滝亭鯉丈

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滝亭 鯉丈(りゅうてい/たきてい りじょう、生年不詳 - 1841年7月27日天保12年6月10日))は、江戸時代後期に活躍した戯作者である。本姓は池田氏、通称は八右衛門後に八蔵。

経歴・人物

江戸幕府の300石の旗本池田氏の一家として江戸に生まれる。幼年期の家業や生涯は浅草東本願寺乗物師縫箔職人、象牙職人、櫛屋等の諸説があり、不明である。その後、先祖が夭逝した事により禄を損失し落語家滝亭鯉楽の弟子となり、落語を披露する等の寄席芸人に転じ、戯作の道を開く。

これによって、江戸の町人遊民を滑稽に描いた人情本を多く出版し、一躍有名となった。当時江戸で活躍していた十返舎一九式亭三馬と並び、滑稽本の代表的な作者の一人となった。また、同時期に活躍していた為永春水との共著も刊行し、江戸時代後期における戯作の大成者なった。なお、鯉丈は春水の実兄とされているが、定かではない。死後、文京区称名寺の境内に鯉丈のが建てられ、文化財に指定された。

主な作品

代表的な滑稽本

その他の滑稽本

  • 『大山道中栗毛後駿馬』‐ 1817年文化14年)に刊行。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』から派生された作品である。
  • 『明烏後正夢』‐ 1821年(文政4年)~1824年(文政4年)に刊行。為永春水との共著。

出典

外部リンク