Wikipedia:コメント依頼/yatobi

利用者:yatobi(夜飛)氏の言動についてコメントを依頼します。

コメント依頼で意見を募ることについてはについてはyatobi氏本人が「どうぞご随意に」との同意しています。

これまでの経緯[編集]

ノート:戦死における利用者:yatobi氏の言動が個人攻撃に該当する疑い。 さらに議論の原因を相手の能力不足と断定し対話に応じない姿勢。 また、主題ではないものの、ノートの議論そのものにも参加していただければ感謝します。

個人攻撃の疑いがある文章を一部抜粋[編集]

「コミュニケーションだとか文法ないし言葉の用法レベルで無知・無理解」「百科事典記事への参加は難しい」「詭弁にしかなりえません」「その程度の論説」「成長することはありえません」「その程度の読解力」「事物への理解があまりにお粗末」「その程度で記事に関わろうという姿勢自体が論外」「百科事典と国語辞典の要熟読(ついでに国語の教科書も)」「余りに独我論的というか認識レベルで相容れない」「もはやお話にもなりません」他

対話に対する姿勢[編集]

  • 「Tabunokiさんの行動に変化がなければ、それに起因して発生した小生の態度も変化することはあり得ない」と対話姿勢についての対話を拒否中。
  • 相手の能力が不足しているという批判を補強するために戦死についての議論を離れ他記事の編集を何度も引用。
  • 自らの編集合戦が原因で保護措置がとられた事への責任については一切触れず
  • コメント依頼の作成の提案から実際の作成まで10日の期間を置いたものの、yatobi氏姿勢に変化はなく、本人も変化しないと宣言。

※上記問題提起は利用者:Tabunoki会話 / 投稿記録 / 記録氏による、2008年5月6日 (火)16:05 までの複数回の編集によるもの。--Nekosuki600 2008年5月6日 (火) 17:47 (UTC)[返信]

補足説明[編集]

私は単純に能力批判された反発としてコメント依頼をしたわけではありません。能力批判を繰り返すことで議論を放棄しようという姿勢が許容できなかったからです。私としてはコメント依頼する事を警告することで能力批判をやめてもらえればそれで終わった話だったのです。おそらくはkawanekoさんも同じでしょう。しかしyatobi氏は警告を受け入れなかった。私には純粋に能力の面から私を批判してるのではないじゃないかという懸念もあります。yatobi氏が能力不足の根拠としてあげたクラスター爆弾毒ガス戦病死対人地雷禁止条約そして戦死における英霊散華。これらを見てると軍事とか安全保障についての見解の違いが根底にあって、yatobi氏はそれが許容できないのではないかと思えてきます(もちろん合意が形成できていないのですから何らかの相違があって当然でしょう)。もちろんそれは単に私の思い違いでyatobi氏にそのつもりが全く無いのかもしれません。しかし、もし相手の能力批判を繰り返すことで議論を封殺することが許されるとしたらとても危険なことでコミュニティーを疲弊させる原因になるのではないかと考えるのです。議論ではネガティブキャンペーンを武器に泥仕合を始めて主題から目を逸らせる手法がしばしば使われますから--Tabunoki 2008年5月17日 (土) 09:37 (UTC)[返信]

なお私は戦死の議論が正常に行われる限り、yatobi氏に対して何らかの処分を求めません。例えばどなたかが私に対して求めると息巻いているブロック依頼などをするつもりは無いということです。戦死が私に不利な形で決着したとしてもそれはかわりません--Tabunoki 2008年5月18日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

被依頼者によるコメント[編集]

Tabunokiさんの視点では、小生の一連の発言は「人格攻撃」(氏の表現による)だということですが、ノート:戦死での呼び掛けからして観点が意味不明化しており、加えて2007年11月に指摘した問題行動が2008年にも別の利用者から指摘を受けるなど改善されておらず、対話を通してTabunokiさんが戦死の項を編集する気満々で、そしてそれは多分Tabunokiさんが混乱した記述を行い、それに対する査読と修正を強いられることになり二度手間(しかもそのうえで残す理由が見つからない場合も)にもなりかねないことも危惧されたため、強く反対したことがノート:戦死での一連のやり取りであります。

これが単に事物を理解しながらも不注意さから誤字や脱字を希に含むというならまだしも、文章の大意において何を述べたいのかすら判読不能で、そうでなかったとしても私論や他記述と重複する内容を書き綴ったり、断片的な雑記を思いつきで書かれては、たまったものではありません。

本コメント依頼が提出されたことに関しては、Tabunokiさんが小生の発言を個人攻撃だとみなし続けるのであれば好きに行っていただいて構わない(というか一々とめだてしない)旨を伝えた訳ですが、そのコメント依頼内容の記述にも幾つか(一々抜粋して批判するのもナニなのでしないけど)「ナンとも言い難い」部分があり、そのような態度では先が思いやられる気がします。--夜飛/ 2008年5月8日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

wikipediaにおいて私より知識と経験があり先輩にあたる貴方が私より上位者であるという認識を持つのは自然な事なのだろうとは思います。その自負が他者の編集を批評したり、方法を指導したりする動機付けになっているじゃないかと思いますのであながち悪いことでもないのでしょう。こういう上下関係の利用した知識の伝承は社会でよく見られる事です(特に軍隊や体育会系部活などでは新入者の能力を批判して肥大しがちな自意識を縮小させるところから始めますね)。そもそも人間はそうするべく進化して来たのであって原始社会でも同様に年長者から年少者、頭目から配下への情報移転が行われ続けてきたのでしょう。
貴方と私が上司と部下の関係なら四の五をいわさず権威を振りかざせばよいだけです。しかし、wikipediaではそれができないので論理だって説明するしかない。しかし、相手が論理を理解する能力がなければそれも難しい(多分、私の能力がないという主張はそれを意味してるんだと思います)。けど待ってください、そもそも他人に対して能力の過不足を指摘して自分の優位を主張する手法はまず警戒心や反発を呼び起こすまずい方法ではないでしょうか?しかも人はそれぞれプライドを持ってる分野がありますからそれに触れると感情的にこじれること請け合いです。だいたい能力を客観視することは難しいものです。特に日本語能力というのは端にも棒にも掛からない小説家志望者が絶えないように客観的評価を下すのは難しいのです。私にしたってWAIS-Rの言語性知能や大学入試程度の現代文なら同年代の集団の平均値より有意に高かったのですが、見る人や視点によって評価がぜんぜん違うのは見てと通り。そして個人の能力を算定するうえで過去の編集は出典となりません(あなたが言う所の「また出典を提示したと称して、その出典を独自に解釈した内容を書くのもやめましょう」かな?)。
私としては相手に能力不足を認めさせようという事に労力を費やす事はつくづくお互いのためにならないと思うのです。私も感情的になってしまってましたが、本題に集中してほしいという願いは今も変わりません--Tabunoki 2008年5月11日 (日) 09:50 (UTC)[返信]
いやいやいや、その「ごっそりナニかが脱落しちゃった」視点に基づく論説、閉口するという以前に驚嘆の余りあいた口がふさがりません(漏電中)。で…冗談はさておきなんですが、どうも小生が今まで述べたことはTabunokiさんの中では「ヒエラルキーに基づく圧力」という事に成っちゃっているということがよく判りました。それもわざわざ自分にのみ向けられたことを一般論にすり替えての自己弁護、ご苦労様です。まあ、そのような論理展開は一般論からすれば「詭弁」といいますけど。
いずれにしても言葉というのは他者に何かを伝えてナンボ(=情報伝達手段)であり、それは表面的で学習によって習得可能なレトリカルとかボギャブラリの多さとか表記におけるテクニックだとかということも一応は意味を持ちうる要素ながらも、最終的には当人の人間性というか主体性がその全体に影響する訳で、その意味においてTabunokiさんの文章ときた日には「ミニマムスケールの天上天下唯我独尊が日本語レキシコンの衣をかぶって百科事典の上をのたうっている」とまでは申しませんが、記事としては読者に事物を説明するという視点にあらず自身の知る情報やそれについて連想する事柄をてれっと書き綴った内容で、ノートページなど他利用者との対話では自分の述べたいことをつらつらと書き綴り、相手の述べたことに対応できないとすぐにそっぽを向いて関係ないところをほじりだすなど、おおよそ対話以前の姿勢しか見えません。
ところで今日気づいたのですが、戦病死初版を書いたのもTabunokiさんだったんですね…字引程度の内容にもかかわらず余りにも全体がぐちゃっとした体裁だったので、辛抱たまらず小生が全面的に手を入れてしまった訳ですが、その頃から上で述べられている部分においても、果たしてTabunokiさんは他者に何かを伝えるという行為について、自身を内証しながら警戒心をもって文章作成にあたっているかを甚だ疑問視せざるを得ません。--夜飛/ 2008年5月11日 (日) 11:18 (UTC)[返信]

Tabunokiさんへの対応[編集]

かねてよりTabunokiさんの記事に対する姿勢とその能力的な部分には、当人に対して直接的に疑問視できる部分が多々見出されることや、そういう態度をとり続ける限りはWikipediaへの参加には無理があるのではないかとすることを折々申し上げていたのですが…氏が2008年5月22日に自身の会話ページに書き綴ったところを読む限り、Tabunokiさんは現状においてWikipediaに参加することに無理があるような印象を受けました。

印象としては、氏は自身の主観で重要視する事柄を事物の説明を差し置いて書き綴りたいだけであり、Wikipediaが百科事典として事物の説明をする記事群を構築するプロジェクトだという視点ではなく、自身の思い描くところを連想するままに書き綴りたいだけではないのかと危惧します。また、それらは記事標題に示された事物の説明を逸脱したとしても掲載されるべきだという視点すら感じられ、果たしてTabunokiさんが目指すのは彼のためのコラムないし論点の定まらない徒然文と何が違うのか頭を抱えるところです。

このため「Wikipediaは百科事典を編纂するプロジェクトだ」ということへの無理解と主観で物事を解そうとする子供っぽさ(ただしTabunokiさんの実年齢を論じるつもりもありませんが)から、「現時点ではTabunokiさんはWikipediaで共同作業により百科事典の記事を作り上げる能力ないし意思がない」とみなし(ただし成長は期待する方向で)長期ではあるものの一定期間のブロックを提案(ブロック依頼の提出)をしたいと考えます。--夜飛/ 2008年5月22日 (木) 11:26 (UTC)[返信]

私が重視する安全保障や軍事は事実や実態をなにより重視する分野です。いわば一種の社会科学であり政治的なものは思想的なものは右であれ左であれ超国家主義であれ地球市民主義であれ積極的に排除されます。そういう意味では実にwikipediaに向いた分野だと思っております。軍事面から見た情報を記載することは一側面からみた事実を追加することに過ぎず、wikipediaを私とするものではありません。少なくともyatobi氏と係争した記事は軍事に関連深い項目ばかりであり、記述しなければ逆に中立的な観点にかける片手落ちの記事になってしまいます。(もちろん軍の存在自体が政治的な問題だと思ってる人たちがいる事は知っていますが、それは一部であり、通説から外れるものです)なお、エッセイ的になることを防ぐために存在するwikipediaの装置(出典の重視や議論、両論併記のような政治的妥協)といったには支持を表明しています。それで過不足があるというのはいささかyatobi氏の主観に寄りすぎているのではないでしょうか。--Tabunoki 2008年5月23日 (金) 09:51 (UTC)[返信]
あとは、コミュニティの審議を待てばいいのではないでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月23日 (金) 09:47 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tabunokiを提出させていただきました。--夜飛/ 2008年5月23日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
とりあえずなんだ。依頼者票を投じておいてもらえないかね。賛同票を投じようと思って行ったのだが、依頼者票がなかったので見合わせた。いや、必ず依頼者が同意でなければならんなんてことは言いませんが。--Nekosuki600 2008年5月23日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
すみません、依頼を出したところで(Tabunokiさんの過去の発言などを読み直してみたりもして)グッタリ感が高くなり過ぎ依頼者票をつけ忘れました。取り急ぎつけておきます--夜飛/ 2008年5月23日 (金) 13:37 (UTC)[返信]

議論[編集]

◆正直、精査はしていないのだが、とりあえずの感想。夜飛さんは丁寧に説明&フォローをしてただけではないんだろうか。まあ、度重なる説明&フォローてのはたしかにうざいかしれないんだが、度重なる説明&フォローをされる方の問題のが大きいわけで。文句言う前に自分が間違っていなかったかどうかを考えましょうよとか思いました。--Nekosuki600 2008年5月6日 (火) 17:51 (UTC)[返信]

正しい批判をしてくれる者は得がたい財産だと思います。同意や傍観を期待するだけでは人は判断を誤り成長もできないでしょう。ただし、基礎的な能力・可能性の否定は相手を萎縮させるだけではないのかと思うのです。YATOBI氏が編集内容の要約に細かい理由を記載している点は評価しています。--Tabunoki 2008年5月6日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
改めてちょっと見てみたんですが。
率直な感想として、夜飛さんの言っていることは正しく、おれも現状のTabunokiさんは百科事典の執筆というプロジェクトに参加するのは無理なのじゃないかと思いました。あなたがどう受け取るかは存じませんが、これは単なる事実の指摘です。
あなたの主張をある程度読んでみましたが、理解が足らないところが多いのみならず、誤字脱字誤変換も目立ちます。ある程度は「どのように誤解しているのか」「どのように理解が浅いのか」「いかなる言葉の誤変換なのか」などは想像がつきますし理解不能とまでは言いません。しかし、そもそも誤解・理解不足・誤字脱字誤変換が氾濫してしまうようでは参加していただきたくないというのも事実なんでございます。
どう言えばいいんだかわからないんですが。「基礎的な能力・可能性の否定は相手を萎縮させるだけではないのかと思うのです」とのことですけど、わたしはあなたにはおおいに萎縮していただきたいと思っています。少なくとも、へたに励ましたりした結果これ以上Wikipediaでがんばられたらかなわない、と思ってます。Wikipediaもそうですが、会社とかもそうなんですが、学校とは違って「とにかくがんばれ」と言ってもらえる世界じゃないし、がんばれば評価してもらえるわけでもないんですよ。--Nekosuki600 2008年5月11日 (日) 09:53 (UTC)[返信]
読み返して見れば、この程度の諍いは結構日常的にあるもので当事者間で解決するべきものだったかもしれないと思い直しています。正直に言えばyatobi氏を管理者のような一定の権限と職責がある人だと勘違いをしていたのですが対等な立場ならば(彼は能力面からそう思っていないそうですが)お互いにすべきことを粛々とすればよのかもしれません。--Tabunoki 2008年5月6日 (火) 19:01 (UTC)[返信]

(コメント)ノートを拝見させていただきましたが個人攻撃というほどのものかは疑問ですな。夜飛さんの言い方もチョイきついですが、言っていることは間違ってないと思いますよ。もし、自己の主張を通されたいのであれば記事に対してのコメント依頼を最初に行い第三者の意見も踏まえて合意形成を図るべきではなかろうか?その上で他の方が夜飛さんの言動を依頼者への個人攻撃だと捕らえるのであればそこで初めてここにコメント依頼を立てるべきでしょうし、依頼者の処理は拙速と言わざるを得ない。元のノートの議論の論点がとんでもない方向へ逸脱してここに来ている印象を拭えないので、まずは依頼者はノートの議論へのコメント依頼を行うべきでしょう。ここでの話はそれからですね。--GF 2008年5月7日 (水) 15:22 (UTC)[返信]

戦死についての議論にも参加いただきありがとうございます。私がコメント依頼したのは「議論中に相手の能力を否定したり、それを補強するためにほか記事の編集を持ち出す手法をやめてもらいという点」につきますす。指摘の内容そのものついては参考にさせていただいていますが脱線になっていはいけないと思うのです。
たとえばGFさんがこんなことを言われたらどうでしょう
  1. GF氏はノート:特別攻撃隊に見られるように自らの印象に基づいた論説を記事に書く癖があり、独自研究を否定するwikpediaにそぐわない
  2. GF氏は自身が参加するノート:特別攻撃隊において「特攻隊において正規の将校が少ないことを挙げて軍内の身内びいきだとするのは間違いであり、恣意的な誘導」だとだという合意が出てるにもかかわらず特攻兵器において同様の言説を嗜めるどころか補強している特攻兵器についての編集。これは誠実さに欠ける行為だ。
おそらく「事の真偽以前に、関係ない記事を持ち出すのは止めて欲しい」と思うのではないでしょうか?もちろん私はこういうやり方は嫌いです。特別攻撃隊を例に挙げたのは同じ場所で議論したからという理由だけであって私個人として不服があるわけではありません。GF氏は議論に納得するものがあれば進んで自分の記述を削除するなど誠意を感じます--Tabunoki 2008年5月10日 (土) 08:47 (UTC)[返信]
2番目に関してはユーザーの方針が出たのは私が記述した後じゃないですかね?私としては真実として妥当な意見であれば許容しますし、逆に理不尽な行動についてはトコトン噛み付いているつもりです(ノート:武蔵 (戦艦)#情報の信憑性利用者‐会話:紅美鈴#武蔵 (戦艦)の編集についてWikipedia:コメント依頼/紅美鈴)。私以外の人間が自分と違う考えを持つのは当然だと思いますし、少なくとも納得できる理由であればそれを受け入れる度量をもつべきだと心がけています。独自論説を書く傾向があるのは一時期そうでしたねw最近は自粛しているつもりですが、たまに顔を覗かせることがあるかもしれません。人間自分の好きなことにケチをつけられたらなかなか感情を制御しにくくなるものだ、と、或る本で読んだことがあります。自分は議論に参加するときは、とりあえず自分の書いた文章を3回読み直すことにしています。勿論時間を空けて、です。ウィキに参加し始めてから始めたのですが、意外と勢いに乗って書いてしまった文章は後で見ると恥ずかしかったり、失敗したと後悔することが多いことに気づきました。だから自分は昔書いた記事にそういうことが無いか、たまに読み返すようにしています。指摘されたことに関しては有難いご意見なので、余程理不尽でない限り一旦承ってからお返事することに決めています。今回もお話をいただいて、痛いところを突かれたなぁと恥ずかしながら苦笑いしてしまったのですが、過去の失敗は過去の失敗、何回もそれをいつまでも繰り返して指摘されるのは流石にきついですが、それを反省して今後に活かせるようにできればと思っています。逆に指摘されるのは、正当な理由である限りそれに対してトコトン議論していくのが自分のスタイルですので、それによって記事がいいものになっていければそれでいいのではないか?とも思っています。
今回のTabunokiさんとYatobiさんの件についても、感情的にならずもう少し冷静に議論していただけたらな、と自分のの失敗を踏まえた上で思ったのでお節介とは思いつつも介入させていただいたわけです。今回の議論の件ですが例えばこういうのはどうでしょう?現状も尊重しつつ自分の意見をいれていく方向で加筆修正の提案をなされてはいかがでしょう?今回の議論は、Tabunokiさんが、現状の記事に異を唱えられたことに対してYatobiさんが現状維持を唱えられたことに端を発していると認識していますが、間違いないですか?
Tabunokiさんとしては戦死の関連項目リンクを戦死の記事内での説明の扱いとしたい、Yatobiさんはすべて関連項目からのリンクでよい、という意見ですよね?で、あるならば、記事内に戦死の捉え方について簡潔な説明とともに記述し、そこからリンクで該当記事へ飛ばす形を妥協点として提案すればよいのでは?。詳細説明は該当記事に任せるとして、簡潔に何故戦死とその言葉が関連性があるのかの補強説明にもなりますし、関連項目はそのままでも構わなくなるはずです。どちらのご意見も或る程度理解はできるのですが、両者とも自説に固執しすぎなような印象を私は議論を読んで受けました(途中でとんでもない方向に逸脱してますしw)。議論の際は妥協点を見つけることも必要だと思います。その上で、自分が譲れないところは絶対に譲らないようにうまく妥協点を模索していくことが大事なのではないでしょうか?私が特攻のノートで自己の記述を取り下げたのは、議論することで自分の持っていなかった他人の見解を得ることができたことも一因です。多くの他人の平均的見解が自分の見解と違う以上、自己の主張にすがりつくのは決していいこととは言えません。勿論擁護してくれる方もいらっしゃったのですが、少なくとも自己の記述と主張が他人を納得させられなかった以上、記事として記述することは不適当だと考えて取り下げたまでです。だからといって自分の意見は特に変わりませんがね。ウィキに記述するということは、他人を納得させられる、いい記述をすることが必要だと思います。で、あるならば自己の主張に固執せず、意見の違う他人と妥協点を見つけた上で提案し、双方納得した上で執筆していくのがいい記事を作っていく源なのではないかなぁと思っています。
以上、長文失礼しました--GF 2008年5月10日 (土) 16:26 (UTC)[返信]
特攻兵器の編集について時系列の面から責任がないと言いたげですが、あなたはノート:特別攻撃隊において合意が得られた2007年11月18日より後の11月30日に特攻兵器とほか記事を比較検討するコメントを出している。これは問題を自覚しながら放置したという事では?」という風にいくらでも難癖をつけられるんじゃないでしょうか。もちろん私は過去の記事すべてを把握しろなんて無茶な要求だと思ってます。別記事の議論に半年前の編集を掘り起こす方もおられますが。
戦死の議論については私も意地の張り合いに陥ってると認識しています。妥協案については私がノート:戦死#保護解除に向けてで提案したとおりなのですが、yatobiさんにはご納得いただけていませんね。--Tabunoki 2008年5月11日 (日) 08:59 (UTC)[返信]
んー、難癖に対しては反論させていただきますけどねぇ。特攻兵器に関しては記述がそのままになっているだけですし、あのコメントは、昔私が色々なところであれと同じ節を消して回った過去があるものですからねぇ。同じ節をあちこちの特攻がらみの記事(桜花とか特別攻撃隊)にコピペして回っていた方がいらっしゃったもので。因みに酷似した文章を某研究室のHPで見かけていたものですから、色々と問題があるのでは?と今でも思っています。まぁあの記事だけ関連性が強いので放置していますが。時系列の面から責任が無いのは明白ですよね。因みにユーザー間の方針が出たときの議論に私は参加しておりませんので、特攻隊の記事ではそういう方針が出たのでしょうし、その論拠にも納得できる部分はありますのでそのままにしていますが、特攻兵器の記述がそのままになっているということは、事実のみを書いている(人数は合っているはずですし)から許容されたものと思っています。勿論その背景については特別攻撃隊で詳述されているわけですし、問題が無いのだと認識しておりますが。別に今まで批判された覚えも無いですしね。一年以上そのままなわけですから。もし今から編集されて変わったら変わったで別に固執する部分ではないので変えていただいても結構ですが、自分で変える気はありません。それだけです。後、あれは現時点では妥協案とはいいにくいですなぁ、どこをどう妥協しているのかまったくわからないですから。まぁその原案をまずは出していただくとして、少なくともその記述のどこをが一番重要で残したいのか、ということをしっかり明確にして原案を出していただきたいと思います。ただ単に、自分の思ったとおりのことを書き連ねていくだけでは、批判に耐えうるものになるかどうか疑問ですからね。論点と要旨は明確な文章をお願いします。--GF 2008年5月11日 (日) 16:21 (UTC)[返信]
繰り返しますが、単に私がかかわりあった物から適当に抜粋しただけで私個人はなんとも思ってません。私がいちいちほかの記事を持ち出した批評に反論するのにうんざりしたり、本来の議論からのどんどん脱線していった過程が閲覧者に理解していただけたら幸いです--Tabunoki 2008年5月12日 (月) 11:37 (UTC)[返信]

(コメント)夜飛さんの指摘点は、いちいちごもっともと言ったところで、丁寧な説明をされているかと思います。各ノートでの対話を見てみるかぎりでは、夜飛さんがきつい言い方をするようになった流れには、夜飛さんに同情せざるを得ません。依頼者は他者からの耳の痛い指摘をすべて個人攻撃と見なしているようでなんともはや。それはさておき、本コメント依頼に関して言えば、取りあえずGFさんのご指摘の通り該当ノートでの解決が先決かと思われます。--baku13 2008年5月8日 (木) 15:29 (UTC)

(コメント)簡潔に。人格攻撃のような印象はうけませんでした。該当ノートでの解決が先決に同意します。--Autem 2008年5月11日 (日) 09:10 (UTC)(訂正Autem 2008年5月12日 (月) 10:39 (UTC)[返信]

(コメント)上記一部抜粋部分について仮にそれが事実であったとしても、それを個別記事のノートに書くことには問題があると思いますね。Tabunokiさんの能力は記事の主題とは無関係なことですし、それを夜飛さんがどう評価するかについても記事の主題とは無関係なことです。あそこに書くべきことじゃないでしょう。一方夜飛さんの記述が個人攻撃かどうかについて争うことも、記事の主題とは無関係です。ノートでは記事の主題について議論すべきです。個人攻撃の疑義をコメント依頼という形でここに分離するのは妥当じゃないでしょうか。よってノートでの解決が先決には反対させていただきます。--219.164.45.116 2008年5月12日 (月) 05:44 (UTC)[返信]

今回の件はあくまでやりとりの流れの中で出てきたものです。該当記事にまつわる参加者の能力に関しての指摘なり注意なりは、個別記事のノートではなく、利用者ページでしろというのは、大前提に適合しているように見せかけて、かえって不利益が多いです。夜飛さんが突発的に難癖を付けたなどというたぐいの問題であれば、それは「関係ない話しは他所行ってやれ」ということでIP氏のご意見もごもっともかと思いますが、むしろ、進行形で議論を進めている記事があるにもかかわらず相手方の会話ページに出張してやりとりをしろとなると、場外乱闘的になってしまいそれはそれで問題視されると思います。もちろんTabunokiさんの能力云々に関しては、このページか、利用者‐会話:Tabunoki、最終的にはコメント依頼なりブロック依頼なりにでも移るべきかと思いますが。
しかしIP氏のいう主題に戻す姿勢云々は、時系列的にノート:戦死でのGFさんのコメント依頼作業、Tabunokiさん、夜飛さんのやりとりなどの流れを無視していますね。議論がし難くなるので、最低限進行中の関連項目に目を通してから発言してください。あぁ、IPユーザーだからウォッチリスト機能がないんですね。ウィキペディアでは、議論への参加の際には、アカウントを取得してログインすることが推奨されているようです。ご検討ください。--baku13 2008年5月12日 (月) 19:11 (UTC)[返信]
baku13さんへ。この手の問題は場外乱闘で結構、それこそ「ここで喧嘩するな表に出てやれ」と言うべきものだと思います。少なくともノート:戦死では本題に戻る機運が生まれたので私はおおむね満足です。ブロック依頼等を行いたいならご自由にどうぞ。「219.164.45.116さんが自分と違う意見を持ってるのはちゃんと記事を読んでないからだ」と決め付けるあなたの姿勢もどうかと思いますが。—以上の署名の無いコメントは、Tabunoki会話履歴)さんが[2008年5月13日 (火) 04:57 (UTC)]に投稿したものです(Sacradaによる付記)。[返信]
ここは私の姿勢がどうか等という話しをする場所ではありません。なぜそうかという理由もかいているのに「決め付け」呼ばわりですか。話しが進んでいった各ノートの時間列をキッチリ見れば、私が指摘した理由はわかるはずです。取りあえず、ノートでの書き込みは署名してください。そういった基本がぜんぜん理解できていないあなたの姿勢がどうか、というのがそもそもの原因なのですが。--baku13 2008年5月13日 (火) 06:58 (UTC)[返信]

(コメント)上記意見,一理あるな,と思いました.確かに,夜飛さんが人格攻撃をしているかしていないかにかかわらず,そういうことは,記事のノートに書くべき事柄ではありませんね.ノートでの解決が先決,を撤回して,ノートでは記事の内容についてのみ議論してください,とコメントをつけておきます.夜飛さんが人格攻撃をしているかどうかについては,引き続きこちらで議論すればよいのではないでしょうか.--Autem 2008年5月12日 (月) 10:39 (UTC)[返信]

(コメント)続けます。まず本件によらず、ノートでの議論の前提として「経緯がどうであれ、内容が妥当かどうかに関わらず、人格攻撃・個人攻撃に該当するしないに関わらず、個人の能力評価は個別記事のノートで行うべきではなく、必要なら利用者の会話ページでするべき」だと考えます。個人の能力評価を個別記事のノートに書けば、議論の妨げになる可能性が高いでしょう。もし、それを承知で個人の能力評価をするのなら、議論の封殺や放棄が目的だと思われても仕方ありません。
夜飛さんはノート:戦死で、再三Tabunokiさんの能力評価を行っています。上記前提に従うと、「Tabunokiさんの能力評価はノート:戦死ではなく利用者‐会話:Tabunokiに書くべきだった」という事になるのではないでしょうか。また、Tabunokiさんには主題に戻す姿勢が感じられますが、夜飛さんはにはそれが感じられません。
夜飛さんの書き込みに問題があったかなかったかという意味では、「あった」とせざるを得ないと考えます。--219.164.45.116 2008年5月12日 (月) 17:06 (UTC)[返信]

その意見には同意できないなあ。Tabunoki氏は再三の批判に対して「おれは悪くない」としか言っておらず、本論に戻す方向があるとは言えない。また、当該個人の能力がその項目の執筆にふさわしいレベルを大幅に下回っている場合、個々の問題点を指摘するのはある意味モグラタタキみたいなわかりにくいものにならざるを得ず、ストレートに「おまえ低能力だから書かないでくれる?」と言った方がいい場合ってのは確実にあると思うんです。--Nekosuki600 2008年5月12日 (月) 17:50 (UTC)[返信]
>「おまえ低能力だから書かないでくれる?と言った方がいい場合ってのは確実にあると思うんです。
本当にそう思いますか?試しにあまり親しく無い同僚なり、取引先の人なりに「君は能力が無いから仕事やめたほうがいいよ」って言ってみるといいと思いますよ。--Tabunoki 2008年5月13日 (火) 04:49 (UTC)[返信]
仮定の話をする前に、まず自分が言われてるんだという現実に向き合ったください。--baku13 2008年5月13日 (火) 06:58 (UTC)[返信]
ん。お仕事だったらフツーに言うことですし、言ってきましたよ。ある程度までは面倒を見るにせよ、ある程度面倒を見てだめだこりゃと思ったらはっきりそう言う方が親切だし、自分のチームからは外れていただきます。取引先のやつであっても、まあ力関係を鑑みてではありますが「あいつをはずせ」と要求することはありますねえ。もちろん、言われたことだってありますが、指摘が正しければ(要求される仕事がこなせないなら)、納得して引き下がる以外に選択肢はありません。
いったいなにを甘えたコト言っているのですか。--Nekosuki600 2008年5月13日 (火) 09:02 (UTC)[返信]
言われた同僚はどんな顔をしていましたか?あなたがどうやって自分に対する指摘が正しいかを判断しましたか。当事者同士で冷静な判断をし、上司等第三者の力を借りずに問題を解決できましたか?ましてやwikpediaはボランティア組織なので各々が果たすべき責任はあいまい(まあ、日本語を理解できることが必要なのは認めましょう)で、利用者同士は制度上対等な関係のはずです。とても当事者同士で能力を理由に退場を迫る事が推奨できる解決法とは思えません。どうしてもやりたいなら、コメント依頼などで第三者のの意見を集めるべきでしょうね--Tabunoki 2008年5月14日 (水) 07:12 (UTC)[返信]
言われた同僚なりなんなりがどういう顔をしていようとも、そこに居られちゃ困るんですから、しょうがないです。そいつをはずさないとおれが困るんですから。
さて。
おれはまだTabunokiさんに対して「低能力だから出て行け」とは言っていないと思いますが、コミュニティの意思としてその確認をする必要がありますか。あるのならば、遠慮なくブロック依頼を出させていただこうと思います。できましたら、これまでの議論をよく読んで、ご自身で身の処し方を考えていただきたいと、おれは思っているのですが。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 09:28 (UTC)[返信]
IP219.164.45.116改めKawanekoです。IPであることを理由に余計な先入観や軋轢があると困りますので取りました。さて、ここは会社でも学校でもありませんので、その喩えを続けるのはやめませんか。脱線していると思いますよ。ここでの主題は、ここWikipediaの個別記事のノートにおけるyatobiさんの発言についてです。--Kawaneko 2008年5月14日 (水) 13:43 (UTC)[返信]
アカウントの取得に感謝申し上げます。できればこれからずっとアカウントを使い続けてください。特にノートでの議論とかでは。
さて。
コメント依頼とかブロック依頼とかって、その提出が不適切なものであるのなら、提出者に返って来てしまうものなんですよ。でもってまぁ、本依頼の提出が不適切であると考えるひとが多いなら、次は提出者に対するコメント依頼ではなく、ブロック依頼でしょう。そしてそのブロック依頼でこのコメント依頼は「参考リンク」として明記されることになるでしょうね。
このコメント依頼では、当初は「yatobiさんが言ってる内容は正しかったかしらんが、ちょっとキツかったかな?」という感じだったと思うんです。ところが、その後の展開をもって、「ちょっとキツいかなと思った言葉をもってしても通じてない」のが明らかになっちゃったわけで、ある意味「yatobiさんの言動には問題がなかった」という結論で確定しつつあるのではないかと考えております。そういう意味でも、この枝葉には意味があったのではないでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 13:56 (UTC)[返信]
枝葉であると認識されているなら結構ですが、枝葉を触っているだけでは根幹は解決できないであろうことはお考えいただきたいと思います。少なくともその枝葉(会社の場合)は根幹とは状況が違います。それと、お気づきかと思いますが、残念ながら私は「yatobiさんの言動には問題がなかった」とは思っておりません。
ただ、ここを枝葉にしたのはTabunokiさんです。私は「Wikipediaでの議論はどうあるべきか」を基本に考えた結果としてTabunokiさん寄りの意見になっていますが、ご自身からの妨げがあるならこの意見を貫くのは難しいでしょう。ここを枝葉にしてしまったことによって、Tabunokiさんは二重三重に損をしています。この意味を良く考えてもらいたいものです。--Kawaneko 2008年5月14日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
ん。そもそも「根幹の問題」って何なんだろう。
まあなんだ。yatobiさんにおかれましては、あまり漏電しないでほしいと思ったりはするのですが(そもそも「漏電」という言葉をこのように使った場合の意味がよくわからない。なんとなくニュアンスくらいはわかりますが)、しかしそんなんコメント依頼に出すような話じゃないだろうと。yatobiさんのノートで3往復くらい対話をすればしまいだ。
言葉のキツさっていう論点では、おれもまあ人後に落ちないわけですが、キツさって「絶対的なもの」ではなくて「相対的なもの」でさ。どの程度のキツさを選ぶかというあたりの眼力が問われる部分はあるし、キツめの言葉を使った場合には慎重にフィードバックをかけてフォローしないと危ないんだけど、今回のケースについていえば「その言辞では相手に伝わらなかった」という結果なわけで、「もっとキツくてもよかった」というのが結論であろうと。
しょーもない枝葉でTabunokiさんの評価がさらに落ちたという点については、強く同意。おそらくTabunokiさんは悲しい思いをしているのだろうと思うわけだが、悲しい思いをしたくなければそういう道に踏み込まなければいいだけの話で、踏み込んでしまった以上はその結果も引き受けてもらうしかないでしょう。引き受けたくないとご本人が泣き叫んでも、おれは引き受けてもらうつもりでいるし。
というわけで、このコメント依頼は、もう寿命を全うしたのじゃないだろうかと思います。クローズする必要もなくて、しばらく思い出したように意見が書き込まれるという状況で放置しときゃいいと思うので、おれとしては特にアクションに出るつもりはありませんが(まだTabunokiさんが悪あがきをした場合のブロック依頼を除きます。それは、出すかもしれません)。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 16:11 (UTC)[返信]
うーん、「根幹の問題」は、無能者に「お前、無能だし、迷惑だし」と言うのを、どこまでオブラートに包めばいいの? ってことですかね。あと、言って通じない場合はどこまで言い方のキツさを上げて(下げて?)イイのかどうか。まぁ、今回の一連の発言でなおいっそう、正直、成長は望めないなと思った次第でありまして、私ももうどうでも良くなってきました。コメント依頼に気が付いたヒトはだいたい発言してもらえた時期だと思いますし。これ、このままの文章で書き込むべきかどうか5分ぐらい悩んだけど、そのままいっちゃいます。--baku13 2008年5月14日 (水) 17:02 (UTC)[返信]
そうですねえ・・・微妙なところではありますね。
現状でTabunokiさんへのブロック依頼を出したら、十中八九通るだろうという感触はあります。ついでですが、yatobiさんは1年くらいを想定していたらしく、しかしおれは5年くらいを想定してたりしまして、yatobiさんからは「あんた、キツくね?(大意)」というご感想をいただいてたりしますけど。
おれはまぁ、傍観者から飛び出してきて「おまえ、内容はとにかく言い方に問題がある」とか主張するやつが出てくる前にブロック依頼に行くのがめんどくさくなくていいと思ってます。その閾値がどのあたりにあるかという判断が各自のアカウントの信頼を掛けた判断でありましょう、とか言ってみる。
なんていうかまぁ。おれの判断では、yatobiさんはそれなりに実績がある編集者なんです。こんなくだらない話につきあわせてWikipediaの記事の編集にかける時間を奪っては申し訳ないと思うの。おれなんか、たいした記事書いてないじゃん、なのでおれが記事空間の執筆にかけるべき時間をとられてもWikipediaにとっては重大なマイナスになるわけじゃないんだよね。なので、yatobiさんとTabunokiさんの間に割って入ってyatobiさんを楽させてあげたのがいいんじゃないか、みたいな。
いずれにせよ、どうでもいいような話になっているんですよね。もともと「どうでもいいような話」だったような気もするんですけども。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 17:33 (UTC)[返信]
うーん、まぁブロック依頼は、通りそうな気もしますけど、私の感触では拮抗といったところですかね。ただ、私はボランティアの集合である限り、参加者排除の方向は基本的に賛成しかねるのと、有益な編集も行っている点に重きを置きたいので、現状でのブロック依頼はどうかなーーーーーーってところですかね。--baku13 2008年5月14日 (水) 18:11 (UTC)[返信]

(コメント)なんか議論が焦げ臭くなってきましたが、私の意見としては双方とも何がしかの問題あり、という印象です。Tabunokiさんのノートでの記述は実際のところ要領を得ない、といった感じを強く受けました。申し訳ないのですが意見として非常に読みとりにくく、主張が曖昧な為何が言いたいのか把握するのに苦労することもありました。後、言葉の意味を取り違えている箇所も多々見受けられます。この辺りがYatobiさんに「能力不足」と捉えられてしまった原因かと。一方でYatobiさんのほうにもちょっと言いすぎかなぁという面があります。言いたいことはわかるのですが、Tabunokiさんと上手く意思疎通ができないイライラからか、途中から大分礼を失した言葉遣いになっていっていることは反省していただきたいかと。

後、私が"ノートでの解決を"といったのは、議論の主題に関してです。個人攻撃云々はノート以外で行う、これは当然のことです。個人攻撃云々を合意形成してもしょうがないですし、言葉足らずでしたが、私の意図としては乱暴に言ってしまえば「議長席で本題無視して取っ組み合いの喧嘩なんかしないで、さっさと席について本題の議論をしろ」といった所でしょうか。極端な話、私が仲裁に入ったのも端から見ていてお二人の議論には何の生産性も無く、見苦しいこと極まりなかったからです。だから、とりあえず個人攻撃云々の話はおいといて、あの記事をどうするのか、どう妥協点を見つけるのか議論をして欲しかったのです。とりあえず端緒にはつけたとは思います。後はお二人次第ですので今後とも見守っていきたいと思います。記事自体が個人の主観、倫理観等が多分に影響するデリケートなものですので、その辺りにも気を配っていただけたら、と期待しています。--GF 2008年5月13日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
(コメント)仲裁としてはとても正しい方向だと思います。両成敗的な形で双方が受け入れ易いでしょう。ただ、この件を両成敗だけで終えてしまうと、yatobiさんのあの発言に免罪符を出してしまうことになるでしょう。ですので「経緯がどうであれ、内容が妥当かどうかに関わらず、人格攻撃・個人攻撃に該当するしないに関わらず、個人の能力評価は個別記事のノートで行うべきではなく、必要なら利用者の会話ページでするべき」という線も消さないでいただきたいと思います。--Kawaneko 2008年5月14日 (水) 13:52 (UTC)[返信]
まずは、KawanekoさんのID取得に感謝いたします。ところで「成敗する」視点で物事を解決するシステムはウィキペディア内にはないようです。あしからず。さて、その「個人の能力評価はノートでやるな」と言うお話しの件ですが、各ノートでは個々記事の議論をするのは当然の大前提です。
とりあえずはWikipedia:ノートページでの慣習的な決まりを読んでいただきたいのですが、ここの、記事のノートページの使い方の、脱線しないの項に、「記事を改善するための議論から脱線しないように注意しましょう。脱線が続くようなら、その部分はサブページなどに移動させて議論の見通しを良くすることも検討しましょう。(強調は投稿者)」とあります。脱線を禁じているわけでもありませんし、脱線した場合、関連記述を「該当ノートで書くべき問題ではないからやりとりも含めて移動させろ」などと言っているわけでもありません。あくまでも「脱線が続くようなら」です。今回のノート:戦死でも、議論のやりとりのなかで脱線が続いたからコメント依頼に移動しました。
「ノートに関係のない話は別の場所で」というのは当たり前の話しなのですが、やりとりがなければ関係のない話も発生しません。今回のケースで、脱線した原因は、Tabunokiさんにも夜飛さんにもあったというのが傍観者としての感想ですが。
ここで、ノートページでのやりとりが下火になったなーと思っていたら、気が付かないうちにどちらかの会話ページでとんでもない大バトルになっていて、大火になってからそれが唐突に記事に戻ってくるよりは、ノートである程度のやりとりがあった上で、移動するのが、雑多な人間が参加している場にあっては当然の流れかと思います。
「Wikipediaでの議論はどうあるべきか」のなかに「いかなる理由があれ脱線を禁ずる」と書き加えたいのでしたら、このコメント依頼で主張するのではなく、別に適当な場所があると思います。仲裁も入り各人が仕切り直しの書き込みを開始した後に、あまりに立ち戻りすぎる指摘は正直困ります。決まり事についてどこまでさかのぼればいいの? と言う話しになります。出来ればこの話は以上として本題に戻っていただきたいです。脱線と言えばこれも脱線ですから。--baku13 2008年5月14日 (水) 16:47 (UTC)[返信]
喧嘩両成敗という慣用句をご存じないのでしょうか。双方の言い分を容れつつ若干耳の痛い指摘をするのにも使うわけです。これはGFさんがしている仲裁を指しているわけで、ウィキペディアのシステムにあるとは申し上げておりません。それと、yatobiさんの発言を単なる「脱線」と定義して、Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりを部分的に引用して片付けようとされているようですが、引用部分の直前には「ノートページは「記事」について議論するための場であり、その記事の主題に関して会話を楽しむ場ではありません(もちろん無関係な話題は論外です)。」と書いてあります。よって、この一文が目的としているのは「記事の主題に関係があっても記事には無関係な話題は慎しんでくださいね。もちろん主題に無関係な話題なら論外だからやめてくださいね。」ということであり、問題になっているyatobiさんの発言はまさにその後者でしょう。アンフェアな引用によって強引な結論を導かないでください。また、Baku13さんは編集内容の要約に余計な事を書くのがお好きなようですが、ご自分の意見が正論だと思うならやめてください。--Kawaneko 2008年5月14日 (水) 17:31 (UTC)[返信]
取りあえず落ち着いてください。yatobiさんの発言を単なる「脱線」と定義しようとなどしていません。私の発言は「今回のケースで、脱線した原因は、Tabunokiさんにも夜飛さんにもあったというのが傍観者としての感想」ですが? 勝手な解釈と都合のいい引用はあなたもわたしも同じですから。どんどん脱線してますよ。それから編集内容の件ですが、余計なこととはなにか、具体的に指摘してください。また、そのことが私の意見の発露に何らかの影響を及ぼすと考える理由も合わせてどうぞ。あ、脱線しちゃった。さてさて私とKawanekoさんのやりとりのサブページでも作るべきなのでしょうか?--baku13 2008年5月14日 (水) 18:11 (UTC)[返信]
(コメント)とりあえず、喧嘩両成敗という観念を私は持ち出したつもりは全く無いのですが・・・。ここはユーザーの態度について意見を求める場所であって、それを当事者が受け止めて態度を修正していく場所のはずです。実社会で言えば、先輩、同僚が勤務態度に対して意見するようなものです。それで態度が直らないようであれば、懲戒処分を審議するブロック依頼にいくわけで、ここでの議論は何の拘束力もありません。逆に言えば、周囲の注意に対して全く耳を貸さない人は実社会でもお引取り願うことが多いわけですから。ということで、私はただ単に、あのノートでのお二人に対しての印象を述べたまでのことです。そこんとこヨロシク。何か変な方向に持っていかれると書いた本人としては困惑せざるを得ませんので勘弁してください。--GF 2008年5月15日 (木) 16:43 (UTC)[返信]
喧嘩両成敗っていう考え方は、「どちらかというと劣勢な側」にとっては「多少は自分の地位を取り戻し、相手を引きずりおろすことができる」という意味で、便利な概念なんだよね。
んで、ここでなぜにして喧嘩両成敗が出てきたのかよくわからんというのには強く同意。
誰か、展開を第三者的視点からまとめてはくれませんか。おれもまあ、それなりに第三者的であり利害得失とかないと思うんだけど、同じように第三者的なポジションのひとの意見を聞いてみたかったりする。特に「ここに『喧嘩両成敗』を主張する余地があるのか」みたいなところについて。--Nekosuki600 2008年5月15日 (木) 17:04 (UTC)[返信]
(GFさんへ)不愉快に感じられたのなら謝ります。申し訳ありません。ただ、GFさんの意図したところではないにしろ、「双方とも何がしかの問題あり」というのは両成敗なご発言に見えたため、一般論としてもしここで仲裁を行うとしたら正しい方向だと思うという私の感想を述べたのです。そして、私はGFさんよりはややyatobiさんに厳しい見方をしているという事です。--Kawaneko 2008年5月16日 (金) 14:59 (UTC)[返信]

(コメント)私もまた未熟者ですがコメントさせていただきます。まず、Tabunokiさんは自分の能力を否定ないし過小評価されたと感じ、「個人攻撃」と認識された。ですが、夜飛さんにとってはTabunokiさんへの「評価」だったわけです。Tabunokiさんが主張なされたのは「自分の能力」と「夜飛さんが自分の地位を確保せんがために自分に不当な評価(=個人的な攻撃)をおこなった」ということでしょう。それに対し夜飛さんは、「Tabunokiさんがちゃんとした記事が書けるか不安なのです」ということを、実例をも踏まえて丁寧に説明しているだけだと思います。 思うに、Tabunokiさんは言葉尻にとらわれすぎではないでしょうか。夜飛さんのちょっときつい言い回しにこだわってしまったせいで、「たとえばGFさんがこんなことを言われたら~」などと、話が逸れていってしまう契機をつくってしまったように見受けられます。 簡潔にまとめますと、「先輩から一つ一つ丁寧に教えられたけど、先輩の言葉尻の悪さに、教えられた内容をさておいて言葉尻が悪いと怒り出した」という印象です。 で、これは喧嘩両成敗で裁けとかいう以前の問題だと思うのです。--Sacrada 2008年5月16日 (金) 02:34 (UTC)[返信]

この場合、あのノート内で「個人の資質に対する評価を行った」ことが問題であり、「評価が不当だったか」とか「言葉尻が悪かったか」という問題ではないと思いますよ。--Kawaneko 2008年5月16日 (金) 14:59 (UTC)[返信]
(おねがい)Kawanekoさんへのお願いです。「ノート内では記事に関わる問題以外を会話するべきではない」というお話しをしたいのでしたら、別項もしくは井戸端あたりに移動してください。当コメント依頼は、その問題を議論する場ではありません。--baku13 2008年5月16日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
私の発言は基本的に「利用者:yatobi(夜飛)氏の言動についてコメントを依頼します。」を受けて「yatobi氏の言動には問題があった」というという主旨に基づくものであり、異なる意見に対して「なぜ問題があったとするのか」を説明しています。移動する必要があると感じているのなら、それはbaku13さんの勘違いです。--Kawaneko 2008年5月16日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
まだ伝わらないですか。井戸端で再確認してきてください。全員が知っているルール説明に労力を割いてもらいたくないだけです。この場にいる人間で「ノートはその記事の内容について論じる場所」である点に異を唱えるヒトは居ませんので、もうその話しは終了させてください。Kawanekoさんにでも判るように簡潔に説明できない自分が歯がゆいですが、かんたんに書くとこうですか?「発言の内容は別にしても、ノートで言うべきじゃないよね」「うんそうだよね。当然だよね。で?」「うん、だから、ノートで言うべきじゃないよね」「うんそうだね。当たり前のことだよね。で?」「だから、ノートで以下略。M.Mさんのご尽力でとっくに先に進んでいるノート:戦死の流れも考慮に入れつつ、もう一歩先の意見をどうぞ。--baku13 2008年5月16日 (金) 18:26 (UTC)[返信]
おかげさまで「全員が知っているルール説明に労力を割いてもらいたくない」という意図はわかりました。さて、「ノートはその記事の内容について論じる場所」は「全員が知っているルール」だとして、最初から全員が「yatobiさんはそのルールを守るべきであった」という意見だったでしょうか。私にはそう見えていません。yatobiさんはそのルールを軽視したために問題視され、当ページでは少なからずyatobiさん擁護の発言がありました。ルール軽視やその擁護があったから私は「ルール説明に労力を割いて」いたつもりです。「で?」などと書かれなければならない流れでの発言だったとは思えません。当然ながら記事の議論が推進されるのは望ましいことですから、それをもって当ページも収束の方向に持っていくのは結構です。
ただ、その現状においてSacradaさんから"~Tabunokiさんは自分の能力を否定ないし過小評価されたと感じ~言葉尻にとらわれすぎ~言葉尻が悪いと怒り出した」という印象~"と、問題点が「yatobiさん言葉尻とそれを受けたTabunokiさんの態度」にあったかのようなご発言がありましたので、再びルールを説明させていただきました。当ページに序盤から参加され、ルールも十分理解されているbaku13さんには重複に感じられたかもしれませんが、baku13さんに向けた発言ではありませんのでご勘弁ください。--Kawaneko 2008年5月17日 (土) 15:50 (UTC)[返信]
私もようやく意図がわかりました。この件には納得いたしました。「で?」などと書いた部分に関しては失礼な言い方でした。ただ、立ち戻りすぎる争点を提案無しで指摘するのでは、混ぜっ返して何をしたいのだか意図がわからない、と感じることにも配慮していただきたいです。まぁ、ルールを十分に理解しているかどうかは判りませんが、常に読み返すようには心がけておりますけど、どうなんでしょうかねぇ。
また、ルール軽視な発言がある、とのことですが、守るべきライン(今回の場合は、命題以外の議論?)の軽重に幅が設けられているから、そう感じるのではないでしょうか。ヒト対ヒトの対話ですから。
ところで、当コメント依頼で少なからず、問題点が「yatobiさん言葉尻とそれを受けたTabunokiさんの態度」にあると判断されているのは、客観視したうえで結局はそこに問題があると判断されているからではないでしょうか? コメント依頼が発起した人間の意図しない解答を見せるのは、そのコメント依頼自体が適切なものとは言えない面があることを示しているのでは。--baku13 2008年5月18日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

(コメント)小生も以前にノート:ナイフ#分割提案において、被依頼者に「(あなたには)記事分割をする資質が無い」と決めつけられたことがあります。被依頼者はいささかヒートアップしやすい側面もあり、そのような状態に入った際には対立する意見の持ち主に対して妥協点を探ろうとする姿勢に薄いのではないかとも感じます。が、被依頼者が我々日本語版ウィキペディアンの中で飛び抜けてそのような傾向を持つ人物と言い切るほどの材料は小生は持ち合わせておりません。被依頼者も我々自身も、協調と融和を一層心がけていくべきかと思います。--Peachkiller 2008年5月16日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

(コメント)私もまた未熟者ですがコメントさせていただきます。Sacradaさんの2008年5月16日 (金) 02:34 (UTC)に同意。自分が(あるいはその場限定で←と自分にエクスキューズしてもいい)足りないところを指摘されたら、まず悔しさが立つかもしれないけれど、そこはぐっと我慢のしどころです。とっさに憤慨するのは自然な感情で、素朴な気持ちの動きです。でもまずは我慢して、相手を見て、相手が何を思って/考えて/欲して その言葉を発しているのかを見極めることが(見極めようとすることが)、次のステップです。見極めた結果 悪意や相手の自己充足以外の何ものでもない などがもし見えたら、敢然と撥ね付けていい。でも、内心うすうす自分は教えられているのだ、と思ったら、「抵抗」してはいけない。土下座しろというのではない。相手が乗じて踏みにじって来たりしたら、あ、自分の眼力は誤っていたかも、と思い直して体勢を立て直せばいい。で、yatobiさんは、悪意や~ で動く人ではないと、自分は思います。今回の件は、上でSacradaさんが 簡潔にまとめられた 通りだと、私も思いました。Uryah 2008年5月17日 (土) 00:22 (UTC)[返信]

補足説明を受けて[編集]

・・・やっぱダメなんじゃないだろうかと思った。「見解の違い」の問題じゃないだろうとおれは思うのだが、どんなもんでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月17日 (土) 15:22 (UTC)[返信]

「見解の違い」じゃないと思います。Uryah 2008年5月17日 (土) 16:54 (UTC)[返信]
だよねえ・・・未来永劫能力不足が解消できないだろうなんて誰もいってなくて、現時点ではまだ未熟でその見解はだめぽだからそれを自覚しろって言ってるだけだと、おれは思うんだよねえ。そこのところで「わかりました。精進します」と言えず、がんばっちゃうんだったら、少なくとも現時点ではだめぽだってことは確定だと思うんだよねえ。
で、となるとこれはお子様案件なわけで、やっぱ成長するまで待てって話につながっていくと、おれは思うんだな。これまでに依頼者が有益な編集を行ってきたかどうかという観点でも、少なくとも特段に有益なものはおれには見出せていないし、マイナスを勘案すると、「現時点では編集者として歓迎できない」と言わざるを得ない感じで。ためいきをつきつつですが、おれはそんなふうに感じています。yatobiさんも、あまり意味があるとは言えないしょーもないコメント依頼に付き合わされておつかれさまなのです。--Nekosuki600 2008年5月17日 (土) 18:50 (UTC)[返信]
ここは、ノート:戦死に関するコメント全般を引き受ける場所ではありません。そのような方向でのご発言はご遠慮いただけませんでしょうか。--Kawaneko 2008年5月18日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
誰も「ノート:戦死」に関するコメントなんかしてませんぜ。コメント依頼を出した理由についてまだ「見解の違いをレベルの違いに言い換えた」と強弁するような姿勢ってどうよ、このコメント依頼は発端からおかしかったんじぇねえの、という話をしている。--Nekosuki600 2008年5月18日 (日) 07:37 (UTC)[返信]
ここはyatobiさんの過去の発言についてのコメント依頼であって、依頼以後の議論やTabunokiさんの能力を評価する場ではないということは理解されているわけですね。失礼しました。では、なにか新しい事実を指しての「やっぱ」ではいわけですね。しかし、議論を再開すべく努力が図られている現状において、コメント依頼の発端にまで立ち戻るのは賛成できませんので、やはり抑えていただきたいと思います。--Kawaneko 2008年5月18日 (日) 08:58 (UTC)[返信]
当コメント依頼を発起したTabunokiさん自身が、私の能力がどうとか、Yatobi氏の姿勢がどうとかはコメント依頼/yatobiの方に分離する体制ができた、とおっしゃっているのですから、問題ないと思います。--baku13 2008年5月18日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
確かに。しかしそれはTabunokiさんの(記事の議論に集中したいがための)失言ですね。それを採用するのは揚げ足取りだと感じます。この場でTabunokiさんの能力の度合いによって、yatobiさんの行為を正当化したり非難したりすべきでしょうか。そして今後このような「個人の能力に対する発言」が問題になるたびに、その発言が妥当かどうか個別にその当事者の能力を(たまたま居合わせた者だけで)判定するのでしょうか。私はそれには到底同意できません。--Kawaneko 2008年5月18日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
私が言いたかったのは私やyatobi氏の姿勢については「ノート戦死ではない他の場所」で議論するという意味でここに限定するという意味ではありません。ノート:戦死の原文を修正しておきました。--Tabunoki 2008年5月21日 (水) 10:15 (UTC)[返信]


総括[編集]

Tabunokiさんが、本コメント依頼はほぼ役目を終えつつあるとの発言をされましたので、そろそろ終わりのようです。いまいちTabunokiさんのいう「役目」というのが判りませんので、依頼者たるTabunokiさんも含め、皆様の率直な総括をお願いしたいと思います。私には最後までこのコメント依頼がなんだったのかわかりませんでしたので、それもどなたか教えていただけると助かります。このとりまとめが強引だと感じられる場合、または総括などまだ早いと思われる場合は、Wikipedia:コメント依頼/yatobi#議論のほうへどうぞ。--baku13 2008年5月24日 (土) 14:50 (UTC)[返信]

ブロック依頼の依頼文を読んでも被依頼者は依頼者を可能な限り好意的に扱っていると思います。被依頼者による依頼者の評価はほぼ同意できるものです。ウィキペディアの編集経験より、活字の読書経験や、文章を添削された経験等の問題かそれがあっても改善され得ないものか何かでしょう。このようなコメントをすること自体尻馬に乗るようでかなり恥ずかしいです。johncapistrano 2008年5月24日 (土) 15:56 (UTC)[返信]

yatobi氏が本コメント依頼の案件であったノート:戦死において私に対する能力算定と個人攻撃を中止し、第三者の仲裁の元、対話に戻ったと判断できるため、yatobi氏へのコメント依頼を取り下げます。私自身の能力不足は認めますが、それを記事ノート上で繰り広げることはやはり不適切だったという意見は変えません。なお戦死の議論を実りあるものにするため引き続き多くの人の参加をお願いします。--Tabunoki 2008年5月24日 (土) 14:58 (UTC)[返信]

それは、夜飛さんの発言は個人攻撃ではなく、Tabunokiさんの能力不足を指摘し諫めたものであり、その指摘の通りにご自身の能力不足を認める、ということでよろしいのでしょうか?--baku13 2008年5月24日 (土) 15:33 (UTC)[返信]
私が編集経験の浅さから編集の体裁に問題があったことは認めます。しかし当事者が自らの視点のみに基づき適切でない場所で相手の能力を批判すれば個人攻撃の疑いを持たれても仕方ないという意見に変わりはなく、反省をしてもらいたいところです。--Tabunoki 2008年5月24日 (土) 15:47 (UTC)[返信]
Tabunokiさんご自身が、「いちいち個人攻撃・人格攻撃をしなければ気がすまない姿勢が問題になっている」として第三者の意見を求めるコメント依頼を発起されたわけです。もちろんKawanekoさんのご意見を軽視するわけではありませんし、所詮私の主観に過ぎないわけですが、本コメント依頼のおおむねの意見として「個人攻撃にはあたらない」という流れのように私には見受けられます。それでもまだ夜飛さんに「反省をしてもらいたい」ということをTabunokiさんの現在の立ち位置から発言される、ということでよろしいですね?--baku13 2008年5月24日 (土) 16:01 (UTC)[返信]
私が言わなくてもご本人はすでに反省というか後悔されているじゃないでしょうか。適切でない場所で適切でない表現を使って相手の能力を批判すると感情的な反撃を受ける事があるということを理解してもらえれば十分です--Tabunoki 2008年5月24日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
つまり、本コメント依頼は適切でない能力批判に対する「感情的な反撃」だったということですね。徒労というか、自分に返ってきて終わった反撃だったようですが。助け船を出そうとしていたのですが無駄かつ無用みたいです。お疲れ様でした。Tabunokiさんが別の方面で能力を発揮される日を心より願っております。ありがとうございました。--baku13 2008年5月24日 (土) 16:31 (UTC)[返信]
当然ながらコメント依頼をする以上、公益性があると判断した上のことですよ。この手法を使って許されるなら、さまざまな議論を混乱に陥れることが可能ですからね--Tabunoki 2008年5月24日 (土) 16:35 (UTC)[返信]
うーん。どうすれば「もう無理だからあきらめてください」ということを伝えられるのだろう。なんかとても残念であり、かつ憂鬱な結末だと思うのでした。ただ、だからといって、手加減したり甘やかしたりするのは、TabunokiさんにとってもWikipediaにとってもよくないと思うので、必要だと思われることだけはやっておこうと思うのですが。--Nekosuki600 2008年5月24日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

えー・・・と。ずっと見ていましたが、見れば見るほど「どうしようもないな」という虚しさがどんどん積み重なり、書く機会を失っていました。Tabunokiさんに何かせめて書き残そうと思いましたが、それも上記のコメントを見て潰え去りました。未だ「個人攻撃」と思っているのはTabunokiさん一人だけなのではないかなあ、とだけ書いておきます。--Sacrada 2008年5月24日 (土) 18:18 (UTC)[返信]