Microsoft Multiplan

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Multiplan
開発元 マイクロソフト
初版 1982年(32年前) (1982
対応OS コモドール64, TI-99/4A, Apple II, MSX, X1, MZ-2500, PC-8801, Macintosh, MS-DOS, XENIX, CP/M, CTOS
種別 表計算ソフト
ライセンス プロプライエタリ
テンプレートを表示

Microsoft Multiplan(マイクロソフト マルチプラン)は、マイクロソフトが開発した初期の表計算ソフトの名称である。

概要[編集]

1982年に登場した当時はApple IIおよびCP/M向け[1]だったが、その後MS-DOSXENIXを含むいくつかのオペレーティングシステム上に移植された。また、コモドール64TI-99/4ATRS-80 Model II、バロース B-20、日本IBMマルチステーション5550といったパーソナルコンピュータにも移植された。

また、Macintosh向けのMultiplanは、マイクロソフト初のGUI式表計算ソフトであった(他機種版はテキストベース)。

表計算のマルチプラン(Multiplan)、グラフのマルチチャート(Multi-Chart、機種や販売元によってはMS-チャート)、簡易データベースのマルチファイル(Multi-File、機種や販売元によっては存在しない)の3種類でマルチツールファミリー(Multi-Tool Family)を構成した。

特徴[編集]

セル位置の指定はR1C1参照形式(行をR1,R2,R3…、桁をC1,C2,C3…で表す)が採用された。8ビットパーソナルコンピュータでベストセラーとなったVisiCalcや、MS-DOS用としてベストセラーとなったLotus 1-2-3ではA1参照形式(行を1,2,3…、桁をA,B,C…で表す)が採用されており、そちらに慣れている利用者が多かった為、後継ソフトであるMicrosoft Excelでは初期状態がA1参照形式となり、利用者が好みに応じてR1C1参照形式に切り替えることができるようになっている。

ファイル形式バイナリSYLK(シルク)で、当時は多くのツールが当形式をサポートしていた。

VisiCalcやLotus 1-2-3では"/"(スラッシュ)を押すことによってメニューが表示されてコマンド入力モードになるが、Multiplanでは画面下部に常時メニューが表示されている。設定によって常時文字・数字・数式入力モードになり、ESCキーを押すことでメニューを呼び出すようにすることもできる版もある。どのキーがどの編集コマンドに対応するかはコマンドメニューに表示されており、対応するアルファベットのキーを押すことでコマンドを選択する。

初版のバージョン1.0はIBM PCの標準メモリ64KBでも動作する。これはIBMの要望に基づく。ワークシートのサイズは256行×64桁。バージョン1.1ではメモリの上限までワークシートを拡張できる。

バージョン2.0はマウス対応となった。

バージョン3.0はマルチユーザーに対応し、最大8枚のワークシートを扱えるようになった。

歴史[編集]

開発が始められたのは1980年。開発中のコードネームは"EP"(エレクトロニック・ペーパー)。先行していた同カテゴリーの表計算ソフトVisiCalcアセンブリ言語で書かれており、移植が困難という欠点があった。Multiplanはより多くの機種に移植できるようなものとする為、オペレーティングシステム上で動作するアプリケーションとされ、移植が容易なC言語にてコーディングされた。更に p_code と呼ばれる中間言語を介することで、移植時に変更点が少なくて済むような設計となっていた。但し、この特徴が動作を遅くする結果にもつながった。

開発責任者はチャールズ・シモニー。かつてゼロックスパロアルト研究所で働いていたシモニーは、Altoで採用されていたGUIの使い勝手の良さを知っており、それを取り入れるべくソフトウェアをデザインした。常時表示されるメニューやプロパティシートは、マウスによる操作を想定したものである。Altoの存在を知っていたビル・ゲイツもその思想に賛同していた。[2]

1982年に販売開始された当初の売れ行きは好調だったが、翌年にLotus 1-2-3が販売開始されると、IBM PC/ATおよびその互換機用アプリケーション市場においては苦戦を強いられた。1-2-3はMultiplanよりも多くのメモリを必要としたが、C言語で書かれたものよりも高速に動作するアセンブリ言語で書かれていた。Multiplanはバージョンアップのたびに機能を強化して1-2-3を追撃しようとしたが、既に1-2-3は利用者の絶大な信頼を得ており、その牙城を崩すことはできなかった。[3]但し、1-2-3の他言語対応が遅れたこともあり、欧州日本の市場では比較的善戦した。また、Macintoshにおいては標準的な表計算ソフトの地位を確保した。これは、当初より移植を前提として多様な環境に対応できるよう設計されていたことが大きい。

1-2-3の前に一敗地にまみれたマイクロソフトは、後にGUIに特化した表計算ソフトとしてMicrosoft Excelを生み出すこととなった(Macintosh版は1985年Windows版は1987年

Macintosh版のオリジナルディスク。Macintosh版Multiplan スプレッドシートという表記はなく、Electronic Worksheet Programとある。


参考文献[編集]

  • ダニエル・イクビア/スーザン・L・ネッパー著、椋田直子訳(1992)『マイクロソフト-ソフトウェア帝国誕生の軌跡-』ISBN 978-4756101181 , アスキー
  • 相田洋、大墻敦著(1996)『新・電子立国 第3巻 世界を変えた実用ソフト』ISBN 978-4140802731, 日本放送出版協会
  • 脇英世(1994)『ビル・ゲイツの野望 マイクロソフトのマルチメディア戦略』ISBN 978-4062072618 , 講談社

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Daniel Ichbiah/Susan L. KNEPPER著、椋田直子訳 (1992)『マイクロソフト-ソフトウェア帝国誕生の軌跡-』P184 , アスキー
  2. ^ 相田洋、大墻敦著(1996)『新・電子立国 第3巻 世界を変えた実用ソフト』P101 , 日本放送出版協会
  3. ^ 脇英世(1994)『ビル・ゲイツの野望 マイクロソフトのマルチメディア戦略』P137 , 講談社