Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ4

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

学術用語[編集]

Wikipedia:表記ガイド#学術用語に、

学術用語は文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます。大部分のものは、次のサイトで検索可能です。

とありますが、これを

学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます。大部分のものは、次のサイトで検索可能です。

に変更(「原則として」を追加)を提案します。理由は、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学における私の発言を御参照ください。以下、少し補足します。『学術用語集』の序文には「強制ではなく世に問うものである」とありますし、用語集に盲目的に追随することが良いこととは私には思われません。また、表記についての意見の衝突を多く見てきた私としましては、無理に表記を統一しよう、という方向性そのものに疑問を感じるものであります。--白駒 2009年5月9日 (土) 11:15 (UTC)

(コメント)ガイドラインの存在する目的の一つは論点となった場合に基準を示すことであると考えます。なので議論が生じるからガイドラインを削除しろというのは、議論に都合が悪いので撤廃しろというのと代わりがありません。全体的なガイドラインで対応できないような個別の理由が特定の記事に存在するのであれば、ノートで合意形成すべきですし、特定の分野で個別の特殊事情があるのであれば当該ポータルなり、当該プロジェクトで合意形成してローカルルールを形成すべきです。--あら金 2009年5月30日 (土) 07:33 (UTC)
コメントこんちは。履歴を追って見ても、かなり早い段階に、特に議論なく加えられたもののようですから、『学術用語集』をどの程度強い基準としてウィキペディアで採用するかということは、検討しなおす必要があり、必要ならば書き換えることが好ましいと思います。リンク先の発言を見ましたが、「余り」は「あまり」、「端数」は「はすう」、「螺旋」は「らせん」、「演繹」は「えんえき」ということなら、これらに「準じる」とするよりは、「原則として」と捉えるほうがよいと考え、書き換え案に賛成します。--Ks aka 98 2009年6月5日 (金) 17:29 (UTC)
あら金さん、「議論に都合が悪いので撤廃しろ」と主張することの何が悪いのか、私にはよく理解できません。議論に問題がある場合もあれば、ガイドライン自体に問題がある場合もあるでしょう。現状維持を主張されるならば、「同型」と「同形」のような問題があることについての見解をお願いします。まあ、分野による意識の違いもあるのでしょうね。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学で「学術用語集に従うように指導する学会もある」と教えられて、軽いカルチャーショックを受けました。意図を分かりやすくするために、「原則として」を追加すると共に
分野による特殊事情がある場合は、対応するウィキプロジェクトまたはポータルなどで議論してください。
と節の末尾に付け加えるということではいかがでしょうか。一週間反対がなければ実行します。--白駒 2009年6月18日 (木) 22:17 (UTC)

白駒案に 反対 学術用語集の目的は学術審議会が昭和42年に文部大臣に諮問した文書(文部第422号)『学術用語の制定・普及について』で述べられているとおりであり、引用するならば「学会・教育界から学術用語を平易・簡明なものに統一するこのと要望があり、昭和22年以降試みられてきた自然科学の諸専門分野のほか人文科学の諸専門分野をも含めた広い領域にわたり、学術用語の整理・統一を図り、新しい学術標準語を制定する」です。「当用漢字」や「常用漢字」と同様に、つまり日本の国策として62年前に着手し、今日でも改定と学問分野の追加により継続中の事業で古い学術語を整理・統一した学術分野における新しく標準用語として設定した国家基準です。内容的にも単独で用いる場合と複合語にした場合の意味の変化や異なる専門分野において異なる意味となる場合を含めて各分野編ごとに他分野を考慮して選定するように『学術用語審査基準』(昭和44年9月9日付)をもって文部省が政令で方針を示し、それに基づいて各分野編の担当学会の作業により新たに整理・統一されています。(実際に「同型」と「同型」およびそれらの複合語でも曖昧さについても曖昧さもなく再定義されています)実際にオンライン学術用語集や冊子体の学術用語集調べれば検証可能であり、すなわち曖昧さがないように各専門分野での用語の選択がなされています。翻ってWikipediaでも以前に合意に基づいて表記の基準として採用したわけです。目的を考えるならば学術用語集という用語基準は曖昧さを排除するために作られた国家の新基準です。過去の用語や字体がなんであれ新基準として日本国で制式化したものなので、各記事において新基準をつかわずに旧基準を使うというのであれば、だれもが検証可能な理由の提示して個々にノートで判断することが必要であると考えます。旧基準の使用が表現の自由であると主張される人があるかも知れませんが、不統一による公共の不利益を解消する目的で新基準が制定されているのであるから、自動的に表現の自由を優先すべきであるという論はただの執筆者の権利の乱用に過ぎないと考えます(公共の不利益とはWikipedia読者が表記の不統一により読者自身が認識する際に無用な負担を強いるという不利益です)。このように権利の乱用の防止効果が期待されるので、学術用語集を表記の基準から外すことに反対の意を表明します。--あら金 2009年6月19日 (金) 00:25 (UTC)

すみません。私の頭が悪いせいか、
実際に「同型」と「同型」およびそれらの複合語でも曖昧さについても曖昧さもなく再定義されています
のあたりが理解できません。その事実(?)について、文献等をお教え頂ければ、自分でも調べてみますので、是非お教え頂けないでしょうか。--白駒 2009年6月19日 (金) 03:48 (UTC)
前説として、用語は概念のシンボルですから1つの用語から一つの概念が決定できない場合は用語として曖昧であると言えます。概念は相互に関連や派生関係を持ち、学問分野ごとに集団を形成しますから学術用語集の場合は分野を分けることで1つの用語から一つの概念が決定できるようにしています。数学辞典や化学辞典のようには学術用語集は用語の定義を持ちません。それは学術語の場合概念はグローバルスタンダードであることが求められるので国際数学連合なり国際純正・応用化学連合なりの様な学問分野の国際学会連合の概念定義にしたがっていす。なので学術用語集は国際学会連合の定義した外来語表記と概念との間に1対1の関係になるように選定されています。言い換えると学術用語集では外来語表記は概念を一意にあらわすシンボルとなっていると考えて問題はないと存じます(冊子体を検証すれば網羅的に確認できると考えます)。さて「同型」でも「同形」でも日本語表記は一意に外来語表記と対応していることはオンライン学術用語集でも確認できるので用語として曖昧でないと考えます。オンライン学術用語集では表現されていませんが、冊子体では外来語表記に対して日本語表記が複数ある場合は、主たる表記以外は()付きで表記することで日本語表記の主・副関係を明記しています。つまり主の日本語表記については外来語標記が一意に決定されるので曖昧さはないと存じます。再定義とはそのように日本語表記と外来語表記の関係を調整してあるという意味で使いました。--あら金 2009年6月19日 (金) 19:38 (UTC)
…まあ、現場を分かっていないお役人さんの建前としてはそんな感じかもしれませんね。しかし、用語と概念を完全に1対1に対応させよう、ということ自体が絵空事です。(あら金さんの専門分野ではどうか知りませんが)現実には、概念と英語は1対1には対応していないし、英語と日本語、日本語と概念も1対1には対応していない、複雑な関係になっているのです。こんなことは、国語辞典、英英辞典、英和辞典をざっと眺めれば、当たり前のことでありましょう。国際数学連合が概念と英語を1対1に対応させているはず、というのも根拠のない話です。さて、英語で isomorphism で表されることの多い、数学のある概念は、学術用語集では「同形」となっているが、現実にはほとんど「同型」としか表記されません。「同形」は「形が同じ」が本義であるので、それと混同するのを防ぐためです。これについてどう思いますか、と私は質問しているのです。--白駒 2009年6月20日 (土) 00:23 (UTC)
「この用語の使用についてこういう現実・事実がある」ということと「Wikipediaでの用語基準について改定する」ということについてはそのことだけで直接の合目的性があるとは考えません。少なくとも学術用語集数学編であれば日本学術会議を経由して日本数学会(べつに日本化学会でもどの日本学術会議協力学術研究団体でも同様ですが)が示した過去に示した定評のある団体のコンセンサスなわけです。Wikipediaの用語基準をかえなくても「この用語の使用についてこういう現実・事実がある」と記事で事実を加筆提示すればWikipediaの目的としては合致すると考えます。が、日本数学会の改訂を待たずしてWikipediaでの用語基準についてさしなければならない理由になるとか、日本数学会の改訂を待つことでWikipediaの目的が損なわれるという具体的な理由が事実と基準とを関連付ける根拠であると考えます。つまり「用語の使用についてこういう現実・事実がある」という各論の説明だけで総論の範疇である基準改訂の自明な根拠になるとも考えないです。ご説明いただいた範囲では「事実は事実、基準は基準」であると私は理解します。--あら金 2009年6月20日 (土) 01:45 (UTC)
国家基準です、と太書した時点でウィキペディア的にはアウトだと思いますが、それはサテオキ。文部省な学術用語優先だと、JIS な業界は学術でなくなってしまい困ると思います。また、学術用語集の改訂が学問の実際と乖離してしまい、参照されなくなっている分野もあるでしょう。白駒さんの提案をすすめて、以下の様にするのが適当だと思います。
常用漢字前文で「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」としながら、学術用語集で常用漢字以外を排除しているとしたら、それは自己矛盾ですし、自己矛盾に陥らないためには、学術用語集はあくまで一つの参照基準でしかないと心するべきでしょう。--Jms 2009年6月19日 (金) 10:38 (UTC)
Jms氏の意見に(国家基準云々を含め)賛同します。--Goki 2009年6月19日 (金) 15:03 (UTC)
学術用語集であれ、JISであれ、日本薬局方であれ公定書ですから実態は国家基準です。さて学術用語集は用語の定義しかありませんが、JISや薬局方であればは用語の定義もあれば、技術・プロトコルの定義もあります。表記ルールにおける基準であれば用語の定義に関する議論であると存じます。技術・プロトコルにかんする説明ついてJISや日本薬局方を基準にしろというというのはWIKI的にアウトというのは自明ですが、表記の基準として複数の公定書を基準とするとうことは問題はないと考えます。基準として採用したうえで付帯的な基準を設ける場合は「準拠する」ということになりますがどちらも対象を基準にしているということてす。別途、「記事ごとに固有なりゆうがあれば合意に基づきかえればよい」と意見表明していますから、表記の基準として適当な公定書に準拠するということでご理解いただければ結構です〈実際、学術用語集とJIS用語集とで乖離があり、「メスフラスコ」〈学術用語集〉VS「全量フラスコ」〈JIS用語集〉で準拠と書かないと矛盾により運用が回りません〉。
「学術用語集が常用漢字以外を排除している」という事実はその通りですが、その事実が問題であるご意見については自明性がないように考えます。「基準」は目的を達成するように選定されるものです。なので、基準が不適当であることを自明であるように述べるのであれば「~の目的を達成するうえで、その基準は目的達成を阻害するのでのき基準を全部廃止するとか阻害する一部を修正する」という説明であると考えます。学術用語集では「学術用語を平易・簡明なものに統一する」という目的を達成するうえで手段として「常用漢字表を使う」という基準を設けたわけです。Wikipediaでは「信頼されるフリーな百科事典を創り上げること」[1]というウィキペディアの目的の達成手段として「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います。 」[2]という基準を設けているわけです。なので少なくとも学術用語集の常用漢字を使用するという基準はWikipediaの目的を阻害すると不適当なものではないと考えます。常用漢字と学術用語集とでダブルスタンダードであるから自己矛盾ではないかといわれているわけですが、常用漢字と学術用語集とでは目的が違うので〈ダブルスタンダード〉ではなく異なるスタンダードでありそれぞれ独立しています。自己矛盾かどうかはスタンダード間の文言の食い違いではなく、Wikipediaの目的を達成する上で各スタンダードの使用が適当か不適当かどうかで評価すべき問題です。なので前述のようにWikipediaの目的を達成する上で問題がないと考えるので自己矛盾の問題は存在していないと考えます。--あら金 2009年6月19日 (金) 18:45 (UTC)
「目的」と「基準」との合目的性について明確にしなければ「原則」といってみたり「準拠」といってみたところでどのような根拠も主張は可能です。たとえば「表現の自由という自由権が存在する」という主張などがあげられます。Wikipediaでは編集を公開する前に検閲するシステムを持たないので投稿者の表現の自由を犯すことなく公開しています。しかしWikipediaの記事はGDFLの権利下で不特定多数の共同投稿者が編集することを要求しているので、各投稿者の表現の自由は保障されるシステムではありません。その上、Wikipediaの目的・方針・ガイドラインのいずれでも表現の自由を保障するという言及はないと存じます。であるならば表現の自由が在るか無しかが議論の論旨になることはWikipedia合目的性からの逸脱しており、議論の目的を失っているといえます。なので合意形成の場においては表現の自由を行使した場合にWikipediaの目的から逸脱があるかどうかどうがという議論と判断基準でなくてはおかしいです。「原則」にしろ「準拠」にしろその言葉自体には具体的な方針でも判断基準も示唆しないので、付け加えることは改定でもなんでもないです。なぜならば、Wikipedia内での揉め事は合意形成で収めろという方針はすでに明示されているので「原則」・「準拠」という文言がなくても、議論の影響範囲に即した場所での合意形成が必要です。色々な方がご提案いただいていますが、合意形成がWikipediの目的に沿って進行するという根拠がみいだされないので、現状に対して何らかのアドバンテージが存在するとは判断できないので、文言の改定案としては反対です。つまりWikipediaの目的という観点においてどのようなアドバンテージがあるかをご説明いただきたいと存じます。--あら金 2009年6月20日 (土) 00:42 (UTC)
表現の自由というのは国家権力等による制限からの自由であって、国家権力でもないウィキペディアとは関係ないのでは。法律でヨソペディアが禁じられているわけではありませんし、GFDL にさえしたがうならウィキペディアの内容をまるごと持っていって好きに改変したヨソペディアをメディアウィキの様なシステムによらずに公開することも可能でしょう。ウィキペディアの目的との関連においては、『学術用語集』に準ずる、とすることと、それを緩和した表現をとることのいずれがより記事の充実に資するか、ということが検討すべき点でしょう。「付け加えることは改定でもなんでもない」かつ「何らかのアドバンテージが存在するとは判断できないので、文言の改定案としては反対」というのは、改定でもなんでもない文言の変更は改定案ではないので反対しない、という理解でよろしいでしょうか。現実問題としては、原則、という言葉を入れるかどうかで合意形成のしやすさは異なります。原則と書かれていないばかりに、合意形成が難しくなる (原則と書かれていない事を理由に、そうでなければならないと強硬に主張される場合がある) ことはしばしば見られることです。「合意形成がWikipediの目的に沿って進行するという根拠がみいだされない」というよりは、原則と書くことなどによって緩和しておかないと、合意形成がWikipediの目的に沿って進行しにくい場合がある、ということです。「揉め事は合意形成で収めろ」というのは当然なのですが、それすらなかなか通じない場合があるので、表現を変更したい、ということです。--Jms 2009年6月20日 (土) 01:08 (UTC)
「緩和が必要である」ということだけでは足らないというのが私の論旨のつもりです。少なくとも「Wikipediaと購読者の利益に合致する方向性を示す条文改訂である必要がある」と申し上げたつもりです。なので「原則」「準拠」だけでなく(執筆ベテランが読めばそこはかとなく理解できるというものではなく、だれが読んでも同じように理解する)方向性の追加を希望します。--あら金 2009年6月20日 (土) 01:45 (UTC)
わたくしの提案した改訂案のミソは、「その学問分野で標準的に用いられるものがあれば、それを用い」ろ、ということです。その学問分野により『学術用語集』が編纂されているならそれに従うことになるでしょうし、その出版以降当該学問分野の学会等が別途分野なりの用語辞典類を編纂して出版しているのであればそれに従うことにもなりましょう。いずれを選ぶかはどちらの用語が「その学問分野で標準的に用いられ」ているかということに依存します。これは『学術用語集』の出版後学問分野のありようが大きく変わってしまった場合に特に効いてくると思います。これは方向性を示していると思いますが、いかがでしょう。--Jms 2009年6月20日 (土) 02:35 (UTC)
私の意見は判断について方向性を示すべきだという意見です。用語について決着がつかない事例は、議論において「これが分野の標準用語である」という出典を示して議論合戦を繰り広げていると考えます。そのような現状で「基準」ではなく、「参考」にするというのであればそれは根拠の例示ですから、「これが標準の用語である」と昭和20年代の用語辞典を示されても(まあ常識的には新しいほうとか色々判断基準で比較するわけですが…)出典提示された参考意見という意味で同格です(必ずしも比較できないな観点での論争なのはよくある事です。)。決着がつかない原因はそのような参考意見間の判断基準について合意出来ないので決着がつかないということであると存知ます(捨てハン書き逃げや根拠不提示は根拠の判断に着手する以前に三大方針への不適合で却下されていると存知ます)。例えば「表記ガイド#漢字」では基準を示した上で、何が基準に対して準拠したことになるかを文字コードとか具体的な判断基準を示す構成により、判断の為の具体的な方向性を示しています。判断基準を示すのでなくても、Wikipediaの色々在るガイドラインや公式方針の具体的な「~の方針、~の方針に適合するように合意形成してください」というのでも判断の方向性を示しています。そういう判断の為の方向性が記述として足らないので、いつも議論がゼロ・ベースで開始され様々な方向性の無い意見が提出されて迷走するように考えます。あるいは
「その分野の「学術用語集」に用語そのものがある場合はそれを使用することを原則とします。一方、例外については当該分野のポータルないしはプロジェクトで合意されれば用語基準に他の信頼できる情報源を追加したり、学術用語の原則に対して一部ないしは全部を交換することを目的としたローカルルールを合意形成することができます。〈そのような合意形成は意見集約前にお知らせでコメント募集の告知をしたり、合意したルールへのリンクを表記ガイドに作成してください〉 また、学術用語の扱いの不明な点は最初に当該学問分野にもっとも関連したポータルないしはプロジェクトに問い合わせることをお勧めします。」のようであれば合意における判断の方向性についてあいまいさは無いと考えます。--あら金 2009年6月22日 (月) 04:51 (UTC)
ウィキペディア的に、つまり、検証可能な資料に基づいて投稿者の合意によって、適当な用語を選定できない場合で、用語そのものがその分野の「学術用語集」にある場合にはそれに従え、という意味でしょうか。学術用語集がウィキペディアにとってそうした基準たり得るのか、通分野的に「学術用語集」にそうした超越的地位を認めるのは妥当ではないのではないか、という点がメタに議論になっているのと理解していますが…。Wikipedia:表記ガイド#漢字と同列に扱える様な話ではないでしょう。「いつも議論がゼロ・ベースで開始され様々な方向性の無い意見が提出されて迷走するように考えます」というのは、あら金さんのお考えとしては承りましたが、事実なのかどうかわかりませんし、仮にそうだとして、その原因が「そういう判断の為の方向性が記述として足らない」からかどうかも自明ではありませんし、さらに仮にそうした記述が足りないとして、そうした記述がないと判断できない人、あるいはそうした記述があると盲従してしまう人とというのを、学術分野の記事を執筆する人として想定することが妥当なのかどうかというのもわたくしにはわかりません。きちんと用例調査をすれば、用例が全く半々であるといった場合でなければウィキペディアで何を用いるのが妥当かは決まると期待します。全く半々となる様な場合に「学術用語集」は基準として役立たないのではないでしょうか、半分の用例は「学術用語集」に従っていないわけですから。 --Jms 2009年6月22日 (月) 15:46 (UTC)
この「表記ガイド」は公式なガイドラインですから、目的は「表記の基準と運用を示す」ことであり、目的の達成手段として
A) 具体的な基準の提示〈つまり道具〉
B) 提示した基準の運用方法の提示〈道具の使用方法〉
を行っています。コンセンサスの無い基準は実効性を持たないので、それはこのガイドラインを制定ないしは改正した際に一定期間公示して合意形成するというプロセスが「表記ガイド」に実効性を持たせいると考えます(文部省は学術用語集が信頼できる情報源てであることを示していますが、合意形成したからWikipediaで実効性を持つと考えます)。A)であれB)であれ目的の達成手段として有効であることが合意形成で実効性があると認める前提になると考えます(つまり有効でない点があれば補足訂正してからの合意形成を着手するということだと考えます)。Jms氏の案に対して、A)については有効な情報源であり、表記基準としての有効性について合意します。しかしB)についてはA)で示された基準を運用する上で曖昧な点が多く有効性が〈無いのではなく〉欠ける点があるので運用の有効性に欠けているので合意する域に達していない。なので足りないと申し上げました。私の提示した案ではB)については最大限に「くどく」書いたのは「合意形成」が基準の選択や運用の根拠として重要であるからです。合意形成プロセスについて皆までかく必要はないかもしれませんが、まったく書かないというもの問題であるので足らないといいました。「参考にする」では合意形成の必然は皆無です。
ガイドラインは合意により根拠を与えられるものです。運用に関する記述について運用手段が明確に描かれていない部分については合意の判断が付けられません。ガイドラインの記述について「…は実はこういう意図で提案しました」と合意形成後に説明しなくてはならないようであればはじめから合意案の記述に盛り込んで合意により実効性を持たせる必要があります。
また「学術用語集」だけでは足らないという事実については同意します。しかし足らない度合いは「改訂が古い場合」もあれば「学術用語集の目的とした学問分野との関係が不適切である」場合もあります。つまり各論により足らない度合いは異なるので合意形成するメンバーはその分野での専門性が必要です(専門性を排したら、ただの人気投票ですから)。Wikipedia上のプロジェクトは分野ごとのその種の合意形成の場の役割として存在するのでA)が単独でよいのか、あるいは複数設けたときに問題が発生するとしたらどのように運用回避するのが良いかを合意形成するのはプロジェクトという仕組みが妥当と考えます。たとえば基準を複数設けたときに選択肢が一意にいまらないことがあります。その回避策についても合意形成は必要であり、当該プロジェクトなりポータルなりはその種の合意形成の場として適当であるとも考えます(都度、お知らせ等で合意形成のための専門家を招聘すれぱ記事ノートでもかまわないです)。--あら金 2009年6月23日 (火) 14:47 (UTC)
島田茂「学校数学での用語と記号」福原満州雄他『数学と日本語』共立出版 1981 年 ISBN 4-320-01315-8 pp.135-169 に『学術用語集・数学編』がまとめられたころの事情が書かれています。そこから事実を拾い出すと次の通りです。
  • 1954年3月に『学術用語集・数学編』刊行。編集にあたった数学用語専門部会委員の大多数が当用漢字外である「函数」「円錐」「凸」「凹」が学術用語として用いられる事を希望していたが、「関数」「円すい」「とつ」「おう」が主たる用語して同用語集では用いられた。
  • 1954年4月に日本数学会の事業として『岩波数学辞典』が発行された。ここでは「函数」「円錐」「凸」「凹」が用いられた。
この場合、当時の日本の数学界の慣例としては『岩波数学辞典』によるべきだと思いますが、あら金さんの案だと『学術用語集・数学編』によることになり、不適当だと思います。状況に応じて学問分野ごとに判断してゆかねばならないのですから、例外を認めるといえども学術用語集を優先としてしまうのは問題があると思います。運用方法を明確にしたいというのは理解できますが、学術用語については分野ごとに任せるべきであって、一般則を規定すべきではない場合かと思います。--Jms 2009年6月23日 (火) 15:31 (UTC) 誤字訂正。--Jms 2009年6月23日 (火) 18:25 (UTC)
  • 賛成  強く賛成。文部科学省の『学術用語集』に学校教育分野を越えた拘束力があるとは思いませんし、それを金科玉条のごとくふりかざして編集合戦を引き起こすやつがひっきりなしに現れる現状もありますし。ほんとうは「学術用語は、文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」をまるごと削除すべきだと思いますが、次善の策として「原則として」の挿入に強く賛同いたします。だいたい多少の用語の振れごときで不便をかこつようなひとは、ネット上の百科事典なんか使わず印刷物の百科事典を使うべきなのですよ。--Nekosuki600 2009年6月22日 (月) 11:49 (UTC)
  • コメント「JAWPは日本語版であって日本国版ではない」というのは大前提であるはずなのに、どうして文部科学省が定めた学術用語集だとか外務省の表記だとかに従わなければならないというルールが存在しているのかよくわかりません。基本的にJmsさんの案に賛成ですが、白駒さんの案にも反対しません。「国家基準」などと太書した人にはWikipedia:中立的な観点Wikipedia:日本中心にならないようにを理解できるまで繰り返し熟読していただくことを希望します。--sergei 2009年6月22日 (月) 15:03 (UTC)
    • (追記)ばっさりカットにも反対しません。--sergei 2009年6月24日 (水) 15:12 (UTC)
    • コメント外務省が云々というのはおそらく「国名の表記」の件だと思いますがここで例に出すと話がややこくなる(私はこれに関しては学術用語とは同類にすべきではないまったく別の話だと考えています。)、続けるなら別の場所で。これ以降は例示するのもやめてください。--Goki 2009年6月23日 (火) 05:47 (UTC)
  • 賛成 一応書き換え案にも賛成しますが、私もばっさりカットがより望ましいという意見です。(理由は端的に書けば「現代仮名遣い」≠「現代かなづかい」。)--Goki 2009年6月24日 (水) 03:32 (UTC)
    • (コメント、なのかなぁ) わたくしの提案の前半は学術用語に限った事ではない当たり前のことですし、後半はこんなのが参考になりますよという全くのお節介です。その意味で余計なことであり不必要ですから、ばっさりカットがより望ましいと思います。わたくしの提案は、ばっさりカットではどうしても合意が成立しない場合の、次善の案として扱っていただければ幸いです。--Jms 2009年6月24日 (水) 10:07 (UTC)
  • Jms案に 反対 、叙述のとおり運用において合意形成に基づいて実施されるという根拠が無いため。--あら金 2009年6月24日 (水) 10:17 (UTC)
  • 利用者:Sergei semenovichの意見はちょっと極端だな。日本語において標準的な学術用語の表記を参照しようとした場合、政府関係機関が関わっている文書を基準にしていくというのはオーソドックスなやり方だし、それは中立的な観点にも正しく従っている行為だろ。ばっさりカットが良いという意見にも賛成できない。ガイドラインなのだから『学術用語集』に準じていくという指針はあっていい。常用漢字外、難字を多く含む用語が多い分野ではとくに今の指針であってほしい。利用者:あら金の懸念は自分も共有する。別に今の文言でも完全準拠を示唆しているわけでも強制しているわけでもないだろうから変更する必要もないと思うが、変更するのならJms案よりは白駒案のほうがいい。--Ginz 2009年6月27日 (土) 23:02 (UTC)
  • 学術用語集は常用漢字表にある漢字もかな表記になっているし、あれを「すべて是」とするのはいかがなものかと思います。(ここは想像だが、「学術用語集」編纂時に数学関連で起きたいざこざのせいで、直せない状態になっていると思われる。三角形の合同条件で「2辺とその挟まれた角」と教科書に書いていたのに教師は「二辺夾角」と教えてたのを思い出した…。)--Goki 2009年6月28日 (日) 00:23 (UTC)

(報告)賛成多数とみて、提案通りにしました。あら金さんの反対理由は、「国際数学連合が数学用語を管理している」や「日本数学会が学術用語集をオーソライズしている」などの思い込みに立脚しているように思います。問題点や疑問点がいくつも指摘されているにもかかわらず、「基準は基準だ」と繰り返す議論は、正直なところ私の理解を超えています。改訂文は、「当該プロジェクトなりポータルなりはその種の合意形成の場として適当」というあら金さんの主張と相反しない、ということを指摘しておきます。学術用語集を重んじる分野もあるとのことで、私はこれ以上の改訂を強くは主張しませんが、Jms さんの案や、ばっさり除去にも反対はしません。なお、最新の教科書をチェックしたところ、中学で「円錐」、高校で「楕円」が用いられていました。--白駒 2009年6月28日 (日) 05:43 (UTC)

まだ誤解されているようですが、「Wikipediaの方針についての合意事項を覆すのであれば、Wikipediaの目的に合致しているかの点で評価すべきだ」と申し上げました。皆様のご意見は「投稿者の利益に合致する」か、どうかであり反対した案についてはWikipediaの目的に直接資する確証がなかったので反対ということです。「投稿者の利益」はWikipediaの目的ではないことは明白です(WikipediaはSNSのようなブログサイトではないですから)。--あら金 2009年6月28日 (日) 08:06 (UTC)
私は投稿者の利益がどうの、と主張したつもりは全くなく、どこからそういう話になったのか理解できません。私の最初の発言や、そこからリンクされている発言をお読み頂いてのことでしょうか。Wikipedia の目的から、という観点ならば、「同形」よりも「同型」の方が意味がはっきりして、読者が「形が同じ」という意味と誤解するおそれが減る、と言えば納得して頂けますか。--白駒 2009年6月28日 (日) 10:36 (UTC)
Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いの議論と混同しているのではないかと。私は「読み手に立っている」という主張も否定していますが。(統一することが読み手に優しいとはいえない例をい示しているにもかかわらず、「統一したほうが読み手に立っている」と主張し続けているのはある意味滑稽。)--Goki 2009年6月28日 (日) 14:32 (UTC)

コメント読者の不利益につながる表記の揺れの可能性を広げることは世間の常識に反しています。数学分野だけならまだいいのですが一般化するには議論があまりにも性急すぎると思います。もっと広い分野に意見を募るべきではないでしょうか?--みや1229 2009年6月29日 (月) 16:23 (UTC)

変更点のどこが問題なのか、よくわからないのですが、具体的にご説明いただけますか。変更点は次の二点だと考えています。
  1. 「原則」を補うことで、『学術用語集』がカバーしていない学術用語 (『学術用語集』発行以降登場した学術用語、『学術用語集』が発行されていない分野の用語、JIS 規格など『学術用語集』以外のものによる方が望ましい用語) についても表記ガイドの範囲から逸脱することなく記載可能になった。
  2. そうした、原則以外の場合が野放図とならない様、分野ごとにまとまった対応を促した。
A 分野では「×○」と表記し、 B 分野では「○×」と表記する単語があった場合 (たとえば生物学と医学ではしばしば見かけます) も、必要があれば A 分野と B 分野で相談して決めればよいことですし、変更点はそれを排除はしていません。「原則」がなくてもそれほど読者が困らなかったのは、事実上「原則」を補った運用がなされていたからでしょう。その意味で一つ目の変更点は現状の追認でしかありませんし、二点めは追認にともなう「表記の揺れの可能性」を抑える方向の修正だと考えるべきなのでは。--Jms 2009年6月29日 (月) 17:11 (UTC)
ですよね。私も「『学術用語集』や常用漢字表こそがすべて正しく、その表記に改めた記事はいついかなる場合も変更するな」という変な主張や、すべての記事のすべての文章で「『学術用語集』や常用漢字表にある表記のみに変換する」ような変な利用者また、その言を信用しきって、反対するものをブロックしまくる変な管理者を排除できれば良いといっているだけなんだけどね。--Goki 2009年6月29日 (月) 23:56 (UTC)
(返答)まず”原則として“と補うことで『学術用語集』にある用語でさえも複数の表記を認める道を開いてしまったことが問題です。これは読者に不利益を与える可能性があります。”原則として”は削除し、”『学術用語集』にない場合は”を補うべきです。次に様々な学術分野に影響する改訂が十分な告知をされず短期間かつ少人数で議論されたことは合意形成のプロセスに重大な瑕疵があり無効だと思います。--みや1229 2009年6月30日 (火) 15:24 (UTC)
(インデントレベルが気になるが…) ある分野の学術用語のよりどころとして、その分野の学会が総力をあげて編集出版した『○○用語辞典』が主として参照され、その一方で当該分野の『学術用語集』が (たいていは出版年が学問の進歩からみると内容的にあまりに古いことが主たる原因となって) 殆ど顧みられなくなってしまった場合でも、なお『学術用語集』に語があればそれによらねばならない、使われなくなってしまった学術用語による方が読者に利益である、ということをも含意する御主張なのですが、その解釈で間違いありませんか。また、可能性ではなく蓋然性で議論すべきなのではありませんか。 --Jms 2009年6月30日 (火) 15:34 (UTC)

(返答)”その解釈で間違いありませんか”間違いです。他に適当な用語集があるとのことであれば是非それをWikipedia学術用語の標準用語集として提案してください。--みや1229 2009年6月30日 (火) 18:42 (UTC)

間違いだといわれましても、御主張は前述のことを含意しますので、そう解釈されるのが意図に反するならば、それはすくなくとも御主張の表現が意図に反しているということかと思います。何が適当な用語集であるのかは分野に依存しますから、「Wikipedia学術用語の標準用語集」というのを分野横断的に決めるのは無理でしょう。たとえば生物学分野では岩波の『生物学事典』の方が『学術用語集』の動物学編、植物学編、遺伝学編よりも一般的に用いられていると言えると思いますが、そのことが他の分野で『学術用語集』があまり用いられないということを意味するわけではありませんし、『生物学事典』といった具体例の列挙を表記ガイドで行うよりは、分野ごとのプロジェクトなりポータルなりの判断に任せるのが現実的でしょう。--Jms 2009年6月30日 (火) 19:04 (UTC)
追記。挿入された「原則」の除去を求めるというのは厳格運用指向の立場だと思います。そうでなければ「原則」が挿入されていてもいなくても「原則」が挿入されているのと実効上同じことなので「原則」の除去を求める必要がありませんから。さて、厳格運用指向下で「原則」がないと困る例を一つ。
  • ホワイトハウスにあるオーバルオフィスはその名の通り楕円の部屋である。
というのは一般的な意味で楕円といっているのであって、学術用語として用いられているとは限らないので問題はありませんが、「原則」抜き厳格運用だと、ちょっとばかり情報を追加したとたん、
  • ホワイトハウスにあるオーバルオフィスはその名の通りだ円の部屋であり、その離心率はいくついくつである。
としなければならなくなります。いくらなんでもこれは馬鹿げているでしょう。--Jms 2009年6月30日 (火) 23:53 (UTC)
さらに追記。みや1229さん御指摘の可能性について、どれくらい蓋然性があるか想像がつかないので教えてください。『学術用語集』に複数の用語が記載されている場合は別として、『学術用語集』が発行されている分野のうち、御指摘の可能性、つまり、「原則」とすることで収拾がつかなくなることが、蓋然性をもって実現しそうな具体的分野として何を想定すればよろしいでしょうか。--Jms 2009年7月1日 (水) 02:09 (UTC)
『学術用語集』にあればそれを用い、なければ個別に議論すれば済む話だと思います。それを”原則として”を加えることにより他の文献を根拠に執筆することが可能になります。Wikipediaは誰でも自由に編集できその権限は同等です。だからこそ用語の標準化のためにはそれを厳密に規定する必要があると考えます。分野別によりよい用語集があるのなら「**分野は○○用語集に準じる」と記載すればよい。逆に複数の根拠による用語の使用を可能にするとWikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いのような収拾のつかない問題を新たに起こす可能性があると考えます。なお、今回の改定の審議にはその「函数/関数」議論において表記を統一すべきではないという意見の方達が賛意を寄せています。僕の知る限りの学会では表記を統一することが常識ですのでこのノートには違和感を覚える主張が並んでいます。一方、白駒氏の提案理由には具体的な問題が示されていません。これらから本議論が学術用語一般の課題解決のためという使命感を持って行われたとは言い難いと考えます。最後に「ホワイトハウスにある…」の事例は何が問題なのか説明がないためわかりません。--みや1229 2009年7月1日 (水) 10:18 (UTC)
おっしゃることがどうにも理解できません。わたくしの認識は下記の通りです。
  • 「原則として」がない場合、学術用語として使って良いのは『学術用語集』にあるものだけです。『学術用語集』にあればそれを用い、なければ個別に議論、ということはあり得ません。学術用語は一律『学術用語集』にあるものしか使ってはならないからです。
  • 「原則として」がある場合、『学術用語集』にあればそれを用い、なければ個別に議論、という対応も可能です。これが野放図とならない様、「個別に議論」というのを「分野で決めてね」としているわけです。
『学術用語集』に用語があっても、そもそも『学術用語集』が参照されなくなっている分野があるので、『学術用語集』にあればそれを用い、では困る場合あるので、『学術用語集』にあればそれを用い、は勘弁してほしいのです。『学術用語集』にあればそれを用いるかどうかは、『学術用語集』が参照されなくなっている分野もあるのですから、分野にまかせる方が良いとは思いませんか。言い方を変えれば、分野別によりよい用語集があるのなら「**分野は○○用語集に準じる」と記載すればよいというのを、「表記ガイド」で吸収するのではなく、分野ごとのプロジェクトなりに委任しましょう、ということです。「僕の知る限りの学会では表記を統一することが常識」とのことですが、それは裏を返せば、ご存じない学会ではかかる常識はないかもしれない、ということであり、それこそ分野にまかせるべきでしょう。
Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いのような収拾のつかない問題、というのは、みや1229さんの感想としては承りますが、わたくしはそうは考えません。なぜなら、数学分野の『学術用語集』がそもそも複数表記を掲げ、一方の表記の使用を希望しているにもかかわらず、ずっとマイルドかつ現実的な対応が当該議論ではなされているからです。
ホワイトハウスの例は、何が問題かというと、「だえん」という語について、学術用語として用いられたかどうかで表記を変えねばならないということです。離心率に言及した時点で、その「だえん」は学術用語だといわれてもしかたないと思います。
御心配の事象が起こる蓋然性の高い分野については、回答をお待ちします。--Jms 2009年7月1日 (水) 10:44 (UTC) 一部追記 --Jms 2009年7月1日 (水) 11:25 (UTC)
Jms 氏への返答。「「原則として」がある場合、『学術用語集』にあればそれを用い、なければ個別に議論、」これは人によっては『学術用語集』にあっても他の根拠により別の用語を用いようとするでしょう。例えばWikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いの例があります。一方、「「原則として」がない場合、学術用語として使って良いのは『学術用語集』にあるものだけです。」これはご理解のとおりですが、「原則として」がなかった時点で何か問題が起きたのでしょうか?それが示されていないのに表記ガイドを変える必要性はないはずです。最後に「分野にまかせるべきでしょう。」そうですね。ならば広い学術分野の執筆者に呼びかけず、一般的な内容で改定したことは間違いであったといえます。--みや1229 2009年7月1日 (水) 11:53 (UTC)
  • 蓋然性について再度問います。人によっては『学術用語集』にあっても他の根拠により別の用語を用いようとするでしょう、という可能性の蓋然性についてはどう評価なさっていますか。
  • 「原則として」がない場合、ガイドラインから逸脱して『学術用語集』以外の学術用語が用いられていました。たとえば、JIS 用語にあって『学術用語集』にはないが学術的文脈で専門用語として用いられる語です。例として JIS E 4001 から拾うと、「揺れまくら」「カルダン軸」といった具合です。これらの使用は厳密にはガイドラインに反していたのであり、言い方をかえればガイドラインが蔑ろにされていたということでもあります。ガイドラインに反していたのではないのだ、という緩い立場をとるならば、「原則」を補っても問題ないはずです。
  • 分野にまかせるべきという点に合意していただけるならば、改訂後のガイドラインにある分野での議論への委譲で十分でしょう。委譲されているのですから、広い学術分野の執筆者に呼びかける必要はありません。
  • 御心配の事象が起こる蓋然性の高い分野については、引き続き回答をお待ちします。--Jms 2009年7月1日 (水) 12:13 (UTC)
蓋然性について僕としては答えているつもりなのですが問いの意図をよく理解できていないみたいです。蓋然性について別の言い方をしてもらえるとありがたく思います。次に「原則」を補っても問題ないはず確かにそうでしょう、しかしだからといって変えていいとはならないと考えます。具体的な問題が起きてから変えるべきだと考えます。最後に広い学術分野の執筆者に呼びかける必要はありませんすべての学術用語に関わる問題なのだから一声かけるのが礼儀だと思います。--みや1229 2009年7月4日 (土) 16:10 (UTC)
蓋然性というのは、つまり、
  • 『学術用語集』にあっても他の根拠により別の用語を用いようとする人は、割合として、どのくらいだと見積もっていますか
  • 『学術用語集』にあっても他の根拠により別の用語が用いられる語は、割合として、どのくらいだと見積もっていますか
  • 『学術用語集』が発行されている分野のうち、「原則」とすることで収拾がつかなくなることがまず間違いなく起こるとお考えの分野は具体的にどの分野ですか
ということです。ゼロトレランスを求めるのではなく、リスク評価をすべきだ、ということです。
具体的な問題が起きてから変えるべきとのことですが、具体的問題は既に指摘しました。「原則」を補う前の、従来のガイドラインでは、『学術用語集』にない語は学術用として用いてはならなかったのですし、それを四角四面に受け取っていたら現実的ではありませんから、そうした場合には事実上ガイドラインのその部分は無視されてきたのです。
一声かけるのが礼儀という礼節論に今回意味があるとは思いません。分野に任せるという信任以上の、一体何が必要だというのでしょうか。--Jms 2009年7月4日 (土) 16:34 (UTC)
割合として、どのくらいだと見積もっていますか。わかりません。次に「原則」とすることで収拾がつかなくなることが間違いなく起こるとお考えの分野。これは「原則」を入れることで必ず「原則だから必ずしも守る必要はないと主張する人が現れる」と予測しています。いま、元の条文で特段の問題が起きていないのにそのような分裂を起こすようなことをすべきではないと思います。--みや1229 2009年7月5日 (日) 11:57 (UTC)
わたくしは同じことを繰り返し書いているのですが、それでもなお「元の条文で特段の問題が起きていない」とおっしゃるということは、必要な学術用語が『学術用語集』に掲載されていない場合や、そもそも『学術用語集』が出版されていない分野では、ガイドラインを無視せざるを得ないのですが、それが問題でない、つまりガイドラインはそもそも無視してよいものだとお考えだということですね。わかりました。--Jms 2009年7月5日 (日) 12:04 (UTC)
A必要な学術用語が『学術用語集』に掲載されていない場合や、そもそも『学術用語集』が出版されていない分野では、ガイドラインを無視せざるを得ないのですが、それが問題でない ここまではそのとおりなのですが、このあとのBガイドラインはそもそも無視してよいものだ は違います。AだからBとはなりません。ところでJms 氏が本来やるべきところを示してくれました。それは『学術用語集』に掲載されていない場合や、そもそも『学術用語集』が出版されていない分野にとってのガイドラインを示すべきなんですね。ところが本改訂は基準がある用語にまで複数の表記の可能性を与えることが問題なのです。--みや1229 2009年7月5日 (日) 13:07 (UTC)
ガイドラインを無視しないで済む様に改訂したことに関して、それはけしからんとおっしゃるのですから、それはガイドラインは無視してよいという主張でしょう。この節の議論はお読みなのでしょうか、お読みなのなら、なぜ今更「本来やるところを示してくれました」などとおっしゃるのでしょう。--Jms 2009年7月5日 (日) 14:15 (UTC)
みや1229さんはどうしてそんなに「統一すること」にこだわるのでしょうか。そもそも学術用語であろうとも必ずしも「この言葉はこれが正しい」といった合意が成立しているとは限りませんし、また用語集はそれぞれ特定の目的のために編集されているのであってその目的の範囲外にも通用するものとは限りません。世界に「たったひとつの正しい選択肢」があるものなどそうそう多くはないんでしてね。--Nekosuki600 2009年7月1日 (水) 11:09 (UTC)

◆みや1229 さんへ。改訂前の文章で問題なかった、とおっしゃいますが、この節の最初の私の発言をお読みになってのことでしょうか。問題点はいくつも指摘されているのですが、それを貴方自身が問題と思うかどうかは別にして、問題点が指摘されている、ということは御理解頂けていますか。--白駒 2009年7月5日 (日) 22:33 (UTC)

もちろん読んでいます。しかし、元の表記ガイドで実際に起きた問題を取り上げてはいません。どれも、私は「統一にこだわるべきでない」との意見を表明しますという見方をされている白駒 氏による推測でしかありません。これは主観的と言えるでしょう。そのような理由で多くの分野に影響がある表記ガイドを短期間で変えていいとは思いません。--みや1229 2009年7月6日 (月) 12:59 (UTC)
話が通じていない気がするが…。 私の発言のどの部分を「推測」とおっしゃっているのですか。貴方は「円錐」は「円すい」に、「同型」は「同形」に統一すべきと主張しているのですか。最近の中学の教科書では「円錐」であったり、「同形」はほとんど使われていなかったりして、学術用語集は実世界でも全く重んじられていないわけですが。ガイドラインを無批判に受け入れて「統一」を主張する人が後を絶たなかったことが問題だと私は暗に言っていますし、他の方もそう説明されています。--白駒 2009年7月6日 (月) 20:31 (UTC)
「同型」は「同形」に統一すべきと主張しているのですかそんな具体的なことは主張していません。ただ、あなたの述べている例は文章では表記を統一すべきということからみれば問題でも何でもないということです。白駒氏はそのような常識を持たない分野にお住まいのようですね。しかし、他の方々の発言から多様な考えがあることはおわかりになったと思います。(僕の経験から言うと表記を統一しないなんて人には初めて出会いました。誰に向かって文章を書くのか甚だ疑問です。)ならば、他の分野の執筆者に呼びかけるべきではないでしょうか?問題が起きていないのだから急ぐ必要などまったくないはず。--みや1229 2009年7月7日 (火) 12:41 (UTC)
私には、貴方が問題点を理解できないか、意図的に目を背けているようにしか思えません。元の内容で問題はなかった、と(問題点が指摘されているにもかかわらずに)主張する一方で、改訂版で問題が起こるかどうか分からない、とおっしゃっていることからも、貴方の主張には全く説得力を感じません。他の分野に呼びかける必要があれば、貴方自身でどうぞ。私の考えでは、学術用語集に従いたい分野があれば、その分野での合意を形成すればよいだけの話です。--白駒 2009年7月7日 (火) 21:51 (UTC)
白駒氏は単に表記の違いを示しただけである。問題点ならばその表記の違いが起こす結果を示さないといけないと思います。--みや1229 2009年7月9日 (木) 15:47 (UTC)
改訂前の規程では、学術用語集にない学術用語は厳密にはウィキペディアで使用を禁じられていた。また、ホワイトハウスの例で示した様に、学術用語となった時点で表記を変更しなければならなかった。これらの問題点と、それを問題点としないために表記ガイドの当該部分が無視されていた。これらの問題点についてはどうですか。--Jms 2009年7月9日 (木) 15:53 (UTC)

◆ 遅くなりましたが変更に賛成します。実際問題として被曝彗星in situ花崗岩冶金学など学術用語集に反する表記で統一されている例や、学術用語集に記載された表記と他の表記が両方とも使われている例は多数あります。学術用語集に合わせて表記を統一することはどの分野でもあまりなされておらず、問題の規程は変更前から死文化していたものと思っています。

また、そもそも学術用語集自体、表記の方針が統一されていないように見受けられます。特に1974年あたりで常用漢字の扱いが変わったようで、1974年より後に出された版では可塑剤、崖、潮汐、勾配、塵肺といった常用漢字外の漢字も使用されています。1954年に発行された採鉱ヤ金学編では冶金は「ヤ金」で統一されていますが1978年に発行された原子力工学編では「冶金」で統一されています。その後も使用する漢字の変更があったようで、原子力工学編でも充填は「充てん」表記ですが、1990年以降、例えば1992年の建築学編(増訂版)では「充填」表記で統一されています。また、同じ年に発行された同じ分野の同じ単語であっても、例えば1984年の地学編では「円錐」は"cone of depression"では「円錐凹地」、"conical volcano"では"円すい火山"であるなど、統一されていない場合もあります。個人的には原則として用語は統一されるべきであり、その優先度は決して低くないと思いますが、統一するための参考として学術用語集はさほど優れた資料ではないと考えます。特に数学編は1954年の発行以降は改訂も増訂版もなくそれっきりのようです。50年以上も前の基準で数学分野を縛るべきではないでしょう。--BlueShift 2009年7月15日 (水) 12:48 (UTC)