Wikipedia:井戸端/subj/漫画における雑誌発売前のネタバレ

ネタバレフライングについて[編集]

現在、ONE PIECEの登場人物一覧にて、雑誌でさえまだその話の回が発売されていないのにそのネタバレを書く人がいます。恐らく、 2ch かどっかのネタバレ情報なのでしょうが一般に発売される前のネタバレは非常にまずいです。 Wikipedia では基本的に完結していない作品はある程度まとまってから編集するという方針で、これは大多数が「単行本発売以降」という暗黙の了解みたいなものに同意していると思います(とぼくは思っています)。まだ、雑誌が発売された以降(単行本発売前)に書いてしまうのは何となく分かるような気もするのですが、さすがにまだ一般に発売もされていない話のネタバレをするのはどうかと思います(実際にこれでぼくも2回ほど楽しみ?を奪われて少しがっかりしました)。どうにかできないものでしょうかね。こういう編集をするのは IP ユーザーが多いみたいなのでそういう特別な処置とかとれないでしょうか。ネタバレが書き込まれる度に戻していたら、却って無駄な編集になってしまいますし、投稿者も(そういうルールがあることを知らずに)善意で投稿している場合が多いと信じています(単純に知っているネタバレを書いているだけということは...)。 --Mzm5zbC3 2006年10月26日 (木) 18:22 (UTC)[返信]

ノート:ハヤテのごとく!#本誌発売前の編集で同様のケースについて議論が起きています。ネタバレの是非については私は関心がないんですが、その段階で建前上世の中に存在していないはずの雑誌を検証可能なソースと位置づけるのは非常に無理があると思うので、その観点からは問題だと考えます。というか早売りとか2chのうpスレとかで得た情報を書き込む人って、誰かのモラルに欠ける(場合によっては違法な)行為のおこぼれにあずかっている自覚はないのかな。--cpro 2006年10月27日 (金) 00:42 (UTC)[返信]
あと怖いのは「検証可能性」を武器にしてただ長いだけの要約(という名前の駄文)を乗せるような人に限ってその後で削ると「(情報を保存するよう努力する事を杓子定規にあてはめて)削るな」と怒り出すという構造ができてないかということ。「検証可能性」はWikipediaに掲載するための必要条件であっても十分条件ではない。本当に熟成した記事を書くなら作品自体が終了するかせめて「~編」とかが終わった時点で振り返って書いたほうが本当にいい記事になるとおもんですが。とりあえず「完結していない作品はある程度まとまってから編集する」についてはアニメだけでなくてガイドライン的なものに持っていけないかとは思います。--SeyfertSluw 2006年10月27日 (金) 01:48 (UTC)[返信]
そうなんですよね。ネタバレに関しては、基本的に制限してはならないということも分かってはいるのですが、「ある程度」と曖昧だから人によっていろいろな解釈が可能になってしまい、それがこういう問題の原因の一つなのかも知れませんね。どのタイミングで書くべきかなども明確に示した方がいいと思います。本来ならば確かに作品が終了した後、または現在の「~編」が終わった時点で書くというのが理想なんですよね。で、上記でも議論の的になっている「検証可能性」ですが、公には雑誌が発売される前の状態ですぐに書いてしまうのは多くの人にとってその事実を確認することが出来ず、また不必要な(不用意に)ネタバレなので好ましくないと思います。で、雑誌が発売された後ですが、これもその号を購入していなければ(あとで)確認することが出来ません。単行本が発売後ならその気になれば容易に検証可能であり、(この際には個人個人で購入可能かどうかは別にして)やはり、小出しにするとしても最低単行本発売以降という形が一番、しっくりきて分かりやすいのではないでしょうか。なお、一部の単行本に収録予定のない書き下ろし作品などに関しては例外とせざるを得ないですが、それでもある程度の期間はおいた方がいいと思います。丁度、明日から土日と休みなのでフライング編集をする人が増えそうです。 --Mzm5zbC3 2006年10月27日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
ハヤテのごとく!のようなどちらかというとオタク向け(?)の作品は、特にもっとひどいんでしょうね。早めに対策を取らないとまじめに購入している人が馬鹿を見ます。現在、理由が曖昧なためあまりこれを理由にリバートするのは難しいんですよね。する方も面倒だし(その後の編集と差分を見ながら必要ある記事は残したり微妙に表現を変えたり)、せっかく書いてくれた内容を消すことになるので申し訳なくも思ってしまいます。しかし、一般に公開されている内容だけにそのまま公開しておく訳にはいかないとも思います。 --Mzm5zbC3 2006年10月27日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
ネタバレをわざわざ真っ先にwikiに記載したがるとは暇な人もいるもんですね。--かびお 2006年10月30日 (月) 22:35 (UTC)[返信]
神田神保町あたりに行けば、雑誌や単行本が発売日前に売られているということは事実としてあるのですが、ただそれだとまだ一般書店では販売されていないのですから「検証可能性」の問題も出てくるのではないでしょうか?--水野白楓 2006年11月3日 (金) 14:35 (UTC)[返信]

議論再開[編集]

議論再開します。今度はきっちりと最終結論をお願いします。また、「雑誌発売前のネタバレに相当しない情報(アニメ、ゲームに関する新作情報など)」についても議論をお願いします。なお、自分としては、ここ議題に関して最終結論が出ることが、ハヤテのごとく!の保護解除必須条件だと思います。-小太D 2007年3月8日 (木) 07:37 (UTC)[返信]
単行本発売前の編集については、私も経験上(リバート合戦になるだけなので)仕方ないと思うようになりました。単行本発売まで情報を隠しておくのは、事実上不可能だとも思いますし、この制約が実際に機能しているとはとても思えません。
ただ、雑誌発売前の編集となると流石にどうかとも思います。単行本発売前に情報を知っている人数と、雑誌発売前に情報を知っている人では、後者の方が圧倒的に数が少ないですしね。--江戸ラー 2007年3月8日 (木) 09:57 (UTC)[返信]
ぼくがこの問題の提起をしたんですが、あれからいろいろ見た限りでは単行本発売前の編集についてはある程度は仕方ないのかなとも思うようになりました。ただし、雑誌発売前の編集については断固反対です。全体的には「雑誌発売前は禁止」、「単行本発売前は自粛のお願い」、「できるなら、編や章などが終わった後以降での編集を推奨」という形にして欲しいです。{{継続中の作品}}のある程度がその範囲を明確に記述していない点は非常に問題だと思います。ここを何とかできないでしょうか。本当に速報ではないんですから、週単位などでの編集はできるだけやめて欲しいんですけどね。 --Mzm5zbC3 2007年3月8日 (木) 11:15 (UTC)[返信]
根拠を付していない主張は単なる願望に過ぎません。規制の根拠が個人的願望では馬鹿げています。ある時期をもって解禁とするのなら、その時期が正当であるかの説明も必要でしょう。規制する明確な根拠を誰も提示していない以上、規制せずが適当でしょう。理由は述べたくないけど自分が同意していないからなどという押し付けも馬鹿げています。--219.125.75.70 2007年3月8日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

私は雑誌などの定期刊行物(単行本を除く)に関しては、「発売前・発売中の号」に依拠した編集は反対です。『次の号』が出てから使用するべきです。その理由は検証可能性とは別な部分で、出版元に対する配慮からです。出版元はそこに記された情報を売ることで収入を得ており、特に『定期刊行物(単行本を除く)』に関しては、その速報性を売りにしている部分があります。このあたりは慣例に依拠する部分が多いですが、図書館でも最新号は館外への貸し出しやコピーを禁じている場合があり、これも出版元に対する配慮です。Wikipediaでも安全側に倒すのであれば、『次の号』が出てからにするのがよいと思います。--ZERO 2007年3月10日 (土) 10:19 (UTC)[返信]

図書館での複製は、法律で許可されている場合と権利者に補償が行われている場合とがあり、禁止していることが一般的だとは言えないでしょう。館外持ち出しを禁止しているのは閲覧の需要が高いことも理由としてあるからで、雑誌などの売り上げへの貢献を意図したものとは必ずしも言えないでしょう。逆に需要が高い情報は規制するべきではないとも言えます。売り上げ低減を配慮するのなら、現在販売されている雑誌に限って配慮すれば良いというのに足る説明はなされていないでしょう。大きく売り上げに影響を与える記事は時期に関わらず規制すべきです。--219.125.75.70 2007年3月10日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
ぼくがこの件に関して主張しているのは上記にも既出のように検証可能性の問題と正規の手法で購入している人たちに対する配慮の面があります。実質、ぼくも一部のそういったモラルを欠くような行為により多少の被害を受けています。そもそも、速報でないのだから編集などは作品が終了してからでも本当は遅くないはずなのにそんなに急いで編集する必要性が分かりません。ファンサイトやネタバレサイトなら訪問者などもある程度はそれを覚悟して来ているため問題は少ないのですが(本来はこれでも法律上、問題があるといえますが)、 Wikipedia は公共の場であり、グレーゾーンは慎重にならなければいけません。Template:ネタバレ及びWikipedia:ネタばれに注意におけるネタバレというのは作品の概要などの核心が記述されているという程度であり、未発売の情報の露出ではありません。他にこの件に関するページはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすWikipedia:ページの編集は大胆にWikipedia:記事の所有権Wikipedia:事実を確認するWikipedia:ウィキペディアは何でないかなどでしょうかね。 --Mzm5zbC3 2007年3月10日 (土) 18:58 (UTC)[返信]

検証可能性を度々持ち出す人が出てきますが、検証可能性を反対根拠とするのであれば発売前の検証不可能性を説明しなくてはならないわけで、発売日前にも市中に存在していることは事実であり、建前上存在しないということだけでは不可能であることを説明してはいないでしょう。速報を拒む根拠として提示されたWikipedia内のリンクも、リンクをたどっても速報禁止の意義や根拠などが提示されていません。Wikipediaのルールにいつの間にか勝手に追加された検討されていない由来の不明瞭なものに思います。Wikipediaのネタバレは、それを知ることで閲覧者にとって作品性が低下することを警告しているものであって、発売日に関係していません。それに雑誌発売前だけはネタバレを阻止、雑誌が発売されたならもしくは単行本が発売されたらネタバレを阻止を解除する根拠も提示されていません。ネタバレで鑑賞意欲を削がれる可能性は古典的作品であっても同じですから、時間という尺度では普遍的なルールにはならないでしょう。連続投稿の阻止にしても発売日前の投稿禁止をしても投稿数の減少にはほとんど効果がありません。また、既存ルールに抵触するからという反対根拠は、既存ルールに根拠が無いあるいはルール自体が実情にそぐわないなどの異議が出ている状態では意味が無いでしょう。ルールは大局的な利益の実現を目的とした手段に過ぎないはずですが、守らせること自体を目的としたルールとその運用は不適当です。個人的には時間軸に関わらずどんな些細なものでも関連情報を知りたいという性分ですので、発売日前ネタバレは不愉快というのは一部の人の個人的な感情に過ぎず、正確でさえあれば発売日前であろうがなかろうが投稿を受け入れます。--219.125.75.70 2007年3月11日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

検証可能性が持ち出されることが多いのは、それがWikipediaにおいて極めて重視されねばならない公式ルールだからです。219.125.75.70さんは、Wikipediaにおける検証可能性と、世間一般で言う検証可能性とを混同されているように思われます(これら2つの定義はかなり違います)。いま一度、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源#いくつかの定義あたりを参照・熟読していただきたいのですが、Wikipedia上の定義は以下のようになっています。
  • 検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報を記載する事により、読者が検証可能にすることです。編集者が独自に検証できるからといってそれは検証可能な事にはなりません。
また、漫画作品そのものが掲載されている雑誌や単行本は、当該作品の記事において「一次情報源」です。これについては、
  • 一次情報源は、ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメントまたは人物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。(中略)ウィキペディアの記事で一次情報源を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです。(中略)信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次情報源は、使ってはいけません
となっています。
つまり、出版社が公表している発売日より前であれば、その雑誌や書籍は「公開されていない」もしくは「入手できる状態になっていない」ものと見なせます。いわゆるフライング発売で入手できたとしても、それは「Wikipediaにおける検証可能な情報源」ではありません。
以上より、公表されている発売日以前に入手した雑誌や書籍の記述を根拠とするWikipediaの編集は、たとえ内容に誤りがなくても「独自の研究」であり、公式ルールに違反します。もし行われた場合は、Revert等により排除されるべきこととなります。
逆に言えば、非常に名の通った、内容が信頼できるとされている雑誌や書籍などに掲載された内容に、何らかの「事実に反する」内容があったとしても、出版社や権威団体などによる公式の訂正がない限り、当該資料の公式発売日以後であれば、Wikipediaにおける検証可能性を満たしてしまいます。そして、その(事実とは反する)内容が、Wikipediaの記事として存在することは、Wikipediaのルール上は、まったく問題ではないことになります。まぁ、そんなことはまず起きませんが。 --220.145.19.193 2007年3月18日 (日) 07:51 (UTC)[返信]
全然説明になっていません。その雑誌や書籍は「公開されていない」もしくは「入手できる状態になっていない」ものと見なせます。とありますが、入手している人が複数存在している事実が「入手できない状態になっている」である証明が全く行われていません。説明されていないことを根拠に次の理論へ展開しても全く意味がありません。--219.125.75.70 2007年3月27日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
Wikipediaの「検証可能性」で言われている、資料の「入手」の意味を取り違えないでください。現在のWikipediaの定義では、資料が「入手できる」=「現実に手に入る」ではありません。
フライング発売で入手できた書籍の内容によるWikipediaの編集は、たとえば書籍の印刷所の作業員が印刷作業中に目にした作品内容を元にした編集と同じことで「検証可能性」を満たしません(「独自の研究」と見なされます)。Wikipediaにおいて、資料が「入手できる」という定義は、当該資料が出版元により「公開されている」(または「公刊されている」)ということであり、これは「出版元が公式に告知した発売日以後である」ことです(この「発売日」とは、雑誌であれば前号に掲載の「次号予告」にある発売日などで、単行本なら書店によく掲示されるトーハンの「○月の発売予定一覧」などで確認できる日付です)。
Wikipediaにおける用語は、しばしば現実の用語とは微妙に違う定義がなされていることに、十分ご注意ください。「定義」とは証明するものではありません。
この説明でも理解できない(「公式の発売日前でも、現実に入手できるのなら、入手可能と考えるべきである」と主張したい)のであれば、Wikipediaの「検証可能性」における「資料の入手」の定義自体に対する問題提起となります。いわば、現在のWikipediaにおける重要な決めごとを変えよう、ということになります(もちろん、その主張が正当であり、変えても深刻な問題が生じないと多くの人が認めれば、決めごとは変えられます)。井戸端ではなく、検証可能性のノートで議論なさるべきでしょう。--220.145.19.193 2007年3月31日 (土) 01:51 (UTC)[返信]
そのことが何処に明示されているのでしょう。ドキュメントをリンクすることで根拠を提示しているのでしょうが、そのドキュメントのどこに明示されているのかを示しておらず、Wikipediaのルールらしき権威で煙に巻いているに過ぎません。また、AやBなどの複数のドキュメントをリンクすることで根拠をさらに補完している人が少なくありませんが、Aの根拠の補完がBで、Bの根拠の補完がAであることが大多数です。つまり、Aが根拠と成立する条件がBで、Bが根拠と成立する条件がAという相互依存をしている状態では、どちらも根拠には使えないでしょう。また、『Wikipedia:信頼できる情報源』は拘束力を持たないと明示されています。『出版者により出版され、且つ、入手可能な状態』を検証可能性の条件としている人が多いですが、『出版者により出版され、且つ、入手可能な状態』である早売りの検証不可能性の証明は誰もしていません。--219.125.75.70 2007年3月31日 (土) 08:57 (UTC)[返信]
「そのこと」とか「Aの根拠の補完がBで、Bの根拠の補完がA」という不明確・抽象的な表現はやめてください。AやBとおっしゃる内容に相当するものが、この議論においてどのドキュメントのどの記述に相当するのかを、具体的かつ明確に示してください。
現在のWikipediaにおける「検証」という用語の定義に基づけば、「『出版者により出版され、且つ、入手可能な状態』である早売り」の状態の資料は「検証のために使える」ものではありません。「検証が不可能である」のではなく「検証が可能なものとして認められない」とされているのです(ですから、誰も「検証不可能性」は証明していませんし、そもそも証明する必要もありません)。Wikipediaにおける「検証」とは、そういう意味で使われています。世間一般で言う「検証」とは違うのです。
いま一度繰り返しますが、現在の“Wikipediaにおける約束ごととして”「早売り」は「出版者により出版され、且つ、入手可能な状態」ではない、という定義なのです。これに反する約束ごと(執筆ガイド類やマニュアル類)の記述がある、というのでしたら、その記述のありかを明示してください。また、拘束力がないとされるガイド類でも、それなりの手間と時間をかけて育てられて来たものであり、それに(特に例外的に)反すべき正当な理由がない限り、できるだけ従うべきです。もし、そのガイド類の内容が明らかにおかしい、ということであれば、当該ガイド類のノートで問題提起の上、改訂を目指して議論すべきです。 --220.145.19.46 2007年3月31日 (土) 14:37 (UTC)[返信]
不明瞭だと思うのなら、読解力が無いのか読解したくないのかのいずれかでしょう。複数のリンクを持ち出す時点で根拠が不明瞭だと推定されます。隣接的条項をいくつ提示しても、それはそのものに関係する条項ではないと自覚しているからでしょう。ルール運用という点でも、似たものは一つにまとめておかなければ後で困ることになります。ルール改正が行われても全ての類似条項を漏らすことなく改定することが困難になり、改定前と改定後のルールが並存する最悪の事態になります。その後の改定で一つの事象に多数の取り扱い方が明文化されていく可能性もあるでしょう。『世間一般で言う「検証」とは違う』ということは、日本語版と名乗っているWikipediaは日本語に似た日本語ではない言語だということになります。日本語だと言うのなら、そこに用いられる語句は日本語での一般的な語意でなければなりません。後出しで日本語の意味とは違うWikipedia独特の語意だとするのはルールには不適当です。『そのガイド類の内容が明らかにおかしい、ということであれば、当該ガイド類のノートで問題提起の上、改訂を目指して議論すべきです。』というのはおかしいでしょう。おかしなルールはルールとして成立していないのだから。例えば早売りが駄目だと主観を交えずに明確にルール化が何処で行われているのか。ルール化されていなければルールではないのは世間常識です。例えば法律では、原則許可で制限されているものだけが制限されます。--219.125.75.70 2007年4月7日 (土) 23:12 (UTC)[返信]
いまだにご理解いただけないようですね。
よく「同じ土俵に立て」と言われることがありますので、相撲にたとえてみます。相撲の世界では、勝負中に土俵に「ひざより上をつく」と負けになる、というルールがあります。しかし、世間一般で、地面に「ひざより上をつく」ことにより、何らかのペナルティ(何かに負ける、等)を課せられることは(通常)まずありません。
このたとえにおける「相撲の世界」が「Wikipedia」であり、現時点のWikipediaの決まりでは「ひざより上をつく」ことが「フライング発売された雑誌・書籍に基づく編集」に該当するのです。
このルールは、Wikipediaという世界で、すでに決められていることです。それをルールではないとか、間違っているとおっしゃりたいのなら、そのルールに関する場所であるノートページにおいて明確に問題として提起して「あるべきと思う姿、そしてあるべきルールの策定」を目指してほしい、ということです(主張が正当と認められれば、Wikipediaとしても当然認められますし、その主張が新たなルールとなります)。
幸か不幸か、当議論の内容はすでに井戸端から削除されてしまい(現在進行中の議論なのに削除されたのは問題と思いますが)、多くのWikipedia編集者の目には触れないものになっています。このような場所でうだうだおっしゃるより、もっと適切な場で明確に主張をされてはいかがでしょうか。
なお、あなたの主張には主語がなかったり、代名詞が多すぎたりして、非常にあいまいでわかりにくい表現になっています(その結果、極めて説得力を欠くものになっています)。「読解力が無いのか読解したくない」というのは誰のことですか? 「それはそのものに関係する条項ではない」の「それ」や「そのもの」とは何を指すのですか?
あと、質問にはちゃんと答えるようにしてください。上に書いているものですが、少なくとも以下の2つの質問にはぜひ明確なお答えをいただきたいものです。
  1. AやBとおっしゃる内容に相当するものが、この議論においてどのドキュメントのどの記述に相当するのかを、具体的かつ明確に示してください。
  2. 現在の“Wikipediaにおける約束ごととして”「早売り」は「出版者により出版され、且つ、入手可能な状態」ではない、という定義なのです。これに反する約束ごと(執筆ガイド類やマニュアル類)の記述がある、というのでしたら、その記述のありかを明示してください。
↑記述がないのであれば「そういうものはありません」と明確に認めてください。
以上、今後は明確な理論展開と、質問があった場合はそれに対する的確な回答をお願いします。--220.145.19.46 2007年4月8日 (日) 13:17 (UTC)[返信]
世間一般的に、削除されたものはルールとはならない。世間一般的に、言語は社会共通認識の上で使われるもの。同じ土俵にと言うも、勝手に創作した日本語と日本のルール体系にそぐわない世界という反社会的な土俵に立つことを求めること自体が不適正。記憶ではそうなっていたなどと空想での押し付けは迷惑です。ぐだぐだと創作ルールを述べるだけで、自分の論法に乗ってくれないからと非難するのも的外れです。あるならどこに書かれているのかを示しなさい。示せないのなら個人的創作の押し付けだと認めなさい。創作でなく公式なルールだと判明しない限り、そのルールらしきものに従う必要性がありません。ルール違反だと自らの主張が結論していないのに矯正しようとするのはやめなさい。AだBだがどれかを個別に示す予定はありません。AだとかBに似た条項があるから、自分の創作ルールを公式なものとして相手が誤解してくれる(あるいは自分が誤解している)アホな論法をする人が多いのできりが無いから。それは自分のことだと察知して今後改める人が出てくることは期待しますが。根拠となるルールは一つで十分。過去にあったなどと創作してゼロ個の提示する人も無理があるでしょうけど。--219.125.75.70 2007年4月8日 (日) 20:45 (UTC)[返信]
極めて残念です。質問に答えようとせず、自分の説ばかりを主張されるのは「対話を拒否している」ということになります。あなたのこれまでのご発言は、現在のWikipediaにはまったくそぐわないものです。
あなたが取れる(取るべき)行動は、以下の2つのいずれかしかありません。
  1. まず、Wikipedia:基本方針とガイドライン以下の各方針・ガイドラインを精読し、それらに従ってWikipediaにおいてふさわしい行動をとる。また、これらの各方針・ガイドラインの記述に不適切と思うものがあると考えるなら、その方針・ガイドラインのノートページにおいて改善提案を行い、改訂を求める(大変な労力と時間、そして忍耐を要します)。
  2. Wikipediaは自分とは相容れない世界と判断し、以後一切Wikipediaにかかわらない(労力や時間、忍耐はまったく必要ありません)。自分の主義主張は、自分のサイトなりブログなりを開設し、そこで自由自在に、思う存分自説を開陳する(もちろん、ご自身のサイトやブログでは、Wikipediaに対するご批判を好きなだけ述べていただいて結構です)。
なお、私はあなたの相手ばかりしていられるほど暇ではありませんし、他記事の編集も進めたいと思っています。私の質問にきちんと答える等、まじめに対話しようという姿勢を見せていただけるのなら別ですが、そうでない限り、あなたとこれ以上対話するのは(少なくとも私にとっては)時間と思考力の無駄遣いでしかありません。以上、ご自身の行動をよくお考えの上、適切な行動をおとりください。--220.145.19.46 2007年4月9日 (月) 03:22 (UTC)[返信]
自分の珍説で創作したWikipediaのルールによるにそぐわないなんて馬鹿まるだしの負け犬の遠吠えは無用です。早売りは駄目と何処に書いてあるのか。「ルールを読むと○○を禁止している様に読める」という場合、「○○は許可されている」と判定するのが法治社会です。「検証可能なものだけがWikipediaの記事にできる」というルールで否定したいのなら、『現に存在して複数人が確認している早売り』は検証できないという証明をしなければ禁止には出来ません。Wikipediaは日本語じゃないなんて狂った屁理屈も無用です。自論を繰り返すだけで反論も出来ず、退陣するのに慇懃無礼に他人を小馬鹿にするしか出来ないようでは、邪魔なので最初から出てこないでください。
そもそも、早売りは入手可能な出典元としては容認できないと思います。出版社などは認めていないわけで、また、公式的にも存在しているものではありません。更に法的にも多少の問題があり、モラルなどの面でも問題がある所謂グレイゾーンです。実質的に訴えられたりする可能性はほぼ皆無だと思いますが、そもそも、 Wikipedia の目的からは外れる速報性の記事は好ましくないのではないでしょうか。そういうのに慎重、または不快に思う人の率はそれなりにあるはずです(これに関して実質的に統計をとることは不可能なため予想に過ぎませんが)。また、週間ペースで編集することは話が進行するにつれ変化する内容によって無駄な編集が常に入ることになりかねません。本来ならば最低でも作品が終了するまでは大幅な編集は控えて欲しいところが本音ですが中には十数年~数十年という単位で作品が続くものもありますのでその辺は要所要所で判断すべきと考えます。あと、そんなに急いで編集したい理由がよく分からないのですが常に最新の情報である必要性はありませんし、その分の揚力を別の記事に注いで欲しいなと思うのですが...。何度もいうように Wikipedia は特定の作品のファンサイトなどでも、個人サイトでもありません。そういうことをやりたい場合は自分のサイトで行ってください。 Wikipedia の方針上は禁止とまではいわないでも好ましい形態ではありません。ここの理解が得られないといくら議論しても平行線で解決に向かわなさそうですね。 --Mzm5zbC3 2007年3月31日 (土) 14:41 (UTC)[返信]
そもそも、早売りは入手可能な出典元としては容認できないと思います。---社会一般的に容認できないことを説明しなくては「容認できない」は個人的見解に過ぎません。//『出版社などは認めていないわけで、』---この件以外のWikipediaに記載されている内容を出版者が許可していると何処で解ったのでしょうか。それを説明しなければ理由に足りません。//『更に法的にも多少の問題があり、』---何法に抵触しているのでしょうか。//『モラルなどの面でも問題がある所謂グレイゾーンです。』---著作物に関してのWikipediaの記事は原則的に許可されていないものですから全部グレーゾーンですが、どのグレーゾーンは良くてどのグレーゾーンは良くないという判断をどういう根拠で行っているのでしょう。//『Wikipedia の目的からは外れる速報性の記事は好ましくないのではないでしょうか。』---情報は速い事が望ましいですが、Wikipediaの更新終了させることが反速報性を最大限に引き出す方法であることは明白なので、何故Wikipediaの更新停止を求めないのでしょうか。そうでなければ速報はWikipwdiaでも好ましいことだと考えているからでしょう。//『そういうのに慎重、または不快に思う人の率はそれなりにあるはずです(これに関して実質的に統計をとることは不可能なため予想に過ぎませんが)。』---保護により遅々として情報が最新のものを反映しないで放置されるのも不快に思う人が続出していますが、それを想像できないのか故意に無視するのは止めましょう。//『また、週間ペースで編集することは話が進行するにつれ変化する内容によって無駄な編集が常に入ることになりかねません。』---Wikipediaは内容をより充実させる為に無駄な編集を積極的に求めていますが、それとの整合性はどうするのでしょう。//『本来ならば最低でも作品が終了するまでは大幅な編集は控えて欲しいところが本音ですが中には十数年~数十年という単位で作品が続くものもありますのでその辺は要所要所で判断すべきと考えます。あと、そんなに急いで編集したい理由がよく分からないのですが常に最新の情報である必要性はありませんし、その分の揚力を別の記事に注いで欲しいなと思うのですが...。』---それが単なる個人的意見でないことを説明しましょう。他人の意見の反対根拠が個人的意見では不遜の極みです。//『何度もいうように Wikipedia は特定の作品のファンサイトなどでも、個人サイトでもありません。そういうことをやりたい場合は自分のサイトで行ってください。』---それなら作品完結の数十年後に更新するサイトを自分で開設すれば解決するのではないでしょうか。//『Wikipedia の方針上は禁止とまではいわないでも好ましい形態ではありません。』---禁止でなければ容認となるのではないでしょうか。禁止でもないのに食い下がって阻止したいのなら、禁止事項に格上げさせることが唯一の方法だと思います。//『ここの理解が得られないといくら議論しても平行線で解決に向かわなさそうですね。』---自分の意見が正しいこと、相手の意見が間違っていること、それら全て個人的願望による曲解にしか基づかないものに理解を得ようとするのは傲慢です。--219.125.75.70 2007年4月7日 (土) 13:29 (UTC)[返信]

やや脱線[編集]

やや脱線するかもしれませんが、元々Portal:アニメ/速報的な記事の編集が存在し、この規定をメディアミックスの観点から漫画などの関連諸分野にも適用しても構わないという一種の類推適用が許容されている現状から議論を始めないと収まりつかないと思います。似たような議論はPortal‐ノート:アニメ/速報的な記事の編集にも存在しているようですし、ここはバラバラの議論をするよりもアニメとか漫画とかといった縦割りの分野枠に拘らず、「速報(事前ネタバレについても含めて)」に関して合同で議論する場を設置した方が宜しいのではと考えます(個人的にはWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族みたいなイメージを想定しています)。--水野白楓 2007年3月10日 (土) 19:23 (UTC)[返信]

この議論は非常に大切だと思います。訴訟の種にもなりかねないと思うので(出版社からウィキペディアが訴えられるかもしれません)、ウィキペディアの存続にも関わることだと思います。一度広く議論をする必要があると思います。僕はウィキペディアの編集に関わり始めてからまだ日が浅いので、議論する場を設置する方法が分かりません。どなたか議論する場を設置していただければありがたいです。--Widehawk 2007年3月13日 (火) 22:54 (UTC)[返信]
Wikipedia:井戸端/subj/推理小説のネタバレにおいて、似たような議論がなされておりますね。特に裁判における判例もあるようですし、一読しておくのがお勧めかとおもいます。立つのかよ 2007年3月14日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

どうも、議題がぼやけてきているようなので、ここではっきりと示しておきたいと思います。この議論の最初の発言や議論再開時の発言にあるように、ここで問題にしているのは、「漫画における雑誌発売前のネタバレ」です。「Wikipedia:井戸端/subj/推理小説のネタバレ」をはじめ、関係する議論をいろいろと読ませていただきましたが、「漫画における雑誌発売前のネタバレ」については最終的な結論が未だに出ていないように思えます。

ノート:ハヤテのごとく!#本誌発売前の編集において示されている教えて!gooの回答の中にあるように、出版業者は「早売り」を許可しておらず、「早売り」の行為は契約違反であるとされています。その契約違反の行為によって売られた雑誌をもとにウィキペディアの記事が書かれ、出版社側が「出してはいけない」としている情報をウィキペディアが公にしていることによって、ウィキペディアが出版社に訴えられるということは十分に考えられることです。だとすれば、ウィキペディアの運営者側は訴訟を恐れてウィキペディアを閉鎖するかもしれません。そうなればウィキペディアを利用・編集しているすべての人が困ると思います。(ネタバレを見たくてここに来ている人もネタバレを見れなくなるでしょう)閉鎖される期間は長期にわたるかもしれません。以上の事は全て起こる可能性が無いとはいえません。

ここで議論を続けて、議論が拡散して収拾が付かなくなってしまう前に、いま、具体的な解決策を示してみたいと思います。

漫画における雑誌発売前のネタバレ:この記事に「雑誌発売前のネタバレ」が書かれることによって、ウィキペディアが閉鎖されるといった事態に陥る可能性があります。「雑誌発売前のネタバレ」は書かないようにしてください。この注意を守らず書き込みがなされた場合、このページを保護の方針に基づき編集保護します。

(これに警告的な画像を貼ればもっと良いと思いますが、画像の貼り方がわかりません…、ウィキペディアが閉鎖されるといった事態に陥る(ページのタイトルはまた別に考えるとしましょう)では先に述べたウィキペディアが閉鎖されてしまう可能性がある理由を詳しく説明すれば良いでしょう。)

これを当該ページに貼るというのはいかがでしょうか? --Widehawk 2007年3月15日 (木) 02:38 (UTC)[返信]

議論の再開時に小太Dさんが提起した議題の一部について忘れていました。アニメ、ゲームなどに関する新作情報についても、同様の理由でいわゆる「世に出る前」(つまり正式にリリース・公開される前)は「ネタバレ」を書くべきではないと思います(この「ネタバレ」とは、「正規のルート」ではない「裏ルート」(つまり著作者側が認めていないルート)から手に入れた「ネタバレ」情報のことです。)。これにも対応できるように先程のテンプレートのカバーする範囲を広げて、

著作者による発表前のネタバレ:この記事に「著作者による発表前のネタバレ」が書かれることによって、ウィキペディアが閉鎖されるといった事態に陥る可能性があります。「著作者による発表前のネタバレ」は書かないようにしてください。この注意を守らず書き込みがなされた場合、このページは保護の方針に基づき編集保護されます。

(最後のほうもちょっと変えました。)

としてはどうでしょうか?--Widehawk 2007年3月15日 (木) 04:38 (UTC)[返信]

出版社との間に早売り禁止という契約があったとしても、その契約が締結されているのは購入者でも投稿者でもWikipediaでもありません。また、著作権者からの訴訟の危惧も本件固有の問題ではありません。全ての著作物に関する記事に対して訴訟がなされる可能性があります。さらに訴訟は、根拠なくても訴えたいというだけで起こせます。訴訟を見越して安全を最優先に規制とするなら、Wikipediaの全ての記事を削除することが必要です。なのに全記事の削除の提案を行わないのだから、この案は虚喝でしょう。--219.125.75.70 2007年3月15日 (木) 11:43 (UTC)[返信]

あなたは少し自己中心的ですね。契約などしていない、したがって我々にはなんら義務・責任はないというあなたの主張も分かりますが、書籍の商業ルートに詳しくない一般人がその辺りの事情を話す時はもう少し慎重になって欲しいです。第一早売りはほんの一部でしか行われないいわば「例外」です。wikiの利用人口を考える前にほぼ検証不可能であることはわかるでしょう。そんなあなたがwiki閉鎖の危険性について断言することは難しいでしょうし、そもそもネタバレ問題は「著作者及びその関係機関への配慮」と「未知の作品の情報を得てしまうこと(主にwikiの存在を知らない人などが対象)による作品性の低下」の二つが争点であったと思います。あなたは「訴訟の危惧」という言葉を使っていることからも投稿者やwikiの主観的立場で発言しています。その為、ご自分の意見は客観的見解から外れ、「訴訟されるかされないか」という議論に展開していますね。訴訟の危険性うんぬんよりも、ネット世界に開かれた百科事典として、そのような配慮に欠けることは好ましくないですし、何より今危惧している様々な問題が現実化する可能性も充分にあります。著作者としても、金銭的利潤に影響があるだけでなく作品をちゃんと味わってもらいたいという思いを持っている方もいるでしょうし、その意味で雑誌・単行本ともに発売時期は充分に考慮の対象であると思います。要するに自分の利益・危険性だけを考えるのではなく「社会人としてのモラル」を大切にして欲しいということです。 また、解決策について自分なりの意見を言うなら、記述についてはネタバレは構わないと思います。過剰な個人的解釈・早とちりや根本的間違いを除けば、折り畳みテンプレや警告などの処置が施されていれば、ニーズに応えるという意味で賛成です。嫌な人は見なければ良いのですから。テンプレ乱用の問題については、いくらネタの定義を決めたところで作品は形態も特徴もそれぞれですから、最終的には個人の判断に任せるしかないと思います。可能なら個人設定機能を整備してテンプレをスキップして直に見られるようにするなどの対応もすればよいと思います。 利用者:sun123 2007年3月17日 01:51

主観的願望を後付けで理論武装しているように感じます。例外だとするものが不適切である説明が無い。「ほぼ検証不可能」ということは可能だということでしょう。wiki閉鎖も意味不明。語はWikipediaでウィキの項目を読むなりして語の意味を知った上で用いるべきでしょう。危惧にしても執筆時期のどの時点になると危険が無くなるのか誰も説明していません。危険が無くならないのなら情報は遅報性より速報性が求められるでしょう。自分すら理解できていない(説明できない)屁理屈を他人に押し付けない「社会人としてのモラル」を大切にして欲しいということです(嫌味)。Wikipediaにおいてモラルでリダイレクトされる道徳では、「規則とは異なる」とあります。規則化するにあたりモラルを根拠にするのは適切ではないようです。また、「普遍的といったものは存在せず、集団的エゴイズムに陥る」というような事も記されています。--219.125.75.70 2007年3月27日 (火) 18:19 (UTC)[返信]

前にも推理小説の犯人やトリックをどうするかという議論のときにも考えたのですが、要はものを書いて発表するときのモラルの問題に帰着することです。紙媒体であろうが、ネットであろうが、おおやけにすることについての責任の問題なのです。

ということが議論の前提で、具体的には、雑誌(書き下ろしは書籍)の公式発売日を解禁ラインにするのが妥当でしょう。その段階で、内容が正式に決まるわけですから。どこかで線をひかなくてはいけないのなら、これが不公平が生じないのではないですか。 --ねこぱんだ 2007年3月17日 (土) 02:48 (UTC)[返信]

傍から見ていてもまとまりそうな気配も無いし投票でもすればいいのでは?でもって投票結果に従わない編集を強行するユーザーにはお引取り頂くと。219.98.157.209 2007年3月17日 (土) 03:11 (UTC)[返信]

投票になるのなら、発表前ネタバレの問題だけでなくこの際ネタバレ自体という風に枠を広げるべきだと思います。ネタバレについての議論はwiki利用の少ない私でも頻繁に見かけます。これほど利用者に関心があり、かつ意見の違いが明確な問題を放置すべきではないと考えます。sun123 2007年3月17日(土)13:46(UTC)


このままでは話が進まないと思うので、投票に賛成です。選択肢としては

  • ネタバレ自体禁止
  • コミックス発売までネタバレ禁止
  • 雑誌発売までネタバレ禁止
  • ネタバレに関しては一切制限なし

といったところでしょうか。投票賛成派が多いようでしたら、投票ルール、資格、選択肢等をもう少し具体的に考えたいと思いますが。--江戸ラー 2007年3月17日 (土) 05:23 (UTC)[返信]

まとまりそうでないのは、自分の理論をまとめたくない人がいるからでしょう。自分と異なる意見を否定するばかりで自分の意見を肯定する人が少ないですし。投票は現状では反対です。何故ならば、根拠が無い案を投票対象にするのは不適当だからです。多数決で可決されたものは必ずしも善ではありません。「Aは反対」という意見があったとしても、そこから「Bに投票する」には結びつきません。Aに反対というだけならCであっても良いのですから、Bに投票するのならBでなければならない根拠が必要でしょう。--219.125.75.70 2007年3月27日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
今までは法上の問題がありながらも出版社などから起訴される可能性は皆無だと思っていましたがこのような事例がとうとうでてきました(この事例は対象がマンガではありませんが)。あと、「自分と異なる意見を否定するばかりで自分の意見を肯定する人が少ない」というのは失礼ですが 219.125.75.70 さんの方だと思うのですが...。(^_^; --Mzm5zbC3 2007年4月6日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
因みに一応、建前上は上記のように法上の問題もありますが Wikipedia は特定の利用者の理念とかだけで編集するのは認められず、基本的に非常にデリケートなこの辺りの部分はよく考える必要があります。そもそも、現在の Wikipedia の記事は不必要にネタバレ情報が多すぎるような気がします。一応、百科事典として必要なネタバレの記述をためらう必要はないというのはありますが、百科事典の枠を超えたネタバレがありませんか。実際には日本語版 Wikipedia にもドイツ語版などで導入されている(らしい)承認されないと一般公開されない(?)システムを導入すべき否のではないかと思ったりします。ただし、これは特段差別などの意味ではなくあくまで百科事典としての質を向上させるためには必要不可欠と考えるからです。 --Mzm5zbC3 2007年4月6日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
失礼だと自覚しているのなら、自分の否定と容認の線引きを口に出す前に明確にしてから他人に意見しましょう。承認されなければ公開されないシステムを望むなら、自分の意見が承認されるであろうことを説明すると良いと思います。他人を意味不明な理論で否定するだけで、自分への否定意見を否定(これが肯定の条件となる)を全くしていません。モー娘。の写真掲載は著作権法違反が問題だと出版者は主張しているそうですが、Wikipediaには著作権法違反容疑がかけられそうなものは多数あります。なのに、この件だけで法律違反容疑を持ち出す理由は何なのでしょう。つまり、個人的願望実現の為の根拠ありそうに見せかけた単なる言い掛かりでしょ。--219.125.75.70 2007年4月7日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
私としての意見ですが発売状況を段階的に考察しています。発売前のネタバレ記載については論外とし、連載中については明確な内容記載を自粛、連載終了作品は単行本等の購買意欲をなくさない程度で抑制、単行本等が絶版となったものについてはある程度記載しても問題ないと思います。Tokatsu Kokubu 2007年4月15日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

争点の洗い出し[編集]

動きがない上にフレーミングに発展してきてますね。よくない傾向だと思います。 いったん、規制派、非規制派の意見をまとめてみました。(投票も視野に入れているようですので、勝手に2分割しました。)色々と間違えていたらごめんなさい。(コメント)の後ろの文は、僕の個人的意見です。

規制派
検証可能性
出版側的にこの世に存在しないとされているので、検証不可能である。また、早売り販売自体が法的にグレーである。
法的リスク
漫画雑誌ではないが、早売りに関する訴訟告訴がなされたことがごく最近あった。漫画雑誌だから大丈夫とはいえないのでは。
その他意見
自粛すべきだろ、常識的に考えて……
まとめ
雑誌発売前の編集は規制すべきである
(コメント)例の訴訟告訴はきわめて特殊なケースであることは留意すべきかも。また、反対意見を持つ219.125.75.70さんを納得させることを、これだけの人数差がありながらできていません。(=決定的に規制すべきだ、という根拠を挙げられない)
非規制派
検証可能性
(販売者のモラルとかの話は置いておいて)現実に手に入るのだから、検証可能である。
法的リスク
他のグレーな記事が大丈夫なので大丈夫(?)
まとめ
雑誌発売前の編集は規制すべきでない
(コメント)「著作権違反の疑いがあるが放置されている記事」の具体例が欲しいところです。そういうものはただちに削除依頼すべきですし、早売りに似た話でなければ根拠になりえないでしょう。また、219.125.75.70さん以外に同意者が全く現れないというのも、いくらWikipediaは民主主義ではないとはいえ、気になるところです。

--meekcharat 2007年4月13日 (金) 09:25 (UTC)[返信]

meekcharat氏が書かれた内容に対してちょっと質問・コメント

  1. 早売り販売が法的にグレーというか、話の流れ的には漫画雑誌の早売りがグレーなんじゃ?(漫画の単行本等にも早売りはあるわけですがそれらについて言及されている方は少ないかと)
  2. 法的リスクとは、発刊・発売前に行われる編集に関しての法的リスクという認識でよろしいですか?
  3. 告訴されたケースは上に記事へのリンクがありますが、訴訟になったケースってあがってましたっけ?
  4. 非規制派の皆さんですが、現にフライングで記事編集される方がそれなりにいらっしゃるようなので、ここの議論を知らないだけかと。

--ひげもじゃ 2007年4月13日 (金) 19:49 (UTC)[返信]

  1. 今回の話で「漫画雑誌の早売りによる更新は駄目」と結論付けられれば、単行本も駄目ということになるのではないでしょうか?たいていは微修正程度しかありませんけど、書き下ろしのエピソードがあった場合や、単行本自体が書き下ろしである場合に問題になると思います。漫画以外の場合はまた微妙に事情が異なりますので、とりあえず漫画雑誌の話をしましょう。
  2. はい。
  3. 語彙力不足により、二つの言葉の意味を混同していたようです。修正しておきました……お恥ずかしい><
  4. 発端となったハヤテのごとく!のノートページで、もっと呼びかけていくべきですかね。また、この話題が井戸端から削除されていることも新たな議論者が現れない大きな一因だと思うのですが、その経緯や理由についてわかる方はおられますか?
--meekcharat 2007年4月14日 (土) 15:45 (UTC)[返信]
(#やや脱線の節の量が増えたので分割しました、名称が適切でないようなら変更してください)今のところ、単行本の早売りによる問題はほとんどでていないように思えたので特に明言はしていませんでしたが当然、単行本の早売りによる記述も問題です。ただし、この場合は先述の雑誌発売後の週刊ペースの編集と一部重なるため更に難しいんですよね。それと、この問題に関しては該当する編集を行っている方を発見したらその方の会話ページに議論に参加いただくように書こうと思っています。名探偵コナンの登場人物で該当編集を行ったSkyStarさんの会話ページには書いておきましたが今のところ反応はないようですね。これに関してはそういう行為で困る方の気持ちとかモラル的にも問題があるということが理解できない人の場合、いくら説明しても分かっていただけそうにないような気が。 --Mzm5zbC3 2007年4月14日 (土) 16:17 (UTC)[返信]
追加で。別にぼくはネット上でのネタバレ自体が悪いといっているわけでもないですし、ネタバレサイトやファンサイトでのネタバレや予想、速報情報はいいと思うんです。実際にぼくもそういうサイトを意図的に見ることはあり、その場合は重宝しています。ただし、 Wikipedia はそういう趣向のサイトではなく、そういうことはネタバレサイトやファンサイト側の役目だと思っています。つまり、 Wikipedia としてはそれは認めるべきではないんじゃないかと思うんです。なお、先述の訴訟に関してはあくまで「似たような状況での例」という形での報告であり、一度あることは二度あるというような感じで、可能性としてはあり得るということを示しただけです(この辺の日本の法律などはかなり遅れており、もう少し現代のネット社会に合わせて改正すべきと考えていますがそれはまた別の話で)。そういうことから、速報情報などをネット上で公開したいなら「そういうサイトを立ち上げるなり、そういうサイトを探してそこに報告するなりして Wikipedia には記述しないで欲しい」ということをいっているんです。 --Mzm5zbC3 2007年4月14日 (土) 16:37 (UTC)[返信]
個人的な見解として、上の例は告訴された段階ですのでどうなるかわかりませんが、早売り(及び発売前の編集)の法的リスクとして考えられるのが著作者人格権(公表権)侵害です。これが念頭にあったので、漫画単行本等の早売りは雑誌におけるそれとは一応区別すべきかなと(一応というのは未発表の書き下ろしなどを含む場合があるので)。--ひげもじゃ 2007年4月14日 (土) 20:34 (UTC)[返信]
あるところで検証可能性について聞いてみて思ったのですが、そもそも検証可能か否かは解釈の相違であり議論によってどうこうなる問題ではないと思われます。これに関しては早い段階での投票によるコンセンサスを得るべきかもしれません。また、上記において、検証可能性で記事を縛るのは如何か?という意見をいただきましたことを報告しておきます。--ひげもじゃ 2007年4月15日 (日) 19:33 (UTC)[返信]
解釈の相違が生じるのは、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の冒頭にある「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」の中の「発行元からすでに公開されている」の定義が厳密になされていないためと考えられます(公的な方針に、このような曖昧な記述があること自体が大きな問題ですが、それは別の問題なのでここでは触れません)。
ここで、一般読者が作品(雑誌や単行本)を実際に入手できるタイミングを考えると、
  1. 発行元が公示した発売日より前(いわゆるフライング発売とか早売りとか言われるもの)。
  2. 発行元が公示した発売日の当日。
  3. 発行元が公示した発売日の翌日以降(へき地や離島、海外などで、配送が発売日に間に合わない等)。
があります。
さて、これらのうちのどれを「発行元から公開」のタイミングと言うべきでしょうか。
いわゆる早売り(上記の1.)は、その書店などが勝手に(発行元の承認なく)やっていることであり、本来一般読者の手元に届いてはならない状態です。これを「発行元からすでに公開」と言うのはいかがなものかと思います。また、場合により2日前だったり3日前だったりと、「いつ『すでに公開』となったか」がはっきりせず、そういった曖昧なものを編集の可否を左右するような重要なタイミングとして定義するのは、決して適切とは言えません。
逆に、地理的条件などで、発行元が公示した発売日には手に入れられない場合(上記の3.)はどうでしょうか。これも発行元の関与するところではありません。発行日に手に入れたいのであれば、手に入る場所にいればいいだけのことで、一般読者側の都合に過ぎません。もちろん、これも2日後だったり3日後だったりと、はっきりしたタイミングではないという意味で、タイミングの定義としては不適切です(外国では、発売から入手まで半月以上とかは当たり前)。
従って、「発行元からすでに公開されている」というのは「発行元が公示した発売日以後である」(上記の2.)と考えるのが、最も自然で適切な定義ではないでしょうか。
そして、その極めて自然な定義に従えば、早売り中の雑誌にしか掲載・記述のない作品や記事の内容に基づく編集は、Wikipediaの公的な方針(Wikipediaを利用する者なら誰もが守らねばならない重要な規則)である検証可能性を満たさない、ということになります。
極端な話「実際に手に入るのだから」というのを許してしまえば、たとえば担当編集者が「原稿が手に入っているのだから」と、発売の1か月以上前に記事を書くこともできてしまいます。さらには、作者自身が「手元にネームとラフがあるから」というのまで許されてしまうでしょう。原稿でなくても、印刷所の印刷機担当工員が、刷り上がったばかりのものを「手に入っている」と主張することができてしまいます。
これでは、独自の研究との境界がなくなってしまうことになり、Wikipediaの記事の質や信憑性が大きく損なわれることになりかねません。
早売りにしたところで、せいぜい本来の発売日の数日前程度です。Wikipediaでは速報性はまったく求められていない(どころか「事実を十分に確認し、正確な記述をする」ことが求められている)ので、早売りで手に入れたとしても、本来の発売日までの数日間は作品を楽しみつつ記事の文章をローカルでまとめ、発売日になってから編集する、という形にすれば、何の問題もありません。なぜ、たった数日ほど早く書くことを必要とするのか、理解に苦しみます。 --220.145.18.106 2007年4月20日 (金) 05:27 (UTC)[返信]
検証可能性に関して。まず、規制するのなら明文化させておくことが最大で間違いが無い方法です。それをしないで条文解釈で行うのは、恣意的な運用を肯定することになりますので、すべきではない。早売りは印刷製本されて流通に乗った時点で未来に起こる事実として確定されます。発売日前に回収になったとしても、流通して一般の人の目に触れたという事実は変わりません。執筆時点では事実。これ以上のものは作者が存在しなくなった後でなければ無理でしょう。物語上の敵が後に味方になることは少なくありません。それは来週号かもしれませんし、数十年後の続編かもしれません。作者が死亡しても権利を引き継いだ者もしくは団体が存在する範囲では敵か味方かは未確定なものです。速報禁止を頻繁に用いている人は、執筆時点ではという暗黙の了解では黙認しているのか、速報禁止の意味を理解していないのかのどちらかでしょう。別の観点では、例えば絵画や映画の製作途中経過は記事にはしてはいけないということでもないでしょう。確認できる事実でトピックであれば記事には出来るはずです。多分その様な記事は規制受けずに容認されているはずです。また、編集部に入稿しても没になって存在しない未来になる可能性もあり、没案という記事でなく正式なストーリー展開に基づくものとして書くには自然と限度があります。Wikipediaはすぐに気付いた人が修正できるという利点から、多少の誤りは容認して今後の修正に期待したプロジェクトです。
著作権法違反の記事に関して。早売りが著作権法違反で禁止行為であるならば、著作物に関する全ての記事もまた著作権法違反の疑いがあります。著作権者の許可は原則受けていないでしょうし、作品内容の一部のコピーを記述した記事なので、四角四面にに法を当てはめれば著作権法違反になるでしょう。作品内容を知ったことで金銭出費を思いとどまる可能性は必ずあり、著作財産権を犯す違反行為として告訴することは可能です。可能性があるというだけで禁止可能ならば、全て禁止事項になるでしょう。しかしなっていない。つまり、ただ単に違法というだけでは規制の対象にはならないと考えられているということです。内容を知ったことから記事執筆は二次利用であって、著作頒布権などの範囲外でしょう。ロードショウを封切り前に鑑賞する機会があって、その経験を元に内容を口外したとしてもそれだけで著作権法違反になる訳ではありません。
たった数日の為に書く必要があるのか?必要性を問うのなら、自分の為、あるいは他人に感謝されるであろう自分の為にしたいからするだけであって、そもそもWikipedia自体が必要なものではないでしょう。その点で言えばどれも同じでしょう。それにより権利者の経済的損失が発生するのは、時期ではなく内容が問題でしょう。発売日を過ぎていれば記事の内容は不問ということでもありません。
修正頻度を減らすことに関して。意義はありますが、それで容認されたもの全体の回数にくらべて具体的にどれだけ減るのでしょう。計上するほど減らないのなら、減らす必要性も僅かでしょう。他にも何度も修正されている記事、何度も修正する人もいますが、そちらは野放しなのが実情です。全体の数を減らす努力をしないで僅かな部分を躍起になるのは規則運用が恣意的なものでしょう。
速報は求められていない。これは事実なのでしょうか。急がなくて良い、求められていないのなら、永久に求めないという選択もあるはずです。しかし現実派違います。その程度は多様でしょうが、全員がある程度の速報性を求めています。速報性禁止は思慮浅い誰かがまことしやかに言った案を検証せずに思慮浅い者らが同意してしまったものでしょう。悪法も法だとする考えもあるものの、速報規制の規約に反する箇所はおびただしいです。発売日前というものが規制されるなら終了26週以前というのも同じく規制されるはずですが、そうなっていない。恣意的な規則適用をするのは、適用する側にも規則が誤っていると認識しているはずです。
成立した規則は正しいとして、それを守る為に最終的な目的を見失い、将来的に得られたはずのものを失うことはすべきではないでしょう。ここでの論議に熱心であるものの、その根拠に異論があってもそちらの議論は不熱心。おかしな規制は規制を見直すという方法もあるはずですが、それをしないのは目的を見失って近視眼的ながら役立っている自分への陶酔や、自分が誰かの行動に強制力を持つことに魅力を感じてているのかもしれません。
最後に。個人的にやだ。いかにも客観的そうな屁理屈で願望を隠したとしてもそれは理由には相応しく無いでしょう。
殴り書きなので、論旨以外への意見は不要です。--222.3.58.215 2007年4月21日 (土) 10:27 (UTC)[返信]
222.3.58.215氏の言い分がわからんでもない。しかし、著作権に関しての論旨は肯定できない。これは、問題になっている(一般の人間側から見た)高校野球の特待生問題と同じようなものだと思っている。違法というだけでは規制の対象にはならないと考えられているわけではなく、それの違法性を認識していないだけではないのだろうか。そして、規制の対象になりうると考えている人もいるのは過去ログ等を読めば明らかだろうと思う。現状として、杓子定規に当てはめると相当数の記事が削除対象になりうるのは確かで、仕方なく黙認されてきたようではある。しかし、積極的に認めているわけではない。また、黙認されている事に関してもそのことがいつまで続くかは定かではない。目に余れば即規制の対象として槍玉に挙げれることを忘れてはならない。

まあ、ある程度の記事は確保したいという思惑とのトレードオフってとこかと。正に触らぬ神に祟り無し?!--ひげもじゃ 2007年5月3日 (木) 16:22 (UTC)[返信]

定義を明確化しませんか[編集]

取り敢えず、このまま言い合ってもお互いに意見の平行線でいつまでも解決できませんし今、早急にやるべき事ではないかと思われることは以下ですよね。

そもそも、速報の範囲とネタバレの定義・検証可能性などについてPortal:アニメ/速報的な記事の編集でもWikipedia:ネタばれに注意でもWikipedia:検証可能性でも明確に示されていないため各自勝手な解釈をしてしまい、それが論争の発端なので、これらを明確に取り決め、 Wikipedia の公式方針(公式方針化)とする
  1. 本来ぼくがこの問題を提起したのは最初の方にも書いたように「雑誌発売前のネタバレのせいで実害を被ったこと」が発端です。ただ、当時はかなり熱くなってしまっており、勢いもあってあまり考えずに投稿してしまいました。
  2. しかし、その後によく考えた上で、最悪週間ペースの編集はある程度は妥協できる部分もあると思い直しました。
  3. 法的な問題を挙げたのが話をややこしくする原因の一つになってしまったようですが、あくまで法的な問題やサーバの負担などは建前です。
    1. 先述のように似たような事例での提訴(?)が起こりましたが、これにより多少は訴えられる可能性が高まったことは事実でしょうがそれでも依然、可能性は低いと思います。
    2. ただ、早売りはモラル(常識)的に考えて問題がある(グレーゾーンである)わけで、これを出典とするのはやはり問題があると思います。
    3. また、そもそも早売りは一部の地域だけでしか行われておらず、大半の人はそれを検証することは不可能です。
    4. 雑誌発売以降は多くの人にとって検証可能になるという面ではある程度クリアしています。
      1. ただ、それでも週刊誌の場合はその週内で、月刊誌の場合はその月内(実際には入手可能な範囲内の店で完全に売り切れるまで)に入手できなければ検証は難しくなります(実際には入手した友達に見せてもらうとか方法はいくらでもありますが)。
      2. 単行本発売以降は(絶版するまでは)比較的簡単に入手できるようになります。

などの理由は挙げられます。実際にはいろいろややこしいところがあり、絶版したものの検証可能性とか難しい場合もあり、かなりご都合主義というか、個人的な意見も含まれていて結構、実は脆かったことに今更気がついていたり...。現在でもぼく自身は Wikipedia での速報的(雑誌発売前・週間/月刊ペース)な記事の編集に反対なのは代わりありませんが公式方針で上記のような編集が認められたならば今後、それに対して口をだすつもりはありません(それでもぼくはそういう編集はしませんけど)。長い内容ですみません。 --Mzm5zbC3 2007年4月21日 (土) 19:23 (UTC)[返信]

「定義の明確化」には大いに賛成です。どこから手をつけるべきかは難しいかも知れませんが、Wikipediaにおいて重要な決まりになると思います。
なお、週刊誌や月刊誌、単行本については、現在はすべて出版時に国立国会図書館に必ず納本することになっており(実は同人誌すら納本義務がありますが)、20歳以上であればそれらの資料は誰でも閲覧可能です。発売後数年とかの週刊誌でも、そのほとんどが参照可能です(一部、極小出版社や個人による出版物などは納本もれがあります)ので、大手出版社による雑誌や単行本に掲載や記述があれば、少々古いものであっても検証可能性については十分にクリアできます。 --220.145.18.106 2007年4月25日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
Portal‐ノート:アニメ/速報的な記事の編集のガイドライン?化についての議論が行われていたりしますが、ここの感じからすると
  • 検証可能な情報源の公開に関する定義
  • ネタバレの定義
    • ネタバレの許容範囲

の方が重要な気がしますな。--ひげもじゃ 2007年5月3日 (木) 16:22 (UTC)[返信]

発売日前の早売りは書店組合が公平性から問題視していますが違法ではないですし、発売日よりも発行日のほうが重要ではないでしょうか?国会図書館の納本も法律で発行日から30日以内となってますね。発行日は発売日よりけっこう後の日付に設定されるので、記事も速報的ではなくなりますし。219.106.174.81 2007年6月3日 (日) 09:43 (UTC)[返信]

ネタバレの投票について[編集]

皆さん、関心を持っていただいてありがとうございます。ぼくも、上記のように投票することは大賛成です。 Wikipedia の中のルールとして今、一番確実にしておく必要があるところだと思います(あわよくば公式な方針になるといいのですが)。どこまでのネタバレを許容するかなども含めて議論すべきですね。一応、 Wikipedia といしては「ネタバレの記述を抑制すべきではないという考えがあることも理解していますし、ある程度は分かります。ただ、一般的な常識(モラル)や法上の問題などは大前提に考えないといけません。それらを逸脱するような内容は記述するべきではないと思います。逆に範囲内ならばなるべく記述すべきという考えをもっています(ネタバレの記述しすぎで作品内容を理解しづらくなったり、おもしろさを損ねてはいけないと思います)。 --Mzm5zbC3 2007年3月18日 (日) 12:09 (UTC)[返信]

問題は、投票でガイドラインを決めても、おそらくそれに従わないであろうは、ほとんどがIPユーザーの人達なんですよね。投票後のガイドラインを有効なものにするためにも、多くのログインユーザーの方に、この問題への関心を引く必要がありますね。--江戸ラー 2007年3月18日 (日) 19:12 (UTC)[返信]
何度もIPユーザー批判したいのなら、IPユーザー排除案など別のところで提案すべきです。特に権限を持たないユーザーの登録制限もないアカウント登録の有無でユーザーの質を論じても無意味です。少なくともこのページに限ると登録ユーザーは自分の主張の根拠に屁理屈しか出せない人ばかりという現状では、自分の質を自らの文章に見出せないからこそ登録するのでしょうか。--219.125.75.70 2007年3月27日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
より正確に言えば、雑誌発売前のネタバレ情報記述だけではなく、週刊(月刊)ペースの編集自体が好ましいものではないわけで、Portal:アニメ/速報的な記事の編集にも「毎週放送毎に逐次変更を加えていくという、速報的な行動を自粛」して欲しいと書かれています。これはサーバの資源を無駄にするという意味でもできる限り考慮すべきと考えます。速報的な記述をした場合の利点(メリット)というのは皆無に近く、欠点(デメリット)の方が問題になります。そこの理解が得られないと解決しそうにありませんね。 --Mzm5zbC3 2007年4月4日 (水) 18:15 (UTC)[返信]

早急な編集の定義について[編集]

現在、争点となっているPortal:アニメ/速報的な記事の編集について、より定義などを明確化するためにページ名の変更等をしようという動きが活発化しています。まずはこちらの方が先決と思いますので、どうか皆様ご意見をお願いします。 --以上の署名のないコメントは、Mzm5zbC3会話投稿記録)さんが 2007年5月4日 (金) 15:05 (UTC) に投稿したものです(Mzm5zbC3による付記)。(署名忘れ)[返信]

発売前の公開によって摘発された事例[編集]

とうとう、こんな事例がでました。

ということで、やはり著作権などに引っかかる可能性がかなり高くなりました。少なくても情報元(出典)は違法公開されたものと判断できるのでそれを出典にすることはできません。 --Mzm5zbC3 2007年5月18日 (金) 14:45 (UTC)[返信]

妄想は止めましょう。著作物を権利者に無断でWinnyなどで公開すること自体が時期に関係なく違法なのであって、時期がどうなのかはMzm5zbC3以外の誰も法判断していません。--222.4.49.66 2007年5月18日 (金) 15:27 (UTC)[返信]

議論を「Wikipedia:性急な編集をしない」に移しましょう[編集]

これからは、Wikipedia:性急な編集をしないでこのような性急な編集について話し合われることになりました。--Widehawk 2007年6月5日 (火) 06:10 (UTC)[返信]