Wikipedia‐ノート:検証可能性/何をもって公開されたとするのか

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何をもって公開されたとするのか[編集]

その1[編集]

Wikipedia:井戸端/subj/漫画における雑誌発売前のネタバレで論争(?)になっているのですが、出版物において、出版社が定める発売日よりも前にその出版物を購入することが地域によっては可能です。それらによって発売前に購入された出版物を検証可能性を満たす情報源として認めるか否か、どちらでしょう?上記での議論がやりやすいように、出来ればそれらについて明文化していただけないでしょうか。 --ひげもじゃ 2007年4月14日 (土) 21:38 (UTC)

たぶん、少年ジャンプなどの週刊誌を意識されているのだと思いますが、「入手できた」=「公開された」でよいと思います。ただ、ウィキペディアは速報サイトではないので、公開されたから何を書いてもよいというわけではないと思います。
質問は出版物全般について書かれていますが、書籍の場合は奥付にある発行日が入手可能になった日付より1か月以上後ということもあり(これは週刊誌でも同様かも)、また発売日が明確になっていないものも多いと思います。--Tamago915 2007年4月15日 (日) 02:45 (UTC)
問題は誰が入手できた時点で公開とするかかなと思っています。特許権におけるそれのような性質を持つのか、それとも著作権の公表のような扱いをするべきなのか、それともそれら以外なのか。どうなのでしょう?--ひげもじゃ 2007年4月15日 (日) 03:51 (UTC)
シンプルにいけばいいのではないでしょうか。つまり、どこかの地域で小売りで販売された時点から検証可能であるということです。ただまあ、週刊誌にしか検証可能な資料がなく、1日2日を争って掲載するような情報は、質的にはたいしたことがないものが多いので、ほかの方向から縛りをかける必要はあると思います。--Tamago915 2007年4月15日 (日) 12:44 (UTC)
横から失礼します。どこかの地域で小売りで販売された時点から検証可能であるというのには賛同でききるのですが、どこかの地域で小売りで販売されている事を証明できる事が必要になると思うんですね。私が週刊少年ジャンプを購読していたのは10年以上前(読売テレビのズームイン朝で、毎週月曜日に番組内で明日発売!と放映されていた頃)ですので、現在においてはどうなっているのかわかりませんが、当時の週刊少年ジャンプは「毎週火曜日発売」とありました。ですが、私の居住していた地域では、軒並み月曜発売でした。しかし、それを証明できない限り、検証可能性は満たさないと思います。それと、他の方向の縛りと言えばPortal:アニメ/速報的な記事の編集と未完テンプレートで充分だと思いますよ。--Takuan-Osyou会話|履歴2007年4月15日 (日) 12:55 (UTC)
>どこかの地域で小売りで販売されている事を証明できる事が必要になると思うんですね。
そこまで厳密になる必要はないように思いました。というのも、検証可能性という条件を設定している目的は、執筆者以外の利用者が記述内容が正しいかどうか、後から確認できるようにするためであると認識しています。この前提に立てば、重要なのはその情報の根拠が入手可能な形で特定できているかどうかであり、いつから入手可能であったかということではないと思います。
>他の方向の縛りと言えばPortal:アニメ/速報的な記事の編集と未完テンプレートで充分だと思いますよ。
同意します。「縛り」といっても新しいルールを作るつもりはなく、検証可能性という形で縛るのは不適切だろうという意味にとってください。--Tamago915 2007年4月15日 (日) 13:02 (UTC)
確かにそうなのですが、他方の縛りに根拠が薄いのがネックなんじゃないかと。現にPortal:アニメ/速報的な記事の編集自体に賛否が分かれており、衝突が起こっています(の議論もそれの一種)。結局そういうところで検証可能性の議論が出てくるので、"公開された"状態の解釈を統一させることでそれらの関連議題に対して一定の進展を図ることが可能だと思ったからです。検証可能性という形で縛るのは適切なのか?という以前に縛ることが可能か否かの議論ですので、どういう形であれ決着をつけて欲しいと思っています。--ひげもじゃ 2007年4月15日 (日) 19:10 (UTC)
Wikipedia:井戸端/subj/漫画における雑誌発売前のネタバレでは、発売日以前に小売りに出すことは契約違反であり、その状態で入手したものは検証可能性を満たさない、という意見も出ているようですね。確かに一理あると思いましたが、検証可能性とリンクさせて考えると問題がこじれてしまうと思います。速報的な記事の編集が、どのようなメリット・デメリットを生じているか検討して、どのような形が望ましいかを議論する必要があると思います。個人的には、「検証可能性」よりも「独自の研究」のほうが攻めやすいんじゃないかなと思うのですが……。--Tamago915 2007年4月16日 (月) 00:33 (UTC)

これは一般化すると難しいがこの例はダメでしょう。何せ公式にはまだ発売されておらず多くの人は実際に読めない、要は漫画家個人的に配った雑誌を出典とするのは禁止ということです。しかし一般化して、例えば世界に1冊だけしかない容易には閲覧できない本に書かれた事を出典とするのは妥当か否か?F86F 2007年4月22日 (日) 09:48 (UTC)

入手できた時点で公開されたと見なすべきです。物理的地域間の差は、個々の人の視点による理由に過ぎません。例えば海外生活者が「まだ近所の洋書店で売られていないから」と異論を唱えても却下されるでしょう。世界的な遺跡に自分はまだ訪ねていないからその遺跡の記事は問題だと言うのも変な話です。発売日よりも早くごく普通に売られている商品もそんなに珍しいものでもないです。売られている商品に関する記事は書くことに異論は無いでしょうが、発売日が未設定の商品は未設定であることが確認できない限り発売日以前だとして記事には出来なくなります。古代の書物は量産されるものではなく1冊しか存在しないことが当たり前でした。また、狭い範囲の知人に見せるもの(執筆者だけが閲覧するだけの目的の物も存在する)でした。そして現在では様々な理由で非公開になっていたとしても、それでも検証性はあると見なされています。検証性はその書物の複製品に対するものであってその書物そのものではないでしょうが。出典が多くの人が未来にならないと手に入らない書物であるのなら、その書物を手にした時点でそんな内容ではなかったことを確認したとして修正すれば良いでしょう。100年後の少年ジャンプだとか現時点では影も形も無いものを書いているわけでは無いでしょうし。発売日をもって公開されたとする意見の人には、「なんとなくそう思う」と「自分は原本を読む以前に内容を知りたくない」という人の2種類でした。前者は理屈を持ち合わせていないので議論にはならないし、後者は個人的願望の押し付けでしょう。百科事典は知らないことを知る為の道具なので、知らないことを知らされたことに腹を立てる人は百科事典に近付いた自分の行為そのものが間違いでしょう。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 04:00 (UTC)

発売日前の物は検証不可能。建前上は存在しない物が執筆者の脳内にだけ存在する妄想書物じゃないってことを証明できない。まともな本屋じゃ手に入れる事は出来ない訳だし、いくら執筆者が実物を手に入れていると言った所で、実際に売られていると言う事が証明出来なきゃ検証可能性を満たせないでしょ。発売日以降であればいろんな資料から、その本が既存である事が簡単に証明出来る。「どこにある何と言う本屋で売っている」まで具体的に言えば話は違って来るかもね。出版社にその店では発売日前に購入可能か確認する事が出来るから。
「近所の洋書店で売られていない」と検証可能性を否定する者が現れたら、なおさら発売日が重要。「○○出版社から×月×日に出版された△△の◇◇と言う本に基づき」って参考文献を示す際の最低限の情報。
発売日前に売られている商品は全く関係がない。発売日前であろう後であろうと商品そのものは検証可能性を満たすソースには基本的になりえない。その商品について述べた検証可能なソースがあれば問題なし。
古代の貴重な書物であればどこに所蔵されている書物であるかをきっちり示さなければ検証可能性を満たさない。複製で実物ではない場合は複製の書誌情報で実物と同じである事の証明が必要。--疾如颯 2007年5月20日 (日) 07:26 (UTC)
では、例えば2007年5月14日に発売されたとされる週刊ジャンプ2007年5月28日号が発売されたことをどうやって証明するのでしょうか。出版社に販売した店を問い合わせても、手にした物がその号である証明にはなりません。東京の神保町にある集英社本社に出向いて、現物を提示して同号に相違ないと承認を得るくらいのことが必要になります。確認作業を厳密に行いたいのなら自分の経費負担でやりましょう。その方式を提唱しても誰も同意しないでしょうから、全出版物に対して独りで確認作業をしてください。精巧な贋作で全体の中で1文字だけが違う出版物なんていうのも存在し得ます。それ以外の存在の証明方法があるのなら、それを提示しましょう。存在すると複数人表明したら存在なのでしょうか。発売日前でも少数ながらそれは可能でしょう。多数が必要なら、少数と多数の境目となる人数とその人数が証明に必要な人数であるという根拠を示しましょう。出来ないでしょうけど。出典の最低限の情報すら示していない今後も示されないであろう記事が多数あるが、存在を証明する方法に則っていない記事は検証性を満たしていないはずなので、削除申請を行いましょう。現物が最大の検証可能なソース(情報源)だと思うが、それが不適だとする根拠は何でしょう。それに関して記述された書物がソースであるのなら、そのソースとやらが妄想による書物でないことの証明も必要だろう。ソースとやらもその内容がその対象に関するものであるかを証明するソースが別途必要でしょうし、さらにソースを証明するソースを証明するソースが必要になるでしょうし。そもそも不存在の証明は通称「悪魔の証明」として不可能なものだとされていますが、存在の証明も困難を極めるものです。自分以外の存在が自分の妄想の中の存在ではないという検証もできませんし、自分が存在することすら証明できないでしょう。極論をするのなら現状のWikipediaではWikipediaそのものを破壊する以外に何にも出来ない。Wikipediaを発展可能な極論を思いついたのなら、人類史上の大発見になると思うのでぜひ表明してください。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 09:17 (UTC)
今回は、たまたま週刊なので、確認できるのも時間の問題なのでしょうが、これが「年刊」「季刊」だとするとやっかいですね。速報ではないのですから、公的な発売日を待ってから書く、というのが他の編集者への親切ですね。・・・つい先日ブレイブストーリーの項目で、とある嘘を除去しましたが、これも私が映画を見ていたからこそできたことで、発売日前に「発売された」と称して架空の話を書かれても困りますよ。今回の話をOKにしてしまうと、各項目で2ちゃんねらーが喜びますよ。ウィキペディアに嘘を書いて回る一団がいるようです。祭になったときに、全部修正しきれますかね?・・・ゆっくり腰を落ち着けて、発売日後に編集、という形が望ましいと考えます。--Album 2007年5月20日 (日) 09:59 (UTC)
愉快犯による荒らし行為は発売日に関係なく発生します。発売日後であれば祭りにならない、祭りになっても大丈夫だということは無いでしょう。愉快犯は愉快でさえあればそれで良く、発売日は関係しません。Wikipediaは善人が悪人よりも多いという前提で他人の善意に依存しているプロジェクトですから、排除することは現状では不可能なものです。Wikipediaは多くの目で査読検証することで将来的に真偽を極めようとしているもので、現在が真であることを保証していません。真なるもの以外の一切を排除する仕組みがもともと備わっていません。出典を明示させても、出展元と記事とが相違しない保証はありません。発売後でも嘘は大量にあります。エンターテインメントに関するものは目が多いことと薄っぺらい内容(検証が簡易)も手伝って嘘を見つけやすいだけです。最近、Wikipediaが有名になり主張の根拠にWikipediaを提示する人が少なくないですが、それを見るとWikipediaを根拠としている時点で嘘っぽさを感じるようになりました。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 10:39 (UTC)
同じ事を少し言い方を変えてみましょうか。
あなたは「発売日前に雑誌が入手可能な事」を根拠に「発売日前の編集」の正当性を主張しています。従って根拠としている「発売日前に雑誌が入手可能な事」についてWikipedia:検証可能性に基づいた検証可能な形のソースを提示し、ご自身の正当性を証明して下さい。
私への返信であろう2007年5月20日 (日) 09:17 (UTC)の版でのIP氏の発言に対して1つ1つ突っ込もうかと思ったのですが、突っ込みどころが多すぎて議論が散漫になってしまうのでこの場では控え、私のノートに氏の発言を引用した上で突っ込みを入れました。氏本人は当然、他の方でも反論等あればどうぞお書き込みください。--疾如颯 2007年5月20日 (日) 16:09 (UTC)
は?何処に問題があるのかを指摘しなければ反証しようがないです。原則無罪推定無罪が一般的なので、問題があると主張する者がそれを証明しなければなりません。強いて言えば制限される要件を満たしていないので問題なし。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 18:10 (UTC)
同じ事何度も言わせないでくれるかな。
発売日前の雑誌はその雑誌が実在する事を証明する検証可能なソースがないため検証可能性を満たしていません(←ここに問題がある)。従って発売日前の雑誌をソースとして記事を書く事は認められません。もし、この主張に反対されるのでしたら、発売前のが実在する事を検証可能なソースを示す事によって証明してください。
私は問題が「ある」事を根拠を示して提示致しました。ご自身が上で「悪魔の証明」と言う言葉をご利用の様に、「実在する事を証明する検証可能なソースが『ない』」事は証明出来ませんので、「ある」とお考えのあなたが証明をお願い致します。
P.S.是非とも私のノートの方にも反論してくださいね。--疾如颯 2007年5月21日 (月) 02:22 (UTC)

(インデント戻します)で、どうするか、なんです。そんなに週刊誌少年ジャンプなどの内容を我先に争って公開する必要があるでしょうか?私は無いと考えますし、そのような編集をする編集者は尊敬出来ません。ウィキペディア内で評価されることもないでしょう。むしろ「要注意人物」です。非常にストリクトに考えると、「公式発売日前の出典は認められません」と明記した方が良いでしょう。「売っているかどうか」ではなく、「公式発売日以前か以後か」という形が「公式な方針」としてふさわしいと考えます。「百科事典の編纂作業」という本質を忘れてはいけません。--Album 2007年5月20日 (日) 10:52 (UTC)

発売日 (発行日ではない) の前か後かは、信頼できる情報源にあたるかどうかに影響するという気がします。

これが学術論文だったりすると、査読の制度があるので、査読に通って雑誌掲載が決まった時点で出典にしてもいいとおもうんですね (新聞記事なんかでよく「論文は××日発行の科学雑誌『ネイチャー』に掲載される」なんて書いてあるあれです)。

漫画についてはそういう制度による情報源の信頼性の保証がないので、公式発売日をもって線引きするのが適切な気がします。 --Hatukanezumi 2007年5月20日 (日) 11:14 (UTC)

週刊ジャンプは先に例として挙げられていたから再用したまでです。貴方は他人と言い争ってまでWikipediaに関係する必要があるのでしょうか。無いでしょう。単に自分の行動が他人の利益に役立つということが快感で個人的利益を求めて動いているだけでしょう。自分が尊敬し他人に評価されるかどうかで善悪を判定していることから、そうなのでしょう。百科事典の編纂の本質とは具体的にはどういうものでしょうか。発売日が解禁日なら、不明あるいは未定の商品の記事はいつが解禁日なのでしょうか。絶対的な悪を働かず、他人に多大な迷惑かけない範囲で気楽に好き勝手にやればいいんじゃないでしょうか。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 11:22 (UTC)

Wikipedia:独自研究は載せないによれば、未発表のものは書けない、ということです(入手できたかどうか、ではありません)。公式な方針間で、矛盾を生させるわけにはいかないです。--Album 2007年5月20日 (日) 11:27 (UTC)
未発表の定義は何でしょう。それを説明しなければ私の考えに問題があることにはならないので意味が無いです。他人が著した書物に書かれていることが独自研究とはどういう根拠なのでしょうか。逆に私が任意で挙げたWikipediaで記事となっている著名な書物の発売日を教えてください。で、答えられなければ検証可能性を満たしていないので記事の削除申請を行い、申請が却下されたら私に食い下がったのと同じように食い下がると誓ってください。恥ずかしくて多分やらないでしょうけど。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 18:10 (UTC)
【未発表】まだ世間に発表していないこと。【発表】 世間へ表向きに知らせること。広く知らせること。(大辞林)
従って販売されていない著作物の内容は表向きに世間に知らされていないでしょうから、未発表と判断する事は妥当でしょう(以前に他の雑誌等で掲載されている等何かしらの形での発表がなされていれば別)。もちろん発売日前に販売されているのであれば、その時点で発表済みであると見なし、未発表ではないと言う主張は正当であるかと思います。ただしその場合は発売日前に売られている事の証明を検証可能な形でする必要があります。著名な書物の発売日については実存が証明できるのであれば必ずしも必要な情報ではありません(あった方がいいのは間違いなですが)。国会図書館の資料の検索なんかで引っかかれば十分検証可能であり実存を証明出来ますので。--疾如颯 2007年5月21日 (月) 02:22 (UTC)
どうも222.4.49.66さんが他人を非難する言葉は、この方自身にそっくりあてはまるように思いますが、ご本人は気づいていないようです。非難ってそういうものですが。
学術論文についていえば、発売日なんてものは常に未定です。繰り返しになりますが、そういうもので区切らなくても、情報源の信頼性と検証可能性を確保するための制度があるからですね。逆に、そういう制度がない分野の出版物については、なんらかの方法で情報源の信頼性と検証可能性を確保する方法を考えなければなりません。
222.4.49.66さんの議論は、「目に見えるものが検証可能なものだ」という、検証可能性に対する直感的だが誤った理解に基づいていると思います。 --Hatukanezumi 2007年5月20日 (日) 11:35 (UTC)
「にそっくりあてはまるように思いますが」という事が独自研究でないことを説明しましょう。私はどっかに書かれていなければなんて度量の狭いことは言いませんので、説明して証明できただけで明確な非難を行って良いですよ。ただし、証明が出来ていない独自研究の範囲では言うべきではないと思いますけどね。目に見えても検証不可能とやらを説明してください。逆に目に見えない、認知できない存在がどうやって検証材料になれるのでしょうか。学会論文が存在するとして、その論文が存在することをどうやって証明するのでしょうか。何かを用いて証明するとしたら、その用いた何かを検証しなくては証明自体が成立しなくなり、堂々巡りです。複数人が存在すると認めただけで検証は可能性です。普通の人は目にしたものを素直にそのまま記事にするでしょうが、検証可能性を認めらなければ記事に出来ないとしたら、記事にすべき存在があったとしてそれをどういう手順で記事にするのでしょうか。もしかしたら検証可能性判定員なる人がいて記事にしたいと思ったらその人を自宅などに呼んだり一緒に現地まで旅行でもするのかな?何らかの方法で考えるとは、具体的にはどうするのだろう。--222.4.49.66 2007年5月20日 (日) 18:10 (UTC)
とりあえずこのページで発言する前に、ページの表側Wikipedia:検証可能性をきちんと読みましょう。「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」と自分の発言を照らし合わせる事をおすすめ致します。いくらあなたが「目に見えたから検証可能だ」と言い、それがもし事実であったとしても、その事実をWP上で検証可能な形で証明しない限り意味がありません。そもそも議論の場で「俺見たもん」が論拠となる訳がないでしょう……。「自分が見たから間違いない。ネッシーは存在する。」「自分が見たから間違いない。早売りの雑誌は存在する。」こう並べたらいかに馬鹿げた主張かわかり易いでしょうかね?
論文については例えば論文集と言う形で実在するのであれば、書誌情報を並べる事で実在を証明出来ます。「書誌情報から論文集を探したけど実在が確認出来ない。ねつ造ではないか?」と疑われれば「○○図書館所蔵」と言う形でさらに担保すればいいでしょう。--疾如颯 2007年5月21日 (月) 02:22 (UTC)
そこを読む限り、現物が入手できれば(入手する手段があれば)検証可能であると読み取れます。発売日の前と後とで内容が変わるわけではないので、発売日前だから無効だとする根拠としては弱いのではないでしょうか。発売日前の雑誌は(存在はするが)信頼できる情報源ではなく、発売日を過ぎれば信頼できるようになる、ということであれば、そのように主張していただきたいし、なぜ同じ内容のものの信頼性が変化するのか、根拠も伺いたいと思います。
「自分が見たから間違いない。早売りの雑誌は存在する。」という主張はないと思いますが、誰のどの主張を指しているのでしょうか。雑誌を早売りすることの問題点は、ウィキペディアと関係のないところでもすでに指摘されていますから、早売りの存在自体を否定することはできないのではないかと思います。--Tamago915 2007年5月21日 (月) 03:56 (UTC)
最初に断っておきますが、私は早売り雑誌がある事自体を否定してはおりません。実際に購入可能な店も知っておりますし。ただそれを検証可能な形で証明するのは難しいだろうと言う事です。きちんと証明して頂ければその上で申し上げられる事もありますが、現状の「売ってる店があるのは事実だ」と論拠なしに言っている段階では論外です。このソースが示されなければ、発売日前後で内容は変わらずとも、その実在を担保出来る検証可能なソースの有無と言う大きな違いがありますので信頼性には雲泥の差が生まれます。
そして「入手できれば(入手する手段があれば)」ではなく「入手出来る事を検証可能なソースを元に証明出来れば」(それでもまだ独自の研究の問題がある様には思いますが)、私は検証可能なソースと扱い得ると思います。
「自分が見たから間違いない。早売りの雑誌は存在する。」というのは直接的にはIP氏の発言「複数人が存在すると認めただけで検証は可能性です。」を受けての物です。--疾如颯 2007年5月21日 (月) 05:34 (UTC)
早売りの是非はどうでもいいとおもいます。「公表のされかたが商習慣に反している」といったことは、ウィキペディアには関係ないことですし。ただ、わたしにとっては、上で「公式発売日で区切る」と意見を述べているのでさえも、かなりの妥協のつもりです。
漫画作品自体が、出版物というよりは一種の消費財として流通しているという実状があります。雑誌掲載されても単行本化されないことがあるのは論外として、単行本収録時 (時に再版時も) に書き換えが行われることなど日常茶飯事 (それが称賛されることさえある) です。雑誌掲載時の漫画作品は、典拠(出典)としてはとても不安定なものです。
査読によって水準が保たれている学術論文や、書誌のネットワークによって同一性、独自性を確保できる学術系書籍と比較して、情報源の信頼性や検証可能性は極めて低いと考えざるを得ません。
ですんで、ぎりぎりの妥協として、「せめて公式発売日くらいは、『その時点での確定情報の掲載された情報源を使った』ということを示すために、まもれよ」ということです。
蛇足。はっきり言って、「最新情報」を載せることにやっきになるより、これまでの漫画文化の蓄積に目を向けたほうが、百科事典らしい記述ができるとおもいますが。 --Hatukanezumi 2007年5月21日 (月) 06:19 (UTC)
こんな事件もあるので、入手出来ても発売日以前の公開は避けたいですね。「違法な入手ではない」という証明は出来ないはずです。--Album 2007年5月21日 (月) 08:53 (UTC)
インデントを戻します。話が発散して、検証可能性以外のところが論点となっていますが、もっと大きなくくりで議論すべきでしょうか。
疾如颯さん。「発売日前に入手できること」の情報源を求めてしまうと、「発売日前に入手できることの情報源」の情報源も必要にならないでしょうか。先にも書いたように発売日前でも後でも情報の内容に変わりはありませんから、そこにこだわっても仕方がない部分もあるのではないかと思います。
Hatukanezumiさん。その意見は脇に置いていただけますでしょうか。ここでは公式なリリース以前に入手できた情報を利用することの是非を考えているのであり、「どの時点でもその情報は使えない」という主張は混乱を招くだけです。
Albumさん。ほぼ同感なのですが、検証可能性を満たさないから、というのとは違ってきていると感じています。発売日前の情報公開の是非については、別のところに根拠を求めて検討するほうがよいと思います。--Tamago915 2007年5月21日 (月) 09:49 (UTC)
「使えない」と言っているわけじゃないんですが…まあいいや。いずれにせよお題がそういう話なら、「正規の流通経路以外で入手した商業出版物を『公表された』などとは言えないから、検証可能性を満たさない」(少なくとも、取次制度が絶対的な日本の商業出版流通では)、ということで、話は終わりだとおもいます。違法適法とか是非とかいう以前に。 --Hatukanezumi 2007年5月21日 (月) 10:30 (UTC)
「正規の流通経路以外で入手した商業出版物」は、いつまでたっても(正規に入手できる方法が発生しても)検証可能性を満たさないということでしょうか。そして、ある商業出版物が、正規の流通経路で入手されたものかそうでないかを、何らかの方法で確認できるのでしょうか。
前者がYes、後者がNoだと、すべての商業出版物が不正規に入手したものであり検証可能性を満たさない、という可能性が否定できなくなってしまいます。少なくともその出版物を出典とした情報が、検証可能であるかどうかを判断できなくなります。
当たり前のことを確認するようで申し訳ないのですが、正規の入手方法が存在すれば、その情報は正規に入手されたものと見なす、ということでよいでしょうか。--Tamago915 2007年5月21日 (月) 10:52 (UTC)
「正規に入手した」ことを私に証明できますか?出来ないでしょう。万人にとって、「公式発売日」だけが手がかりです。むしろ、「ウィキペディアは百科事典であり、速報は必要ありません。発売日後、一年以上経過した出版物だけを出典として採用して下さい」という一文を加える必要があるかもしれません。第一回刷りは落丁も多いので。--Album 2007年5月21日 (月) 11:00 (UTC)
証明できませんよ。できないからどうすればよいか、ということです。唐突に1年という期間が出てきましたけど、(1年でも何日でもいいのですが)それだけ経てば検証可能性を満たすようになるというわけでもないので、検証可能性の枠組みでは論じられないのではないでしょうか。速報的な記述で細かな編集を繰り返されることは私も好ましくないと思いますが、別の観点で論じるべきでしょう。--Tamago915 2007年5月21日 (月) 11:14 (UTC)
Albumさんの言うことには賛同できます。単行本の場合だって、厳密さが必要なときは、出典を「X版」とか「X版X刷」というところまで明記しなければいけないのですよね。それなのに「一度作品が公表されたらずっと変わらない」かのような話になっています。作家に対しても、ずいぶん失礼な話だと思いますね。
それはともかく、正規の流通経路で入手できるようになったという事実によって、検証可能性が確保されると考えるしかないでしょうし、流通経路の確認ができるかどうかは、論じる必要のないことだとおもいます (実際に検証してみようとするひとのなかには、正規の流通経路で入手する人いるわけですし)。 --Hatukanezumi 2007年5月21日 (月) 11:39 (UTC)
何度も同じ事しか言ってないんですが……。「発売日以前に入手可能である」と言う証拠を示すソースが、「発売日」という公式に発表されている情報並にきちんと検証可能性を満たす物であれば、ソースのソースは必要ありません。今の所私自身の「ある事は知っている」と言う発言も含め、一切ソースのない「あるのは事実だ」という個人的感想しか出て来ていません。「情報源の情報源が必要と言われるかも」と杞憂する前に、まずはソースを示されてはいかがでしょうか?
発売日以降であれば公式に発表されている「発売日」と言う情報自体が、「ある事は知っている」と言う個人的感想とは比較にならないソースとなります。内容が変わらずともその実在を担保する証拠があるのとないのとでは信頼性に雲泥の差があります。--疾如颯 2007年5月21日 (月) 13:32 (UTC)
ここでいう情報源とは、「少年ジャンプの今週号」のように特定の出版物について述べているのか、何でもよいから公式な発売日より前に流通している商業出版物の存在を示せばよいのか、どちらを意図されているのでしょうか。特定のものであれば、それを発売日前に入手した証拠(領収書など?)を示せばよいと思います。一般的な話であれば、存在している証明として、オリコンのデイリーチャートをあげておきます。たとえば、2007年5月15日のシングルCDのチャートには、翌日である5月16日発売の作品が多数ランクインしています。
なお、下で皆さんの意見に同意しているように、発売前の出版物を検証可能な資料として用いられるという主張については取り下げたいと思います。--Tamago915 2007年5月22日 (火) 09:49 (UTC)
下で同意されている事から必要ないかとも思ったのですが、まだ暴れてる方がいらっしゃるので念のために反論させて頂きます。
後者は、確かに検証可能な出典に基づいた物ではあるが一般論でしかなく、問題となっている雑誌そのものの実在を示していません。よって前者が私の意図していた物になります。
前者の領収書は、実際にお話し合いをするのであれば、日時・商品名・店名を書いてもらう事により1つ有用な証拠となります。しかしWP上で提示する事ができず、実在を証明出来ないと言う点では雑誌そのものと変わりがありません。したがってこちらは検証可能なソースとは言えないかと。
(あと推測でしかありませんが、早売りというのは店がルールを破って行なっている事ですので、品名・日時・店名を具体的に書いたしっかりと証拠となる様な物は発行してもらえない可能性が高い様に思います。)--疾如颯 2007年5月22日 (火) 15:22 (UTC)

その2[編集]

Miya.mです。基本的には「発売日」前の内容について、(漫画雑誌は知りませんが)出版元は保証していないはずです。通常の出版物であれば印刷後に間違いが発覚した場合、発売日前または配達前であれば「回収・廃却」と「再印刷」が行われます。再印刷が間に合わない場合や間違いが軽度の場合には「誤植の訂正」等の処置を行うことは、報道機関として絶対守っている基準です。それゆえ「発売日」前の書籍については、出版元の保証が無いものと判断すべきものです。つまり「発売日」前の書物の内容は「検証可能性」を満たさないものであると断言できます。Miya.m 2007年5月21日 (月) 12:32 (UTC)

すみません。Miya.mさんの指摘が当を得ているとおもいます。わたしに関して言えば、「発売日前回収」に触れると地雷を踏みそうなので避けようとしていたんですが、それが結果的に論旨を不明朗にしていました。漫画雑誌/単行本では、ほかの媒体とくらべても回収や再印刷措置が多いので。とにかく、ごめん。
ヤングサンデー『マイナス』キャンプ編回収騒動、週刊少年ジャンプ『私立極道高校』打ち切り時の「異本」発生、等。 --Hatukanezumi 2007年5月21日 (月) 13:51 (UTC)
以下の理解で間違いないでしょうか。間違いなければ、自分もこれで問題ないと思います。
  • 商業出版物の場合、公式な発売日以前の時点では、いかなる内容であっても信頼できる情報源とは見なさない。
何らかの理由で公式な発売日以前に入手できた出版物があった場合、発売日以降に情報源として使用してくださいということになると理解しています。それでよいでしょうか。--Tamago915 2007年5月22日 (火) 09:49 (UTC)
Miya.mです。Tamago915さんには、上記の説明がわかりにくかったようですので再度説明します。例えば発売日を数日後にひかえた雑誌(A)があるとします。時期的に既に印刷されて発送されています。しかし今(A)に重大な問題が判明したとすると、出版社は直ちに訂正した内容で再印刷・発送して発売日には(A')が店頭に並びます。その際(A)は書店から全て回収されて廃却されているはずで、ゆえに(A)が回収された事実は普通は公表されません。何らかの手段で発売日前の(A)を入手して、それを根拠に記事を書いた場合を考えると、出版社にとって(A')の内容が真実であり、(A)の内容は「あずかりしらぬ」事です。『保証が無い』というのはそういう意味です。ゆえに「発売日」前の書物の内容は「検証可能性」を満たさないものであると申し上げました。公式発売日前に入手した出版物を元に記事を書くのは止めるべきです。Miya.m 2007年5月22日 (火) 12:53 (UTC)
自分の理解と違うし、不自然な前提を置いているように感じます。ほとんどあり得ない仮定の下で議論を展開しないでいただきたいです。
誤植などで雑誌が改修される例があるのは承知していますが、Miya.mさんの主張される、「出荷済みの雑誌を回収したが一部は売られてしまって回収できず、その事実を公表しない」事例が発生するとは考えられません。普通は公表されません、となっていますが、回収できなかったものが確認されていれば(謝罪を含めて)公表するほうが自然でしょう。
HatukanezumiさんやAlbumさんを含めて、そこまでの主張は、他の方もなされていないように思いますが。--Tamago915 2007年5月22日 (火) 16:04 (UTC)

Miya.mです。私は「出荷済みの雑誌を回収したが一部は売られてしまって回収できず、その事実を公表しない」と言っていませんよ。出版元が「回収できた」と判断したら公表しませんし「販売されてしまっている」と判断すればその旨公表します。仕事が出版業界にも関係しているので色んな話を聞きますが、公表されない回収はかなりあるようです。でもあなたの2007年5月22日 (火) 09:49 (UTC)議論にある『何らかの理由で公式な発売日以前に入手できた』場合の「何らかの理由」の範囲の指定が無いので、正規の購入以外の入手方法まで考えておられると判断しました。その場合「公表されない回収版」も議論に入ってきます。例えば出版社や印刷会社や輸送機関の社員、本屋の店員等、発売日よりも前に記事の内容を知りうる立場にある人も多くいます。(これらの人は職業倫理上発売日前に書いてはいけないわけですが・・)というわけで、『公式発売日前に入手したものは不可』と申し上げました。Miya.m 2007年5月22日 (火) 21:38 (UTC)

公表されない回収の件、検証できる情報源があれば示してください(現状では、かつての別の議論であった、「知り合いの電車の運転手に聞いた」という主張と大して変わらないのでは?)。公式な発売日後に発売されているものは当然OK、小売りに出る前の印刷や輸送の段階で入手したものは当然NG(上のまとめ方ではここもOKになるように読めていました。すみません)で、いわゆる「早売り」がグレーゾーンであって、ここが議論の対象という認識です。
早売りされたものがあるのを把握していて、早売り分は回収せずに非公表で差し替えることがあるのか、早売りされたものの内容は正規に販売されたものと同じであると見なしてよいのか、一般的にどうなのでしょうか。前者の例がないのなら、早売りの出版物も発売日後は情報源として利用できるとしても問題ないし、そのほうが自然だと思います。--Tamago915 2007年5月23日 (水) 00:17 (UTC)
Miya.mです。「公表されない回収の件、検証できる情報源があれば示してください」ご質問のご真意が分かりません?真面目に問われているのか?からかわれているのか?????
ところでTamago915 さんも「所定の発売日以後に購入した書物の内容は「検証可能性」を満たすが、発売日以前に入手した書物の内容については大いに議論がある」ことはご理解いただけたと思います。正規のルートで公式発売日の前に購入した書物の扱いは、下記「何をもって公開されたとするのか3」のY tambeさんのご意見と同じです。Miya.m 2007年5月23日 (水) 15:03 (UTC)
でしたら、発売日前の出版物を検証可能と認めないとする立場の方は、皆さんほぼ同じ意見という認識でよいでしょうか。私の理解では、以下のような形になります。
  • 商業出版物は公式な発売日以降に入手されたものを検証可能な情報源とする。いわゆる「早売り」で発売日前に小売店から購入したものについては、発売日以降に情報源として用いることは認められる。
公表されない回収が行われる件ですが、本題ではないものの、もう一度質問します。実際にどのくらいの頻度で行われているのか、そしてそれを示す資料はどこで入手可能なのか。後学のために、また上の認識で合意するのであればその補強にもなり得ますので、教えてください。--Tamago915 2007年5月23日 (水) 15:41 (UTC)
えーと、細かいですが、それを「まとめの一言」にされちゃうと、表現上の問題から多義解釈を許すものになってますんで、将来、事例として扱うときにいささか不具合がありそうです。用語の統一性を期した、一意な表現でお願いします(下みたいな感じかな?)
  • 商業出版物は公式な発売日以降に入手されたものを検証可能な情報源信頼できる情報源とする。いわゆる「早売り」で発売日前に小売店から購入したものについては、発売日以降に情報源として用いることは認められる。
あるいは次のような感じで(上の言い換えですが)
  • 公式発売日以前に入手したものについては、(ウィキペディアにおける附則を伴わない、文字通りの意味での)検証可能性はあったとしても、「信頼できる情報源」として扱えるかどうかについては疑問がある。このため、正式発表以前の段階では、原則としてWikipedia:検証可能性に定義された「検証可能性」を満足できないものとして扱うということで、概ね合意を得られた。
まぁ今の時点で「概ね合意を得られた」なんて言いきっちゃっていいかどうかは、正直疑問ですけれども(特に、メインカルチャー系などの真っ当な執筆者の活動に支障を来す可能性を見落としてないかには、まだ不安が残ってるんで、ちょっと表現に含みを残してますが)、こんな感じのまとめ方でどうでしょうかね。--Y tambe 2007年5月23日 (水) 16:13 (UTC)
了解です。上下いずれでも、その表現のほうがいいですね。まだ合意にはならないと思いますが、ここまでのまとめにはしてもよいと思っています。--Tamago915 2007年5月24日 (木) 00:20 (UTC)

もう書かないほうがいいかと思って黙ってたんですが、Tamago915さんあんまりではないかと。

「ある資料の特定のコピーが、ほかのコピーと同一かどうか」というのは、言ってみれば書誌学のテーマでして、検証可能性に直結する話なんです。それに、「ある資料が、公式発表以前と以後でたしかに同一である」と証明しなければならないのは、掲載を希望する側であって、検証する側ではないんですよ。それを「どうせおんなじだろうからいいだろう」などと切って捨ててしまうのは、論外だと思うんですね。いままでの議論をぜんぜんわかってない。

ただ、「現実問題として、書誌自体の検証可能性を言い出すと際限ない資料批判の連鎖に巻き込まれてしまうから、せめて発売日を基準にして、その時点で入手可能な情報は検証可能とみなしてもいいんじゃないか」と言ってるだけなわけですよ、わたしは。「俺早売りで見たもん」なんていう話をしてるわけじゃないんです。

Tamago915さんはもうちょっと、「自分の見た(読んだ)ものを、客観的にどう伝えるか」ということについて、悩んだほうがいいとおもう。わたしは、現在のような議論に基づいて「発売日以降ならOK」という合意が形成された、などということを、記録に残さないでほしい、と思います。

何言ってるかよくわからないとおもいますけど、「自分はわかっていないのだ」ということくらいはわかっていただきたいです --Hatukanezumi 2007年5月23日 (水) 16:52 (UTC)

いわれていることは理解しているつもりです。発売日前に購入したものをどう扱うかが違うだけ、ですよね。
  1. 印刷や流通過程など、小売りに出る前に入手したもの
  2. 発売日前に小売りに出され、そこから購入したもの(いわゆる「早売り」)
  3. 発売日前から小売りに出されていたが、そのまま小売店舗の店頭在庫に残り、発売日後に購入したもの
  4. 発売日後に小売りに出され、そこから購入したもの(正規の購入)
1がだめで4は問題ない、というのは合意できていると思います。Hatukanezumiさんと私の見解が分かれているのが2ですけど、早売りした日にすべての在庫がさばけるわけではありませんから、3の状態は発生します。そして3と4は区別がつかず、2と3は同じものという認識です(私は1も同じだと考えていましたが、流通過程で回収されることもあるとのことなので、1については撤回しています)。
こういう質問をすること自体「わかっていない」のかもしれませんが、3を信頼できる情報源と見なすかどうか、それから2についてはどうなのか、見解をいただければと思います。--Tamago915 2007年5月24日 (木) 00:20 (UTC)
話すこしもどりますが、
>>公表されない回収が行われる件ですが、本題ではないものの、もう一度質問します。実際にどのくらいの頻度で行われているのか、そしてそれを示す資料はどこで入手可能なのか。
これについてですが、出版関係者にインタビューでもして確かめてください (ちなみに当然ながら、検証可能性はウィキペディアの記事に対して求められるもので、ノートでの議論に対して求められるものではありませんので、独自に調査された結果に基づいて結論を下すことに問題はないです)。
だいたい、「公表されないこと」がどのくらいの頻度で行われているかなんて、客観的に示せるわけがないでしょう。ときおりたまたま公表される事実から推し量るしかないです (たまたま公表された例については、わたしは少しですがタイトルを例示してもいます。当時の新聞報道を読むなり、参考書を探すなりして、どんなことが起こったかやどんな類例があるかについて、自身でお調べください)。
さて、上記 Tamago915 さん 2007年5月24日 (木) 00:20 (UTC) の問いは、「必ずしも公表され得ない事実」に対して「見た目で区別がつくか」という観点から検討を加えようとしているので、ナンセンスな議論だとおもいます。
はっきり言ったほうがいいのかな。わたしは、公式に公表されたとみなせない資料に基づいて記述ができる、という意見には反対します。「早売りを資料と認めるかどうか」というのは、論点の矮小化ではないかとおもいます。ですので、それについてここで合意を形成する必要はないように思います。むしろ、下の第3節で出ている観点のほうが重要でしょう。 --Hatukanezumi 2007年5月24日 (木) 03:53 (UTC)
早売りが「論点の矮小化」で「合意を形成する必要がない」のではなくて、この点こそに合意が求められており、論点が広がったという状態です。それはこの議論の発端となった質問でも明らかでしょう。
「公式に公表されたとみなせない資料に基づいて記述ができる、という意見」は出てきていないので、それに反対してもあまり意味はないでしょう。ここでは、早売りが「公式に公表されたとみなせない資料」か、そうだとして発売日になれば公表されたと見なせるのか、というのが議論の核です。
余談ながら、「出版関係者にインタビューでもして」は、Miya.mさんが出版関係者と表明しています。それでMiya.mさんに質問しているので、あなたが口を挟むことではないのでは? --Tamago915 2007年5月24日 (木) 04:15 (UTC)
やっぱりわかってもらえてないみたいですが、あなたは、4つの場合について「いずれも同じものである」という場合のみを検討しようとしているのです。どうやってそんなことがわかるのですか? --Hatukanezumi 2007年5月24日 (木) 04:28 (UTC)

Miya.mです。Tamago915 さんは内緒の書籍前売りルートを知っていて、他人より早く速報記事を書きたい一心で議論をされているように聞こえます。ノートの議論で「検証できる情報源があれば示してください」を口にされる方が、『百科事典として重要な』記事内容についての検証可能性について今までの議論を全く無視した議論をされているのは、多分そんな理由があるのではないですか。

書きたい一心でいるから、妙な曲解をして議論を停止させようとしていますね。「Miya.mさんが出版関係者と表明しています」のご発言は私の発言「仕事が出版業界にも関係している」についての、一方的である意味敵意のある(その上配慮に欠ける)解釈ですね。実際「仕事が出版業界にも関係している」人の範囲を挙げると、出版社の守衛、印刷工場の電気主任技師、印刷工場の向かいにある喫茶店のマスター、古紙回収業者、新聞配達の人など様々です。私を含むこれらの関係者は「俺に聞かれても答えられるわけがない」人ですが、「回収された印刷物の山を見たことがある」や「この間『一部たりとも外へ出すな!』なんて騒いでいた」のは覚えています。外に出てしまった件ではHatukanezumiさんのご指摘もあります。そんなことがあるので「所定の発売日以前のものは疑ってかかったほうが良い、百科事典執筆の論拠としてふさわしくない」と再三申し上げています。Wikipediaでは記事執筆者側に「検証可能性」が求められます。「早売り」を元に記事を書きたいのであれば、Tamago915さん自ら「早売りの内容も出版社が保証している」事を証明すべきです。その手間を惜しいと思われるのなら「書くべきでない」と申し上げますMiya.m 2007年5月24日 (木) 13:10 (UTC)

その3[編集]

現物が存在しているということがどうして検証不可能であるのかを示さなければ反論にはならないでしょう。発売日前だとしてもジャンプ編集部に持ち込めは、保証してくれるでしょう。発売日後だと、どういう手段で検証性を担保した後に記事化しているのか。検証なんてしていないのが実情で、発売日の前後で何も扱いは変わっていないでしょう。誰かがそれの存在を文章にしてあることが検証性なのでしょうか。内容をWikipediaの記事以上に記事以上に詳細に文章化していないと検証性を満たしていないとすれば、それを多くの人の目に触れる状態にするとそれは著作権法違反です。証明は異議を持ったものが提示すればよいでしょう。記事化した人を割り出して自宅に乗り込んで人生を一生補償するくらい最大限に頼み込めば、多分きっと現物を見せてくれます。難易度がゼロでなければ検証性が無いなんてことはないでしょう。逆に発売日後ではどうやって存在を証明したのでしょう。存在しているはずだとの見込みでは証明にはなりません。発売日前には「検証可能なソースが無い」ことを証明しなければ、反論になりません。自分は立証不能な言い掛かりだから言い掛かりをされた人が反論義務があるなんてのは虫の良い話です。そして発売日前では独自研究で、後だと独自ではなくなるのかを説明しましょう。Wikipediaは他人の検証を受けた後に記事化するものではなさそうですし、入手できれば検証の手段が発生するので検証可能でしょう。「売られていることを証明しなければ存在しない」という点に執着する理由は何でしょう。本屋で買わないと記事化できないとでも言うのでしょうか。発売日後では国会図書館で検索ができるとしても、発売日前の不存在の証明にはなりません。それと、現物には被検証能力が備わっていないことを説明しましょう。正規不正規と検証性は関係ないでしょう。世界に1個しかない文化遺産が盗難の履歴があった場合、その後の検証性は消滅してしまい、Wikipediaでは存在不明になってしまいます。Wikipediaはそのシステムによりタイムリーだと説明されていますが、速報は必要ないとは矛盾しているでしょう。また、早い情報は嘘で遅い情報が真実だというのを証明しなくてはなりません。雑誌回収は、存在しなかったのではなく逆に記事になる存在を強く印象付けるトピックでしょう。商業出版物だからなんとなく発売日で線引きというのでは根拠が弱いでしょう。発売日は未設定で編集部に問い合わせても非公開だと、永久にWikipedia的には不存在になってしまいます。順に指摘したので、自分の箇所と思える部分だけ読んでください。--222.4.49.66 2007年5月22日 (火) 11:00 (UTC)

222.4.49.66さんには、まず公式な方針「検証可能性」本文の、「X理論のたとえ」を読んで欲しいです。まず、話はそれからです。--Album 2007年5月22日 (火) 12:01 (UTC)
漫画家に「次号のアレ、嘘だから」って言われて『嘘でない』ストーリーが記事になったんですか?編集者や編集長の査読を経ずに原稿が印刷されたんですか?それとも別の出版社の編集部に査読してもらって漫画の内容がこの世の真実だと言質を取る必要があるということですか?頼まれてもいないのにしゃしゃり出てきて、自分が話に参加するのは相手が読んでからなんて思い上がっている輩は、それからなんて言わずに永久に話に加わらなくて良いです。--222.4.49.66 2007年5月22日 (火) 12:57 (UTC)
本文のX理論のたとえの部分で、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」と理由を明記してあります。発売日前の出版物は、この理由で最初から不可です。私は東京在住で、主要な出版社が30分以内ですが、「取引先担当者から発売日3日前に出版物を見せてもらった」などと称して「ワンピースの主人公は今回で死んだ」と書いたとして、その記述は3日間放置、してくれますか?そんなに私のことを信用していいのでしょうか?信用する理由などありません。「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」という理由で、書いてはいけないのです。「入手した」などと称する人間を信用する理由はどこにもありません。「信用する理由がどこにあるでしょうか?」と本文にも書いてあります。-Album 2007年5月22日 (火) 13:17 (UTC)
満足な検証とは具体的にどういう検証なのでしょう。それが全部の記事に満たされているのでしょうか。Wikipediaで嘘が3日以上放置されていることは珍しくないですが、全ての記事の誤りを3日未満にする方策を公開しましょう。公開しないのなら、限られた記事だけ3日を問題視する合理的な理由を示しましょう。誤りは修正されるであろう。興味を持つ人が多い対象の記事は速やかに修正されるだろう。これがWikipediaです。あと、まだ読んでないので参加しないでください。--222.4.49.66 2007年5月22日 (火) 13:57 (UTC)
「満足に検証」とは、基本的に誰でも入手可能、すなわち「発売日後」、です。それから「他が酷いから、ここもいいじゃないか」という反論はあちこちでよく見ますが、特にここのような「公式な方針」のノートでは説得力を欠きます。「みんな盗んでるじゃないか」と反論しても、万引きは許されません。--Album 2007年5月22日 (火) 14:05 (UTC)
誰でも入手できるものしか記事になっていないのでしょうか。誰でも入手できるが正しいなら、そういう記事以外は削除すべきで、早く自分の主張を実践しましょう。しないのなら、「誰でも」は自分の主張が正しそうに演出するだけの方便に過ぎないと自覚しているのでしょう。「他が酷いから」なんて勝手に創作したものに批判しても意味無いです。検証性などと言うなら、相手が何を言っているのか自分の分析に対する検証能力を確立することが先決でしょう。--222.4.49.66 2007年5月22日 (火) 14:35 (UTC)
公式な方針のノートで「現状こうだから」という話をしても無駄です。公式な方針は進むべき道を示しています。ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないからだめです。何年でもずっと反対します。--Album 2007年5月22日 (火) 15:13 (UTC)
自分の分析の検証を指摘した結果が「現状がこうだから」と創作しているようでは、自ら主張したとおり何年でも話に参加しない方がよいです。進むべき道は、究極的には全地球人が検証し終えたもののみの掲載でしょう。それは非現実的だけど、道と言いつつ勝手に妥協する。妥協点の合理性を説明し、妥協の合意を得ましょう。出来ないし、しないでしょうけど。理想は常に最大限に高く持つ。しかし理想論で規制すると、理念だけ高くて中身が伴わないことになる。中身を伴わなくても理想が最優先と言うのなら、蛮勇なれど見上げたものだが、弊害を全く考慮しないやりかたは止めておくべきだろう。それと、他人の意見を勝手に創作する上に参加せずとしていた自分の主張すら守らないのだから、取り合わずに無視するのが一番か。参加させてもらいたいのなら、自分の分析や意見を最低限は検証しましょう。話が進まず邪魔だから。--222.4.49.66 2007年5月22日 (火) 15:46 (UTC)
全体的に言える事ですが何一つ根拠を示さない「○○でしょう。」と言う推論が多すぎます。議論をしたいのであればきちんと根拠を示しましょう。それから自身の発言の中で出て来た「悪魔の証明」をきちんとご理解ください。そして何よりも一番重要な事ですがWikipedia:検証可能性を良くお読み頂き、公式な方針に従い下さい。場所取ってしまって申し訳ないとは思いつつ、以前ノートで総ツッコミをした時は無視されてしまいましたので今回はこちらでやらせて頂きます。以下IP氏の引用を斜体で、私のツッコミを一段下げて記述しています。
現物が存在しているということがどうして検証不可能であるのかを示さなければ反論にはならないでしょう。
何回も示しているんですが……。具体例を挙げて説明すればご理解頂けるでしょうか?
あなたは発売日前のサンデーを元に記事を書いたとします。当然「そんな本はない。ある事を証明しろ」となりますな。しかしあなたの理屈では、あなたは「現物を持ってるから証明をしなくていい。ないと言うならない事を証明しろ」と答えればいい事になります。
私が『世紀末伝説マジカル☆デストロイ』の3巻を元にして記事を書いたとします。当然「そんな本はない。ある事を証明しろ」となりますな。しかしあなたの理屈では、私は「現物を持ってるから証明をしなくていい。ないと言うならない事を証明しろ」と答えればいい事になります。
発売日前だとしてもジャンプ編集部に持ち込めは、保証してくれるでしょう。
保証してくれる根拠はなんでしょう? なければあなたの妄想です。
発売日後だと、どういう手段で検証性を担保した後に記事化しているのか。検証なんてしていないのが実情で、発売日の前後で何も扱いは変わっていないでしょう。
実情がどうであろうと検証可能性はWPの最も根本的かつ絶対的なルールです。たとえ「検証なんかしていない」が実情であったとしても、それがWPの公式な方針である「検証可能性を持たなければならない」と言う事を否定する事にはなりません。そして何度も申し上げていますが、発売日以降であればその存在を担保出来る検証可能な証拠があります。
誰かがそれの存在を文章にしてあることが検証性なのでしょうか。
結局WP上ではそうなってしまいますね。もちろん実際に実物を示せる環境であれば、実物を示す事が最も確実に検証性を満たす方法でしょうが、インターネット上の文字のやり取りだけで検証性を満たさなければいけないWP上ではできませんので。WP上で検証可能な形で証明するとなると、結局「信用できる第三者情報源に基いて書く」と言う方法になるかと。
内容をWikipediaの記事以上に記事以上に詳細に文章化していないと検証性を満たしていないとすれば、それを多くの人の目に触れる状態にするとそれは著作権法違反です。
いいえ違います。丸写しであればそれはもちろん著作権違反ですが、WPに載せるためにはソースとなる情報を百科事典としてわかり易い様に要約したり、文体を変えたりと様々に手を加える必要があります。
証明は異議を持ったものが提示すればよいでしょう。記事化した人を割り出して自宅に乗り込んで人生を一生補償するくらい最大限に頼み込めば、多分きっと現物を見せてくれます。難易度がゼロでなければ検証性が無いなんてことはないでしょう。逆に発売日後ではどうやって存在を証明したのでしょう。存在しているはずだとの見込みでは証明にはなりません。発売日前には「検証可能なソースが無い」ことを証明しなければ、反論になりません。自分は立証不能な言い掛かりだから言い掛かりをされた人が反論義務があるなんてのは虫の良い話です。
ご自身で「悪魔の証明」と言う言葉を出しておきながら、全く正反対の事を言わないでください。恥ずかしくないですか? 誰かが「ない」事を主張した場合、それに反対する者は「ある」事を証明しなければなりません。なぜなら「ない」ことを証明する事は事実上不可能ですが、「ある」事を証明するのは一例を挙げればいいだけの事だからです。したがって、「ある」事が証明されない限り、「ない」事が事実相当として扱われます(前述の通り、ない事を完璧に証明する事は出来ない)。こんな事、議論する時の常識中の常識です。
発売日後に存在する事は公式情報である公式サイト(例少年ジャンプ 少年サンデー)や、信頼性の高い国会図書館の資料の検索等で証明できますね。
そして発売日前では独自研究で、後だと独自ではなくなるのかを説明しましょう。Wikipediaは他人の検証を受けた後に記事化するものではなさそうですし、入手できれば検証の手段が発生するので検証可能でしょう。
また同じ事言いますが、発売日前記事は実在が確認できない書物に基づいているため検証不可能であり、WP上では公式の方針によって検証可能性を満たさないものは独自の研究と見なされます。他人の検証を受けた後に記事化する訳ではありませんが、記事化された物に対して原典を求められれば検証可能な形で提示する義務があり、提示されなければ記事は当然削除されます。そして何度も言っていますがあなたが入手出来た事が脳内妄想ではない事が証明出来ない限り検証不可です。
「売られていることを証明しなければ存在しない」という点に執着する理由は何でしょう。本屋で買わないと記事化できないとでも言うのでしょうか。
「売られていることを証明しなければ存在しない」でもいいのですが、より正確に言うのであれば、「発売日前に実在する事を証明しなければ存在しない事になる」ということです。なぜなら実在する事が証明出来なければ、それはあなたの脳内妄想と同等だからです。『世紀末伝説マジカル☆デストロイ』の3巻がある事を証明出来なければ、その本が実在するとは扱われないでしょう? なお、買わないと記事化出来ないなんて一言も言ってません、実在が証明された検証可能なソースに基づかなければ記事化は出来ませんが。
発売日後では国会図書館で検索ができるとしても、発売日前の不存在の証明にはなりません。それと、現物には被検証能力が備わっていないことを説明しましょう。正規不正規と検証性は関係ないでしょう。
また出てきましたね、「悪魔の証明」。不存在の証明は出来ません。不存在を主張された場合、反論したいのであれば存在することを証明して主張してください。上でも述べましたが、現物を実際に提示する事が出来るのならいいのですが、WP上では不可能です。
世界に1個しかない文化遺産が盗難の履歴があった場合、その後の検証性は消滅してしまい、Wikipediaでは存在不明になってしまいます。
盗難に遭えば存在不明なのは当たり前です。しかしそう言う貴重な物であれば、必ず何かしらの形で複製が存在しますので、そちらを原典とすればいいだけの事です。何の複製もなければ、当然検証不可となりますので、出典とする事は出来ませんね。その場合でも「存在したけど盗まれた」事が新聞にでも掲載されればそれを出典として「実在したと言う事実」は検証可能に掲載出来ますね。
Wikipediaはそのシステムによりタイムリーだと説明されていますが、速報は必要ないとは矛盾しているでしょう。また、早い情報は嘘で遅い情報が真実だというのを証明しなくてはなりません。
検証可能性の話に、速報性の話は一切関係ありません。該当ページで御主張ください。早い情報が嘘とはいっていません。発売日前で実存が証明出来ないため検証不可能なだけです。
雑誌回収は、存在しなかったのではなく逆に記事になる存在を強く印象付けるトピックでしょう。商業出版物だからなんとなく発売日で線引きというのでは根拠が弱いでしょう。発売日は未設定で編集部に問い合わせても非公開だと、永久にWikipedia的には不存在になってしまいます。
雑誌回収がされた場合、「雑誌回収がされた」と言う検証可能な論拠がなければ記事には出来ません。発売日は公式に発売されている情報であり、極めて明確な基準です。発売日未設定であっても 国会図書館 等いろいろな方法で存在を証明出来ますので実際に販売されていれば永久に不存在になると言う事はまずあり得ません。
--疾如颯 2007年5月22日 (火) 14:08 (UTC)

長々と議論されているところに割って入って恐縮ですが、発売日前に「検証可能」かどうか(というか「発表済」かどうかの問題のような気もしますが)を議論したところで、所詮は数日間のことでしかないですよね。そんなに目くじら立てて議論して、厳密なルールにしなければダメですか?仮に数日間のフライイングを押さえることができたとしても、発売日になれば「よくもやったな!検証できないと言ってたけど、やっぱり俺の言うとおりだったろう!」みたいなことになるに決まってて、かえって不愉快かもしれないと思ったりします。それより、例えばWikipedia:信頼できる情報源の「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです。」を早いとこ公式な方針にして、「漫画作品をソースにしてその作品自身の記事を書くな!」という方が、効果があると思うのですが・・・--Dwy 2007年5月22日 (火) 18:55 (UTC)

Dwyさんに同感です。加えて、検証可能性等で要求されているのは「公刊された信頼できる情報源」であり、早売りで入手した公式にはいまだ発表されていないようなものは「公刊」とは言いがたい、ということも顧慮すれば答えはおのずから出るのではないかと思います。--Aphaia 2007年5月22日 (火) 23:36 (UTC)
Dwyさんの前半部に関して同意です。そもそもこれを「検証可能性」のところで議論しようとするから、いらん議論を呼ぶというか……確かに「速報の規制」にしてももっとも強制的な規制力を発揮できそうなのは、このWikipedia:検証可能性ですから、規制を強く望む人がここに議論を持ち込むことで自論に有利に展開したい、というのは心情的に理解はできますが、上位すぎるレイヤーに話を持ってきてもメタ論が繰り返し展開されるだけなんで、適材適所でやりましょうよ。
ただし後半部については、学術原著論文を情報源とせざるをえないケースがある(というか、英語版は実質、そっち方向に向かってる傾向が強い)ので、サブカル等を規制したいがためにその文言を無思慮に振り回されると困りますし、安易に賛成はしかねます(多分内心で考えておられるだろう内容については、ほぼ同意なんですけどね)
で、この内容について議論するのにもっとも相応しいのは、公式化前とは言え、やはりWikipedia:信頼できる情報源だろうと思います。上での議論の応酬は、結局のところ「検証可能性」というものを、単に文字通り「情報源への到達性」と解釈した意見と、ウィキペディアにおける検証可能性で定義されてるように『信頼できる情報源』まで要求している意見との間でやりとりが行われているわけです。
「情報源への到達性」ということであれば、雑誌の発売前であっても到達不能と「断言」することはできないでしょう。例えば学術論文の場合、上でHatukanezumiさんも主張されてますように、採用が決定した段階 (accepted) であれば、発行巻号が未定であっても「in press」という形で、他の文献から参照することが通例として認められてます。こういったケースでは必要に応じて、出版社に内容確認を取ることで、情報が「確かに信頼できること」を確認できます。発行までに要する時間がかかる(けど次に書いてる論文で参照する必要性がある)場合など、正当な理由がある場合にはこうやったやり方で「情報の信頼性」を保証し確認するやり方ってのは存在してるわけです。
ただし今回のケースで問題になってるのはそういう到達性の問題ではありません。ではなくて「発行日前の雑誌を『信頼できる情報源』として扱えるか否か」という点です。これは「検証が可能か/不可能か」というように(まだ比較的)白黒はっきりと割り切れる問題ではなく、グレーな部分というのが存在します。で、まさに「発行日前の状態」というのは、この「グレーのケース」であろう、と思います(もうちょっと言うと、灰色というよりは、シュレディンガーの猫のような状態、という方がしっくりきますけど)。
だから今回のケースで「発行日前の雑誌でもOK」と主張したい人が、いくら到達性の話をしても意味はないんです。みんなが「『信頼できる情報源』とは認められない」グレーなものとして考えて反対してるわけなので、そこをいかに説得して「信頼できる」と認めさせることができるか/それともやっぱりできないのか、という方向で議論をしなければならん案件なわけです。このケースは「発行日前の雑誌を情報源として記述を行った人」に対して、「その情報の信頼性に疑問あり」という人がいたわけなんですから、最初に記述を行った人に、その疑問を払拭するに足るだけの証明が要求されます。そしてそれは「俺の手元に現物がある」じゃ不十分です。もし発行前記載を認めさせることを望むのであれば、その辺りをいかに説得し、周囲を納得させる論理を展開できるかを考えてから議論して下さい。で、それができないのであれば、あきらめていただくしかないでしょう。
通常は「発行日前の雑誌に載っているという情報が正しい」ということを証明したいなら、「発行されるまで待つ事」もしくは「発行前であれば、出版社に対して信頼できる通信方法を用いて内容を確認すること」のどちらかが要求されるでしょう。そして、ウィキペディアにおいては締め切りや論文発表競争など、時間的に急いで記載しなければならない理由は存在しないはずなので、通常は「発行されるまで待つ」ことを選ぶ方が順当でしょうね。そうでない形で、いわば「例外的に」載せることを認めろ、ともし言うのであれば、その例外性に見合った「例外的な理由」が要求されるでしょう。既定路線と違うやり方で自分のやり方を通そう、というときには、それに伴う障害や手間がもれなくセットになってるってことは、予め覚悟しておくべきことかと。--Y tambe 2007年5月23日 (水) 03:09 (UTC)