 01:00の版で。Ligarさんによって追加されています。この大きな修正はどのような議論で行われたのかをWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトで確認しました。しかし、どこにも議論は載っていません。そもそもこの文章自体が何も議論されず、どこでも告知されることなくLigarさんの独断で載せられただけなのです。この内容に正当性があるかどうかは極めて難しい判断を必要とするでしょう。

ところで今回問題となっているWikipedia:ウィキプロジェクト 大学はいつ始まったのでしょうか。それは履歴によると2005年10月22日 (土) 04:20です。そのあと告知をいろいろなところでしたのを確認しました。秋の虹さんの確定したという宣言はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学の記録によれば2005年12月30日 (金) 17:20 (UTC)になっているのです。[返信]

こうした経緯を見ますと秋の虹さんをはじめ、プロジェクト大学が方針への基本的な準拠を要請したあとにそれはだめであるという内容が大本に書かれてしまったのです。それも何も議論がないままで。

今回の議論をはじめた人はこの事実を確認していたのでしょうか。私は確認していないと思います。

私は思うのです。まずLigarさんによって追加された内容に正当性があるのかどうかを検討するべきではないのかと。皆さんどう思いますか?--HeroPop 2006年5月13日 (土) 07:36 (UTC)[返信]

僕も上で書き込んだ後で確認してびっくりしたんですけど、たしかにおっしゃるとおりで、ほどんど議論もなしに付け加えられているんですよね。LigarさんはすでにWikpediaでは活動をしておられないようなので、詳細な経緯を確認することは出来ませんが「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」を作るのに資するかどうかが議論されていない、従う根拠に乏しい規定であると思われます。この規定自体がウィキプロジェクトの目的にそぐわないものであるように思われますので、削除してしまうのがよいと思います。yhr 2006年5月13日 (土) 08:11 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学にて指摘したものとして一言。テンプレートの提案に対して「ウィキプロジェクト自体の位置付けを変更提案するか、もしくは文面を変更するべきと感じます。」として「ウィキプロジェクト」の変更か「テンプレートの文面」の変更をするべきと指摘をしている話です。
また、もし削除されるのなら、悪用される可能性を取り除いてからにしてください。ここの議論にこの分野は必要として意見が見られますが、全体として考えたときに言われている文面の削除は単純にすべきではありません。枠組みを作ってからにしてください。--toto-tarou 2006年5月13日 (土) 11:29 (UTC)[返信]
ごめんなさい。私は頭が悪いのであなたのように難しい事をいわれると意味が判らなくなります。議論がないのに追加されてしまった文章が根拠になっているのでまずそこが本当に正しいのかを検討しようといいました。それに対する返答でしょうか?--HeroPop 2006年5月13日 (土) 11:53 (UTC)[返信]
ひょっとして、ろくに議論もしないまま勝手に決められた指針がウィキプロジェクトの合意事項であるということを理由に強制されるような自体を考えているのでしょうか。もしそうであればそれは杞憂であると考えます。今回の議論でも明らかになったように「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」を作る上で有用かどうかが議論されていないような指針が乱用されるような自体があったならば、議論が行われていないということが指摘されます。そして、「GFDLの元に提供されるNPOVな百科事典」を作るのに役立つ指針であるかどうかが再検討され、もしコミュニティの判断として問題があるとされたならば改善されるか排除されることになるのです。yhr 2006年5月14日 (日) 03:43 (UTC)[返信]
とりあえず、質問で終わっているのもなんなので、答えておきます。
HeroPopさんの疑問についてですが、上記の1点目については「事実を確認してから議論されたのか」との問いへ向けたものです。経緯も重要でしょうが、現時点にて問題を含んでいる(現状における矛盾、テンプレート内容とその作業内容)ためにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学では指摘をしたことを再提示しただけです。別段言われている内容を否定も肯定もしていません。
yhrさんの言われている内容はウィキプロジェクト自体が活発であれば、改善されるか排除されると思います。もしくはその場が議論をするところとなるでしょう。ただ、ウィキプロジェクトに強制力があるとしたとき、そのこと自体が一人歩きするように思います。また、強制力を伴わないなら問題は起こらないでしょうが、下位ウィキプロジェクトにて決めたことがウィキプロジェクト自体のルールとすると、序列もなにもあったものではないかと、、、。
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトにて検討される方向となったようですから、いい形で改善していただけたらいいかと思います。--toto-tarou 2006年5月15日 (月) 15:08 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトにここでの議論を受けて文言の修正を提起しました。関心ある方はそちらへ移動して議論ください。--Clinamen 2006年5月14日 (日) 14:50 (UTC)[返信]